Re :Re :クリスマスだね 昇降口を抜けた先のアプローチに並ぶ桜を見ると、少し憂鬱な気分になる。春の盛りに見せた美しさは見る影も無く、殆どの葉を落とした枝は何とも寒々しい。落ちた枯葉さえ、用務員か掃除当番が回収してしまったのだろう。かつて活き活きと葉を茂らせていた証さえ残せず、まるで死んでしまったような桜の木の姿は、今の風花には自分たちの行く末を示唆しているみたいだとさえ思えた。
(次の春は来ない、か……)
今月の初めに綾時に告げられた言葉を思い出し、今日何度目かのため息を吐いた。そう遠くない内に訪れるという絶対的な滅びの運命。この桜の木が新たに花を咲かせることはもう二度とないのかもしれない、なんて考えると余計に気が重くなって、頭を振って無理矢理考えをかき消した。
特別課外活動部の皆はそれぞれその運命にどう向き合うか考え、答えを出そうとしているのだ。ゆかりと美鶴、それに天田や真田はどうやら思い切りがついたようで、昨晩寮で顔を合わせた時にはもう暗く沈むばかりの様相では無かった。順平だって、あんなに怯えていたのに今も逃げ出さずにいる。リーダーたる結城は、真相を知って本当は誰よりショックだろうに、碌に泣き言も言わず以前と変わらないように過ごしているのだ。仲間たちを想うと、あまり落ち込んでばかりいてはいけないと思えてくる。少なくとも、寮まで一人で帰れるだけの力はある。桜の木に背を向けると、風花はゆっくりと歩き出した。
学校の敷地を出ると、街中はクリスマスムードに彩られた賑わいを見せていた。終末思想を語るチラシも散見される中で、それとはまるで対照的なキラキラとしたイルミネーションが街を活気付けている。電飾を纏い色とりどりに輝く街路樹、プレゼントを意識したおもちゃ屋のポップなディスプレイ、どこかで行なわれるクリスマスマーケットの広告。どれも人々を喜ばせるため、元気にするために作られたものだ。目の前の景色の多幸感につい足を止めて、うっとりと見惚れてしまう。
そうだ、と思い立って、鞄から携帯電話を取り出した。カメラを起動して、一番綺麗に写る木にピントを合わせてシャッターを押す。写真部で扱うカメラとは当然勝手が違うが、存外上手く撮れていて安堵した。そのままメール作成画面を開く。宛先には親友の名前を設定し、本文に「イルミネーションが綺麗だったよ」と入力する。少しだけ迷って、「キラキラ」と文字を打つと予測変換に出てくる絵文字をその後に入れた。先程撮った写真を添付し、手ブレがないか改めて見直す。何となく文面が素っ気ない気がして、「来年は夏紀ちゃんも」まで打ち込んで、来年の二文字が気になってやっぱり消した。代わりにキラキラの絵文字を一つ増やす。件名は色々考えた末に「クリスマスだね」にして、後ろにツリーの絵文字を入れた。寒さにかじかむ指で送信ボタンを押す。送信が無事完了したのを見届けて携帯電話を閉じ、鞄に仕舞った。
夏紀とはつい二日前に電話で話したばかりだ。その日は風花の誕生日だったが、夏紀に言われるまですっかり忘れていた。綾時の話が重くのしかかってそれどころでは無かったのだが、流石にそんなことは夏紀に言えるはずもない。期末テストに気を取られて、と適当に誤魔化したが、アンタねぇ、という電話越しの声は完全に呆れていた。
正直、自分の誕生日なんて元々どうでもよかったのだ。うんと小さい頃は両親にお祝いをしてもらったが、やがてそれはクリスマスと統合され、いつしかクリスマスを家族で祝うことすら無くなった。年末年始に顔を合わせる親戚のことを考えては険しい顔をし、時には心無い言葉で親族を謗る両親の姿。それが昨年までの風花の誕生日、そしてクリスマスのイメージだった。
だから、夏紀がアンタ今日誕生日でしょ、と言ってくれたことは素直に嬉しかったし、ありがとう、ではなくそうだっけ、と返したことを深く悔いている。イルミネーションの写真を送ったのは、綺麗な景色を共有したかったのが半分、心配をかけないようにするためがもう半分。実際はどうあれ、思い詰めてクリスマスすら楽しめないような状況ではないと思っていてほしかったのだ。
