鈍色の輪っか 兎にも角にも、言い訳を、させてほしい。
なにも本当に、贈り物をしようと考えて取った行動ではなかった。決して僕のアレはそんな、計画的なものなんかじゃあなくて、ただ衝動的に……意味もなく行った戯れに近い何かだったのだ。
共用スペースで軽く機械いじり——仕事ではなく趣味の方——をしていた僕の横で、宙に投映していたニュース放送をぼうと眺めていたその人が、いつの間にかテーブルに突っ伏して小さく寝息を立てていることに気が付いて、自分で移動するにしろ僕が寝室まで運ぶにしろ、ひとまずは起こそうと傍まで寄ったとき、ふと無防備に投げ出されたままの左手に目がいった。これまで一度も日に焼けたことがないのだろう、この世に生まれ落ちた時のままの白みがかったやわらかな肌色をした手は、平均的な男性の手のサイズに比べると幾分華奢で小ぶりに見える。ココが生まれ故郷であるラキオさんと違って、グリーゼでの生活歴が浅い僕には詳しい事情までは分からないけれど、身体的汎化処置は未だ受けていない身でも、汎向けに国から支給されたサプリメントやホルモン抑制剤を長年摂取してきた影響はそれなりに大きいのだろう。
僕はラキオさんを起こさないように気を付けながら、力の抜けた左手の隣にそっと自身の片手を並べてみた。
「……小さいな」
手のひらの面積も、そこから伸びる五本の指も、先っぽに乗っかった形の良い鮮やかな爪も、どれをとっても僕より小さい。
戦友兼同居人という立場だった頃も、恋人という名の関係に変わった後も、なにかとこの手に触れる機会はあったように思うが、こうしてじっくりと僕たちの手の差異について注目したのは今が初めてかもしれない。だって、どうしても起きているラキオさんと一緒にいると、そのお喋りの方に意識が持っていかれてしまうから。こんなふうに黙って身体の一部を観察するなんてこと、普段はなかなか難しい。
現代の医療技術は優秀ではあるけれど、この世の悪そのものと言っても過言ではない悪魔のような女に、何度も折られて、切られて、修復してを繰り返した僕の指は、左右で指の長さが揃っておらず、関節も太くて全体的にゴツゴツしている。それに加えて日々機械油に塗れながら、マシンや擬知体のメンテナンスを行っている商売道具でもあるこの手はどうしたって荒れがちだ。乾燥してカサついた僕の手に触れられたラキオさんが時折「痛いよ」と文句を言うので、気休めにハンドクリームを塗る程度の努力はするように心掛けている今日この頃だ。
眠っている恋人を相手にひとり手の大きさ比べを楽しんでいた僕は、未だ起きる様子を見せないラキオさんを前に少しばかり気が大きくなって、つるつるとした手の甲をなぞってみたり、親指と人差し指を使ってラキオさんの指の細さを確かめたりなんてことをしていた。そのうち、ふと思いついた。この手のサイズをなにかで形として残しておけば、出張でしばらく顔を見られない時でも、今日のことを思い出して寂しさを紛らわせる材料くらいにはなるんじゃないだろうか。
先ほど作業を中断した時のまま、テーブルの上に広げっぱなしの工具や細かい部品の中から、僕は中途半端な長さの針金を手に取ると、それを先ほどまで弄んでいた薬指へと巻き付けた。くるりと指のまわりを一周させて、重なった点の部分で軽くねじり輪っかを作る。ねじった部分を指の腹の方へ隠すだけで、武骨なアルミの針金がイミテーションの指輪へと早変わりだ。もっとも、僕はこの人に本物を贈れるような度胸も甲斐性も今のところ持ち合わせていないのだけれど……。照明を受けて鈍く光を放つ、この華やかな人には不釣り合いな味気無い鈍色の輪をしばらくの間眺めて満足した僕は、薬指からそっとそれを引き抜いて、己の過ちを隠すようにズボンのポケットへとしまった。
その後ごねるラキオさんを寝室に連れていったりしているうちにすっかりポケットの中の存在を忘れてしまっていた僕は、翌日ラキオさんに「君の服に金属製のなにかが入ったままだって、洗濯機がエラーを吐いていたよ。なンだいこれ?」と見覚えのありすぎる環状の針金を突き付けられて、思わず変な声をあげそうになった。いっそのこと洗濯物に揉みくちゃにされて形が崩れていてくれればよかったのに、優秀な我が家の洗濯機は洗浄開始前にラキオさんへエラーを伝えたようで、針金の切れ端は前の晩僕が象った形のまま時が止まっていた。
「ただのゴミ? それなら捨てておくけど」
「いや、えっと、あの、自分で捨てるので……か、返してください」
僕は動揺していた。冷静に考えれば馬鹿正直に返してくださいと懇願する必要なんてなくて、あとからこっそりゴミ箱から回収するなり、後日またチャンスが巡ってきたら同じことを試してみるなり、他にいくらでもやりようはあっただろうに、その時の僕はラキオさんから早く取り返さなくてはという思考にすっかり囚われてしまっていた。僕の妙な申告を、賢く好奇心も旺盛なこの人が見逃してくれるはずもなく、取り上げようと必死な僕の手をひょいと潜り抜けてラキオさんは悪い顔で笑った。
「なンだい? コレがそんなに大事なものなの?」
「そ、そうです……! あの、だから返して」
「ふぅん。僕にくれるつもりじゃなかったんだ」
「え」
僕の目の前に晒らし上げるようにして摘まんでいた不格好な輪っかを、ラキオさんはおもむろに左手の、右から四番目の指へとはめた。
「ちょうどだ」
当たり前だろう。貴方のサイズに合わせて作った輪っかなのだから。
「……狸寝入りなんて意地が悪いですよ」
「じゃあ寝ている人間の手を好き勝手に触った上にあまつさえ勝手に指のサイズまで測った君は趣味が悪い」
「……」
事実なだけに何も言い返せずにいる僕を見て、ラキオさんはアハハと声をあげて笑った。
「そうやって、自分の行動に自信が持てずにコソコソ証拠を隠蔽しようとするくらいなら、いっそのこと堂々と僕を一緒に店に連れていくくらいの甲斐性を見せてみなよ」
「え」
「デザインによってはつけてやらなくもない」
「え、え?」
「期待せずに待ってるよ。あぁ、これはその時まで僕が預かっておくからね、君の愚行の証拠品として」
言い訳をする間も与えられず、こちらを揶揄い期待を持たせるだけ持たせて、さっさと自室に戻ってしまったラキオさんの後ろ姿を僕はポカンと見送ることしかできなかった。僕は、本当にそんな大層な贈り物をしようだとか、地球をはじめとする多くの星で大きな意味を持つ特定の装飾品をつけてもらおうだとか、そんなつもりはなかったんだ。——昨日までは。
あぁもたきつけられて、人質までとられている以上、僕も黙っていられない。まずは特別な輪っかのカタログを取り寄せることから始めようと思う。