No problem but it's so... 週に一度、気分が乗ったときには週に二度。夜時間のうち一時間ほど、ラキオはレムナンの横でコントローラーを握る。元はシャワー上がりに火照る身体を冷ます間、暇つぶしにとレムナンがプレイするゲーム画面を見ているだけだったはずが、ラキオが興味を持ったと勘違いをしたレムナンに「少しだけやってみますか」とそそのかされ、いつの間にか協力プレイの頭数にまで入れられていた。
しげみちやジョナスほどではないにしろ、そこそこのゲームフリークと呼べるレムナンは、ひとりで黙々とやり込むことが好きなのかと思い込んでいたが、誰かと一緒に遊ぶことも嫌いではないらしい。はじめて持たされた数世代前のコントローラーに対し「何これ。重たいしスティックの可動域も狭いし、操作性最悪じゃないか」などと早速文句をつけているラキオを前にしても、レムナンはそれを咎めるでもなくどこか嬉し気に遊び方を教えていた。
「投てきの勢いが強すぎるってば! ほら見ろ、天井に突き刺さっちゃったじゃないか」
「ラキオさんが大ジャンプしなかったらちょうど足場に乗れてたんですよ」
「それならそうと先に言っておいてよ、この言葉足らず」
今日も今日とて、ふたりは揃いのコントローラーを握って、共に夜時間を過ごしていた。彼らの前に投影されているのは物理演算パズル。二人で協力し、各ステージの条件をクリアしてゴールを目指すタイプのミニゲームだ。この手のゲームにありがちなことだが、先のステージに進むにつれ難易度は上がり、答えを導くまでの閃き以上にプレイヤー同士での息の合ったプレイングが求められる。全50面のうちの第37のステージへと到達したふたりもまさにその壁にぶつかっていたところであった。
「ラキオさんの方こそ、最短経路が見えているのにどうして素直に教えてくれないんですか。僕が苦戦しているところニヤニヤ見て……。性格悪いですよ」
「教えるまでもないから言わなかっただけのことさ。僕にとっては簡単な問題でも、君にとっては脳を動かすいい練習になるだろう? 正解の道筋はひとつではないンだから、まずは自力で考える努力をしてみなよ」
「そうした結果あとから貴方に駄目出しされるのが嫌だから言ってるんですよ……」
ゲームオーバーという文字が映し出されている目の前の空間をジトリとした目つきで睨みながら、レムナンはむぅと口を尖らせた。ゲームならば自分でも、娯楽に疎いラキオをリードするなり、遊び方を教えてあげるなり、それなりに先輩らしい振る舞いができるかもしれないという彼の当初の目論見は見事に崩れ去っていた。
元々、このグリーゼにもゲームが全く存在しなかったわけではないのだ。もちろん娯楽目的ではなく、脳を鍛えることや言語能力・論理的思考力の育成をはじめとする学習教材としての位置づけではあったが、ラキオがパズルや迷路を早く解けるのもこのためであった。
「ちょっと、どこ行くの。逃げるのかい」
「ただの休憩です。少し待っていてください」
ぱきぽきと手首の関節を鳴らしながらソファから立ち上がったレムナンは、その場にラキオを残しキッチンの方へと消えていった。口ではああ言っていたが、思うように先に進めず苛ついているにちがいない。すぐ拗ねるんだから……とラキオは呆れたように肩をすくめて、手離したコントローラーの代わりにレムナンの背中を支えていたクッションを腕に抱いた。顔を埋めるとクッションからは彼が普段まとっている空気を水で薄めたような匂いがした。
コトリとテーブルの上に物が置かれる音を耳にして、ラキオはクッションから顔を上げた。いつの間にか戻ってきていたレムナンが、普段よく使っている白地に青のラインが入ったマグカップを傾けている。視線を前に戻すと、ラキオの前にも青地に白のラインが入った色違いのカップが用意されていた。カップの中を覗き込む。気分を落ち着かせるような爽やかでいて甘さも含む香りが湯気に乗ってラキオの鼻先をかすめた。
「ハーブティー?」
「はい。いらないならそのまま置いといてくれれば僕が二杯飲みます」
「いや、もらおうかな」
