通じ合う想い(クロイン支援Aプラスの後の2人) まだ戦争は終わっていないし、こちらが優勢になってきているとはいえ、まだまだ予断は許さない状況ではある。しかし、そんな状況にあっても……いや、そんな状況だからこそしっかりとした休息は必要だ。そして僅かばかりでも楽しむことも……許されるのではないだろうか。
連れられてきたガルグ=マクからそう遠くない町の市場。戦時中ではあるが、そこはそれなりに人出もあり、まあまあの賑わいを見せていた。
「おっ、珍しい薬草があるな」
自分を連れ出したその男は興味深々といった表情で、露店に並べられている品々を見て回っている。
「目当ての物は見つけられたのですか?クロード」
イングリットの問いかけに、彼……クロードは「ああ」と彼女に顔を向ける。今、同盟軍は次の戦に備え、束の間の休息期間中だ。その貴重な時間をイングリットは彼と共にいる。
「思った以上の収穫だったよ。これで新しい薬の調合が出来る」
「また怪しげな薬を?」
「おっと、聞き捨てならないな。数日何も食べなくても腹が膨れる画期的な薬が出来るかもしれない」
「数日何も食べなくても!?それは確かに凄いですが……で、でも、味も歯ごたえもないのですよね。それはいいことなのか、悪いことなのか判断が難しいといいますか……」
なんだか、ちっとも有意義ではない、どうでもいい会話をしているような気もしたが、嫌な気分ではなかった。むしろ、戦時中の張りつめていた心が幾分和らいだような解き放たれたような――そして心の奥底が温まるような。
クロードの買い物を終えた頃、丁度、昼の刻を迎えようとしていた。
「さて、と。腹が減ってきたことだし、昼食にするか」
「あっ、もうそんな時間だったのですね」
クロードと露店を見つつ話しをしていたら、あっという間に時間が過ぎ去っていた。言われてみたら自分も空腹であることに気がつく。屋台で好物の串焼きを買い求め、市場から少し離れた場所にあるベンチに2人腰を下ろす。
「……美味しい。ガルグ=マク麓の宿場の串焼きが最高だと思っていましたが、これもなかなか……」
「うん、これは旨いな!」
串焼きの美味しさに幸せな心地になる。何とはなしに、ちらりと横に目を向けると同じように美味しそうな顔で串焼きを食べるクロードの表情が目に入る。
(あっ……この人も、このような顔をするのね)
イングリットにとってはこれまで見たことのない彼の顔だった。不躾とは思いつつイングリットはそのまま、まじまじとクロードを見つめてしまった。
「どうした?イングリット。さすがにお前がこれで腹いっぱい、ってことはないよな」
視線を感じたのであろうクロードが、イングリットの串焼きを食べる手と口が止まったことに気付き、訝し気に眉を寄せた。
「気分が悪いのか?それなら早めに切り上げるか」
「あっ、いえ、違うのです。あなたがとても美味しそうに串焼きを食べているので、つい見入ってしまいました」
「へっ?そりゃあ、旨いと思ったのは確かだが……お前の方がよっぽど、いい顔して食っていると思うがなあ。食べてる俺はそんなに男前だったか?」
目を丸くしつつ茶化すように言うクロードの問いに、イングリットはしばし思考した後に口を開く。
「なんといいますか、いつもと違って、嘘がないというか邪気がないというか、珍しい表情だなって」
「ってことは、いつもは嘘があって邪気がある顔っていうことか」
「えっ!?それはどうでしょう……いえ、まあ、そうとも言えるかもしれませんね。あなたは掴みどころのない人ですし」
「おいおい、そこは否定してほしいところなんだが」
「そう言うなら、普段から誠実な対応を心掛けるべき……ああ、いえ」
ついつい説教になりかけたところをイングリットは言葉を一旦止める。違う。言いたかったのは、そういうことではない。
「盟主としてではない……あなたの素の顔が見られたようで少し嬉しかったのです」
素直に思ったことを言うと、クロードがぽかんとした顔でイングリットを見つめている。イングリットはクロードから視線を外し、僅かに顔を俯かせ言葉を続ける。
「ずっと、あなたは盟主として先生と共に同盟軍を……私達を引っ張てきてくれたでしょう。あなたは普段は不真面目な素振りを見せていますが、その大変さ、苦労は相当なものだと思うのです」
