『逃げない』俺がソファに腰掛けてスマフォを熱心に見つめていると、ドラ公が心配そうにこちらに声を掛けてきた。要件は言わずとも分かっていた。
「……まだ既読すらつかないのかい?」
「ああ、無事だといいんだけどな」
「半田君が居なくなってから一か月か、彼が居ないだけでこの事務所も静かな気がするよ。喧噪も華だったからね」
意味もないことだがこちらから追撃のように半田のRINEに「平気か?」と送る。ふう、と息を吐く。温度のないただの乾いた呼吸だった。
「ヒナイチ君を始め、吸対の人達も捜索活動をしているようだから本当に此処には依頼人しか来なくなっちゃったね」
「なんか、ずっとあるもんだと思ってたもんが急に無くなると寂しいもんだな」
「君も寂しいとか言うんだ、と言いたいところだが同じ気持ちだよ。早くいつもの日々が帰ってきてほしいね」
ジョンもヌンと慰めにも似た肯定を返してくる。とりあえず湿っぽい話ばかりでもなんだから、とドラ公が夕食を作ってくれた。この事で俺が一番ショックを受けていると思ってくれたドラ公は好物のオムライスを用意してくれる。
「ケチャップには何を書くかい?」
「いや、普通にお好み焼きみたいに全体的にかけてくれ」
「……そういえばさ、ロナルド君」
「なんだ?」
「さっき、寂しいって君は言ってたけど、そこまで動揺してなくないかい?」
玉子を抉っていたスプーンの手を止めて、声の主を見る。動揺をしていないように、この享楽的な吸血鬼には見えるのだろうか、それなら。
「どうしてそう思うんだよ」
「仮にも半田君は君の友人でしょ、なんかロナルド君って情に厚いタイプだから吸対の人達と連携を取ったり、単独調査したりして、自ら危険な場所へ赴いてまで救うタイプだとお思ってたんだよね」
「……俺に出来ることはない、それだけだよ。だから半田がさ俺のRINEに助けを求めてくれるならすぐにでも駆けつける」
「薄情だ」
「人命救助ってのは最善手じゃねえと悪手にしかならねえだけだっての」
オムライスを半分ほど食べた後に皿を持って立ち上がる。腹にはまだ空きがあったが、これは使うものだから。
「あれ、残すの?」
「まだ終わってねえことがあるから、それ終わったら食うわ。ありがとな」
「感謝をされるのが気持ち悪いと思う日が来るのは早かったねえ」
「うるせえ! 塵になって寝てろ」
大きな声を浴びせれば本当に砂のような塵になり、ジョンが心配そうな声色でその砂山を撫でてていた。俺はそれを横目に皿を持ち、事務所の方へと向かう。行く先はロナ戦の原稿をする為のデスクではなく、今は来ないヒナイチの地下部屋だった場所。スライドする床板の下のパスワードに俺の本名を入力し、解錠をする。悪いなヒナイチ、パスワードは一度割れたら変えられるもんなんだよ。だから、もう此処は俺と俺の昔を知っている人しか入れないし、そもそもパスワードを俺が変えていると知っている人にしか解けない。空いた箇所から通路を通り、二重目のセキュリティに「登録済み、解錠」と顔を映す。冷暖房は適温にして、本棚は面倒だったからそのまま刃牙を入れたままだがベッドの上には先客が居た。
「よう、半田。まだ元気そうじゃん」
そう声を掛けると手を後ろで組むように拘束され、足は2m程度しか移動が出来ないようになっている枷を掛け、口にはギャグボールを噛ませている半田がこちらを睨むように見上げてくる。憎悪の瞳だ、思わず背筋がゾクゾクとする。半田は俺に優しくて、意地悪はするけど、それでもあの悪魔の野菜以外は笑いながらも全てを許容してきた。いつのひか吸対で仕事をする半田を見て、完全に獲物を捕らえた瞬間の捕食者である雄の目を今も覚えている。そしてその視線は今や俺に全て集まっているんだ。
「パニックは収まったみたいだな、手首はちょっと痣になってるけどお前ならすぐ治るって。それにしても痙攣も硬直もしねえの凄いな、あ、今から口の取るわ」
