過剰表出「ここ最近の君の態度に僕はどう向き合うべきなのか、正直考えあぐねている」
自身の考えを述べる際、その大体が結論から入る人の口から出た発言にしては珍しい、ラキオさんらしくなく要領を得ない言葉に不意を突かれた僕は狼狽の色を隠せなかった。
僕が長い間自分の中に留め続けてきた恋心をラキオさんに打ち明けてから——正確には気持ちを言い当てられ白状せざるを得ない状況に追い込まれてから——ひと月。未だに信じ難いことだけれど、ラキオさんは僕の告白を受け入れてくれた。恋人になったからと言って見返りを求めるつもりはないし、汎性である相手に恋愛感情が芽生えることを期待しているわけでもない。ただ僕は、ラキオさんが僕の気持ちを否定せずに聞き入れてくれたことが何よりも嬉しかった。くだらないと一蹴することも、なかったことにして距離を置くこともできただろうに、そのどちらの方法も取らずに、かの人にとっては恐らく一番面倒で手のかかる選択をしてくれた。
だから、夕食後汚れた食器を食洗機へ入れていた僕を呼び止めて、少し話がしたいと言うラキオさんに招かれるがままにソファの隣へ腰掛けた僕は、開口早々冒頭の台詞を投げかけられて呆気にとられてしまったのだ。
「僕の……態度、ですか。えぇと、具体的にはどういう……?」
ここ最近のラキオさんとのやりとりをざっと思い返してみたが、特筆すべきような出来事はなかったと思う。むしろ、しょっちゅう意見の相違でぶつかり合っていた革命中よりもずっと心穏やかな日常を送っていたはずだ。いったい僕の何がラキオさんの気に障ったというのだろう。
「自覚が無いというのがいっとう恐ろしいな……」
「え?」
「レムナン。君、この一か月でなにか心境の変化でもあったの?」
またもや心当たりのない指摘を受け、僕はぱちくりと目を瞬かせた。
「特にないです、けど……? あの、すみません。さっきから貴方が何を言いたいのか、僕にはさっぱり……」
唐突な問題提起をしてきたその人の顔をちらりと横目で確認してみても、特にその表情から怒りのような激しい感情は読み取れなかった。先程浴びてきたシャワーの名残がまだ残っている素顔は湯上り特有の血色の良さを頬のあたりに宿していて、それがいつもよりラキオさんの印象をやわらげており、僕の目にもその姿は随分とかわいらしく映った。
「まただ。ほら、その目だよ」
「はい?」
「どうして君はそんな顔をして僕のことを見るの」
ラキオさんは厳しい顔をして、僕の眼前に人差し指を突きつけてきたが、こちらとしては依然この人が訴えている主張の全容が掴めないままだ。
「そんな顔って……。どんな顔ですか」
「表情筋が緩み切っただらしない顔」
「は?」
「君が僕に好意を抱いているということは随分前から把握していたよ。だけど、どうやら僕はその度合いを見くびっていたようだ」
……ようやく、僕にも少しだけ話の流れが見えてきた気がする。相変わらずその横顔は涼やかで、理知的な瞳は一見いつも通り冷静一色に見えるけれど、この人がなかなか結論を出さず会話のまわり道をする時は、決まって何か対処法を探っているときなのだ。
つまり、ラキオさんは今、困っている。
「えっと……」
「近頃の僕に対する君の態度はどうにも目に余るものがある。僕はこれまで自分自身を恥じたことは一度もないけれど、君のその、僕のことが好きでたまらないといった態度には何故だか羞恥心を煽られる。この僕を動揺させるほどなんだ、第三者から見ても度が過ぎているに決まっている。そのくせ僕を困らせている君自身は平然としているンだから、これを不公平と言わず何と言おうか」
「はあ」
「しかも、そこまで分かりやすく僕に好意を向けているわりに君は恋人らしい行為を求めてこないし、一向に手を出してもこない。肉体的接触を求められたなら交配本能に支配された脳機能がもたらした心理作用だなと説明もつくけど、君はただただ今まで通り僕の傍にいるばかりで何もしてこない。それでいて今まで以上に幸せそうな腑抜けた顔をして僕のことを見る君は……いったい何なンだい。何が目的?」