慎重にカップを両手で持ち上げてふぅと二回息を吹きかけたのち、ラキオはコクリと小さく喉を鳴らした。まだ少し熱かったのか舌を出し顔を顰める反応を見て、レムナンは思わずといった様子で小さく笑いをこぼした。ラキオが気まぐれにレムナンと同じものを飲む機会は以前と比べて増えたが、ホットドリンクの扱いの下手さに関しては相変わらずだ。
「ラキオさん」
「ん?」
「こっち」
ポンポンとソファに座る自分の足の間を叩くレムナンの意図を汲んで、仕方ないなと立ち上がったラキオは大人しくその隙間へと収まった。すかさずラキオの腹の前で両手をクロスしたレムナンに捕らえられて、それ以上動けなくなってしまう。
「どうしたの? 甘えちゃって」
「んん……。明日からしばらく会えなくなるので……今のうちに仲良くしておこうと思って」
「あぁ。一週間泊まり込みの作業になるんだって? 大変だね」
「行きたくないな……」
「組織に属して労働する者の定めだね。しっかりやっておいで」
「うぅ」
愚図ってグリグリとラキオの肩に頭を擦りつけているレムナンの姿は我が儘を言う子どものようにも、言うことをきかない犬のようにも見えた。恋人のどうしようもない姿にふ、と表情を緩めたラキオは、片手でその頭をかきまぜた。くしゅくしゅと雑に撫でまわされた白いくせ毛がピョンピョンと自由な方向に跳ねる。
「もうゲームは終わりにする?」
「うーん……そうしましょうか。別に急いでクリアする必要もないですし」
「そう。君がいない間に優しい僕がいいヒントでも考えておいてあげるよ」
「……お気遣いどうも」
先ほどと同じように再び口の先を尖らせたレムナンの顔を見てふはっと息を吐くように笑ったラキオは、彼の髪に絡ませていた右手をグイと引いて、その唇に自らのそれを押し付けてやった。
「へっ」
「なんだい。鳩が豆鉄砲を食ったような顔して」
「いやだって、珍しいから。……びっくりして」
「嫌だった?」
「まさか!」
嬉しいですと囁きながらラキオの頬に手を添えるレムナンの言葉に嘘はないようだった。普段からラキオよりも体温の高い彼の手が、さっきまで掴んでいたカップのおかげでいつも以上に熱く感じられる。じゃれつくように唇の表面を吸って、ぷっくりとした下唇をやさしく食んで。中に入れてと上下の境目を舌先でノックしたレムナンをラキオは慣れた様子で迎え入れた。
「ん……む……。ぁ、ぅ……ンン……。れう、れうあ……」
自分の名を呼ぼうとしているのに気が付いたレムナンが名残惜し気に顔を離す。ラキオは乱れた呼吸を整えながら、口の端に垂れた唾液を手の甲で拭うと、今度はしっかりとした発音で彼の名を呼んだ。
「僕と仲良くしたいならちゃんとベッドに連れて行ってからにしてよ、レムナン」
***
金曜日の夜九時。レムナンが仕事で家を出てから五日が経った。彼がいようといまいと、基本的にラキオの生活リズムは変わらない。いつもの時間に起床し、いつものサプリを飲んで、いつもの研究室に籠り、三日に一度研究所へ進捗状況の報告書を提出する。もちろん家にある機材だけでできない実験を行ったり、過去の古いデータを見るために直接研究所へ足を運ぶこともあったが、基本的に在宅型の研究職をしているラキオの生活は自宅ですべてが完結していた。
普段通りに過ごしていたラキオの足がシャワー後リビングのソファへと向かうのも自然なことだった。だが、現在プレイヤーのレムナンは不在のため、ゲーム画面は勝手には立ち上がらない。
(そういえば、彼が苦戦しているステージのヒントを考えておくと言ったんだったな)
レムナンとの約束を思い出したラキオは持ち主に代わり、自らいつものパズルゲームを起動した。
「……なんだ、最終ステージでもこんなものか。手ごたえのない」
手慰みに少し先を見てみようと次のステージ、またその次のステージ……と覗いているうちにラキオはあっという間にゲームのゴールへとたどり着いてしまった。ラキオが操るゴムっぽい質感の青い人形の横では、白い人形がゲームクリアを喜ぶように万歳をしているが、その中身はいつもこれを操作しているレムナンではなく、ただのコンピュータだ。なにかとラキオに細かい指示を出したり、逆にラキオの文句に言い返したりしてくる、意外とこだわりの強いレムナンとは違って、自分の意思を持たないNPCは実に素直にラキオの要求通りの動きを見せてくれた。この短時間でゴールまでたどり着いたのはNPCがラキオの描く理想通りの道を進んでくれたということも大きいだろう。だがしかし、ゲームクリアの文字の下で喜びを表現する二体の人形とは裏腹に、ラキオの心は冷めきっていた。