学生の頃も、今も、クロードは不真面目でいい加減なところが多い。しかしそれはあくまで彼の一面でしかない。これまで彼と共に戦ってきたからこそ分かる。彼が強い覚悟とゆるぎない信念の持ち主でもあるのだということを。そして、いざという時はきっと誰よりも頼れる人間なのだということも。いつの頃からかイングリットは、そんな彼に強く惹かれるようになっていた。
「少しでも息抜きになっているのでしたら良かったです」
誘われたのはイングリットの方であるが、これは今、イングリットが心からそう思っての言葉だった。視線を再びクロードの方に向けると「こりゃあ、参ったな」と決まりが悪そうに苦笑する彼の顔があった。
「まさか、お前にそんなこと言われちまうとはなあ。確かに俺の息抜きの目的もあったんだが、それよりも……」
珍しく歯切れが悪く、クロードは何か言うことを迷っているようだった。
「?なんです、クロード」
イングリットが促し、ようやくクロードは次の言葉を口にする。
「ああ、俺としては、お前の息抜きになればと……少しでもお前が楽しく過ごせたらと思ったんだ」
「私が?」
「ああ、えーっと、前に言っていただろう。たまには俺と楽しく話したいって。無神経にも俺はそんなお前の気持ちを察することが出来ず気色悪いって言っちまったからな、その罪滅ぼしというかな」
「えっ、それって、あの時の……?」
思ってもみないクロードの言葉だった。
以前、休息日の前日にクロードに話しかけられたことがあった。その時、イングリットは今思えば自分でもどうかしていたと思う程に「おしとやか」な態度を彼に対して取ったのだ。それを彼に「不自然」「気色悪い」と、けんもほろろに言われてしまった。イングリットとしては普段は説教ばかりしている彼とたまには「楽しく」話したいと、そう思ったゆえの行動だった。
「もう……あの時は驚きました。てっきりあなたは立ち去って、いないと思っていたのに」
「ははっ、さすがに、あのまま行っちまうのは良くないって思いなおしたんだよ」
怒ったイングリットからクロードが逃げ出した後、彼女は思わず「楽しく話したいと思って少しお淑やかにしただけなのに」と言葉を漏らしてしまった。それを戻って来たクロードにしっかりと聞かれてしまっていたのだ。果たしてクロードがイングリットのその言葉をどのような意味で受けとったのか。あれ以来、イングリットはそのことが気になって仕方がなかった。とはいえ、クロードはあの後もいつも通りイングリットに接し続けており、彼の気持ちを推し量ることは出来ずにいた。そんな中での今日の彼からの誘いだった。
「少しは楽しんでもらえたならいいんだが」
「ふふっ、あなたがそのように気にかけてくれるなんて」
明日は槍でも振るのかしら――そんな軽口でも言おうかと思った。しかし。
「楽しかったですよ。とても。あなたとも楽しくお話出来ましたし」
今日クロードがイングリットを誘ってくれたのは、彼なりの罪滅ぼしだという。ならば、それに対し、捻くれた物言いをするものではないだろう。
「そうか。それは何よりだ、安心したよ」
クロードが屈託のない笑みを浮かべる。それも、また、イングリットがこれまで見たことのない顔だった。
「今日は誘っていただいてありがとうございました」
ガルグ=マクに帰還し、部屋の前まで来るとクロードと正面から向き合い感謝の言葉を口にする。何か特別なことをしたわけではない。町で買い物とちょっとした食べ歩きをして、少しばかりの取り留めのない会話をしただけだ。しかし今は戦時中。ついこの間まで激しい戦いを繰り広げていたし、これからもその状況は続いていく。もしかしたら次の戦いで命を落とすことだってあるかもしれない。そう考えれば、この1日は決して「特別な日でない」とは言えないだろう。
「こちらこそ、急な誘いに付き合ってもらっちまって、ありがとうな」
クロードの部屋はイングリットの部屋より廊下をさらに奥に歩いたところにある。また明日、と口にしてクロードが自らの部屋に足を向けようとするのをイングリットは、名残り惜しい気持ちで見送る。何かが足りないと思った。今日という日が終わり、休息期間が終われば再び戦いに身を投じねばならない。盟主である彼と、一軍の将を任されているイングリットと、互いに忙しい日々がまた始まるのだ。当分2人でゆっくり話せる時間はないだろう。何か考えがあったわけではないが、咄嗟にイングリットはクロードを引き止めようと口を開きかけた。しかしその前に、何故か彼の足がぴたりと止まり、再びその顔が彼女に向けられた。
