The ghost sleep somewhere 3(終) レムナンの仕入れた情報によれば、医療船で働いている者の数は人間、擬知体双方とも夜より昼の方が圧倒的に多い。そこで朝に比べると警備も手薄な夜勤組の出勤時間を狙って、レムナンも潜り込むことにした。流石に病院内で鳥のラジコンを好き勝手に喋らせるわけにもいかないので、ラキオの手で入力された内容は無線イヤホンを介して音声データとなりレムナンに届くという外仕様に変更された。出力側を変えたついでに入力側のデバイスも、レムナンが持っているのを横からラキオが入力しても周囲から見て違和感が少ないよう、旧式の携帯ゲームパッドに取り替えられた。傍から見れば職場にまで趣味を持ち込んでいるゲームフリークにしか見えないだろう。ラキオはレムナンの説明を聞いてそれでいいのかとツッコみたい気持ちに駆られたものの、自分の発言手段を奪われてはかなわないので大人しくそれらの変更を受け入れた。
ぴっちり真ん中分けした髪の毛に伊達眼鏡、そして白衣という出で立ちで他の職員たちに紛れ込んだレムナンが、緊張を心の内に押し隠しながら職員入口へと向かっていく。今のところまわりの人間に怪しまれてはいないようだ。前の同僚の仕草を真似て、入館証をかざしたレムナンは誰に呼び止められるでもなく、案外あっさりと入り口を突破した。
『第一関門突破だね』
片耳に潜ませたイヤホンに届いたラキオからのメッセージを聞き、レムナンは緊張で強張っていた表情をわずかに緩ませた。
「油断せず目的地まで頑張ります」
『そうして』
持ち前のステルス能力を駆使して何気ない顔でエレベーターに乗り込み、無事目的の6階へとたどり着いたレムナンはターゲットの待つ一番東の部屋の前に立つと、気持ちを落ち着かせるようにひとつ深呼吸をした。ドアに耳をあて、中の様子を伺うが人の気配はない。侵入するなら今しかない、とレムナンは迷うことなくその身をドアの向こうへ滑り込ませた。
「うわ……なんだか、すごい部屋……ですね」
『僕も中に入るのは初めてだけど、思っていたより管理ポッドの数が多いんだね』
部屋の中に寝かされたポッドの数は15個。そのどれもが稼働中のようだ。かつては複数回コールドスリープを繰り返しながら深宇宙で暮らしていた経験のあるレムナンにとってスリープポッドは身近なものではあるが、そんなレムナンからしてもこの数のポッドが一堂に集められている光景はなかなかに壮観だった。
早速ラキオの身体を見つけ出そうと二人は手前側と奥側からとで別れてラキオが入っているポッドを探したが、先にその姿を見つけたのはレムナンの方だった。
「いました! こっちです」
レムナンに呼ばれ、奥の右から三番目のポッドの前へと近寄ったラキオは、たしかにそこにあるのがよく見知った自分の顔であることをポッド上部についている丸窓から確認した。
『間違いないね。……おや』
覗き窓の下、仮死状態の身体の管理状況と健康状態を示す画面の最上部に『day2 バイタルサイン:正常』と表示されているのを見てラキオは目を見張った。
『……生きてる?』
「はい。生きてますよラキオさん」
『……本当にコールドスリープしてただけってこと?』
「はい。解凍すれば元の身体に戻れますよ」
ラキオが自身の置かれているであろう状況について説明したとき、レムナンは諦め悪くまだ完全には信じていないようだったが、ラキオ自身はもうとっくに自分の命は尽きているだろうと覚悟を決めていた。それゆえに「やっぱり生きていましたよ」と自分の肉体を動かぬ証拠として提示されたラキオは、どう反応を返すのが正解か分からず、珍しく咄嗟に返事を返すことができなかった。結局、ラキオが適切な言葉を探し出すよりも、にやりと笑ったレムナンが言葉を重ねる方がいくらか早かった。
「賭けは僕の勝ちですね、ラキオさん」
あぁ、腹の立つ顔をしている、とラキオはひくりと口を引き攣らせた。珍しく時間ができたからと、レムナンがハマっていたゲームの対戦相手になってやった自分を手加減なしにボコボコに負かしてきたときと同じ顔だ。今、君に触れられるなら、珍しく丸出しになっている無防備な額を思い切りはたいてやるのに。
『君と勝負なンてしていた覚えはないよ』
「僕は貴方が絶対に生きていると信じていました。だから、僕の勝ちです。そう簡単に死なせませんよ」
『……君が敵側の人間じゃなくてよかったとつくづく思うよ』
