ガーデンバース(仮) 難儀なことだ。
工藤新一は自分の膝小僧を眺めながら古風な言い回しが頭に浮かんだ。全く自分は面倒な体質になってしまった。
新一の膝頭には一輪の花が咲いている。比喩でも何でもなく、実際に新一の皮膚の上には柔らかな質感をもった花が存在した。それは目にも鮮やかな黄色のマリーゴールドだった。
「花言葉は絶望か……」
マリーゴールドのポジティブな花言葉は可憐な愛情。もうひとつの象徴は絶望。
今の新一には、このネガティブな意味合いが最適の気分だった。
新一は咲ききって膝からはらりと落ちた柔らかな花をごみ箱に向かって放り投げた。
花はごみ箱のふちに弾かれて床に転がる。
「クッソ……」
花を咲かせたあとは立って拾い直しにいく気力も体力も残っていない。
新一は花生みと呼ばれるバース性を持っている。それは文字通り身体のどこからか花を生み出すという特異体質だ。
新一は毛足の長い絨毯敷きの床にごろりと転がって、離れたところに落ちたマリーゴールドの黄色い花びらをぼんやり眺めた。
(ひろって捨てないと……)
──忌々しい花を視界の中に入れておきたくない。しかし体は上から押さえ付けられたように重く、動かし難い。
花生みは花を咲かせるたびに体力を消耗する。自分で開花をコントロールすることもできなければ、止めることもできない。
挙句に花が咲くときには苦痛が伴う。いくら美しい花が咲こうが面白いはずがない。
花生みの存在は多くはないといわれている。
しかし、新一が今まで生きてきた中で、クラスの中に必ず一人か二人は花生みがいた。統計よりもっと花生みは多いのかもしれない。
そして花生みと対になるバース性を持つ、花食みの数も同等だった。花食みは花生みの咲かせた花を食べる存在だ。
そして花食みは、花生みの咲かせる花に惹かれて花生みを囲い込むという性質も持つ。
花生みもそれをよしとしているので、お互いに依存し合う関係と言ってしまえばそうでもあるし、運命で繋がれた恋人同士とロマンティックに言い表されることもある。
珍しい存在ではあるが、世間の認知度は高い。有名人の中にも花生みがいて、彼、彼女らの咲かせる花に価値を見出す人々もいる。
(花……拾わないと……)
新一の視界がぼんやりと揺らぐ。そして瞼が落ち、新一は絨毯の上に伏したまま意識を失った。
*****
「どうした工藤君!」
「工藤くん!?」
目暮警部と高木刑事が新一に焦って声をかける顔が見える。
「工藤くん! 花が……!?」
佐藤刑事が体を丸めるように蹲った新一の側に駆け寄り、新一が体のそこ此処から花々を顕現させているのを見て、驚きの表情を浮かべている。
──ああ、夢だ。
何度も繰り返し見たのですぐに分かる。これは新一が初めて花を咲かせた再現の夢だ。
新一が一番最初に花を咲かせたのは事件の協力で現場に出ているときだった。
突然の事態に馴染みの面々は驚き慌てたが、さすがに有事に対応する職能の彼らで、その場の対処から病院の手配まで手厚く行なってくれた。
それまでは、自分が花生みなどという存在であることなど知らずにいた。
新一はとある事情で少し前までは小学生をしていて、最近やっと元に戻ることができ、自由に自分自身として推理ができることを謳歌していた矢先のこと。
そのあと運ばれた病院で、医師の説明を受けた新一は、自分が花生みであること告げられた。
栄養剤の点滴を受けながら、今後の生活上の注意を聞いたときには、さほど深刻な気持ちにはならなかったのを覚えている。
たかが花が咲くだけじゃないか、と──
「工藤さん、難しいことはないんですよ……」
説明を続ける医師の顔がうっすらと輪郭を失っていく。
──夢が覚める印だ。
*****
「う、あ……」
目が覚めればそこは自分の家の床の上。いくら厚手の絨毯の上とはいえ、不自然な姿勢で寝落ちていたので、体のあらゆるところがミシミシと痛い。そしてどんよりとした疲れが溜まっているのが分かる。
花を咲かせるために吸い取られたエネルギーは睡眠だけでは補えない。
「痛ってえ……」
不平をあげる体をなんとか起こして、強張った首や肩をほぐす。
ごみ箱の方を見れば、脇に投げ捨てた黄色いマリーゴールドもそのまま落ちている。
のろのろと歩いて行き、拾い上げた花は咲いた直後に比べると、少し水気を失っているようだった。
今度は確実に捨てたマリーゴールドが音もなくごみ箱に落ちた。
新一は疲労で重たい体をなんとか動かしてキッチンに向かう。
冷蔵庫を開けて小瓶を取り出した。一見して市販の栄養ドリンクに似ているが、これは花生み専用の栄養補助食品だ。
昔は医師の処方箋がなければ売ってもらえなかったらしいが、今では規制緩和されて、ドラッグストアや一部のコンビニでも手に入る。
花生みが開花時に失うエネルギーは少なくないし、咲かせる回数が重なれば花生みは疲弊していく。それを補うのがこの栄養剤だった。
金属キャップを捻って新一は小瓶の中身を一気に飲んだ。澱のように溜まった疲労感が薄らいでいく。
「ふう……」
失ったエネルギーを補填してくれる医薬栄養剤があるのなら、開花のときの苦痛を和らげる薬も開発してほしい、新一は切実にそう思った。
最初に診察をしてくれた医師の言葉を思い出す。
『花生みにとって一番いいのはラペルを、花食みのパートナーを見つけることです』
『パートナー、ですか?』
『ええ、花生みにとって一番効果のある栄養は花食みの体液なのです』
『たい、えき……?』
『そう、体液』
さすがにこれには新一も絶句した。医師も気の毒そうに新一を見たが、そのまま説明を続けた。
『パートナーに限らず花食みの体液なら誰のものでも効きます。効果は栄養剤の比ではありません。しかし見ず知らずの相手の体液の提供を受けるより、信頼した相手の体液の方が精神的に負担が少ないでしょう?』
体液、体液と何度も出てくる医師の言葉は聞き流して、栄養剤一本に絞ろうと決めた新一に、医師が続けた次の言葉が大きく響いた。
『それにブートニエールの関係になった花食みの体液には開花時の苦痛の軽減効果がありますからね』
ここで医師の言うブートニエールが、ジャケットのボタンホールに挿す花束の意味でないことは新一にも分かった。婚姻関係を結ぶことに近いのだろうとおおよその予想がつく。
初めて花を咲かせた新一にとって、開花の苦痛は大きくのしかかるものだった。
過去の経緯で身体が変化する苦痛は何度か経験したが、花生みの花を咲かせるサイクルは不定期で、毎日かもしれないし数日おきかもしれない。
もしかしたら一日に何度もあることかもしれない。
いつ起こるか分からない、決して軽くない苦痛が軽減できるならそれに越したことはない。
しかし、新一にはそれは果てしなく遠いことに思えた。
パートナーを選ぶにしても花食みがそう都合よく現れるとは限らないし、現れたとしてもその相手を愛することができるのかは分からない。
反対も然り、出会った花食みが新一を愛するとは限らない。
あとから知った知識で、花生みなら誰でもいいという花食みや、有名人の花生みのパートナーになりたがる者などがいることを知ったが、そんな相手など御免だ。
心通わぬ関係を結ぶくらいなら、この苦痛を一人で受けている方がいい。