平面上のシナプス――――――――
「エリオスライジングヒーローズ」をプレイしていただき、誠にありがとうございます。
クエストにおいて、下記の不具合を確認しています。
<不具合内容>
・フェイス・ビームスまたはビリー・ワイズをクエストに出動させると、選択した『ヒーロー』にかかわらず、 ★1【第13期 制服】が出動する。
・上記『ヒーロー』が戦闘不能になった場合、それ以降ゲーム内の全ての機能において、該当『ヒーロー』が表示されなくなる。
現在、原因および影響範囲の特定および対応を進めております。
本不具合は、この後の大型アップデートの際に併せて対応する方針となります。
大変ご迷惑をおかけしまして申し訳ございません。アップデートまでお待ちいただきますようお願
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101. anti anti-romantic
大海原と言われたら、そんな気がする。一面の雪原と言われたら、そんな気もする。
ざざ、ざ、と小さく耳に触れる音は、水音にも葉擦れにも聴こえるけれど、電子回路における特有のノイズだと言われれば、それ以上でも以下でもないのだろう。
「DJ?」
少し離れた場所に黒い影が横たわっているのを見つけて、俺は呼び掛けた。
「DJ、起きてヨ。成功したヨ」
「ゔ、んん……あー、ひどい目に遭った」
しばらく唸っていたDJは、ようやく目を開くと、億劫そうに上体を起こす。外傷は無い。きっと、外傷なんていう概念が無い。それでも、文字通り命懸けの行為だったことに間違いは無かった。
戦闘不能に陥って退場した後、タワーに帰還するまでの間。おそらくはほぼ完全に、誰にも認知されない場所。そして、限りなく画面の向こう側に近い場所。
けれど、その転送を受けるためには、まず負けなければならなかった。自ら攻撃を受けるというのは難しい。それに、俺たちはトレーニングチケットを与えられるだけでよっぽど真面目に訓練に取り組んでいたらしく、そうそう戦闘で負けるということも無いようだった。
能動的に何かをするのは難しくても、しかし一つのことを意識的にしないようにすることは、出来る。俺たちは雑魚相手にもわざと負けるために、戦闘に駆り出されてもインカムを装着しないという作戦に出た。アップデート後にはカードの性能に関わらず衣装を変えられるらしいので、おそらくは今しか通用しない方法だっただろう。結果、それが功を奏したらしい。俺もDJも攻撃をてきめんに受けて、戦闘から離脱し、タワーに転送される途中でどうにかそれを脱出した。場合によっては身体がばらばらにでもなっていたかもしれないけれど、どうにか五体満足でいられている。
「……こんな感じなんだね、世界って」
DJは景色を眺めながら、零すようにそう言った。俺もふたたび周囲を見渡す。原始の宇宙は暗闇ではなく、案外光の中から生まれたのかもしれない。そのくらい、底抜けに明るい景色だった。真っ白な砂丘。砂の一粒一粒が、0と1を表している。
「エリオスライジングヒ―ローズ」には、新しい〝お知らせ〟が届いていた。俺とDJの悪行は、どうやら、数時間後に差し迫った大型アップデートに合わせて一掃されるらしい。逆に言えば、最早、見逃されているらしかった。あと数時間で終わってしまう命を、終わらせる側の身分で、憐れんででもいるのだろうか。
「アーア、早かったナ。ニューミリオン、いや、世界が誇る情報屋のオイラの命。今ならどんなことでも知ってるのに~」
「世界って、結局ニューミリオンくらいの範囲しか無さそうだったじゃん。それに、ありもしないこと訊かれたらどうするの」
やっぱり、情報屋としては、このまたとない認識を失ってしまうのは惜しい。たった半月かそこらで、それまでの人生すべてで集めてきた情報よりもよっぽど大きい秘密をたくさん知った。売れなくたって情報は情報。記憶を操作されるというのも怖い。
