舌の評釈 最初、舌かと思った鮮やかな色が、ほんとうの舌に絡めとられていったので、それが舌ではない何かなのだと分かってしまった。いや、周囲を見ればどうせ分かることだった。昼過ぎの部屋でらしくなく机を散らかしたウィルは、そこに拡げられた新聞紙の上の切り花の花弁を、一つひとつちぎっては口へと運んでいるのだった。
目が合って、はっとして、俺は後ろ手に扉を閉めた。出来れば、見られないほうがいいのだろうと感じたから。それなのに俺の目はウィルから離れることはなく、ウィルはウィルで、驚いたように瞼を持ち上げながらも、その口でコーラルピンクを咀嚼することはやめないのだった。
開ききった薔薇の花弁。重なるその中心に近い部分を、ウィルは乱雑にもぎ取ると口の中に放り込んだ。そう堅いものでもないだろうに、執拗なほどに噛んでいる。舌で転がして丹念に味わうようなその動きに、俺はようやく常識人の心を取り戻して、万が一にも引き戸が開かないよう扉に背中を預けた。
「何……してんの?」
「ん、驚かせてごめん」
薔薇の中心を嚥下した喉は、拍子抜けするくらい普通の声をしている。黒っぽい繊維の滲む茎を新聞紙に置いて、ウィルの手はオレンジ色のガーベラを取った。花占いをするように放射状の花弁をちぎり、また口へと運ぶ。
「俺、花を食べるのが、好きというか、なんというか……」
「そういう種族が何かなの?」
「いやいや、そんな大仰なものじゃなくて、ただ俺が好きなだけだよ。フェイスくんだってチョコレートが好きだろ?」
それと同じだよ、と言う間にもビロードのような花が口の中に吸い込まれていって、俺はもう馬鹿らしくなってしまって、扉から背を離して二歩で自分のベッドに腰掛けた。俺の机には白紙のレポート用紙が散らばっている。ウィルの机に未消化の課題なんて無いだろうけど、これから消化されるらしい切り花が無言で横たわっている。
ガーベラの咀嚼を終えると、ウィルは次に大ぶりな百合を手に取った。蕊に直接口をつけてから、花弁を縦に割いて口に運ぶ。単子葉植物の平行脈が嫌だって人もいるんだ、とわけのわからないことを言いながら、切り花の山をどんどん平らげられていく姿を、俺は何故か見飽きなかった。
*
「はい、これ」
数日後、俺はもう寝ようとしているウィルに、紙袋いっぱいの切り花を差し出した。
「ふふ、告白?」
「何言ってんの。食糧だよ」
クラブで主催イベントをする度に、女の子たちからたくさんの花が届く。ありがたいけど、飾って似合う場所ではないし、日持ちもしない。一晩出入口の付近を彩ってもらって、あとは無心で燃えるゴミに出している。それを、適当な理由をつけて貰ってきたのだった。どうせ捨てるんだから、他にどうなろうと構いやしないだろう。他の男の口に入ると知れば、贈り主には穏やかじゃないかもしれないけれど。
ウィルは薄いピンク色の薔薇を手に取って、口に運んだ。舌で転がして味わいながら飲み込む。また次の花弁を手に取る。その一連の行為を改めて見ると、確かに、俺がチョコレートを口にして飲み込むのと何ら変わらない、と思った。
「どう?」
俺は、自分で選んだ花でもないのに、聞いて分かる味でもないのに、ウィルに感想を求めた。俺って普段、どんなものを貰ってるんだろう。無心で捨てるゴミを見る目よりかは、ウィルの舌のほうがよっぽどそれを理解してくれそうだ。
「うーん、何か、すごく高級だけどそんなに美味しくないものみたいな感じ」
それなのに、ウィルの感想は、別に俺の花への感想と別段変わり映えしなかった。そう、すごく高級そうだけど、こっちに利はない、みたいな。アハ、結局そんなもんってことか。知れず口の端から笑いが零れた。
「食べてみたら? ハイ」
ウィルが薔薇の内側の花弁を一枚切り取って、それをこちらに差し出してきた。上品なピンクから白へのグラデーション、ピエール・ド・ロンサール。ウィルの指から直接、それを前歯に挟んだ。花弁めいた舌で絡めとって咀嚼する。舌で転がすようにして味わう。それは想像に難くなく、ほとんど味のしない繊維質の中から、青臭さと少しの苦味がまとわりつく感じがした。ああ、めんどくさいな。女の子たちに抱く感情と同じものをそれにも抱いた。
「……マズい」
「あはは、そうだよね。今度、フェイスくんが美味しく食べられそうな花を買ってきてあげるよ」
正直な感想を零すとウィルは笑った。後に続いた言葉に恩着せがましい感じは全くなくて、それだけで、きっとウィルの買ってくる花は美味しいのだろうと、食べる前から俺には分かっていた。
舌の評釈 完