カーブで車両が傾き、乗客の体が全体的に斜めに揺れた。
「わっ……」
立っている時は吊り革に掴まってはいたものの、つい声が出てしまう。それに反応してディアスはアシュトンの方を向いた。
「ふっ……鍛え方が足らんな」
「なんだよ……自分だけ都会人ぶっちゃって」
トートバッグを肩に持ち直し、アシュトンはもの言いたげな目をディアスにやった。ガタン、電車が縦に揺れて、とうに過ぎた踏切の音が遠くに聞こえる。
ディアスは澄ました顔で動かぬままだ。アシュトンは横顔を見ながら口を開いた。
「でも、まさかディアスまで上京したままこっちに住むなんて思わなかったなぁ。地元には全然帰ってないのかい?」
「たまに、ピーク期間をずらした土日に行っている。ずっと顔を出さんとあいつがうるさくてな…」
名前は言わなくても、あの青い髪の幼馴染の少女だとアシュトンにはわかった。
ほぼ同時期に田舎から出てきた。ディアスは就職、アシュトンはアルバイトを掛け持ちしつつ調理の専門学校に通っている。その頃に───今は思い出すのをやめて、アシュトンは一人首を振る。
「そうなんだ。クロードとは全然会ってないの? あっちもこの辺の学校でしょ?」
「連絡先を知らん」
「えっ!?」
大きな声が出てしまって、非難する乗客の視線がアシュトンに集まる。慌ててペコ、とお辞儀した。ディアスの方に向き直り、口元を手で隠して声を潜めて問う。
「じゃあ今までどうやって一緒に遊んでたの……」
「レナ経由で勝手に連絡が来る」
「…………」
ディアスは若干居心地が悪そうに、何か言いたげなアシュトンの視線から顔を逸らした。
「……でも僕には自分から電話してくるんだ?」
逸らした方向へ回っていき、アシュトンは無理やりディアスと目を合わせる。
「………………お前は」
一呼吸置いて続ける。
「お前は、繋ぎ止めておかないと急に消えるだろう」
アシュトンの動きが止まった。
ディアスは、ディアスだけは知っているのだ。本当に心が折れそうになった時の自分の姿を。
*****
上京する直前に両親が亡くなった。共働きで忙しい親の代わりに、度々食事の用意をしていた。手料理の腕を褒めてくれて図に乗り、本格的にプロを目指そうかと息巻いて、入学の手続きが全て終わった後のことだった。
何のための上京だったのか。失意のまま帰宅する途中、何となく目に入ったペットショップに入店した。特に欲しいものがあるわけではなかった。ただ何もせず、一人で家で過ごす時間が耐えられなかっただけだ。虚ろな目で並べられた動物たちを眺めていた。
少し他より薄暗い爬虫類コーナーに向かった。区画が別にされていて、もう一枚隔てたドアを開けてみたかった。深い意味はなかった。
入った瞬間に目が合った。赤と青の、ドラゴンのような風貌のトカゲが二匹。値踏みするような目つきの中、自分を慈しんでくれるような、あの瞳の奥の光。
値段も見ずに店員に声をかけ、生育に必要な全てのものをその場で揃えた。目の形から、ギョロとウルルンと名付けた。
白黒だった世界が、赤と青の二匹のおかげで彩られた。救いであり癒しだった。
……けれど、数日前から、二匹が行方不明になっている。
いなくなった初日の夜、外で探し回っているところにディアスが現れた。
「………何をしている」
車の下をうつ伏せで覗き込んでいると、上から低い声が降ってきたのだ。
「ディアス……」
どうしてここに、という言葉が出る前に、見知った顔がいた安堵感から、涙腺が緩みそうになる。
「帰ってきたら……いなくなってたんだ」
何を、とはディアスは聞かなかった。
「僕が大事にしてるもの、ぜんぶ僕からすり抜けていくんだ」
自虐的に笑う。そうでもしないと、絶望から耐えられない気がした。現実に戻れない。その後は、その闇に溶けて一緒にこの世から消える。それでも構わないと思っていたのに。
「…………お前の方が、落ちたら戻って来れんな」
座り込んだままのアシュトンの腕を掴み、無理やり立ち上がらせる。勢いあまって、顔がディアスの胸に当たった。
「生きている限りは、もがけ」
片手で肩を引き寄せて、まるで自分に言い聞かせるように。
気づいて目を見開いた。そうだ、ディアスも。家族が。
「……そうだね、負けられないなぁ」
押し返すことは簡単だったけれど、アシュトンはあえてそのまま身を任せた。温い傷の舐め合いが、この時だけは必要だった気がした。
*****
あの夜連絡先を交換して以来、ディアスとは電話やメールなど、毎日何かしらのやり取りをしている。無愛想ながら、自分の心配をしているのだ。実際会った時と変わらない文面も彼らしくて、思い出して笑ってしまう。
「大丈夫、消えないよ」
「信用ならんな……」
ディアスがため息をつくと同時に、電車は駅のホームに滑り込んだ。待っている乗客が並んでいる。ここは複数の路線が走るターミナル駅で、乗り換えで人の出入りが激しい。
列車のドアが開き、一斉に乗っていた客も慌ただしく降りようと動く。
「わわっ……」
人波に流され、降りる予定ではないアシュトンが出入り口に押されていく。
「おい」
ディアスが手を掴み、流れに逆らい自分のそばに引き戻した。
「早く慣れろ」
「ごめん……」
情けない。ディアスの方が早く都会に順応しているのはどうしてなのだろう。
「ありがとう……もう大丈夫だから」
そう言い、掴んでいた手を離すよう促したが、ディアスはそれどころかその繋いでいた手に更に力を入れた。
「ディアス?」
「……案外、近くに潜んでいるかもしれんぞ」
あいつらもお前と離れたくはないだろう、と最後は小さく続けて言った。
数秒後、拙い自分への励ましだと気づいたアシュトンだが、嬉しい気持ちと同時に言い方に引っかかりを感じて難しい顔になってしまった。
「じゃあな」
ディアスは意に介さず、目的の駅に到着すると手を離して先に電車を降りて行った。
残されたアシュトンは一人、頭の中が混乱する。
「…………『も』?」
翌日の夜、再びアシュトンがペットの二匹を捜索していた時、ふとディアスの言葉を思い出した。
何となく自宅アパートまで戻り、駐車場の車の下を覗き込んでみる。
赤と青が寒さで丸くなって縮こまっていた。
「いたーーーーーーーーーっ!」
アシュトンは興奮気味にスマホを取り出し、履歴の一番上のディアスに電話をかけた。弾んだ声で報告すると、急いで向かう、とだけ短く言い電話を切られる。喜びで顔をほころばせる。しばらくしてふと、我に返り独りごちた。
「僕……今、どっちの方が嬉しかったんだろう……」
ギョロたちが見つかったことか。それとも、ディアスが会いに来てくれることか。
「……ディアスにはまだ、言わないでおこう」
胸に飛び込んできたギョロとウルルンを抱いて、アシュトンは火照り始めた顔の冷まし方を考えた。
夜空を見上げる。暗闇の中、控えめだが時折光る星が見えた。
僕の中のディアスみたいだ。何となくそう思った。