The ghost sleep somewhere 1 気が付くと、ラキオは部屋の真ん中で突っ立っていた。白い壁と青みがかったグレーの床。何の変哲もないごく一般的な居住船の一室だ。平凡なつくりの住居の中で、グリーゼでは滅多にお目にかかれないフードプリンターがキッチンカウンターの上を占領している。それを見てようやく、ラキオはここが自身の暮らしている家だという確信を得た。
己がどこにいるのかは分かった。問題はなぜ、今、自宅にいるのかということだ。今日は革命を成功に導くための足がかりとなるであろう重要な会談に出かけたはずだ。なのにどうしてここにいる? 少なくとも何かしらのトラブルが起きたことは間違いない。まずはレムナンにこのことを報告しなくては。
なにかあったときのためにレムナンは会談場所から近い建物で待機しているという話だった。今も同じ場所に留まっているのかまでは分からないが、少なくともまだ帰宅してはいないだろう。となれば通信で連絡を送らなければ。
意識を取り戻してからノンストップで頭を回転させ状況の整理に努めていたラキオは、早々に今自分がすべきことに結論を出すと、遠距離用の概念伝達装置がある自室へ向かおうと足を踏み出した。が、数歩歩いてすぐにピタリとその歩みを止めた。
たしかに床を踏んで前へと進んでいるはずなのに、足裏が地面と接触している感覚が脳に伝わってこないという初めて経験する違和感。確かめるようにその場で小さく足踏みをしてみても結果は変わらなかった。それどころかいつものヒールのついたブーツを履いているにも関わらず、踵が床を打つ音さえ全く耳に入ってこない。これはいよいよおかしい、とラキオは短めに整えられた眉の間に浅く皺を寄せた。
脳に異常が生じているのか、認識阻害電波の攻撃でも食らったのか、あるいは単に身体機能の部分麻痺により感覚が極端に鈍くなっているのか……。
考えられる可能性を脳内であげつつ、身体機能の異常レベルを確かめるため、自身の両手を握ったり閉じたりしていたラキオはとある事実に気が付いた。視界に入ってきたライムグリーンのネイルはラキオがアイデンティティのひとつとして普段から愛用しているもので、最近はようやっと自分の影響で少しは美意識が芽生えてきたと見えるレムナンも、なんだかラキオさんらしいですねと褒めてくれたお馴染みの色だ。
その見慣れた色で彩られた指先が透けて……目の前の景色が重なって見えていた。非現実的光景を目にしたことで、先程無意識のうちに弾いた可能性が、ラキオの中で一気に第一候補へと浮上した。
「あぁ……死んだのか、僕は」
【The ghost sleep somewhere】
人の死とはなんとも呆気ないものだ。他界してからも思考する能力が残されているのだとはじめから知っていたら、どうせなら人生で一度しか体験できない死の瞬間に魂が肉体から剥がされる感覚を存分に味わってみたかったし、その仕組みについて自論をまとめてから消滅したかった。なのに、どうして何も思い出せないのかとラキオは腹立たしげにため息を吐いた。
レムナンはまだ戻ってきていない。未だ通信連絡を取ることができずにいるから、今も現場の近くにいるのだろうか。もしくは既に他の隊員と合流して本部へと戻り今後の作戦を立て直しているのかもしれない。自分が消された後のレムナンが正常に物事を判断できるのかどうかは怪しいが……アレでも一応この僕がリーダーに任命した人物だ。司令塔が不在の時にこそしっかりしてもらわなければ困る。
口にこそあまり出さないが、結成から月日が経ちメンバーの増えてきた革命軍の中でも、ラキオが一等信頼の置ける存在として認識しているのは結成当初から変わりなくレムナンなのだ。肝心の本人は、リーダーを任命された時の動揺っぷりから見ても、どこまでその期待を分かっているのか分からないが。まぁ、自国民ばかりでまとめられた革命軍の中で唯一の移民という特殊な立場でありながら、彼なりによくやってくれているとは思うから、彼とてラキオから頼りにされているという自負くらいは持っていることだろう、きっと。