(なんて、ズルいよね)
本当のことを都合良く隠している罪悪感に胸がちくりと痛む。街の華やかさに自分は不似合いな気がして、逃げるように足早に寮に帰った。
「あっ、風花さん。おかえりなさい!」
「ただいま」
寮のラウンジには既に天田がおり、ソファに腰掛けていた。コーヒーの香りが漂っているのは、天田が愛用のマグカップでブラックコーヒーに挑戦していたのだろう。こんな時でも帰れば人の気配があって、誰かのおかえりの声が聞こえてくるのが風花は好きだった。ともすればそれは本当の家族よりも温かさを感じるものかもしれない。
「そうだ天田君。見て、これ」
「何ですか?」
折角なら天田にも先程撮った写真を見てもらおうと、携帯を開き画像を表示させる。いつの間にか風花の隣にやって来ていた天田は、画面を覗き込むなり感嘆の声を上げた。
「わ、綺麗ですね!これ、風花さんが撮ったんですか?」
「うん。さっき、帰る途中に見つけたの。すごく綺麗だったからつい撮っちゃった」
「すごいなぁ……。さすが写真部ですね」
「え?そ、そうかな……?」
思いがけず褒められ、戸惑ってしまう。こういう時にはいつも、風花の頭の中には謙遜と自己卑下が入り混じった言葉ばかりが浮かんでしまうのだ。そんなことないよ、反対側はもっと綺麗だったかも、私より上手な人はたくさんいるよ。次々に浮かぶ言い訳のような言葉たちを腹の奥に閉じ込める。幸い、天田は大して気にしていないようだが、賞賛の言葉を素直に受け止められなかったのが情け無い。
「あっ、鞄、部屋に置いてくるね!」
勝手に居た堪れなくなって話を逸らし、ラウンジから退散する。シャドウとの戦いに身を置いて早半年、嬉しいことや辛いこと、色々な経験を経て少しは強くなれたと思っていたが、やはり自分はまだまだ弱いらしい。三階の女子フロアまでたどり着くと、右手側の一番奥、山岸と書かれたプレートの下がる部屋のドアを解錠して自室に引っ込んだ。
つい先程まで無人だった部屋は空気が冷たい。鞄を下ろしてからエアコンを点けるが、全体が暖まるまではまだ時間がかかるだろう。順平も夏前に部屋のエアコンが壊れたことがあると言っていたし、学校の運営母体の規模が大きくとも寮の部屋の設備まで贅沢という訳ではないようだ。もっとも、美鶴の部屋だけは例外かも知れないが。あるいは、シャワールームも備え付けられているというし、上級生用に割り当てられた三部屋がもっと良い造りなのかも知れない。
「なんて、寮で暮らすようになるまで、全然知らなかったなぁ」
学生寮など、学園の近くに家がある自分には無縁だとずっと思っていた。それが突然不思議な能力に目覚めて、寮暮らしを提案されて、二つ返事で承諾して、日程を前倒ししてまでここに来た。そうして始まった寮生活は驚きや戸惑いが沢山あったが、それ以上に楽しい出来事があったように思う。ペットボトル飲料のオマケを順平に貰ったり、お風呂でコロマルを洗ったり、アイギスの構造を少しだけ見せてもらったり、ゆかりにメイド服を着せられたり。最後のはちょっと恥ずかしい思い出かもしれない。そんなことも含めて、どれも全て、風花にはかけがえのない大切な思い出だった。たとえそれが滅びに向かう日々の一部だったとしても、その気持ちだけは間違いないと確信できる。
「……やっぱり、忘れたくないよ……」
そう呟いた声は、消えそうなほど弱々しかった。一人になるとどうしても終末のことばかり考えてしまって、恐怖感や孤独に押し潰されそうになる。なんとなくお守りのようなつもりで、鞄から取り出した携帯を両手で包むように握りしめた。そういえば、最初にタルタロスの中で召喚器を渡された時、真田はお守りのようなものだと言っていた。本当の使い方を知った今でも、それはあながち間違いではないのかも知れないと思う。携帯電話も召喚器も、大切な人と繋がっていられるための大事なお守り。
