べチャリ。
「あっ」
「あーあーなにやってんだよ」
七ツ森が口に運ぼうとしていたフルーツサンドが机に落ち、隣りに座っていた風真がポケットからティッシュペーパーを取り出す。器用に机についたクリームを拭き取ってから、風真は自分のアンパンを半分に割って七ツ森に差し出した。
「ん、やるよ」
「え…あ、サンキュ。……てか、その。今、なんて?」
動揺が抑え切れないまま、七ツ森は前の席に座る本多に問う。本多は隣りに座っている小南とちらりと視線を交わしてから、先程の問をもう一度声を潜めて口にした。
「ミーくんとリョウくんってつきあってるの?って聞いたよ」
「で、俺が「そうだ」って答えた」
「いやそれなんだけど」
七ツ森は半分に割られたアンパンを齧りながら風真を見やる。
「なにがどうなって俺とカザマが付き合ってるってことになったのかも、カザマがどういう経緯を経て俺と付き合ってるって返事したのかもさっぱりわかんないんですけど」
「えーとね」
「あのね、実くん。…私達、見ちゃったんだ」
「なにを」
「…クリスマスの日、実くんと玲くんがその……キス、してるの」
「あ……れは…」
想定外のことを言われ、七ツ森は目を泳がせる。キスかといわれたら…まあ、キス、ではある。唇同士を触れさせる行為はたしかにキスそのものだ。だが、あの時のその行為はそんな単純なものではなく、ただただ七ツ森の飢えをごまかすだけの身勝手な行為だ。それが風真から唆されたものであったとしても。
だがまさか風真の血を吸っていたんだ、とバカ正直に言えるはずもなく、七ツ森はゆっくりとアンパンを咀嚼する。口の中のパンを嚥下して、今度は隣の風真をにらみつける。
「で?おまえはなんであんな返事したの」
「え?だって間違ってないだろ」
「は?俺とおまえいつ付き合ったの」
「抱き合ってキスしたならそりゃもう付き合ってるも同然だろ」
口角を上げてパンを咀嚼する風真に、七ツ森は開いた口が塞がらなかった。いや、確かに普通はそうかもしれない。ただ七ツ森から言わせるとあのとき身体を寄せたのはお互い寒かったからだし、キスと呼ぶ行為が決してそんな甘ったるいものでなかったのは何より風真自身がよく知っているではないか。それなのになぜそんな返事をするのか。
「ミーくんはリョウくんと付き合ってるわけじゃなかったの?」
「えっ?!……まあ…そうだな」
「えぇ?七ツ森、嘘だろ?」
「いやなんでそんなビックリしてんの?」
隣で声を上げた風真を呆れた顔で見やると、風真はそんな七ツ森に頬を膨らませてにらみつける。
「そりゃそうだろ。おまえは付き合ってない相手にキスするのかよ」
「……そういう言い方ずるいとおもうんだけど」
「じゃあさ、ミーくんは何を持って「付き合う」って認識になるの?」
本多の言葉に詰まる七ツ森。付き合う、とはそもそも好き合う男女に冠される枕詞ではないのだろうか。自分と風真は男同士であるし、そもそも好きあってはない。
……その、はずだ。
「……やっぱ、『好きです、つきあってください』的なイベント通るべきじゃね…?」
「イベントって、ゲームじゃないんだから」
「案外純情だよね、ミーくんは」
「確かにそれなら俺たちは別に付き合ってるってことにはならないか」
最後の一口を放り込みながら、風真は肩をすくめる。その様子があまりにも軽くて七ツ森は少し拍子抜けする。なんだ、やっぱり冗談だったのか。胸をなでおろしつつ、七ツ森も最後のアンパンを口に入れた。
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「好きです付き合ってください」
「情緒」
風真宅にて。
無理やりソファに座らされて、隣ににっこりと笑って風真が言った言葉に七ツ森は呆れ顔で思わず突っ込んでしまう。なぜか風真には七ツ森相手にそういう風にからかうクセがあると最近ようやく気づいた。妙に楽しそうに七ツ森をからかう風真に、今まで七ツ森は戸惑ったり動揺したりして、その度に風真は楽しそうに微笑っていて。だけど徐々に慣れてきた七ツ森は、なんとなく今日は言われる言葉を想定していた。ため息をついて、七ツ森はソファに身を沈める。
「言うと思ったんだ」
「そうなのか」
「そりゃあんな会話のあとだもんな」
「確かに」