そんな彼と連絡が取れなかったのは、単にラキオが概念伝達装置に触れることが敵わなかったからである。いや、装置どころか地面に足音ひとつ立てることすらできない今のラキオには、机上に放置されていた空のカップを動かすことさえ不可能だった。家の管理と防犯を務める擬知体も家主であるはずのラキオの存在を認識できていないらしく、いくら話しかけても反応は返ってこない。これにはラキオもなかなかに屈辱的だという感覚を覚えた。時折、勝手に機嫌を損ねたレムナン——当人はラキオのせいで喧嘩になったと思っているらしい——が自分の呼び掛けを意図的に無視しようとするのは、心理面でこういったマイナス効果があると知っての攻撃だったのかと今更ながらに気が付く。もっとも、擬知体を比較対象とするには人がましすぎる彼のことだから、結局ラキオの声を無視し続けることなどできるはずもなく、数度目の呼び掛けで振り返り「……何か僕に用ですか」と機嫌の悪さを物語る平時よりも低い声で渋々返事をするまでが恒例の流れなのだけれど。
その後、ラキオは家中のあらゆるものに干渉しようと試みた。しかしながら、概念伝達装置に触れられなかったのと同じようにラキオの透ける指先はあらゆる物体を通り過ぎてしまい、試みは失敗に終わった。物理的に触れることができないのであれば、直接プログラムにアクセスし干渉することはできないだろうか、と脳から直接信号を送るイメージで、ラキオは先程自分の存在を無視した擬知体や、モニター、情報端末などあらゆる電化製品に意識を向けてみたもののなかなかそううまくはいかなかった。
正直手詰まりだと息を吐きながら窓の外へと目をやったラキオは、空を模した人工天井が青からオレンジ、そして夜を告げる深紫へとグラデーションを描いていく様を見て、今日という日が既に終わりを迎えかけていることに気付かされた。人工日光により明るさが保たれていた部屋の中もだんだんと暗さを帯びてくる。明かりをつけなきゃと日頃の習慣から自然な動作で入り口横の手動の方のスイッチに手をかざしてから、(あぁ、そういえば認識されないんだった)とすぐにその手を引っ込めようとしたラキオだったが——間も無くしてパッと室内に明るさが取り戻された。ラキオが視線を上にやると天井部に取り付けられた照明器具が明明と光を放っている。
「……偶然?」
たまたま波長が合って反応したのだろうか、と確かめるように何度かスイッチに手をかざしてみたところ、照明はラキオの手の動きに合わせて間違いなく消灯と点灯を繰り返してみせた。どうやら偶然というわけでもないらしい。
「ふむ……」
これをうまく利用すればレムナンに自身の存在を知らせることができるかもしれない。ラキオがそんなことを考えていると、はかったようなタイミングで玄関の方からロックの解除音が聞こえた。出迎えに行った擬知体と一言二言言葉を交わす声が聞こえたのち、スライド式のドアが持ち上がり、その向こうから見慣れた白い癖毛が現れた。D.Q.O.で出会った頃と比べれば随分マシになった筈の顔色が、今日は久しぶりに悪化しているように見える。
「どうしたンだいレムナン、冴えない顔をして。あぁ、僕が突然いなくなったことで混乱した隊員たちをまとめるのはさぞ骨が折れたことだろう? ご苦労様とでも言っておこうか」
「……」
当然のことながらラキオの声はレムナンの耳に届いていないようで、ラキオの横を素通りした彼はそのままリビングのソファへと力無くどさりと腰掛け、そのまま前のめりの格好で頭を抱えた。
「ラキオさん……」
どうやら相当まいっているらしい。このまましばらく彼の弱っている姿を観察しているのも面白そうではあるが、暴走して一人で特攻でも仕掛けられてはたまらない。普段はリーダーという肩書きを名乗らせるのが時折不安になるほど、発言一つするにしてもどこか自信なさげな物言いをするくせに、一度スイッチが入ると付き合いの長いラキオでさえ予想できない大胆な行動に出ることがあるのがこのレムナンという男だ。実際、これまで自分たちを敵視する対抗組織を執拗に追い込み、相手が降参するまでは決して許すことのなかったレムナンの恨み深い性質は仲間からも恐れられている。敵にまわすと厄介な相手だということは彼と共に生活を送る中でラキオ自身も幾度となく実感した。だからこそ、今の状態のレムナンをこのまま野放しにしておくのは、革命軍にとっても望ましいとは言えないワケだ。