そう言いつつも、レムナンの執着心は敵を追い詰めるときだけでなく、味方に対しても発揮されるのか……と、普段家では腑抜けた顔ばかり見せている彼が隠し持っている計り知れない執念深さを再認識させられたような気持ちで、ラキオは目を伏せながら彼と揃いのチップが埋め込まれた耳たぶに指先で触れた。
それから、ふたりはポッド側面に設けられた急速解凍ボタンを押して、機能を停止しているラキオの身体が再び活動を再開させるのを待った。あと30分もあれば準備は整うだろう。
『……あのとき、君には僕の死を信じるも信じないも自由だなンて言ったけれど、実際のところ一番生にしがみついていたのは僕だったのかもしれないね』
「え?」
『コールドスリープ中に意識だけが肉体を離れて他者と接触するなンて事象、これまで聞いたことがない。仮死状態とはいえ肉体は生きているンだ。ということはつまり生き霊のようなものだろう?』
「僕はラキオさんに憑かれていた……ってことですか」
『憑りつく相手に選ばれて光栄だろう? 喜びなよ』
「ふふ、そう……ですね。無意識でも僕を頼って家に戻ってきてくれたのは、嬉しかったです」
『……まったく、冗談が通じないな君は』
レムナンの反応を見て、呆れた様子でやれやれと首を左右に振ったラキオだったが、実際彼の言うことは当たっていて、自身の危機を察知したラキオの意識は自然とレムナンを頼りにして自宅へと引き戻されたのだ。
最も安全な場所としてふたりで暮らしている家を意図せず避難場所に選ぶくらいには、革命軍の活動を抜きにしても、どうやら僕は自分で思っているよりレムナンのことを信用しているらしい。まさかこの国で自分以外の誰かを頼りにする日が来るだなんて、そう思うとなんだか胸が苦しいような、じっとしていられないような……なんとも面映ゆい気持ちがラキオを襲った。
「それにしても、結局Bの目的は何だったんでしょう? ラキオさんをこうして生かしているというのはどういう……」
『それについては既に検討がついているよ。僕らの立てた仮説がまるっと逆だったのさ』
「逆?」
当初、Bの目的は証拠データの消滅だとラキオ達は想定していた。だが、証拠データの消滅を願っていたのはAの方だった。BはA達がはじめから呼び出したラキオをデータごと消してしまうつもりであることを知り、その前にデータを横取りし独占することで自分の手柄をあげようとした。けれど、思っていたよりも早く騒ぎが大きくなってしまったために、捜索と取り調べが落ち着いて自分が自由に動けるようになるまでの間、ひとまずラキオをコールドスリープ室へと放り込んだ——。
『こンなところじゃない?』
「や……やっぱり罠だったじゃないですか‼」
『う……っるさいなぁ! 急に大きな声出さないでくれる? 一応潜入中だってこと忘れたの?』
「だって、たまたま運がよかったってだけで、本当に、本当に危なかったじゃないですか……! もう……ほんと、勘弁してくださいよ」
『分かった分かった。君の意見を聞く時間は後日もうけるから今はやめてくれない? お小言なンて本当は一言たりとも聞きたくはないけど……今回の功労者は君だしね。一応耳を貸してあげようじゃないか』
あくまでも自分は悪くないという態度を崩さないラキオに、一度しっかり危機管理と自己防衛について教え込む必要があるな……とレムナンはため息を吐いた。
そうこうしているうちにあっという間に30分が経過しようとしていた。もう間もなくラキオの肉体は活動を再開し、それと共に今独立して動いている意識の方も自然と元の器に戻るだろう。ラキオの意識が戻ったら、入院患者を装って車椅子にでも乗せて出口まで連れていこうか。それともいっそストレッチャーを借りて……などと、レムナンがこの後の脱出プランについて考えていたところ、突然入口のドアが開く音がした。
「……っ‼」
レムナンは慌てて物音を立てぬよう、素早く移動し最奥のポッドと壁の間にあるわずかな隙間に身体を滑り込ませた。反射的に身を潜めたあとで、現在の自分の恰好を見下ろして、隠れるよりもここの関係者として堂々と振舞った方がよかったのではないか、とレムナンは自身の判断ミスを悔いたが、結果として彼の選択は正しかった。
突如部屋に入ってきた人物は一応上から白衣を纏ってはいたが、その下から覗く服装は中央政府職員の白い制服だった。
(この男……Bだ!)
