(燭へし)気が合うけれど、話はあわないんだよね「ちょっと長谷部くん!」
社長の安請け合いで新しい仕事を引き受けることになり、打ち合わせだと連れ出され半日がつぶれた日。
家に帰ると光忠が頭から煙を吹き出しそうな勢いでつっかかってきた。
曰く「缶ビンの回収日なのに出さなかったでしょう!」
まあそれは忘れていた俺が悪いなと口を開きかけたところに「玄関の靴が散乱してて、慌てたのか知らないけれど僕の靴がひっくり返っていた」ときて「そもそも君ねえ」と砲撃は続いた。
過去の「トイレの電気がつけっぱなしだった」だとか「冷蔵庫のお茶を飲みきったらせめてポットは洗っておいてほしい」だとかもう何回も聞いたことが繰り返されると、悪いなと思っていた俺もカチンとくる。そうだろう?
「気づいていたなら言えばいいだろう?」
「は?」
「今日が回収日だって知ってたんだろう?行く前に声を掛ければいいだろう?帰ってから言われても仕方ない」
「昨日言ったでしょ」
「昨日は昨日だ」
「どうせ朝言ってもああとかううとか言いながら話聞かないじゃない!」
「それに俺は今日別に慌てて家を出ていない。お前の靴がひっくり返っていたのはお前があわててたんじゃないのか?」
「僕が出かけるとき君見てたじゃない」
「リビングを出るのは見てたけど玄関まで見送ったわけじゃないからな。どうせこの靴は合わない!とか急に気づいて戻ったんだろう?」
ごめんと一言いえばいいだけだって俺だってわかっている。
気を遣う面々との打ち合わせ、それもどうでもいい話がなかなか終わらなくて半時間で終わるはずの打ち合わせが終わったのは3時間後で、外に出たら日差しが刺さり夏かと思うくらい暑い。
社用携帯を見ればメールがいくつも入っているし、片付けないといけない仕事も山盛りで、焦って社に戻ったら「待ってました」とばかりにいくつかの打ち合わせや「これどうしたらいいですか」という問い合わせに追われまくって気が付いたら定時なんてとうに過ぎていた。
腹にろくにものも入れずにひとりまたひとりとフロアから人が減るなか残業して、ようやく片付けて外にでたら寒くて「はあ?」と思わず声が出た。
外食する気力もなくて、冷凍庫にある米で茶漬けでもすればいいかと帰ってきたらこれだ。
積もり積もったいらだちが光忠の言葉に噴きだした。
光忠の靴を蹴飛ばしたのはたぶん俺だ。
打ち合わせに行くことを思い出して、急に靴を履き替えたからその時に当たったんだろう。
過去のことをほじくりだして何やかや言われるのは腹立たしいけれど、でもこれまでも何度も言われてきたこと。
お前の難癖だろうと言わんばかりの言葉に光忠は「はぁ」と呆れたと言わんばかりのため息を漏らした。
聞こえないくらいちいさくひゅっと息をのむ。
ああまた呆れられてしまった。
胸がチリと痛くなり、俺は「風呂」と言うと光忠に背を向けた。
在宅勤務も併用している光忠が沸かしてくれる風呂に当然のように入ることも腹立たしく思っているんだろうな。
振り向かなくても光忠の呆れたような顔が見えるような気がした。
「あーあまたやってしまった」
温かい浴槽につかるとはあというため息とともに情けない声が漏れる。
契約期間は決めていないけれど、出て行けと言われるのは時間の問題だろうな。
家を探さないとな。
大学の同級生だった光忠と一緒に住むようになったのはほんの数か月前。
帰りの電車でひさびさに会って「じゃあちょっと飯でも」と連れ立って入った居酒屋で「大学時代から住んでいるアパートが取り壊されるんだ」という話になった。
「まだあそこに住んでたの?」
「引っ越すの面倒だろう。それに駅も近いしスーパーも近くてあれ以上の物件はそうそうないぞ」
「あるでしょう」
「あるなら教えてくれ」
光忠が美味しいと半分わけてくれコリコリした歯ごたえとじゅわと口に広がる肉汁がたまらないつくねをビールで流し込み「はー」と親父臭い声を漏らす俺の顔を光忠は「じゃあ見に来る?」と覗き込んだ。
それがこの部屋だった。
海外赴任が決まった同僚から買わないかと持ち掛けられ、気に入って買うことにしたものの部屋数はあるし誰かに住んでもらって返済の足しにしたいなと思っていたところに俺が「家を探している」と口にしたから飛びついたらしい。
こちらも家を探す手間も省け、アパートよりも会社に近くて住み心地のよい部屋に首を縦に振る以外の選択肢はなかった。
