飛んでかないように 国内トップのエスカレーター式教育機関の高等部。その中でも一握りの成績優秀者にだけ与えられた貴重な社会見学の機会。
そういった名目でラキオとそのほか十数名の生徒がある日教師に連れてこられたのは、テラフォーミング計画で使用されているロケットの発射場だった。管理首輪で抵抗の意思すら奪われた、グリーゼから不要の烙印を押された国民たちがタラップを上り順に乗り込んでいくところを、生徒たちは管理塔の覗き窓から黙って見送る。彼らが着せられた何の装飾もない揃いの白い簡素な服がまるで死に装束のようで不気味だなと、過去文献で知った他星の葬儀の様子を思い出しながら、ラキオもその現実味に欠けた光景をどこか他人事のように眺めていた。今回打ち上げ対象として選定された人間の多くは肉塊市民だが、それ以外の階級の者も少数ながら混じっているらしい。国産の最新ロケット技術の素晴らしさや、各地で進行中のパラテラフォーミング計画の実現性について先程から熱心に概念伝達装置を通じて語りかけてくる職員の解説を適当に聞き流している中で、ラキオは小さく「あ」と声をあげた。覗き窓の向こう、だんだんと短くなっていくロケットまで伸びる列の後方部に見慣れた人物を見つけたからだ。
向こうがラキオのことをどう思っていたのかは知らないが、ラキオからすると関係性に名をつけるほどの仲でもない、平凡ないち同級生だ。ただ、他の同級生に比べると、彼はラキオに対してやけに友好的な態度を取ってきた。一度授業で出されたレポート課題に詰まって隣の席でうんうん唸りをあげながら頭を抱えている姿が見るに堪えなくて、横からたった一言助言をしてやっただけで、彼は簡単にラキオに心を開いてしまった。自分より数段能力の劣る同世代の人間との交流から得られるものがあるとは到底思えず、その後ことあるごとに絡んでくるようになった彼をラキオは鬱陶しく思い、あけすけなく本人にもそれを伝えていたが、それでもなんだかんだふたりの縁は切れることがなかった。
万能でも有能でもなかったが、同じ学校の同じクラスに在籍している時点で無能と呼んで切り捨てるには惜しい存在。そんな彼と二年間同じクラスで教育を受けてきた。その男が今、死への階段を何の抵抗も無しに上っていく様をラキオはただ見届けるしかなかった。
(そうか。……選ばれてしまったのか)
打ち上げの対象者に年齢制限はない。当然、成人前の学生でも、グリーゼにとって無価値または都合の悪い存在だとお上から認定されてしまえば、簡単にこの地から追放されてしまう。それがこの国のやり方だ。分かっていた。実際、同級生の数は入学時から自然と右下がりのグラフを描いていることをラキオはずっと前から知っている。ただ、他の存在よりも少々身近な、それこそときに雑談をする程度には交流のあった相手が飛び立つ瞬間に居合わせることになるのは、流石に居心地が悪かった。こういうとき、どういう顔で見送るのが正しいのだろうとも考えたが、ラキオ自身もそのまわりの見学者たちも、誰もその答えを持ち合わせてはいなかった。
タラップの最後の一段に足をかけた彼が突然何かに気付いたかのように後ろを振り返った。その眼差しはラキオたちの立っている管理塔の方に向けられている。ラキオは厚いガラス越しに彼と目が合ったような気がした。彼の口が動く。
「 。」
ラキオがその内容を推察する前に彼はあっさりと前の人間に続いてロケットの中へと吸い込まれていった。自分以外に彼の存在に気付いた者はいたのだろうか、とラキオは周囲の人間の様子を伺ってみたが、生徒も教師も職員も、全員が先程となにも変わってやしなかった。それどころか、数名の生徒が点数稼ぎのためか熱心に職員に対し質問をしている。どこまでも場違いで、他人事だ。優秀な選ばれし自分たちは生涯あのタラップを上ることはないと信じている。そんな彼らをラキオは鼻で笑った。
ロケットの打ち上げ自体はあっけなく終わった。グリーゼの確かな技術力で開発されたロケットの打ち上げに失敗などありえない。ボタンを押せばその対象は確実に目的の未開拓地まで飛ぶのだ。そして、そこに行きついた元国民たちは環境に適用できず、与えられたタスクをこなす前にあっさり死んでいくのだろう。
他に頼りにできるエネルギー資源もない、グリーゼの発展と繁栄のためには仕方のないことだと目を瞑ってきた現実を突然、目の前に突き出されたような感覚だった。彼が最後、何を訴えたのか。恨み言か、別れの挨拶か、はたまた激励の言葉か。ラキオには知る術がない。発射音と煙の匂い。それに最後に見た彼の顔がラキオの脳裏に強く焼き付いた。その晩、ラキオははじめて悪夢を見た。
「——オさん。ラキオさん」
誰かに身体を揺すられてラキオの意識は浮上した。懐かしくて、嫌な夢を見た気がする。