今すぐにでも掴みかかりたい気持ちをぐっとこらえ、レムナンがポッドの陰からそっと男の出方を伺っていると、彼は迷いない足取りで奥の右から三番目のポッド……つまりラキオが入っている容れ物の前で立ち止まった。ポッドを操作しようとしていた手が止まり、おかしいなと首を傾げているのが分かる。それはそうだ、レムナンの手により既に急速解凍を済ませているポッドのモニターには今頃『解凍完了』の文字が表示されているはずだ。心当たりのない男が戸惑うのも無理はない。
「よくも僕の身体を勝手にコールドスリープしてくれたね」
「⁉」
突如部屋に響いた声を耳にして、レムナンの唇がひとりでに弧を描く。ポッド越しのために多少くぐもってはいるものの、その声は間違いなくレムナンのよく知るあの人の声だった。
さぁ、我らが司令のお目覚めだ。
「な、なに……っ⁉」
「おやおや、偉大なる政府職員ともあろうお方がおはようの挨拶ひとつできないのかい? 気が利かないね」
内側から蓋を開け、白い煙の中から現れたラキオは寝ていた身体を起こして、うぅんとひとつ伸びをしてみせた。
「さて……君の狙いを当ててあげようか。僕らの握っていた不正の証拠データが欲しかったんだろう? これを使って同僚……もしくは上官かな? 彼らの弱みを握って昇格の交渉でもするつもりだった? それとも何かな。生きたまま脳の情報抽出まで行うつもりだった? やめてよね、脳細胞破壊のリスクが高過ぎて僕の優秀な脳みそがこの先使い物にならなくなったらどうしてくれるのさ」
自分が攫ってきた反政府組織の人質……と言えなくもない立場の若者に、そんなことをつらつらとまくし立てられて、圧倒されたBはポカンと口を開けて固まっている。
「まぁいい。組織の意向に従わなかった君を手土産に、僕らは再度取引を持ち掛けさせてもらうまでさ。利用させてくれて、どうもありがとう」
感謝の気持ちなど1ミリもこもっていなそうな声で礼を述べるラキオの満面の笑みを見て、ようやく現在の自分が置かれた状況のまずさを理解したのか、我に返った男は即座にその場から逃げ出そうとした。
「逃がさないよ」
「⁉」
ラキオの声が聞こえるのが早いか、首を締め上げられるのが早いか。いつの間にか自分の背後をとった第三者の正体を知ることのないまま、男は気を失った。
「ハハッ、お見事!」
「あまり相手を煽らないでくださいよラキオさん。逆上して襲われたらどうするんですか」
「君がこの場にいるのにそンな心配する必要ないだろう?」
「もう……ほどほどにしてくださいよ」
職員に見つかれば公文書偽造罪、侵入罪など複数の罪で訴えられること間違いなしのレムナンを先に撤収させた後、何食わぬ顔で廊下を通りがかったドクターを呼び止め「誘拐されていたから保護してほしい」とラキオが告げると、院内はあっという間に大騒ぎになった。騒ぎを聞きつけたAの部下たちがあとのことはこちらに任せてくれと青い顔をして自分と気絶したままのBを慌てて引き取りにきた様子は実に愉快だったよ、とのちにラキオは語った。
結局、証拠不十分で当初のA側の目論見は明らかにされなかったものの「不義理を働いた君たちのお仲間を被害者である僕自らの手で捕まえ、彼が独占しようとしていた証拠データも護持してあげたンだ。当然そのお礼としてそれなりの対価は払ってもらうよ」というラキオの主張が通ったことを考えると、医療待機室でラキオが語った推論は大方当たっていたのだろう。
かくして、当初の目的であった『灰質市民の移動制限の撤廃』『打ち上げ処分対象年齢の大幅な引き上げ』という二つの条件を見事達成し、リーダーに抱きかかえられながら帰還した司令の姿を見て、革命軍のメンバーは多いに湧いた。
「足が痛い……」
「そりゃあそうですよ。コールドスリープ明けだっていうのにヒールで歩いたりなんかするから」
「だって、これから圧をかけてできるだけ有利な条件で契約を結ばなきゃいけない、ってときに自分だけ車椅子に座ったまま契約書にサインするなンて恰好つかないじゃないか」
