恋と呼ぶにはまだちょっと早い 「ついてないなぁ」
呟いて暗い空を見上げる。
雲は真っ黒で、まだまだ雨は止みそうにない。
そもそもカバンの中にちゃんと折り畳みの傘を持っているつもりだった。
だからこそ委員会の終わり間際に雨が降っていると聞いても慌てなかったし、
「小波さん、大丈夫なの?」と聞かれた時も
「大丈夫ですよ」とヘラヘラ笑って、残りの分の仕事を全部引き受けたりしたんだ。
家族のグループLINEでお母さんに、迎えに来て欲しいとお願いしようかとスマホを取り出した瞬間、背中側から声をかけられる。
「真面目ちゃんじゃねぇか、こんな時間まで残ってたのか? 日直…じゃない、よな。委員会とかか?」
「御影先生…そうです、委員会で」
「そんで、真面目ちゃんだから他人の分まで仕事引き受けて、遅くなっちまった挙げ句、傘持ってなくて途方にくれてる、そんなとこか?」
「うっ、傘は…持っていた、つもりだったんです。折り畳みの…でも勘違いだったみたいで」
「ほーん、んじゃ入ってくか?」
まるで当然といった流れで、いとも普通のことのように手招きをされる。
「御影先生、バイクなんじゃ…」
「こんな雨の中バイクで帰るとか、そんなわけねぇだろ? あ、それとも何か、真面目ちゃんは、傘だけよこせ、そんで先生はバイクで帰れって言うのか、そいつはひでぇーよ」
「ち、ち、違いますよ、そんなこと全然全然」
「ははっ、おまえ慌てすぎだろ、ほんじゃ、まっ、相合傘で仲良く帰ろうぜ」
「あ、いあい…傘」
顔がボッと赤くなるのが分かった。
「すまんすまん、そうだ、おまえはそういう反応するヤツだったよな、ごめんごめん、冗談だ」
「じょ、だんですよね、すみません、わたし毎回毎回」
御影先生のからかうような冗談を毎回本気にしてしまうから、その度に恥ずかしい思いをする。
「お邪魔します」と呟いて、御影先生の大きな黒い傘にそっと入れてもらう。
「つってもこの身長差だから、俺が傘を持ったら位置が高すぎておまえが濡れるし、おまえに持たせたら俺が傘に入んねぇしなぁ」
下駄箱の入り口で相合傘状態のまま、アゴに開いた親指と人差し指を当てて何かを考えていた御影先生が、
「そうだ」とカバンからタオルを取り出す。
「昼にちょっと使っただけだから、多分臭くはないと思うぞ」と、わたしの頭を覆い、アゴの下できゅっと結ぶ。
これ、かなり間抜けな姿なんじゃ……
「ふはっ、真面目ちゃんはどんな格好でもべっぴんさんだなぁ、あ、鏡は見ちゃダメだぞ」
「やっぱり変なんじゃないですかぁ」
軽く手を握り締め、先生の胸元をポカポカと叩く。
「おっ、武闘派だな。いいぞ受けて立ーつ」
握り締めたわたしの手を、先生の大きな手が包む。
「あ…///」
「んあっ、ごめんすまん。……おまえイチイチそういう反応すんなよ、……られちまう。……んじゃ、行くか…濡れるからなるべくこっち側に、な」
歩き出した先生はなんだか歩きにくそうで、そうだ、きっと歩幅をわたしに合わせてくれてるんだ、と気付く。
それから傘をだいぶこちら側に傾けてくれている、先生の背中越しに見上げた肩が濡れている。
濡れるからとわたしの頭に巻かれたタオル、先生の右肩にかけていた方が良かったのかもしれない。
御影先生って優しいなぁ。
うちのクラスだけじゃなく、二年生とか三年生の先輩達にも人気があるって聞いたことがある。
傘の柄を持った先生の左手を少しだけ押し戻す。
わたしの行動に気がついた先生が、ん?と優しく笑う。
「先生…タオルいい匂いがします。柔軟剤?…ハーブみたいな、それからちょっとだけ先生の香り…すごく、落ち着く…地震の時とか、階段から落ちた時に、抱き締めて貰った時みたいな」