半田の身体に触れて、今日も元気なことを確認してギャグボールを外す。此処に連れてきて数日は罵声や疑問の嵐を投げつけてきたが、今やそれもない。だから俺はゆっくりと従順になってきた半田を抱き締めてちょっと末端に血液が循環していないことを悟りながら、さっきドラ公が作ってくれたオムライスの半分を皿ごと渡した。
「ご飯の時間だぜ、食べてくれよ」
特にスプーンなどを渡すこともない、だって動けない様にしたのだから。半田はこのひと月で学んだのか此方に侮蔑の視線を向けながら顔を更に近づけてそのまま俺の食べかけのオムライスを食べる。一日に一回。だって俺はまともに飯は作れないから。半田が食事を得られるのはそのタイミングだけだった。がつがつとまるで犬のように食事を行う半田を見て、こみ上げてくるこれは愛おしさなのだろうか。頭を優しくなでてやる。特に振り払われることもない。全てを食べ終えた半田が顔をあげ、こちらを見つめる。俺は口の周りについているケチャップを拭う様に舌で半田の肌を舐めた。口を離すと、震えるような声が放たれる。
「……いつまで、こんなことを続ける気だ」
「分かんねえ。なんでだろう」
「意味も分からず続けているのか」
「半田、好きだよ」
毎日告げる言葉、半田はそれに答えることはない。俺はそれを知っている。だから半田がこれに対する答えを用意できたときが解放する瞬間なのだろうと、俺は勝手に思っている。
「答えになっていないな」
「答えてねえからな」
「今は何月だ」
「丁度ひと月、というかスマートフォンは渡してるんだから確認すりゃいいじゃん。足でだって操作は出来るだろ」
それこそ警察に連絡をすることだって半田は出来る立場にある。その程度の選択肢は与えているんだ。でも半田は優しいから、俺を警察に売ることに僅かな躊躇いがある。その隙間で俺はぬくぬくとこの異常を享受してるんだ。
「それをしたところで、此処まで入ってくるのは容易くない」
「俺のこと良く分かってんじゃん、なあ、俺さ。半田のこと信頼してんだぜ」
「何を言い出す、人を攫って閉じ込めて監禁して、それに対しての答えが信頼だと? 笑わせるな」
「いや、違えよ。今、半田が何を考えているか分かるってこと」
俺は半田がきっと好き、でも半田はなんでも出来るから、半田の出来ないことを俺がしたい。それでも俺達は真逆で、そして似た者同士だ。プライドの高い雄ってのは、こういう状況下で常に摩耗を避けて冷静でいることを望む。そしてその先に待っているのは、一つの答え。
「でも、抱き締めるのもキスすんのも許してくれるんだな半田って」
「……貴様意外だったら膝蹴りをしていた。だが、ロナルドは受け止めてもダメージが無いし、そもそも避けるだろう」
「まあな、伊達に退治人やってねえよ」
そう笑うと、若干呆れの混じった金色が此方を見る。だが、その金は俺の青と混じって緑になることはなく、ただの金と青だった。何処まで行ってもこの壁は崩れないのかもしれない。それはそれで、とても素敵だと、俺は思う。半田には強くあって欲しい、俺も半田に負けねえ程度には強いと思うけれど、いつかそれを越えて欲しいんだ。技術やパワーじゃない尺度で計られる強さは美しさだ。
「で、どう半田。出たい?」
最初に此処に半田を連れ込んだ時に一つ取り決めをした。それは俺と性行為をすることで無条件に解放するという内容。これなら半田は絶対乗ってこないという確信があったからだ。そんなことをするくらいなら舌を噛み切るだろう、その程度の矜持はある男だ。
「下らないことを言うな、俺は────」
その言葉に満足をして、俺は「また明日」と告げて、また既読の付かないスマフォを眺めつつ、非日常の混じる日常へと帰る。あの金色の目を思い出して瞳が弧を描いた。