兄達よ和解せよ③〜駆け引き編〜「ありがとうございました。……では、また」
そう言いながら車に乗り込む戴天がこちらを見た。その表情がどんなものだったか、戴天は分かっているのだろうか。
(では、また……か)
戴天にとってはただの挨拶だとしても、彼の口から出た言葉であればそれを理由に何とでも言える。宗雲はつい緩んでしまいそうになる口元を手で押さえた。
リビングのソファーに座りラウンジの雑務を片付けていると、スマホのメッセージアプリの通知音が響く。アプリを開くと、雨竜から今日のお礼が届いていた。雨竜が居なくなったあとの様子が気になったのか、直接的な言葉こそないものの、気になる様子が伝わってきて苦笑いする。
同じ家にいる戴天には聞かずにこちらに聞いてくる気持ちはなんとなく分かる。ひとまず、こちらは嬉しかったと伝えられたこと、ただそれを戴天がどう思っているかは分からないことを伝え、最後に家に帰った戴天の様子を聞いておいた。
しばらく既読が付かないのを見るに、雨竜も雨竜で忙しいのかもしれない。気にせずに汗を流すために風呂場へと向かう。
風呂から出てスマホを確認すると、雨竜からの返事が届いていた。戴天は雨竜が帰宅したときは余り元気がなく心配したが、話しているうちに笑顔になって楽しく過ごせたと言ってくれたらしい。楽しかったが本音かどうかはさておき、会いたくないと言われる最悪な状況は避けられたようだ。雨竜への返信を終え、宗雲はソファーに深く腰掛ける。
相変わらず雨竜は戴天の元で元気に過ごしているようだ。会うたびに成長を感じられて、その資格がないとしてもこれからも遠くから見守りたいと思う。そして戴天も。彼に関しては深く考えれば考えるほどあらゆる感情が湧き出てくる。過去には従兄弟、ライバル、相棒、友人、色々な関係をもって2人を現わせたように思う。しかし今はどれも違う。では何か?と問われると非常に難しい。無関係、そう答えるのが1番正しいのかも知れないとそう思っていた。
先日ひょんなことから戴天と勝負をした。実力が均衡している相手との勝つか負けるかの勝負。そしてライダーステーションで久しぶりに2人きりで拳を交えて感じたのは、対等であるのはやはり彼しかいない、という高揚だった。クラスの仲間とも弟とも異なる感情。アカデミー時代に幾度となく立ち向かってきた戴天の、そういうところが好ましいと思っていたことを久しぶりに思い出した。
そして同時に思い出したのは、お互いに望まない形での離別。今でもあの時の選択が間違いだとは思っていない。雨竜と戴天を危険な目に合わせるくらいなら自ら家を捨てる。何度繰り返してもきっと同じ選択をするだろう。例えそれが戴天に重責を背負わせることになっても。戴天ならこなしてみせるだろうという甘えと信頼があった。そんな別れ方をしたから、戴天から冷たい態度を取られることもあからさまな敵意も当然のことだと思っていたし、こちらからもそれなりに攻撃的な言葉を浴びせたこともある。今では高塔を探るために監視までしている。
これまでならそれで良いと思っていたが、心境が変化したのは、雨竜の発案で3人で食事に行ってからだ。
雨竜から3人で食事に行きたいと言われた時は驚いたが、宗雲にとっては断る理由も無かった。半ば強制的に戴天も来ざるを得ない状況にしたことは悪いとは思うが、そうでもしないと雨竜の願いは実現しなかっただろう。
その食事で思ったよりも円満に時間を過ごせたことで、宗雲が感じていた戴天に対する壁が思った以上に脆いことを知った。
そして先日、別れ際に見せた戴天の表情を見たときに、壁が音を立てて崩れていった。透明だが分厚いと思っていた壁が、少し体重をかけるだけでひび割れて行った気がしたのだ。その時に見た戴天の迷いを孕んだ縋るような目を思い出し、それは俺に向けて良い表情なのか?と問いそうになった口を咄嗟に飲み込んで正解だった。
打算も裏もないただ真っ直ぐな言葉に、戴天はあからさまに狼狽えていた。つまり戴天は、こちらが真摯に問いかければ必ず応えてくれる。高塔という家と戴天個人の感情の間にある隙を掴み取れば……。
そんなことを考えていると無意識にスマホに手が伸びていた。今を逃せば手をすり抜けて行きそうな焦りは、あと少しで真実を掴み取るときの高揚感と似ていた。
1年のうち、戴天に電話を掛けることは片手どころか1回あるかないかだ。登録している連絡先の中から戴天を見つけ出し、電話を掛けた。あとのことは戴天と己の話術に掛かっている。
コール音が2度、3度と流れたときプツ、と通話が繋がる音がした。
「珍しいですね。あなたから電話なんて」
「こんな時間にすまない。寝ていたか?」
「いえ、まだですが……何か?」
日付も変わってしまうような時間でも戴天は電話に出た。ほんの少しスマホを握る手に力が入ったのを自覚して、努めて冷静に切り出す。
「お前のスケジュールを押さえようと思ってな」
「は?」
「今度食事に行かないか?」
「……誘う相手を間違えていませんか?」
「間違えていない」
「はぁ……?」
戴天は突然の誘いに戸惑いを隠せないようだ。こちらの考えていることを知らない戴天にしてみれば、きっと今日の宗雲の言動は終始おかしなものだっただろう。
「俺と会うことはお前にとってもマイナスではないと思うが?」
「どういうことですか」
「会えば分かる」
「……ずるいですよ」
「そういうことだ。日程は」
「なんて勝手な。……空いている日は改めて連絡します」
「分かった。じゃあ、おやすみ」
「……おやすみなさい」
電話を切り、細く長く息を吐く。戴天が電話に出なければ、あるいは誘いを断られれば大人しく引き下がるつもりだった。でも戴天は電話に出て、誘いに応じた。多少強引に取り付けた予定ではあるが、ここまできて断るということは戴天はしないだろうという確信がある。
あとは戴天からの連絡を待つだけだ。スマホを伏せて、宗雲は目を閉じた。
次の日、出勤のための準備を終えたところにスマホにメッセージが届いた。スマホの画面を覗くと、戴天からだった。
「今週日曜日、19時」
相変わらず簡素なメッセージに、だらだらと長いやり取りを嫌う戴天に合わせて、こちらも簡潔にメッセージを送信する。
「中央駅でいいな」
「了解」
駆け引きは成功だ。仕事へ向かうために玄関を出た宗雲の足取りは軽やかだった。
駆け引き編
完