心臓に刻む味 セーフハウスに使用している雑居ビルの一室にて。
カタン、とダイニングテーブルに一枚の皿が置かれる。その上に鎮座した甘い香りのするものに、退治人ロナルドは己の視界が信じられずに何度も瞬きした。隣の席に座るメビヤツと目を合わせて、再び皿に視線を戻す。
「何だよこれ」
「バナナケーキ」
「は?」
「名前の通り、バナナを使ったケーキだ。あぁ、そもそもケーキを知っているかね? 基本的には小麦粉を主材料とし、卵、砂糖、牛乳などを加えて――」
「馬鹿にすんじゃねえよ吸血鬼、それぐらい知っている。俺が聞きたいのは、どっからこんなもん調達したかってことだよ」
向かいの椅子に座って怪しく笑う吸血鬼ドラルクを、ロナルドは疑わしげに見据える。テーブルの上に乗ったアルマジロのジョンが場を和まそうと努力しているが、生憎流される訳にはいかない。
夜に覆われ吸血鬼に支配された新横浜では、人間が食糧を確保するのも一苦労だ。こんな見た目も香りも美味しそうなケーキなど、簡単に用意できる筈がない。
「調達も何も」
人間と手を組み同胞と袂を別った変わり者の吸血鬼は、愉快そうな声音で答えた。
「これは私自ら作ったケーキだよ。君が碌に手をつけていない配給食糧を上手いこと使ってね」
「……お前が?」
「料理は趣味なんだ。味はジョンが保証しよう」
「ヌー!」
手を挙げたジョンが、皿をロナルドの方へ押し遣る。食べて食べてとアピールされるが、ロナルドはフォークを手に取ることを躊躇していた。腕を組んだまま動かないロナルドを見て、ドラルクが不思議そうに首を傾げる。
「食べないのかね? ……ははあ、何か入れてないか疑っているんだな? 安心すると良い、これはマスターさんの目を盗みつつギルドで作ったものだ。君の仲間たちに監視させながらね」
「いや……毒とかを心配してる訳じゃなくてよ」
胸に去来する感情をどう表すればいいのか分からなくて、傍に寄ったメビヤツを撫でながらぽつぽつと答える。
「これを、お前が俺に食べさせる為に作ったんだろ」
「そうだね」
「理由が、分からない。何で、俺なんかに」
「……ははあ、君のご友人に聞いた通りだったな」
何故か呆れたようにため息を吐いたドラルクが、大げさに肩を竦める。
「ロナルド君。今日は何月何日?」
「今日、は……八月八日」
「ほーら、今日は君の誕生日じゃないか」
「……は?」
「何だねその反応。もしかして、忘れていたとか?」
「いいや、覚えてる、けど……」
誕生日。随分と前からそれはあくまで自分の生きた年数を数える為の指標に過ぎなかった。誰かに、ましてや目の前の吸血鬼に贈り物をされるなんて。
そんなロナルドの心境を見透かそうとするかのように、ドラルクが目を細める。
「大方、君は自分の誕生日など取るに足らないものだと思っているのだろうがね。私とジョンにとって、君が今日この日まで、そして明日これからも生きていることは大いに意味があることなのさ! 分かったら干からびない内に食べる! 食べ物を粗末にしたらそれこそ勿体ないだろう?」
「ヌン! ヌヌンヌーヌーヌヌヌヌー!」
大げさな身振り手振りで力説するドラルク、小さな手で拍手するジョン。状況を把握しきれないまま、ロナルドにぴたりと寄り添うメビヤツ。
「……っ」
ぐっと込み上げてくるものを飲み込み、ロナルドはゆっくりと頷いた。今の自分に涙を流す資格も祝福を受ける権利もないけれど、彼らの心を無為にすることはそれこそ己が許せなくなってしまう。
「い、ただきます」
「うむ、ご賞味あれ!」
「ヌヌーヌヌヌー!」
フォークを手に取り、恐る恐る口に入れたバナナケーキの味。その美味しさを、ロナルドは決して忘れることはないだろう。
――それこそ、心臓が止まるまで。いや、止まってからもきっと。