「我は吸血鬼『人身御供シチュエーション大好き』!」 ――はて、自分はどうしてここにいるのだろうか。
夕餉を食べている最中、野菜の煮物を飲み込んだ青年は不意にそんなことを思った。
古めかしい和風の旅館みたいな屋敷で過ごすようになって、何日目になるだろう。朝に目を覚まして、人肌程度の湯で沐浴を行い。白一色の着物を纏い、しめ縄で四隅を囲った部屋で屋敷の人々が唱える歌声に日がな一日、耳を傾けて。肉と魚と乳を使わない、野菜と穀物だけの食事を三回摂って。一日の終わりに再度沐浴を行って眠る。
「おや、どうかされましたかな?」
今の今まで何の疑問も持たずに行ってきた日課に首を傾げている青年に、背後から声をかける者があった。振り返れば、料理人のような格好をした異様に血色の悪い男が薄い笑みを浮かべている。男の足下には何故かアルマジロがいて、ヌーと可愛らしい鳴き声を上げていた。
ここに動物に入ってきて大丈夫なのかとか、そんな疑念は重ねての問いかけに遮られる。
「何か料理にご不満が?」
「いや、そんなことは……凄く美味しいです」
「そうでしょうそうでしょう。特にその煮物は自信作でしてね、オランダミツバの風味を抑えつつ活かした一品になります」
「はぁ……あの、オランダミツバとは?」
聞き慣れない野菜の名前に思わず尋ねると、男は口の端を愉快そうに吊り上げた。ぐっと顔が近づき、赤い目が青年の視線を奪った瞬間。
「知っているだろう。セロリだよ、ロナルド君」
「 」
ぱきん、と、虚飾が剥がれる音がした。
◇
セロリ、という単語を脳が認識すると同時。
「オンギャボロロアギャロッパーーー!!」
退治人ロナルドは畳の上に倒れてもんどり打って転がり周り、襖に顔面を盛大にぶつけて沈黙した。廊下を駆けていく吸血鬼一人とアルマジロ一匹の足音が遠くに聞こえた。
「……あんのクソ砂ァァァ!」
数秒後、顔を押さえて立ち上がった彼は憤怒の表情を浮かべて衝突で歪んだ襖をこじ開けて廊下を走りだす。屋敷で働いている人らしき白い服の人々がすれ違う度に驚きの表情を浮かべるので、その度に軽く頭を下げつつスピードは下げずに疾走した。
頭はまだ本調子でなく、自分がそもそもどうしてここにいたのかは完全には思い出せない。ただ一つ確かなことは、あの悪魔的緑の野菜を混入して食わせた邪悪な吸血鬼に鉄槌を下さねばならないということだ。
「くそっ、どこに行きやがった……そこか!」
廊下の途中、分岐点で立ち止まり五感を研ぎ澄ませる。左方向にアルマジロのジョンの鳴き声が微かに聞こえて、そちらへ駆けだした。
それから、声、足音、時折砂が崩れる音を頼りに廊下を突き進み。気づけばロナルドは明らかに何かありそうな、豪華な装飾が施された木製引き戸の前に立っていた。錠前は外されている上に僅かな隙間が開いていることからこの中に入ったのは間違いないだろうが、金色の蛇で彩られた装飾には妙な威圧感があって入るのを躊躇してしまう。
「ヘイヘーイ、そんなところで立ち止まってどうしたんだロナ造? B級ホラーでトイレに入れなくなっちゃう五歳児には刺激が強すぎたかね?」
「ぶっ殺す!!」
しかし、中から聞こえた煽りでよく分からない威圧など一瞬で忘れた。両開きの引き戸を勢いよく開き、薄暗くてだだっ広い空間に足を踏み入れ。
「やぁやぁゴールおめでとうロナルド君! 賞品に半田君も絶賛セロリレシピ詠唱を聴く権利を――」
「一兆回死んどけクソ砂ァァァァァ!」
中で憎らしいほど楽しげに鈴を振ってる吸血鬼ドラルクを、背後のオブジェもろとも蹴り飛ばしたのだった。
床に転がり落ちた蛇のオブジェが砕ける音。
主人の死を嘆くジョンの鳴き声。