「……時間を無駄にしたな」
ラキオはスタッフロールを最後まで見ることなく、ゲームの電源を落とした。まだ就寝時間までは時間がある。メッセージアプリを立ち上げて昨晩届いていたレムナンからのテキストを読み返しながら、食器棚からお馴染みの青いマグカップを取り出したラキオは、気まぐれに一人分のハーブティーを淹れてみた。しかし、蒸らし時間が十分でなかったのかできあがったものはいつもより色が薄く、火傷を警戒してぬるい湯で作った茶はひどく味気ないものに感じられた。
(たかがティーバッグに湯を注ぐだけだろうと思っていたけれど、もしかしたら何かコツがあるのかもしれない。レムナンが戻ってきたら一度彼の手順を見せてもらおう)
そう決めて、ラキオは出来損ないのハーブティーをシンクへと流したのだった。
***
「あ、ラキオさん。ただいま戻りました」
日曜の晩、定刻通りにシャワーを済ませたラキオが下着だけを身につけてリビングへ入ると、今帰ってきたばかりといった様相のレムナンがへらりと笑って重そうな荷物を床へと下ろしているところだった。
「おかえり。帰りは明日になると思っていたよ」
「早めに切り上げられるようにちょっと頑張りました」
頑張ったというだけあってレムナンの顔には若干の疲れが滲んで見えるが、一週間ぶりにラキオに会えた喜びを表す緩み切った表情ですべて上書きされていた。
「君なりに頑張ったンだ? ふぅん。お疲れさま」
「はい、ありがとうございます。あの……」
「レムナン」
おいでというように両腕を軽く広げてみせたラキオを前に我慢がきかなくなったのか、上着も脱がずにレムナンは目の前の身体を思いきり抱きしめた。
「あー……シャワー上がりのラキオさんだ……。いい匂い」
「あんまり嗅がないで。変態臭いよ君」
言葉では拒否しつつも、ラキオは仕事で家を離れていたレムナンを労うようにその背中をするすると擦った。
「寂しくて……もう、どうにかなりそうでした」
「我慢できなくて二日ともたず連絡してきたくせに、よく言うよ」
「テキストや声だけと、直接会えるのとじゃ大違いですよ」
レムナンの充電はまだ終わらないようでラキオの身体は相変わらず逞しい二本の腕によって捕らわれたままだ。下着しか身に着けていない人間と、外套すら脱いでいない人間とが抱き合っているのはアンバランスで少々ユーモラスな光景に映ったが、生憎そのことを指摘する第三者はこの場には存在しなかった。
「ラキオさんは? 僕がいなくて寂しくなかったですか?」
「べつに。寂しくはなかったよ」
少しの期待もなかったといえば嘘になるが、ラキオの答えは概ねレムナンの予想通りだった。自分がいてもいなくても、ラキオはいつものラキオなのだ。ただ、油断したレムナンの腕の中でラキオは続きの感想を語り出した。
「ただ、君がいない七日間は思った以上に退屈だったな。あのゲーム、僕一人でやっても手ごたえがなくてつまんないンだ。やっぱり、君というハンデがあってこそ、ほどよい娯楽性が生まれるらしい。あと、あのハーブティーいつもどうやって淹れてるの? 自分で作ったら飲めたものじゃなかったよ。あとで君の淹れ方を見せてもらうからね」
思いのほか長々と続けられたラキオの留守番記録をきょとんとした顔で最後まで聞き終えたレムナンは、ようやく長い抱擁からその身体を解放すると、少し頬を赤く染めた顔で自分より背の低い相手を見下ろした。
「……つまりは僕が恋しかった、ってことですか?」
「そこまでは言ってないだろう。勝手に拡大解釈しないでくれる?」
「あぅ」
ラキオからむぎゅと鼻をつままれて情けない声をあげたレムナンは、それでもめげずに期待を込めた目で青と緑が混じり合った美しい瞳をじっと見つめる。懇願するような眼差しに観念して、ラキオは本音を打ち明けた。
「ま、要するに僕はひとりでも平気だけど……君がいる方が退屈しなくていいねってことさ」