おかしな体勢で眠っていたせいで身体が痛い。凝り固まった首をコキリと一度鳴らしてから、ラキオは目蓋を持ち上げた。寝起きの目を焼く室内灯の明かりが眩しくて、ラキオは再び顔をしかめた。ラキオを起こした人物はベッドの上で身体を起こし、ラキオの挙動を見守っている。明順応が起こるまでまだ数十秒の時間を要するらしい自身の明るすぎる視界を一旦遮ろうと、ラキオは顔の前に片手を掲げようとしたが、重みのある障害物がその行動を阻んだ。おや、と思い視線を落とした先で、自分の右手が目の前の患者の右手を掴んでいるのを見て、そういえば脈を確認しているうちに寝てしまったんだったとラキオは昨晩の記憶を取り戻した。
「おはようレムナン。調子はどうだい」
ラキオの問いかけを受けたレムナンは、動きを確かめるように何度か左手をグーパーと動かしたのち「異常ないです」と返答した。頭に残る包帯が痛々しいが、本人はすっかり元気なつもりでいるらしい。
「あの……僕ってもしかして危なかったですか」
「もしかしなくても危うかったよ。どこまで覚えてるのか分からないけど、よりによって頭に銃弾を食らったンだ。しかもその後も拠点に戻るまで君は決して足を止めなかった。たいした根性だよ」
「だって、ラキオさんを無事に帰すまでは倒れるわけにはいかないと思ったので……」
ぽりぽりと頬を掻く様子はのんきなものだ。とてもこの数日間生死の境を彷徨っていた人物とは思えない。人の気も知らないで、と苛立ちを込めてラキオは掴んだままの彼の右手に軽く爪を立てた。
「まずは君の功績を称えようか。想定外の襲撃にも関わらず、混乱のさなか、よく僕を守り抜いてくれたね」
「いえ……」
「さて、ここでクイズだ。君が今後、似たような事態に出くわしたとする。味方とはぐれ、こちらは君と僕のふたりきり。対して相手は複数の無人戦闘機で僕たちを追跡している。この状況で君が優先すべき事項は?」
突然の出題にレムナンはやや面食らった様子だったが、急に出されるラキオのロジカルクイズは今に始まったことではない。この数年誰よりも多く、その回答者に選ばれてきた彼は少し間を置いた後、真面目な顔でその問いに答えた。
「……もちろん貴方を守ることです」
「うん。半分正解で半分不正解だ」
「え?」
何が間違っているのか分からないと困惑顔を作るレムナンを、出題者であるラキオはビシッと指差しその理由を指摘した。
「君が生存することも最優先事項だ」
「え?」
「もちろん僕を守ることも君に課せられた任務のうちだ、これからもその働きには期待しているよ。ただ僕は君に『僕を守れ』とは言ったけれど『僕を守る肉壁となり死ね』と命じたことは一度もないはずだよ。ねぇ」
「はぁ……」
相変わらずいまいちピンと来ていない様子のレムナンに言い聞かせるように、ラキオは繋いだままの手に力を込めた。あたたかく、かさついている。生を感じる他人の身体だ。
「……勝手に、ひとりで死なないでくれ。君は、僕と一緒にこの世界で生き延びるンだ」
右手から伝わる温度と、真っ直ぐ自分を射抜く強い眼差しにレムナンは思わず息を吞んだ。光の加減で青にも緑にも見える不思議な瞳には、もう後悔はしたくないのだというラキオの強い思念が宿っているように見えた。それを見て、レムナンは過去に一度だけ、ラキオが語ってくれた消えた同級生の話を思い出す。ラキオは彼が最後に残した言葉はきっと傍観者になることしかできなかった自分を罵るものだろうと自嘲していたが、レムナンはそうとは思えなかった。もし、自分が彼だったなら、最後の最後に一番親しくしていた相手を一目見て、何を、思うだろうか。——生きていてほしいと相手の無事を願うのではないだろうか。……もしくは、相手が優秀な、それでいてグリーゼの中ではお節介の部類に入る変わり者だと彼が理解していたのなら、この国を変えてほしいと、一縷の望みを託したのではないだろうか。本人不在である以上、真実は闇の中だけれど、この革命が為されたとき、僕の勝手な見解をこの人に伝えるのもいいかもしれないと、レムナンは個人的な目標を心の中に掲げた。
「……はい。いっしょに、新しい世界を歩きましょう」
レムナンの返事に満足したように微笑をフッと唇のふちに浮かべたラキオは、軋んだ音を立てる座り心地の悪い簡易椅子から腰をあげて、レムナンのいるベッドの縁へと座り直した。
「ちょっと詰めてくれない? ふぁぁ……」
「え、あ、ちょっと! こ、ここで寝る気ですか……⁉」
「いいだろう、少しくらい。限界なンだ。しばらく、まともな睡眠を……とれていなかった……から……」
そう言い終えるや否や、レムナンの許しを得る前にベッドの上で横になったラキオはすぅすぅと穏やかな寝息を立てていた。レムナンは先程までわたわたと動かしていた行き場のなくなった片手で、その寝顔にかかる髪の毛をそっとはらった。先程は気が付かなかったが、近くで見てみるとたしかにうっすらと目の下に隈があるのが確認できた。医療ポッドを自由に使えない立場である以上、施術後もずっと側で経過を見守ってくれていたのだろう。自分が逆の立場になったときのことを想像すると胸が痛くなる。ようやっと理解の追い付いたレムナンの中で、ラキオが先程残した言葉が、急激に重みを増して心の奥深くへと溶けていった。
「死なせないし……死にませんから、ね」
未だ繋がれたままの右手がまるで互いの命綱のようで、決して離すまいとレムナンはそれを強く握りしめた。