砂山と貸したドラルクが再生する、流れる砂の音を逆回しにしたようなノイズ。
「……あ」
「やれやれ、やっと目を覚ましたようだな」
いつの間にか料理人姿から普段の貴族服に戻っていたドラルクに呆れた様子で言われた頃には、ロナルドはやっと本来の目的を思い出していた。
◇
――あるハイキング場で失踪者が続出している。吸血鬼の仕業である可能性が高い。
「すみませんすみません、でも僕、本当に悪気はなかったんです……」
その元凶たる、神社の神官っぽい服を着た吸血鬼は縄で縛られた状態でそう言った。いつの間にか着ていた着物から、タンスから回収した退治人服に着替え直したロナルドは、今回も変態案件の一種であったことに何ともいえない気分になりつつ「それで」と話を聞く姿勢に入る。
「えっと、吸血鬼『ひとみ、ごくシチュエーション大好き』さん」
「吸血鬼『人身御供シチュエーション大好き』です。参加者さんとのグループRINEでは人見さんと呼ばれています」
「被害者とRINEでやり取りしてんの?!」
「いやー、いつもはこんなに催眠をがっちりやらない、っていうかできないんですけどねー」
人見曰く、普段は己の性癖を満たすために同好の志をSNSで集い、それっぽい廃墟や民宿を貸し切って人身御供ごっこをしているらしい。彼の催眠能力はあくまで演出を盛り上げる一環に過ぎず、生け贄役は人見の使い魔である蛇に丸呑みされるものの、卵として排出された後で万事無事に外に出られるそうだ。驚くことに生け贄役は人気で、特に美肌効果があると卵に入りたがる女性メンバーが多いとか何とか。
「ふむ、今まで些細だった能力が急に成長したと?」
「そうなんですかねぇ、自分にはいまいち分からないんですけど」
ドラルクが訝しげに問うのに対し、当事者である筈の吸血鬼も妙に曖昧な態度で答える。
「実は僕、この前ちょっと野暮用で新横浜に行ってて。帰る直前にロナルドさんを見たんですよ」
「は、俺?」
「そうです!」
思わず自分を指さすロナルドに、人見は心なしか目を輝かせて頷いた。
「退治人と勝負するのは吸血鬼の誉れでしょう? ロナルドさんみたいな若くて逞しい退治人を生け贄にして儀式成功できたら素敵だろうなーと思ったらテンション上がっちゃって、気づけば山奥の旅館貸し切るどころか従業員とか宿泊客とか近くでハイキングしてた方とかスカウトしながら催眠かけちゃって……いや本当に申し訳ありませんでした」
「……なるほど」
供述を一通り聞いたドラルクがしたり顔で頷く。
「つまり新横浜の変態エネルギーとロナルド君の歩けば変態とぶつかるホイホイ体質が化学反応を起こし、変態を意図せず進化させてしまったと」
「誰が変態特化ゴキホイだ変態的クソザコ砂野郎」
ドラルクを一度エルボーで砂にした後、ともかくこれで解決だとロナルドは肩の荷を下ろす。背後で再生した彼がジョンと意味深に目を合わせていたことについては、VRCからの連絡に応答していた為に気づくことはなかった。
◇
「あの同胞、そもそも趣味の参考として"常夜神社"を見る為に新横浜に来たとか。……いやはや、あのまま丸呑みにされていたら果たして今までと同じ様に出てこられたのかね。全く、どんなにマーキングしても足りないのが面白くも困った人間だ」
「ヌー……」
「大丈夫だよジョン。最後の料理にこっそり魚のすり身、肉と卵そぼろに牛乳煮を紛れ込ませたからね。あの若造はすっかり生臭い"こちら側"へ逆戻りさ」
「ヌン、ヌヌッヌ!」
「まぁ暫くはいつも以上に肉を食べたがるだろうから、暫くはボリューム強化週間としてやろう。……ということでジョン、間食は控えるように」
「」