安寧の理を肉眼であ、と言う間抜けな声でアイツは人の理から外れた。珍妙な吸血鬼の仕業ではあったのだ。いつもの事だ、そう思って対象を捉えVRCへと送っていく。その手筈を整えていく最中にも、共闘していたロナルドの頭髪は伸びに伸び続け、一般成人男性にしては僅かに高い身長からしても腰ほどまでに長く、永く。
「また、おかしな能力に中てられたものだな。滑稽だ」
「うるせー、半田だってこうなる可能性あったんだからな!」
「避けない貴様が悪い。とりあえず、いつ戻るかどうかはVRCでの調査待ちだな。明日は美容院に行くといい」
「俺、理髪店派なんだけど」
「髭剃りついでに行くのでは無いのだぞ! 長髪なのだから、適切な場所で切ってもらえ」
はいはい、と適当に頷くロナルドを放っておいて、その日は終わったのだ。その日から、終わっていたのだ。翌日、VRCの所長から聞いた吸血鬼の能力は、その吸血鬼自身が死なないようにするために人間一人の成長を止める、というおかしなものだった。成長を、止める。ロナルドはもう発達しないのか。それが、狂おしい程にムカついて、俺は理不尽だと分かりつつもVRCの所長へ怒ったのだ。
「ではあいつの頭髪はどういう意味なのだ!」
「頭髪? 意味が分からんぞ愚物。情報は一度に寄こせ、手間がかかる」
その物言いは毎度腹が立つが、吸血鬼研究に関してこの所長を超える人物が居ないことも分かっていた。だから、その吸血鬼の力が発揮された瞬間のことを伝えたのだ。吸血鬼と対峙したこと、能力を使われたこと、そこから信じられないほどにうねった髪が伸びていったこと。それらを総括して所長はまた連絡すると言ったのだ。ロナルドはどうなっているのだろうか、監督と称して仕事時間にヤツの事務所に行くとロナルドより先にドラルクと出会った。
「あぁ、半田くんか」
「吸血鬼ドラルク、アイツはどうした」
「今は……知ってる人に会いたくないって」
「VRCから連絡は?」
「来たよ、聞いたから、そうなってるんだよね」
「美容院へは行ったのか」
「その話なんだけどね……口止めはされてないからいいか、とりあえず座ってよ」
紅茶を差し出され、ロナルドの事務所で客待遇をされていることに疑問を持つ。いつもは、俺がヤツの領分に踏み込む側だったのに。違和感が付きまとうその最中に吸血鬼ドラルクは、こちらを見た。真剣な瞳だった。
「髪の毛ね、切っても切っても、伸び続けるんだよ。美容院へ行ったのは半田くんの助言だったんだろう。でもね、だめだったんだ。今では床まで伸びているよ、引きずって歩いている。もう外には行けないって泣きべそをかいていたね」
「成長が止まることと関係があるかどうかは、今VRCに調査を依頼している」
「ありがとう、多分今のロナルドくんにはそんな余裕は無いだろうから」
一口、その色の出た液体を口に含む。何故か味は感じなかった。吸血鬼ドラルクは、もうこちらを見ていなかった。窓の外を見つめていた。俺もそちらを見つめる。月が妙に赤い気がしたのだ。
「吸血鬼だって、成長するのに。ロナルドくんはこれからどうなっちゃうんだろうね。成長が止まるって、不老不死なのかな、それとも寿命は人間程度にあって、急にお迎えが来るのかな」
「……知らん、だが、ロナルドはそれを受け入れるのか?」
「だからVRCの検査待ちなんだよ。もし、本当にこれからずっとこのままだったら、どうしようか」
「何故、俺に聞く」
すると使い魔のマジロがヌーと鳴いた。悲しそうな声色だと思ったのは俺の杞憂だろうか。
「あの場に居たのは半田くんだろう。そして、半田くんの方がロナルドくんの事を知っている。だから、見届けてあげてほしいんだ。命にちゃんと限りのある君の判断で」
僕たちは生きる年月が長いから、簡単に人の命に判断は下せないよ。それは諦めではないけれど、悲しそうな声だった。だが、俺も完全に人間の気持ちが分かるわけではない、生態系こそ人間に近いがダンピールはダンピールでしかない。それでも、俺は人の中で生きてきた。だから、人の中の判断を下せると思う。
「何があっても、俺がヤツの最期までを追い続ける。どういう結果となっても。命を失えないのなら、あいつが神のように崇められてしまうというのなら、俺は悪にも染まろう」
「吸血鬼を悪って言うのは、あんまり頂けないけど。半田くんがその覚悟が出来ているなら、少し話してくるといいよ、言っておいで」
そう言って吸血鬼ドラルクは事務所の隅へ向かい、俺をロナルドの居住スペースへと送り出した。瞬間、気が付いたのだ、ドラルクは門番だったのだろう。ロナルドの意思を尊重する。その彼に認められたのだろう、俺は吸血鬼ドラルクに礼を言い、居住スペースに足を踏み入れた。そこにはソファベッドに胎児のように丸くなり寝そべる銀髪の繭に包まれたロナルドが居た。いつも見てきた姿と違うその様子に心は狼狽していたが、艶のある髪に惹かれるように触れてしまう。感触に目覚めたのか、寝ぼけ眼のロナルドが俺を視認した。
「はん、だ?」
「ああ。事情は聞いている」
「んだよ……誰にも会いたくねえのに……」
「俺では、頼りないか」
どの視点から告げた答えか、自分でも分からなかった。しかし、ロナルドは泣きそうな顔をして俺の手に、自分の手を乗せて、皮膚を掴んだ。感じる痛みは、コイツの心の痛みより小さいのだろう。
「おれ、もう……どうにもなれねえのかな」
「何があっても解決する、安心しろ」
言い切ると繭の間から見えた整った顔に伝う雫が見えた。どうかロナルドの人生全てに安寧があらんことを。祈ることなんて、馬鹿らしいと思うけれど、今はそうすることしか出来ない自身が悔しかったのだ。それを誤魔化すように、ヤツの全身を抱きしめた。嗚咽だけが響いて、夜は続いていく。