夏 うたげのあと 夜半の大広間のあちこちに落ちている、もとい横になっている刀たち。赤ら顔で幸せそうに寝ている者、悪い夢にうなされている者。
その中で羽織姿の長谷部がうつむき口に手を当て、
「……気持ち悪い」
とうめくのを、燭台切は聞き逃さない。
「長谷部くん飲めないのにあんなに飲むからだよ。無理しちゃ駄目じゃないか」
勇気を出して声をかければ、しかめ面でこう返される。
「……仕方ないだろう。主のお誕生会だぞ、今日は」
確かに、いつになく杯を重ねる長谷部に主はご機嫌だった。こんなに飲めるとは知らなかった、いつも飲まないからという主に普段は控えているだけですよ、俺は主のお世話係ですからねといつもの主用スマイルで返す長谷部を疑いもしない自分たちの審神者の人の良さも、今日ばかりは少々恨めしくなると燭台切は思っている。
「とにかく部屋まで帰ろう。送るから。……立てる?」
長谷部は頭が痛むのか首をごく小さく振ると、
「いい…… 戻るのが億劫だ。俺もこいつらと一緒に大広間の屍と化す」
と言い残してうつ伏せに倒れようとする。
「そんなこと言わないで! ちゃんと部屋のお布団で寝ないと酔いも醒めないよ。二日酔い残ったら嫌だろ?」
そう言い、どさくさに紛れて袖を引いてみる。
本当を言うと直に手に触れて引きたいのだけれど、相手が酔っているからとそこまでするのは卑怯なような気もした。勇気が出なかっただけかもしれない。
うつ伏せ気味だった長谷部が顔を上げて燭台切と目を合わせる。眠たげな目は少し潤んでいるようだし、勝気なつり眉も下がってしまっている。
うわ、と心の中で呟く。ほとんどアルコールらしいアルコールも摂取していないのに顔が赤らむのが自分でも分かる。
──長谷部くん、酔うとこんなに色っぽくなるんだ。
下戸な長谷部に面白がって飲ませようとする連中は今まで燭台切が陰になり日向になり遮ってきたし、そもそも長谷部は嫌なものは嫌だと言える強さを持った男だ、酔って醜態をさらしたことなど今まで一度もなかったのだ。
──いや、全然醜態なんかじゃない。誰にも見せたくない。
燭台切は思わずきょろきょろと周囲を見回すが、屍と化した酔っ払いたちは誰も目を覚ましそうになく安堵する。
今のうちにさっさと長谷部の自室に匿ってしまいたい。だが本人は、何も言わなくなった燭台切をぼうっとした目つきで不思議げに見返してくるだけだ。
「燭台切……?」
「は、長谷部くん…… 動けない……?」
「……動きたくない。気持ち悪い」
拗ねたような声と表情で返される。なにそれ反則、と思う。
「じゃあ…… 僕が、部屋まで抱えていこうか……?」
なけなしの勇気を振りしぼり、、そう口にしてみた。声が震えた。言い終えた唇も震えている気がする。なんて格好がつかないんだろう。
長谷部はきょとんとした目つきで燭台切の顔をとっくり見守ってから、小首を傾げてこう尋ねてくる。
「お前はなんでそんなに元気なんだ。飲んでないのか」
「……う、梅酒しか飲んでない」
「なぜだ。俺と違ってお前はそれなりに飲めるだろう」
長谷部くんが主の前でぐびぐび飲み始めた瞬間、僕は今夜は主お世話係りのお世話係りになることに決めたんだよ、なんてことは絶対に言えない。言えるような間柄になれたらいいけれど、そんな兆しはどこからも全く感じられない。
必死にひねり出した言い訳は、
「好きなんだ、梅」
という我ながら酷いものだったけれど、
「そうなのか」
酒で脳が動いていない長谷部は簡単に騙されてくれる。
「偕楽園は、梅が見事なんだよ」
なんとか梅で話を繋ごうと故郷の話を振ってみれば、長谷部の表情が夢見るように緩む。
「ああ、聞いたことがある」
「長谷部くんも梅が好きなの?」
そう聞いたのは自分の癖に、
「好きだ」
短く返された答えを勘違いしそうになる。
「梅の花は姿も良いが、匂いがたまらない」
そうだよね梅の話だよね、と当たり前のことを確認しつつ、頷く。
「そうだね。和歌にも詠まれてる」
あの庭園に君を連れていきたいな、なんて夢想していたら、それが読まれたかのように、
「いつか案内してくれ。梅の頃」
乞われ、ふわりと微笑まれる。その笑みに見惚れながら、
「もちろん、だよ。いつだって案内する」
懸命にそう返す。ああ、嘘みたいだ。僕は本当は酷く酔っていて、これは梅の香が見せる夢なんじゃないだろうか。
惑わずにいられない燭台切の見ている目の前で、ふっと長谷部が目を閉じ、息を吸う。何かを嗅ぐように。
「長谷部くん……?」
不思議に思い問うが、返ってきたのは直接の答えではなく、
「……ああ、お前からか」
という言葉と、目を閉じたままの笑み。
そして長谷部は瞳を閉じたまま、ふわりと燭台切にもたれかかってくる。
「……せ、べ……く……」
驚きのあまりにまともに名を呼ぶことすらできない燭台切の肩口に額をぐりぐりと擦りつけて、
「本当に梅酒を山ほど飲んだんだな。お前から梅の香がたんと匂う」
半分眠っているような口調で長谷部が囁きかけてくる。
そう言う長谷部からも、飲めもしないくせに無理に飲んだ酒が堪えるほど匂った。煤色の前髪に邪魔されて表情は窺えない。でもきっと眠るような夢見るような、そんな顔で梅のことを想っているのだろう、と燭台切は思う。
それとも、僕のことを?
羽織の背中へ腕を回していいのか迷いながら、短いはずの夏の夜半はまだまだ終わらない。