「風花ー、いるー?」
ドアの向こうから軽いノックと共に声をかけられた。声の主が誰かなんて、今更能力を使わなくとも当たり前に分かる。ドアを開けた先にいたのはやっぱりゆかりだった。片手にはクリスマス仕様の雑貨屋の紙袋が提げられている。
「ゆかりちゃん?どうしたの?」
「あのさ、今から下来れる?風花に見せたいものっていうか、したいこと?あって」
そう話すゆかりは笑顔で、どうやら重い話ではないようだと察した。ゆかりは基本的に人を誘うことに抵抗がない。風花もこれまでに映画だったりショッピングだったりと色々なことに誘われたが、不慣れな場所であっても毎回楽しかった。きっとゆかりには人を笑顔にする力があるのだろう。今回も特別断る理由などもないので、そのままゆかりと一緒にラウンジに向かった。
「美鶴せんぱーい!風花連れてきましたー!」
階段を降りて一階に着いたところで、ゆかりが大声で美鶴を呼んだ。奥のダイニングチェアに腰掛けた美鶴がこちらを振り向いたのが見え、成る程これは女子会のお誘いだったのかと一瞬納得する。ところがどうやらそれは早計だったらしい。
「お、キタキタ!待ってましたー!」
美鶴がゆかりに返事をするよりも先に、順平の賑やかな声が聞こえた。よく見れば、美鶴の隣に真田も座っているし、先程までは散歩に行っていたはずのコロマルも天田の近くで利口におすわりをしている。結城の姿も見えたが、彼だけは立っているようで、それも飽きてきたのか屈伸運動をしていた。
「え?みんな?」
「ほら風花、こっちこっち」
ゆかりに促されるまま、戸惑いつつも皆の待つダイニングテーブルへ向かう。作戦を立てるでも無いのに全員が集まっていて、それでいて皆どこか楽しそうだ。
「山岸」
美鶴に名前を呼ばれる。声色は何かを咎めるようなものではないようで、風花が少し安堵したのと同時に、美鶴はテーブルの上に置かれた物を指差した。見れば、それは風花が数日前に買って寮のカウンターに置いていた卓上サイズのクリスマスツリーだった。
「これは、君が用意してくれたものらしいな。彼から聞いたよ」
そう話す視線の先には結城がいる。そういえば、彼にはこのツリーのことを話していたのだった。
「……勝手に話してごめん」
「う、ううん!いいの全然!」
申し訳無さそうに眉を下げる彼は、表情の変化こそ小さいが案外感情が読み取りやすい。だがこのツリーがどうしたというのか。この場に全員集まっている意図が掴めず風花が首を捻ったところで、続けて結城が口を開いた。
「山岸、みんなに元気出してほしいって言ってたから。それを伝えた方がみんな喜ぶかと思ったんだ。そしたら……」
「もー、私達にも言ってくれれば良かったのに!」
「そうそう、もっと『ワタシ、ツリー買って来ちゃいましたー!見て見てー!』って言ってくれねぇと!危うくスルーしちまうトコだったっつの!」
「それは順平さんが色々気にしなさすぎなだけですよ」
「……って」
結城は呆れたような、それでいて愛しいものを見る目で仲間たちに視線を向ける。ゆかりは先程持っていた紙袋の中身を次々とテーブルに出した。それはやや小ぶりなオーナメントやクリスマス向けのオブジェで、全て出し終えると風花の目を見て言った。
「今からみんなで飾り付けするからね!せっかく風花が買ってきてくれたツリー、もっと可愛くしちゃうんだから」
「ゆかりちゃん……」
うっかりすると涙が出てしまいそうで、なんとか奥歯を噛み締めて堪える。自分のちょっとした思い付きだったのに、こんなイベントに発展するとは思いもしなかった。ツリーを囲む皆は飾りを着けたり外したりしながら、ああでもないこうでもないと話し合っている。全員で集まって楽しく過ごすなど、当分は、ともすればこの先二度と出来ないかもしれないと思っていたのに。
「ちょっと順平、もっとバランスとか考えなさいよ」
