大人の秘密「俺、風邪引くから、温かくして待っとってなって言ったやん」
「……今日は早く帰るって言った」
やっとの思いで叶えた逢瀬だというのに、俺の恋人は拗ねていた。心当たりはいくつもある。久々に会えたというのに、緊急の仕事が入った。その帰りに市民の悲鳴が聞こえて、さらに仕事が増えた。
「寒いから、早くこっちに来てよ」
ブランケットから覗く素足に唾を飲む。いつの間に環はこんな悪い子に育ってしまったのだろう。テーブルに置かれたボディクリームは、俺が使っている香水と同じブランドのものだ。くれるなら、お揃いの香水がいいと環は拗ねたが、簡単に身につけられるものなんてやりたくなかった。手にとって、足先から、手先から、その白い首筋まで。環には時間をかけてじっくりと、自ずから俺と同じ匂いに包まれて欲しかった。
「そら、パンツ一丁やと寒いやろ。シャワー浴びたん? 服着ぃひんの?」
「浴びた。服は……ファットがボディークリーム塗ってくれるまで着ない」
「俺が?」
「うん。ファットに塗って欲しいからずっと待ってた」
そんな俺の思惑は、年下の恋人には通用しなかった。
ずっと俺の部屋に置いたまま、なかなか持って帰らんなとは思っていた。まさか、贈ったボディクリームを自分の手に取ることになるとは。我儘を言っておいて、恥ずかしそうに目を逸らす環がいじらしい。ソファの前に跪いて、足の先から丁寧に丁寧に俺と同じ匂いを広げていく。
環の艶やかな肌が好きだ。今日は何を再現したのだろう。本人は平気だと言うが、いつかこの手で労ってやりたいとは思っていた。——こんな方法になるとは思っていなかったが。
「俺、今日早くファットに会いたくて朝から頑張った」
「うん」
「お腹も空いたけど、あんたと何か食べたいと思って我慢してた」
普段自分を見下ろしている相手が、下から見上げてくるのはどんな気分なのだろう。待たされた怒りと、待たせた俺を許してやりたい気持ちが入り混じった環の言葉は、静かに部屋に響いていく。
「ほんまにすまんかった。俺もはよ会いたかった」
太ももの付け根、肩甲骨の窪み、うなじのすぐ下。謝りながらも、環本人が気付いていない、自分だけが知っているその場所にほくろが存在するのを視認して嬉しくなってしまう。いつも行為の最中に俺がキスを落とすところだ。環が何を再現しようが、元の姿に戻ればそこにあるので何だか安心してしまう。
きっと俺も環も互いが思っている以上に、互いのことを好きになっていることを知らない。ボディクリームの匂いが首元へと到達し、やっとちゃんと目が合った。まるで前戯のような行為をキュッと唇を噛んで耐えていたらしい環が寄り縋るように俺の首に腕を回す。
「これで俺が風邪ひいたら、ファットのせいだからな」
顔を逸らす環の耳が赤く染まって、これ以上強がれないことを伝えてくる。
素直に寂しかったと言えないうちは、まだまだお子様やで。
それを言ったらきっとまた頬を膨らませて拗ねるから。大人な自分は、今日もまた健気で可愛い恋人を甘やかしてしまうのだ。