「看護師長は、今年でいくつになるんだったか」
リオセスリはふと、そう尋ねる。水の下、紅茶の香り漂う彼の執務室で、問われた張本人──シグウィンは、拗ねたような表情を浮かべて、もう、とため息を吐きつつ口を開いた。
「レディに年齢を聞くなんて、マナー違反なのよ。公爵だって知ってるはずよね?」
「おっと、そうだったな。申し訳なかった」
謝罪の言葉を口にした彼は、どこかうわの空だった。アフタヌーンティーに、と淹れた紅茶にも口をつけない。ただその水面が反射する光を見つめていたリオセスリは、何でもない風を装って、呟くように投げかけた。
「俺がここに来た日からずっと、看護師長は変わらないな」
そんなこと、口に出さずとも、当たり前のことだと知っている。人間に近い見た目をしていても、彼女はメリュジーヌなのだから。水龍の眷属、フォンテーヌに住むすべての人の良き隣人。そんな彼女と自分の歩幅を比べること自体、意味のないことなのだと知っている。けれど。
『この先もう、私は彼女と同じ時間を歩めないのだな』
予言の日からしばらく経った後、かの最高審判官が零した言葉が、喉の奥に引っかかったように抜けてくれない。この世界を眺める目も、時を進む歩幅も、何一つ同じものなどないと、わかっていたはずなのに。今まで考えたこともなかったそれが、ここ数日、嫌に気になって仕方がなかった。
「……たしかに、公爵がいなくなっても、ウチはこの世界に残るのよ」
ティーカップをくるくると回したシグウィンは、やがて収まりの良い場所を見つけたのか、一口だけ紅茶を飲む。そうしてリオセスリの方を見上げると、彼女は何か、大切なものを仕舞うような表情でこう続けた。
「でも、それはウチが一人で生きて行くってことじゃないわ」
「と言うと?」
そう聞き返して、リオセスリはようやくカップに口をつける。相変わらずセンスの良いこの茶葉は、棘薔薇の会から贈られたものだった。
「たとえば、この紅茶……もっと言うと、アフタヌーンティー自体かしら。ウチはきっと、紅茶を飲むたびに公爵を思い出す」
シグウィンはまた、一口だけ紅茶を飲んだ。ぬるくなっちゃいそう、とひとりごちると、惜しむようにそれを飲み干した。
「思い出になんてしてほしくないって、言うかもしれないわね」
喉まで出かかった言葉を読まれたようで、リオセスリは苦笑する。視線だけで続きを促すと、彼女はティーカップを置いて静かに笑った。その笑い方を、よく覚えている。毎日のように怪我をしていたかつてのリオセスリを、彼女は同じように笑って見つめていたから。
「ウチだってきっと、思い出すたび嬉しくなって、それでもやっぱり寂しくなると思うのよ。それでおあいこってことにしてくれない?」
二人分の紅茶を注ぎながら、シグウィンはまるで悪戯っ子のようにそう言った。目を瞠って、数度瞬きをして。そうして彼は、敵わないとでも言いたげに、軽く笑った。
「どう? ご満足いただけたかしら、公爵」
「そうだな……」
答えを返さないままに、彼は注がれた二杯目の紅茶に口をつける。この味もいつか、彼女に自分を思い出させてくれるのだろうか。