内側から溢れ出た無意識的な愛情表現に意味や目的を尋ねられてもな……と僕は頬を掻いた。それにしても、わざわざ話し合う時間を取らせてしまうほどに、知らず知らずのうちに僕がこの人を困惑させていたとは気が付かなかった。表向きはまったくいつも通りに生活しているように見えていたのに。
「すみません、困らせるつもりはなかったんですけど……。僕はただ、貴方のことが好きというだけです」
僕の返答を聞いてラキオさんはフンと鼻を鳴らした。
「そんなことは僕だって分かってるよ。ただ、少なくともひと月前まで君は僕の前でそんな表情を晒さなかったし、甘ったるい目もしなかった。なのに、恋人になった途端、君は僕に対して今までにない態度をとるようになった。……どうして?」
正直なところ理由も何もあったものじゃないし、ラキオさんの言うように本当に全ての恋愛感情を脳科学で説明できるのなら、今のような状況は発生していないはずだ。だけど、僕から向けられた感情の大きさにうろたえながらも、なんとか自分なりにその理由を解き明かそうと歩み寄ってくれている恋人の努力を無下にするほど、僕は非情な人間にはなれそうになかった。
「あの、僕は、ラキオさんが告白を受け止めてくれたことが嬉しくて……。もう隠さなくてもいいんだなと思ったら、なんか……。好意のリミッターが外れた……みたいな」
まぁ、なんかそんな感じです、たぶん……と曖昧に話を切り上げた僕を見て、質問者であるラキオさんはぽかんと口を開けていた。これもまた普段はあまり見ることのない珍しい顔だ。少し間の抜けた表情がかわいい。
「……つまり、愚かにも自分の気持ちが僕にバレていないと思い込んでいた君は、僕に対する好意を表に出さないよう無駄な努力を続けていたワケだけれど、恋人という立場を手に入れた今、本心を隠す必要がなくなった。それと同時に今まで内に留めていた僕への好意が表出し、視線や表情をはじめとする愛情表現として分かりやすく可視化され始めた……と」
「わぁ……。相変わらず概要をまとめるのが上手ですね」
僕がしどろもどろに述べた主観的意見をよくもまぁこんなにも理路整然とした説明に再構築できるものだ。僕の誉め言葉を冷やかしと捉えたのか、ラキオさんはこちらを軽く睨んで威嚇した。
「まぁ、いいよ。分かった。……やはり僕の見立てが甘かったようだ」
「納得してもらえましたか」
「あぁ、そうだ。君、この先人付き合いで軽率に敵を作らないように気を付けた方がいいよ」
敵を作るな、とは? 突然飛躍した話題に僕が頭の上に浮かべた疑問符を隠せずにいると、そんなことはお見通しのラキオさんが僕にも分かるように補足をしてくれた。
「もし僕が今の君の敵だとしたら、間違いなく君本人をどうこうする前に君の弱みになりえそうな対象に接触するだろうからね。せいぜい僕が攫われたり傷つけられたりしないよう、用心しておくことだね」
仮想敵になりきっているつもりなのか悪い笑みを浮かべて僕に注意を促すラキオさんは、すっかりいつものペースに戻ったようだった。恋人の態度としてはかわいげに欠けるが、僕のせいで困らせるよりはずっといいと思う。
「問題ありません。そんなことは僕が絶対に許しません、から」
きっとまた、僕の顔はラキオさん曰く『表情筋が緩み切っただらしない顔』になっていることだろう。でも、それも仕方ないことだ。だってもう、どうしたって僕は、この人のことを好きだと思う気持ちを止められそうにない。
「君は……本当に僕のことが好きだねぇ」
なんてしみじみと溢しながら、仕方ないなというように呆れ笑いを浮かべて僕を見る恋人の姿に、僕は自分の中の好意が一段と大きく膨らむのを感じた。