ラキオはこの数時間の間に唯一取得できた動作、照明スイッチのオンオフでレムナンとの接触をはかることにした。突然、室内の明かりが落とされ、暗闇の中響いたガタリという物音から、驚いたレムナンが慌ててソファーから立ち上がった様子が伺える。実際、ラキオが再度照明のスイッチに触れ、明かりを戻したとき、レムナンは辺りを警戒するように厳しい表情で身を屈め、いつの間にか工具ポケットから取り出したドライバーとスパナを両の手に構えていた。全身の神経を研ぎ澄ませ、敵の奇襲に備えているレムナンの鋭い眼差しからは、彼がこの革命中くぐり抜けてきた数々の修羅場を彷彿させる。
国を相手どった『革命』という名の戦いを仕掛けたラキオとレムナンは、この数年間追われ、隠れ、襲撃を受け……と随分刺激的な生活を送ってきた。ふたりが今暮らしているこの家だって、協力者の名を借りて契約した何軒目かの隠れ家だ。危険が迫った時すぐ逃げ出せるように、を常に心がけているせいでふたりの家はいつまでも殺風景なままで、この家に移ってからは寝床すらもベッドひとつを分け合って寝ている始末だった。
警戒心を剝き出しにしているレムナンを落ち着かせるようにラキオは二度照明を点滅させた。
「……故障?」
「イイエ、電子回路二異常ハ見ラレマセン」
チカチカと明滅を繰り返す天井を見上げたレムナンの独り言にお節介な擬知体が勝手に返事を返した。その答えを受け、ますます理解しがたいとレムナンは怪訝な顔で問題の照明を見つめている。
「故障じゃないなら何なんですか。……誰かが干渉している?」
レムナンが再びこぼした独り言に擬知体が再び口を挟む前にラキオは彼の仮説を肯定するように一度照明を点滅させた。
「まさか……ラキオさん、なんですか……?」
信じられないといった様子で自分の名を呼んだレムナンを後押しするように再度照明が点滅する。
「えっ⁉ あの、どういう……えぇっ! ほ、本当にラキオさん、なんですか……っ⁈」
取り乱した結果片手から取り落としたスパナを右足の上に落下させたレムナンは、くぐもった悲鳴と共にしゃがみこんだ。その間抜けな様子を見て「さっきまでの凛々しい戦闘モードはなんだったのさ!」とあまりのギャップの酷さからラキオは遠慮なしに笑い声をあげている。もし、本人が聞いていたら長い前髪の下から覗く紫の瞳を鈍く光らせて、恨めし気に睨んでくるに違いないが、相手に声も姿も感知されていない今ならこれくらいのことは許されるだろう。
ひとしきりレムナンが右足の小指を襲った悲劇に悶え苦しみ、ラキオがそれを見て笑い疲れた頃、ようやくレムナンが再び口を開いた。
「ラキオさん。はいなら一度、いいえなら二度。明かりを、点滅させてください。……できますか?」
勿論とでもいうようにパッと部屋の電気が一瞬消え、またすぐに戻った。
「貴方は今、自分がどこにいるか分かりますか」
今度は二度続けて照明が明滅する。つまり、彼自身今の状況を把握できていないということだ。
「貴方がひとりであの建物に入館してしばらく経ってから、会談相手の方から本部宛てに連絡があったんです。貴方が突然いなくなったと」
「僕は……いえ、僕達、は、消えたと連絡を受けてからの貴方の消息を未だ掴めていません」
部屋に沈黙が満ちる。普段会話の主導権を握っているラキオがいないと静寂に包まれる回数も自ずと増えるというものだ。
「こんなこと、行方不明になっている本人に頼むのはおかしいって、分かってます。でも、でも僕はなんとしても、どんな手段を使ってでも、貴方を見つけ出したい……と思っています。だから、僕に力を、知恵を貸してください、ラキオさん——!」
少し間が開いたのち、一度明かりが落ち、そして再び光を灯した。先ほどの回答の時とは違い、少しもったいぶるような点滅の仕方をしてみせた照明を見て、やれやれ仕方ないなというラキオの声が聞こえてくるようだとレムナンは控えめに笑みを作った。
「ありがとうございます。じゃあ僕、まずは少し作業をしたいので……ラキオさんはここで待っていてください。たぶん2時間……いや1時間半もしないうちに終わると思うので」