「おまえは…こっちがなんか言うとすぐ赤くなるくせに、自分はガンガン踏み込んでくるよなぁ」
「え?」
「ん、やっ、何でもねぇ。」
なんだか急に気恥ずかしくなって黙ってしまう。
うつむいたまま、靴のつま先だけを見つめながら歩く、体育祭で二人三脚をした時の、「右、左」という先生の掛け声が頭の中に流れる。
「カバン濡れてる」
傘を右手に持ち変えた先生が、わたしをカバンごと左手で引き寄せる。
きょっ、っきょ、距離が近くてぐるぐるする。
頭に巻かれたタオルからじゃなく、ダイレクトに先生の香りと、それから温度が伝わってくる。
「っと、ごめん、ちょい近すぎるか?」
「いっ、ひえ、そん、にゃことは」
「ふはっ、顔真っ赤だし、受け答え変になってるぞ」
「せっ、先生は慣れて、る、かもしれないけど、わたしは、相合傘とか、初めてで、その、ちょっと緊張するというか、でも…イヤとかではなくて、でも、恥ずかしいというか」
先生は慣れている、自分の口から出た言葉で胃の上の方ががチクンとする、なんで?
お腹が空いたのかな?
「相合傘は慣れてねぇなぁ、先生も相合傘はおまえが初めてだ」
多分、それは先生のウソで、わたしと歩幅を合わせてくれたような優しさで、相合傘を初めてだと言ってくれたんだと思う。
それでも、胃の上の方で、チクンとした痛みは消えて、ふへへとニヤケた笑いが出る。
「二人三脚の時みたいですね」
わたしの言葉を聞いて、
「んじゃ、右、左って言うかぁ?」と
おどけたように聞いてくれる。
「ふふっ、掛け声は来年の体育祭でお願いします」
「ふーん、おまえは来年も俺と二人三脚するつもりなんだな?」
思わず口から出た言葉を言及されてまた顔が赤くなる。
「あ、先生見て見て、紫陽花の下に、カエル、小さいっ、可愛い~。」
ごまかすみたいに先生の袖口をつまむ。
「よく、あんなちっこいの見つけたな、おまえの目線の方が、俺の目線より地面に近いとはいえ。ふっ、そんで『きゃあ』とか『怖い』じゃなく『可愛い~』なんだ」
「え、カエル怖いですか? 可愛いじゃないですか?」
「やっ、俺は怖くねぇよ、ただ女子はさ、『怖い~』とか…、あっ、や、ごめん、女子が、じゃなくて、おまえが『可愛い』って言ったんだな」
「? 先生…わたしも女子です」
「知ってる、っつーの」
タオルの上から、先生の大きな手が頭を撫でる。
(先生とデートしてみたーいだの、キスして欲しーいだの、女子はすーぐそういうこと言い出すからな)
地震の日、先生が言っていた。
「わたしも女子です」「知ってる、っつーの」
頭を撫でられた大きな手。いい匂いのタオル
わたしが濡れないようにと傾けられた傘、
長い足で歩くのにわたしの歩幅を合わせてくれた。
わたしの手を包んだ大きな手。
ん?と優しく笑う横顔
デートとか、キスとかは正直まだちょっとよく分からないけれど、もう少し先生と一緒にいたい。
「先生、オリエンテーリングの時の……地震の時に、オネダリひとつ聞いてくれるって約束してくれましたよね?」
「んあ、そうだったな。なんか思い付いたのか?」
「来週また雨が降ったら、……一緒に帰ってくれますか?」
はばたき市は一昨日梅雨に入った。
多分、きっと来週も雨が降る、と思う。
念のため、家に帰ったら、てるてる坊主をたくさん作ろう。
そして、全部逆さで軒先に吊るそう、
るてるて坊主にしよう。
「雨が降ったら、でいいのか?」
「晴れても、一緒に帰りたいです。」
雨が降ったら、また相合傘で
もしも晴れたら……。