まさかこんなに喧嘩喧嘩の毎日になんてなるとは思わずに。
光忠とは学部も違うのに共通の友人に紹介されて出会った。
それぞれ好きなものも趣味も全然違うけれど、なぜかそばにいることが心地よくて気が付くと四年間ほとんどべったりと一緒にいたのに喧嘩らしい喧嘩もしたことがなかった。
社会人になるとどうしても距離はできたけれど、それでも数か月に一度のペースで顔をあわせていた。
一緒にいても飽きないし、たぶん気が合うのだと思う。
だから同居の話もすぐにOKした。
「一緒に住むとほんとうに相性がいいかよくわかるよ」
会社の先輩が「今だから言えるほんとうの話」みたいな重々しいトーンでつぶやいた言葉が改めて身に染みている。
一緒に住み始めてからずっと俺たちは喧嘩ばかりしている。
最初のきっかけは忘れたけれど、ほんとうに些細なことだった。
光忠が「こうしてほしい」と言ったその言葉に思わず反発したことが発端だったと思う。
うんと言えばいいだけのこと、それに反発したのはきっと俺が光忠のことを好きだからだ。
それは友人というには逸脱した感情、友情ではなく恋情の「好き」という気持ちを抱いてしまったから。
その気持ちがいつ芽生えたのかはあまり覚えていない。
けれどその気持ちがあったからこそ一緒に住まない?という言葉二もなく飛びついたけれど、一緒に暮らすうちに俺の気持ちがばれないように喧嘩腰な言葉を返すことが増えた。
一緒に住んでからずっと俺たちは喧嘩ばかりだ。
「もう潮時かなあ」
光忠は優しい男だ。
見た目のよさから女性の目を引くが、それだけが光忠の魅力ではない。
一緒に暮らして喧嘩は増えたけれど、それでも一緒にいると楽しいことも多い。
ひとのことをよく見ているし、だからこその気配りもすごい。
俺が同居を解消しても光忠と住みたいという相手は男女問わず星の数ほどいるだろう。
「もう出ていくって言ったほうがいいかもな」
胸が嫌だとチクチクと痛むけれど、きっとそれがいい。
風呂をあがったら謝って「もう一緒にいないほうがいい」と言おうと俺は決めた。
・・・
「ああまた言っちゃった」
風呂と言って長谷部くんが姿を消すと僕は頭を抱えてしゃがみこんだ。
彼が缶ビンの回収を忘れていたことも、靴をひっくり返したまま出勤したことも別に目くじら立てて詰め寄ることではないってわかってる。
でもどこか「ここは一時的に住んでいるだけ」「誘われたから住んでいるだけ。誰が相手でも一緒」という気配を感じると僕はつい長谷部くんにつっかかってしまう。
「ずっとここにいるんだったら覚えるよね?」「君があの靴が似合うって言ったから買ったのに忘れているの?」
そんな言葉の代わりに突っかかるような言葉が口からこぼれてしまう。
きっと長谷部くんも呆れているだろう。
お前が誘ったのに文句ばかりだ。
口うるさい男だなあ。
そう思われているに違いない。
「出ていくって言われたらどうしよう」
僕が彼につい苦言を吐いてしまうのは、僕が彼のことをただの友達以上に思っているからだ。
ずっとずっと好きだった。
彼のまっすぐなところ、何にも頓着しないように見えて実はきちんと人のことを見ているところ、存外に優しいところ。
気が付くともうはまっていた。
大学時代はべったりとそばにいれたけれど、社会人ともなるとそうもいかない。
それでも数か月に一度は何かと声を掛けて会うようにしていた。
そうして耳にした「部屋を探している」という言葉に自分でも笑えるほどに食いついた。
すこしでも一緒にいれば、もしかしたらという期待、好きな人とすこしでも一緒にいたいという欲。
そんな欲に気づかれたのかもしれない。
今頃長谷部くんはもう「口うるさいこの部屋から出ていこう」と決めているかもしれない。
それは嫌だ。
でももう友達としてそばにいてと言えないくらい気持ちは大きくなってしまった。
じゃあもう答えはひとつだ。
「好きだ」と伝えよう。そしてこれからも一緒にいたいってちゃんと言おう。
嫌だと言われたら、そんなこと言わせない。
その前に疲れが見える彼に食事を作ろう。
パンと頬を叩くと僕は立ち上がった。
・・・
「ごはん出来てるよ」
とろっとした卵を載せたオムライスをテーブルに置きながらそういうと長谷部くんは驚いた顔を見せたあと、わずかに息を吸った。
ああやっぱり彼は決意している。
逃がさないよ。
「あのな、光忠」
「あのね、長谷部くん」