そう言い残したレムナンはラキオの返事も待たずさっさと共用部から退室し、ふたりが研究室兼作業部屋として使用している一室へと消えていった。彼があそこに籠るときは大体リサイクルショップやごみ置き場で手に入れてきたガラクタをバラして直してみたり、それらを組み合わせてレトロモデルベースの小型ロボットをオリジナルデザインにカスタムしてみたり……と、ラキオにとっては理解しがたい懐古趣味に耽っていることがほとんどだったが、流石にこの非常事態に趣味の機械いじりにいそしむほど彼とて酔狂ではないだろう。ここは優秀なメカニックとしての技能を有しているレムナンの判断を信じて待つことにしよう。そう決めたラキオは、照明のスイッチ前から離れると先ほどまでレムナンがいたソファへと腰掛け——感覚こそないが一応座る体制を取ることはできた——彼が戻るまでの暫しの間、思索にふけることにしたのだった。
レムナンがラキオの待つ部屋へと戻ってきたのは彼が部屋を出て行ってから58分後のことだった。予告していた時間よりも随分早い。レムナンは胸の前に両腕で抱えるようにして運んできたふたつの何かをソファ前に設置しているテーブルの上にそっと置いた。ひとつは鳥型の機械だ。ラキオの両手を広げた程度のサイズしかないそのコンパクトな鳥は、一見動物型の擬知体のようにも見えるが、それにしてはデザインが古いし見たことがない型をしている。そしてもう一つはキーボード。誕生した頃には既に意識入力と音声入力が主流となっていた世界で生きてきたラキオにとって、これもまた実物を見るのは初めてのものだった。初期に流行った押し込みボタン式でなく、後期に流通していたキーパネル式を採用しているようだ。
これらを使って一体何をしようと言うのか。相手から見えていないと分かってはいながらも、ラキオは説明を促すようにレムナンの顔を見つめた。
「えぇと……これは僕が趣味で買い取った地球の古いおもちゃで……ラジコンといいます。鳥の形をしているので、動物型の擬知体と似て見えるかもしれませんが、これ自体に知能やプログラムは入っていないし、自動では動きません。ただ、電波を送ればその通りに動かすことができます。それで、ラキオさんは照明に干渉できるようでしたので、それを応用してこっちのキーボードで入力した内容をラジコン側で出力できるよう手を加えてみました。あの……じゃあ試しになにか、入力してみてもらえますか」
ラキオがキーボードの上で指を動かすと、それに合わせて口をパカパカと動かした鳥が嘴の間から機械音声を紡ぎ出した。
『どうせならこんなガラクタじゃなくてメインモニターか端末にアクセスできるようにしてよ』
愛らしいおもちゃの口から発された第一声にしてはなんとも棘のある言葉だ。逆に考えれば、その歯に衣着せぬ物言いこそが今ここにいるのがラキオに他ならないことを証明しているとも言える。
「そのかわいげのなさ、ラキオさんで間違いないみたいですね。よかった」
『なにがいいもンかい。何一つ問題は解決してないよ』
「それもそうですね。こうして意思疎通ができるようになっただけ事態は好転したと思いますけど」
『やっと議論のスタート地点に立てたというだけのことだろう。で、さっきも聞いたけど僕の意識を端末に繋ぐことはできないの?』
「難しい、と思います。というかラキオさんのことですからもう自分で試したんでしょう? それで駄目だったから何故か唯一干渉できた照明のスイッチで僕とコンタクトを取ろうとした。……違いますか」
『……ご明察の通りだよ。未だに理由が分からないんだよね、どうして照明のスイッチだけが僕のことを感知できたのか』
鳥の通訳を通じて伝えられたラキオの疑問を聞いたレムナンは、意外そうに首を傾げた。
「ラキオさんこの家に越してきたときのこと忘れちゃいました? 備え付けの照明が故障してるって、引っ越し初日から随分ご立腹だったじゃないですか」
それを聞いてラキオはその日のことを思い出した。そうだ、別人の名を借りて契約するのに書類審査と身辺調査の甘い物件を選んだおかげで、備品管理の面でもゆるゆるな住まいを掴まされたんだった。
「ついてた照明が役に立たないっていうんで、僕が急遽リサイクルショップで手に入れてきた旧世代型の照明を慌てて取り付けたんですよ。結局買い替える暇もなく、今まで使い続けてきたわけですが」
『じゃあ何? つまり、僕が今動かせるのは君が大好きなレトロメカだけってワケ?』
「まぁ、ざっくり言うとそんな感じじゃないでしょうか……たぶん」
理由は聞かないでくださいね、僕だって今は余裕がないんですよと付け加えるレムナンにこれ以上の説明を求めても無駄か……とラキオは次々と湧き上がる自身の中の疑問を一旦は押さえつけるように嘆息した。
『……気を取り直してまずは状況整理といこうか』