「だがツリーに対して飾りが多すぎるだろ。岳羽も買いすぎたんじゃないのか?」
「ホラ!真田サンもこう言ってる!オレのせいじゃねーんだって!」
「でも順平の飾り付けはセンス無いよ」
「ワン、ワンワン!ワフッ!」
「あ、コラ、コロマル!それはボールじゃないってば!」
皆の様子を見ているだけで嬉しくて、せっかくゆかりがオーナメントを買ってきてくれたのについ手が止まってしまう。
「フフ、楽しいものだな」
風花と共に賑わいの中心から少し離れて見守っていた美鶴が呟いた。
「最近は皆どうしても暗い顔をしていたからな。君には感謝するよ、山岸」
「いえ、私はそんな……」
少し照れながらも、実際のところ自分は大したことはしていないと風花は思う。結城やゆかりが行動を起こしてくれたから、このツリーはここまでの輝きを得ることができた。だが、美鶴はいつもこうなのだ。仲間をよく見ていて、特別課外活動部の部長として皆を導くだけでなく、些細なことでも認めて褒めてくれる。指導者然とした凛々しい姿通りのイメージに加えて、繊細な優しさや気遣いの心を持ち合わせた人なのだと風花は知っている。
「しかし、折角ゆかりが用意してくれたオーナメントを余らせるのも勿体無いな。他の所も飾り付けてしまおうか」
「わぁ、それ、良いですね!」
風花の賛同を得るなり、美鶴は余らせていた装飾類を手早く回収していく。これは優しさ故の提案ではなく、自分も飾り付けに参加したかったからなのかもしれない。
「山岸。君はどうしたい」
「え?」
突然の問いかけに硬直してしまう。自分はどうしたいか。今は違う話だと分かっていても、終末への向き合い方の結論を出せずにいたことを見透かされていたようで身が竦む。私は、どうしたい?
考えた時に、無意識に皆の方を見ていた。順平が陶器のトナカイを落として慌てていて、結城はモールを着けたり外したりしていて、ゆかりは変なポーズのサンタを見て苦笑いしていて、真田はキャンディを模した飾りを上下逆に持って不思議そうに眉を顰めていて、コロマルはボール状の飾りを咥えて離さず、天田がそれを取り返すのに苦労している。楽しそう、いや、楽しいと思う。皆がこうして一緒にいるのを見るのが楽しい。こんな光景をずっと見ていたい。それが今の風花の素直な気持ちだった。
「私は……みんなによく見える所に飾りたいです。目に入るたびに、ちょっとでも笑顔になれるように」
「良いじゃないか」
風花の言葉に、美鶴は納得したような笑顔を見せる。
「となれば、なるべく高い場所の方がいいな。明彦!手伝ってくれ!」
「なんだ、ゴキブリでも出たか?」
「お前ッ……!」
美鶴と真田が言い争いを始めてしまったのとちょうど同じタイミングで、携帯からメールの受信音がが鳴った。見てみると、夏紀からの返信が来ている。件名の「Re :クリスマスだね」には、ツリーの絵文字の横にサンタクロースが付け加えられていた。
『超キレーじゃん。もっと見たいから他にも写メ送ってよ。来年はアタシも一緒に見たい』
簡単な文面だが、今の風花には十分過ぎるくらいに重いメッセージだった。来年は一緒に、という自分が避けた言葉が特に胸を締める。
明確な答えを出すまではまだ少しかかりそうだけど、頑張って向き合わなければ。そんな風に思えた。
「山岸。高所の作業は明彦がやってくれるそうだ。思う存分こき使ってくれ」
美鶴に声をかけられて意識がはたと現実に戻る。見れば、冷淡な表情の美鶴の隣でややげんなりした顔の真田が立っていた。
「えっと……じゃあ、そこの窓にモールを着けてくれますか?」
「ああ……。何色のやつだ?」
「そこの赤いのでお願いします」
美鶴の監視するような目と、やたらと従順な真田が可笑しくて小さく吹き出してしまう。
今だけは、この楽しい時間を存分に満喫していよう。そう決めて自分の心を後押しすると、風花ははしゃぎ声の飛び交う仲間達の輪の中に入っていった。