「なにもそんな部分で恰好つけなくたっていいでしょうに……」
はい、終わりましたよというレムナンの合図でラキオが視線を下に向けると、寝間着のショートパンツから伸びる足には痛み止めの貼り薬が何枚か貼りつけられていた。ベッドに浅く腰掛けた状態で、白い足をプラプラと揺らしているラキオの元にすぐ戻ってきたレムナンは、サプリと水の入ったコップを黙って差し出した。ラキオも何も言わず至極当然と言わんばかりにそれらを口に含み飲み込んだ。そこには1ミリの疑いもないように見える。
「ラキオさん」
「なに?」
「もういいですか?」
「……何が?」
「あの、……リーダーとしてではなく、ただの僕としてあなたにおかえりを言っても、許されるでしょうか……?」
なにか後ろめたいことを申告でもするように眉をさげ、よく分からないことを言う目の前の同居人に、ラキオは「好きにすればいいンじゃない?」と言葉を返しながら、まだ三分の一ほど中身が残っているガラスコップをサイドテーブルへと置き、彼の方へと向き直った。
「ん」
ラキオが自由になった両手を広げたのを合図に、レムナンは上から覆いかぶさるようにして、自分よりいくらか小さいその背中に両腕をまわした。
「……心配、しました。本当に」
「うん」
「絶対に大丈夫だと、信じていましたけど……。でも、やっぱり、こ、怖かったです」
「うん」
「……おかえりなさい、ラキオさん」
「ただいま、レムナン」
ふたりで、この国での暮らしをはじめてからもう随分経った。はじめの頃こそ、朝起きたとき、どちらかが家を先に出るとき、帰宅したとき、夜眠るとき——そんな生活の合間合間に挟まれる挨拶が、自分がこれまで送ってきた人生からすると不自然で、違和感しかなくて、多少の煩わしささえ感じることもあったけれど。窮地を脱した後に、こうして一切の警戒をほどいて挨拶を言い合える相手がいるというのは、そう悪くないな。
グズグズと鼻を鳴らしながら号泣しているレムナンの重い頭を肩で受け止めながら、ラキオは心の内でそんなことを考えた。普段忙しなく働かしている頭ではなく心で。理屈ではなく感情の面で。今間違いなく自分は安心している。今回の一件を受け、ラキオの中では新たな気持ちが芽生えようとしていた。
「あぁもう。せっかくシャワーを浴びて着替えたのに、君のせいで服が濡れたじゃないか。涙や鼻水をみっともなく人前で晒すのは君の勝手だけど、それを僕の服で拭うのはよしてよ、気持ち悪いだろう」
「あ……す、すみません」
「ほら、タオル」
「あ、りがとうございます……」
先ほどまでレムナンが顔を埋めていたラキオの左肩は、本人が主張した通り、濡れてそこだけ色が変わっている。それを見たレムナンはばつが悪そうにタオルで目から下を隠しながら、ぼそぼそとした声で謝罪の言葉を述べた。
「すみませんラキオさん……あの、僕、少し感情的になってしまって……。い、勢いで抱きしめたりして、あの、気持ち悪い思いをさせて……す、すみませんでした」
「は? ……また君はなにか面倒な早とちりをしているね」
「え?」
「僕が気持ち悪いと言ったのは、意図せぬ形で自分の服が濡らされることに対してであって……君と接触すること自体に不快感は感じてないよ」
「え?」
「感動のハグなりなんなり、君の気が済むまで好きにすればいいンじゃない?」
「……えっ⁉」
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ラキオの幽霊騒動から更に数年後。あの時もぎとった契約で勢いづいた革命軍は順調に賛同者を増やしていき——見事、これまでのグリーゼの在り方を根本から変える改革を成し遂げることに成功した。
「というわけでレムナン。革命も一段落したンだ。ここらでいい加減はっきりさせておこうじゃないか」
「え? 何を……ですか?」
「君、僕のこと恋愛対象として好きだろう?」
一難去ってまた一難とはこのことか。今ここにレムナンの新たなる受難が幕を開けようとしていた。