2日目『穏やかな貌の肖像画』 美術の授業は嫌いだ。
そもそも、じっと座っているということが自分に向いてないという自覚が、彰人にはあった。体を動かす方が性に合っている。小さいころからそんなだったから、基礎くらいは教わっていても、両親も彰人に絵を描かせることを強要はしなかった。
そのくせ、父親の知名度がこはねくらいの高校生なら知ってるくらい高いせいで、教師はやたらと期待の眼差し向けてくる。運良く中学のころの美術教師はそれを表にださなかった(もしくは、東雲画伯にさほど興味がなかったのかもしれない)から、高校の美術教師のそれはうんざりとするほどよく刺さった。彰人の生活態度を知っていれば、絵に期待なんてしないだろうに。
「それじゃあ二人一組になって。お互いの肖像画を描いてみましょう」
美術教師がざわつく教室に向かって声を張る。何が楽しくて美術の授業の時間を二回分も使って、クラスメイトの顔なんか描かなくてはいけないのだろう。
この時間を使って睡眠をするか、体育の授業に振り替わってくれればよっぽど有意義だ。彰人はめんどくさいといった態度を隠しもせず、中学時代からつるんでいるクラスメイトを適当に捕まえた。
「彰人のクラスでもやるんだな」
冬弥と美術の時間がめんどくさいと話をしたのは、二人きりの練習の休憩中だった。
「ってことはそっちのクラスもか」
きっと杏のクラスでも同じ授業をするのだろうな、と二人が同じ感想を抱く。きっと、上手に描けたらこはねに自慢げに報告をして褒めてもらおうとするだろうし、上手く描けないときは無かったことにするのだろう。彰人はこんどつついて結果に探りを入れて、芳しくなさそうならこはねの前でからかってやろうとほくそ笑んだ。
「そういえば、お前って絵とか描けんの?」
「あまり自信はなかったんだが、味があると褒めてもらって、画伯という称号をもらったぞ」
それって褒められてないからな。と彰人は思ったが、冬弥が嬉しそうだったので口をつぐんだ。きっと、相手が画伯の称号も純粋に喜ぶ冬弥のような人間でなかったら口に出していただろう。
「彰人の方はどうだ?」
「あー……、平均点取れそうなくらいで適当にすます」
「そうか」
面倒臭さを隠しもしない彰人の様子をみて、冬弥が肩を落とした。それきり黙ってしまった冬弥に、彰人は言葉を促す。かつて言葉が足りずにすれ違ってから、黙って考えこんでしまう癖のある相棒の心情を引き出すのは、彰人の仕事だ。
「何だよ」
「……いや、親の知名度のせいで期待されることの重圧は俺も知っているからな。言うべきじゃないだろう」
「言うべきかどうかはオレが判断すんだよ。とりあえず言ってみろ」
むに、と表情筋があまり働かないせいで柔いほっぺたをつまむ。いひゃい、と抗議の声がしたので、対して力も入れていない手をひらひらと翻して開放してやった。
頬をさすりながら、冬弥は少し躊躇した。それでも、ゆっくりと小さな口を開く。
「彰人とペアになったクラスメイトが少しだけ羨ましい、と思ってしまったんだ。俺だって彰人に描かれてみたい」
「オレにぃ?」
完全に予想していなかった冬弥の言葉に、彰人の口からは素っ頓狂な声が漏れる。フォローを入れるかのように慌てて冬弥が手を左右に振った。
「彰人の親が芸術家だからじゃないぞ。絵は止めたと言ったのも聞いている……ん、だが」
「だが?」
「……絵には描いた人の想いが込められるだろう? 彰人から見た俺はどんな風に写っているのか、興味があるんだ」
まるでとても輝かしい夢でも見えているかのように、冬弥が目を細めた。
「無理強いをしたい訳じゃないんだ、本当に見られるとは思っていない。忘れてくれ」
変なことを言ってしまったな、と呟いて、冬弥は手に持っていたペットボトルの水に口をつける。まるで話はこれで終わりと言わんばかりに。彰人もそれにならって、口の中を水で潤した。もうすぐ二人で決めた休憩時間も終わりに近い。そろそろ練習再開の時間だ。
「……ま、気が向いたらな」
「え」
「人物画なんて全然描いてねえし、どんな化け物みたいな出来でも文句言うなよ」
「も、もちろん」
「中途半端なモン仕上げたくねえし、お前にも見せねえかも」
「それでも構わない」
頬を紅潮させて、冬弥が頷く。嬉しさを隠しもしない、性根の素直さが彰人には眩かった。
鉛筆画でもいいが、淡い水彩画でもいいな。確かまだ中学のときの画材があったはずだ。彰人は頭の中でああでもない、こうでもないと構図を練っていく。
ただ、笑っている顔が描きたいと、それだけは決めていた。