風真が肩を竦めて同じ様にソファに身体を沈めた。その風真の手が、七ツ森の膝に乗って、きゅ、と指に力が入った。少し首を傾けて風真を見ると、風真は少しだけ肩を近づける。
「だって、俺は俺たち付き合ってるとおもってたから」
「……いや、アレがキスじゃないのはおまえが一番わかってるでショ」
「……あー……じゃあも一回するか?」
「は?」
「あれから二週間経つし、そろそろ飲みたくなってるんじゃないか?」
(う)
黙り込んだ七ツ森に対して、風真はニヤリと笑む。その風真に対し、七ツ森は手を広げて制した。
「あのさ。別に毎回唇噛み切らなくていーから。…指の先、とかで全然大丈夫ですから」
「そんなので足りるのか?」
「……足ります。…強がりでもなんでもなく、…カザマの血液だから、それでジューブン」
そう。風真の血液は七ツ森にとって最高の栄養源で、他の血液よりも少ない量でも十分にお釣りが来る。七ツ森にとって風真はだからこそ重要な存在で、血液の相性を鑑みると守りたい存在であった。
吸血鬼という種族のせいで、風真の血液が自分にとって特別ということは自分にとって風真がどういう人物なのか七ツ森の意識よりも先に判明してしまう事実で、七ツ森自身は正直未だに戸惑っている。吸血鬼にとって人間はあくまで捕食者であり、血の相性があう人間だけが特別だ。…まさか、それが友達だなんて。
言葉の意味を理解しているであろう風真はニッコリとわらい、ただどことなく寂しそうで。それでもその指をゆっくりと七ツ森の唇に触れさせた。
身体を寄せて七ツ森の肩に頭を預け、人差し指をふに、と七ツ森の唇に押し付ける。
(……え)
七ツ森の戸惑った表情を楽しむように、何度も唇に指を押し付ける。
「指先って言ったろ」
呟いた言葉になるほど、と納得して、七ツ森は唇を少し開く。唇の境目に風真が指を侵入させ七ツ森の歯列をなぞり、風真自身にはない牙を撫でる。
もう少し口を開けると、その牙の先端に風真が指の腹を押し付ける。
(………っ)
口の中に広がる甘い香り。ともすれば媚薬のようなそれに、七ツ森は舌を這わせる。
「っん…ちゅ……」
抗えない本能に従って風真の指を夢中で啜っていると、口中に風真の指がもう一本、侵入してきた。
(なに、…なんだ?)
突然のことで戸惑っていると、風真の指が七ツ森の舌に絡まされる。甘露が交じる自身の唾液を飲み下すと、指の腹が上顎の襞にこすりつけられる。歯の裏から歯列を撫でられ、舌の裏に差し込まれて。
「んぅ……」
何事なのかと訴えるように風真に視線を送ると、頬を紅潮させて甘い顔をしている。視線が絡むと首を少し伸ばして七ツ森の耳元で、小さく囁いた。
「…七ツ森、かわいい。…好きだよ」
「…ふぇ……?」
口中に指を突っ込まれているせいで喃語しかでない状態で、七ツ森は声をあげた。
その頬に、柔らかく温かいものが押し付けられて。
ちゅ、という音を耳が拾って、唇を押し付けられたのだと理解した。
口中から指が抜かれ、そのまま呆然と風真を見やると風真はもう一度笑って、身を乗り出した。
唇に触れるそれは温もりに、感触に覚えがあって。
「……カ、ザマ」
「好き」
もう一度呟いて、唇を押し付けられる。触れただけで離れたそれは血液は付着していないはずなのにとても甘くて。
「……冗談、だよな?」
「おまえは冗談でキスするのかよ」
「いや、あの…俺」
「血液の相性がいいってことはおまえは俺が必要だってことだ。…素直になれよ」
「……ちょ、っとまって。まだ、俺混乱してるんですけど」
「まだ混乱してるのかよ。俺の血初めて飲んでからもう半年になるんだぞ」
「いやそれは言い過ぎ」
「いい加減自覚しろ」
「……自覚したらどーなんの」
「そんなの決まってるだろ」
風真は七ツ森の肩に頭を乗せて笑う。
「恋人同士になんの」
「…………こいびと」
「ナニ、嫌なのかよ。おまえ、寿命人より長いとか?」
「…そんなんじゃないけど」
「じゃーいいじゃん」
「俺達男同士で」
「だって相性いいんだろ?」
「……いや、その」
「それって、運命ってことじゃん?」
風真の手が七ツ森の頬を撫でる。指先に残る甘露の残り香に、風真の体温に七ツ森は目を薄める。そのまま親指で唇を撫でて、風真は呟いた。
「…おまえは俺のもんなんだよ」