「そういえば、1つ言い忘れていたことがあったんだが」
今、気づいた、思い出した、といったばかりの口調だった。
「前に俺と楽しく話したい、ってお前は言ってくれてたろ。実は俺もお前とは楽しく過ごしたいって思っていたし、話だってしたかったんだよ」
「えっ?」
一体何を言っているのかとイングリットは面食らった表情を浮かべる。
「少し口うるさいくらいが似合ってる、説教も嫌いじゃないって俺はお前に言ったが……いや実際そうではあるんだが。だが、お前が楽しそうに笑っている顔だって俺は気に入っているんだ。だから、今日は凄くいい時が過ごせたよ。明日からまた頑張れそうだ」
「クロード……」
彼の口にした言葉を、その意図することをイングリットは考える。
「私と楽しく過ごしたいと言っていただけるのは、とても嬉しいのですが」
色恋ごとに慣れている人間であれば、彼の気持ちを汲み取った上で、上手に対応出来るのかもしれない。しかし、あいにくイングリットはそうではない。彼の気持ちに思い当たることは大いにあるが、それは自分の自惚れからくるのかもしれないとも考えてしまい、どうにも自信が持てなかった。
「それは仲間として、ですか?」
考えても仕方ないことだ、もう少しだけ確かなものが欲しいと、イングリットはクロードに尋ねる。
「仲間として、か。うーん、どうだろうなあ」
イングリットの言葉に対し、クロードが少し困ったように苦笑する。
「お前がそう思うんだったらそうなんだろうし、そうじゃないって思うんならそうなのかもな」
「……また、あなたは、そのような、はぐらかすような物言いを」
呆れて息を吐くも、はっきりと「仲間だ」と言われたわけではないので、そこはほっとする。まあ、今日のところはこの辺りで良しとするべきかとイングリットは諦めることにする。
「明日は早くから軍議でしょう。今日はこの辺で」
そう言ってクロードに背を向けようとしたその時。クロードがイングリットのすぐそばに歩みより、片側の腕と、その反対側の腰に手をまわされた。思わぬ彼の行動にびっくりして声をあげそうになるが、誰か来てはさすがにまずいと思い必死に抑え込む。気が付くと、すごく近い位置にクロードの顔があった。普段の陽気な茶化すような様子は一切ない、真剣にイングリットを見つめる深い翠色の瞳に吸い込まれてしまうようで、その視線から逃れたいような気分にもなるが、出来なかった。
「すまん、はぐらかすつもりはなかったんだが……。そうだな、俺もお前と同じ気持ちだ、って言ったら伝わるか」
いつもよりも低い声でクロードはそう言うと、イングリットの身体を包み込むように両腕を彼女の背にまわす。その腕に僅かに力が籠められ、抱きしめられた。彼の視線からは逃れられたが、今度は彼の肩と首が目前にある上、彼の身体の感触と温もりがイングリットの身体に伝わってくる。彼の心臓の鼓動も。その鼓動の速さが自分とそう違わないことにイングリットは気付く。
(同じ気持ち……ということは)
尚もはっきりとは言わないクロードの言葉であるが、それはイングリットとしても同じことだ。ここまで来れば、互いの気持ちは明らかだった。
「すみません、些か、こういったことに疎いのと……臆病なもので」
仲間としてうんぬん……など、駄目だった時の逃げ道だったとイングリットは反省する。もっとはっきりと自分の気持ちを彼に伝えて確かめれば良かったのだ。軍の人間の中には恋仲となって関係を深めている者達も少なくはない。しかし戦時中で色恋などと、と後ろめたい気持ちや、同盟の盟主である彼と、外から単身加わった己の身の上を考えると、少々烏滸がましいのでは、と踏み出すことに迷いがあった。
「それは、俺だってそうさ。振られちまうのは怖いし、それに、手に入れちまったらもう止められないって……手放せなくなっちまうと思ってな」
だから、ついつい、うやむやにしていたんだ、情けないよなとクロードは自嘲するような口ぶりで言う。
「そんな……情けないなんて」
思わず顔をあげると、クロードと再び視線がかち合う。迷いのない真っすぐな瞳だった。
「イングリット、お前が好きだ」
「クロード、私もあなたが……好きです」
ああ、やっぱり、しっかりと言葉にするということは大事なことなのだとイングリットは実感する。ここしばらくの靄がかかった気持ちが晴れると同時に、この想いをもう抑えなくてもいいのだと嬉しさがこみあげてくる。しばらく互いに見つめ合い、どちらからともなく唇を重ねあった。