ところで、ゲームだと認識してこの世界を見ると、場所や一人物の設定には詰められていない箇所も多く、無知の知を得ることも多かったけれど、一方で人間関係はおどろくほど緻密に作られていることがよく分かった。誰に会っても何を話しても、人間らしい自然な感情が沸き上がってきて、作り話だからといって薄っぺらなものでは全く無かった。
だからこそ、気になる違和感が一つある。
「オイラたち、ベスティってことになってるケド、何でベスティなんだろうネ?」
「アハ、全然わかんない。ベストっていうよりバッドでしょ」
改めて考えると、俺とDJがベスティなのは不思議な設定だ、と思った。この世界の中では、俺にもDJにも、親友に成り得る人は他に存在する。それでも、ベスティというのは、俺たち二人を指し示す言葉であるそうだ。
その理由は、ゲームの中というよりもむしろ、今この状況に示されているような気がする。
「俺っち、このことを相談するなら、DJしかいないって思ったんだよネ。DJになら話してもいいっていうか、DJなら信じてくれそうっていうか」
「巻き込んでもいいの間違いじゃないの?」
「HAHAHA! ノーコメント! まあでもそれだけ気心知れた関係性に描かれてるってことデショ。そうだ、オイラたち、この世界の誰と誰より、DJとブラッドパイセンよりも、一番長い付き合いなんだヨ」
「え、何、どういうこと?」
DJは釈然としない顔でこちらを見た。ホラ、やっぱり、知らないことを知るって楽しいデショ。
「「マンナイ」って、アプリのリリースより一年も前からやってたんだって。オイラたちの関係性だけ、他より一年分も多く描かれてきたっぽいネ」
だからこそのベスティ、ってわけじゃないけれど。でも、俺たちは「エリオスライジングヒーローズ」の中では一番長い関係性で、一番アプリ外での関係も深く、だから物語の確信に触れないところの解像度が高い。それらの要素から、俺もDJも、この世界の綻びと外側を、うまく認識できたんじゃないだろうか。そう思わナイ? 俺は、そちら側にウインクをする。DJも、こちらを見る。
「ビリー。『壺中の天地』って、知ってる?」
DJは不意にそう言った。聞いたこともない言葉だった。俺は首を横に振る。
「ん~、知らナイ」
「俗世間から離れた世界のことを指す言葉なんだけど。普通はお酒を飲んで仕事を忘れるとかいうときに使うのかな。でも、壺の中っていう狭い感じもあって、何かこの状況みたいだなって思っててさ」
骨ばった長い指が、地面を掻いた。白い地に反射する光の加減が変わって、きらりと虹色の光沢を放つ。
「でも俺は、ゲームの中で生きるのも、やぶさかじゃない。むしろ、逃げ出すくらいならあの世界だけでどうにか生きていきたいって思ってる。まあ、俺らしくないかもしれないけど」
それから、DJは俺を見た。ひとりの『ヒーロー』だ、と不意に感じた。
「ビリーも……必死で生きてみれば、案外、ゲームの中だって悪くないよ。ビリーらしくもないけど、多分ね」
偏光のきらめきが目に刺さる。俺は自分の身体が軽く透けて、無の周囲と一体化していくのを感じていた。
結局、俺はあの世界でしか生きていけない。どんなに上からものを見たって、この身体を司る電気信号はシナプスではなく電子回路上の反応であり、俺を構成するのはATCGではなく0と1なのだ。
それでもいいとDJは言う。俺はまだ悔しく思う。俺はまだ、あの世界で生きること、俺自身の宿命に向き合う決意が、出来ていないんだ。ねえ、いつの間にそんなに遠くに行っちゃったの、ねえ、ベスティ?
砂丘だと思った場所は砂浜で、もうじき新しい0と1の海が、満潮を迎えてここまで届きそうだ。静かに波が押し寄せてくる音が聴こえる。
手を伸ばしてDJの胸に触れると、そこは温かく脈打っているような気がした。規則正しく拍動し、電気信号が発されている。顔を上げると、DJは見たことのない顔で笑っていた。
ああ、ゲームには描かれないこの場所で、文字でしかないこの小説で、DJのこの表情は、俺ただ一人しか知らない。この表情だけは、きっと、平面上のシナプスによって、生み出されている。
【平面上のシナプス 完】