思い出(※捏造キャラ視点その2) 早朝……ようやく日が昇るかといった頃合いの時間、パルミラ王城内の訓練場では掛け声と共に槍を交わす音が響き渡っていた。
「させません!」
相手の攻撃をかわしたナディアは、体勢を立て直し反撃に出た。相手は渾身の一撃を放ってきたが、なんとか、かわすことが出来た。大きく隙が生まれているはずだった。勝てる、と確信する。
「遅い!」
「えっ!?」
速さには自信があったのだが、相手の方が上手だった。あると思っていた隙が全くなく動揺したところを打ち込まれ、気づくと手にあったはずの槍が床に転がっていた。
「このくらいにしておきましょう」
ふーっと、息を吐き、目の前の女性は槍の構えを解いた。その女性をナディアは複雑な面持ちで見つめる。白い肌、ブロンドの髪、一見華奢にも見える、すらっとした体形。パルミラの子供向けの絵本によく出てくる異国のか弱いお姫様がまさに彼女のような外見をしていたように記憶している。だから、きっとこの女性もそうなのだろう、自分が守らねば……そう初対面の時は思ったのであるが。
「……情けないです」
ぐっと感情を抑えナディアは絞り出すように言葉を放つ。
「どうしましたか?ナディア、もしかして体調がすぐれませんか」
ナディアの様子に女性が心配そうに尋ねてくる。ナディアは「いえ」と首を横にふる。
「今まで、王妃様にまだ一度も勝てたことがないのが情けなくて。これでは護衛として失格です」
どんよりとした雰囲気を漂わせた彼女に女性……王妃が、目を見開く。
「あっ……と。ナディア?今日の公務が始まる前に少しあちらで話しましょうか」
「私なんかのために、気を使っていただかなくていいです」
「もう、そんなこと言わないで」
王妃に宥められ、訓練場の片隅の休憩所に移動し椅子に座る。
「ナディア、あなたの歳は今いくつだったかしら」
「17です」
何故年齢を聞かれたのか不思議に思っていると王妃はふと、考える仕草を見せ、それから柔らかな笑みを浮かべる。
「私が17の頃は、まだ学生で……あっ、フォドラの士官学校の、ですが。その頃の私よりもずっと強いですよ。もっと自信を持ってください」
「士官学校……それはカリード陛下も行かれていたという?」
「ええ、そうです。その頃の陛下よりも強いと思います」
「!」
信じられなかった。同じ年の頃、王と王妃より自分の方が強かったなんて、と。自分を励ますために王妃が嘘を言っているのかとも考えたが、この王妃は清廉、誠実なことで知られている。
(信じてもいいのかしら……)
「あなたには経験が足りないだけ。私も陛下も士官学校の後、多く戦いを経て強くなっていったのです。まだまだこれからですよ」
真っ直ぐな曇りのない瞳。王妃が嘘を言っているとは思えなかった。
「……ありがとうございます、王妃様」
ナディアは王妃を信じることにした。いや、本当かどうかはどうでも良かった。王妃が自分を弱いと見限るのではないか、と不安だったが、そうではないということが分かっただけで十分だ。そして、一時でも情けない姿を見せてしまったことに今更ながらに気付き恥ずかしくなる。
「あと、すみません。王妃様に気を使わせてしまって」
「いえ、そもそも、訓練することを頼んだのは私のほうですから……むしろあなたに感謝しているのですよ」
そう、数か月前から週に何度か早朝に2人だけの訓練をしているが、これは王妃から言い出したことだった。身体がなまってしまうので、務めの始まるまでの僅かな時間でもいい、訓練に付き合ってくれないか、と。立場上、城の他の兵士たちに交じって王妃が訓練に参加など出来るはずがない。そこで白羽の矢が立ったのが、王妃の侍女で護衛役であるナディアだった。普通は侍女と護衛はそれぞれ別の人間が務めることがほとんどだが、ナディアの場合はどちらの素養もあったことから両方の仕事を兼ねることになった。英雄ナデルが叔父、ということもあり武芸については徹底的に仕込まれていたので、そこらの中途半端な兵士よりよほど強かった。
「感謝なんてそんな……。私のほうこそ王妃様と手合わせ出来て勉強になっています。これからもよろしくお願いします」
そして、いつかは王妃から一本を取って見せる……そうナディアは新たに決意した。それからふと今の王妃の話で気にかかることがあり、一瞬迷ったが思い切って尋ねてみることにする。
「王妃様と陛下は17の頃に士官学校にいらっしゃったということですが、そうするとお二人が初めて出会ったのもこの頃なんですよね」
「ええ、そうですが……それが、どうかしましたか?」
突然話が変わり、やや戸惑い気味に王妃が尋ねる。
「その……どんな出会いだったのかが気になって」
「陛下との出会い!?そうですね」
王妃はその頃のことを思い返していたようだが、やがて眉間に皺が寄り始めた。
「初めて会った時のあの人は、本当にいい加減で……。違う学級であったにも関わらず、ついつい苦言を呈してしまうほどでした」
王妃から、かっての王のことが次々と語られる。
多くの人が行きかうところで大欠伸をしていたり、適当な言動で周囲を混乱させたり、夜中門限を守らずガルグ=マク(士官学校を併設した教会らしい)を徘徊していたり、怪しい薬を調合して時折、部屋からおかしな色の煙が出て来て騒ぎになったり……
「大変だったのですね……」
そう言いつつ、多少の違いはあれ今と大して変わらないような気もした。
「その上、よく知りもしない私のことを、カリカリせずにニコニコすれば男を騙せるだとか、ほんわかしろだとか、侮辱するようなことを言ってきて……なんて失礼な人なのだと思いました」
「そ……そうだったんですか」
王妃は怒っているが、それはようするに王が王妃のことを可愛いと思っていたということなのでは?と思う。
「でも、それでもこうして結婚されたわけですし……お互いに惹かれ合うものがあったということですよね」
「そうですね、色々と彼と接する機会が増えるにつれて、いい加減なようで頼りになることが分かりましたし。私は彼に説教してばかりでしたが、そのことも彼は嫌ではないと言ってくれましたし」
「説教が嫌じゃない?」
不思議そうな表情を浮かべるナディアに対し王妃は「やはり変だと思うでしょう?」とくすりと笑う。
「私が口うるさくするのを嫌がって遠ざかる人は随分といましたが。彼は懲りずに話しかけてくれて……本当におかしな人」
言葉と共に零れた王妃の笑みは優しく柔らかで。
「私も大概ではありますが。そんなあの人に付いて、住み慣れた地を離れこのパルミラにまで来てしまったのですから」
「陛下のことを本当に愛していらっしゃるのですね」
「そう言われてしまうと恥ずかしいですが……そう……ですね」
王妃の頬が薄っすらと赤く染まり、優しい笑みは、はにかんだものに変わる。当初、国王夫妻が諍いばかりしているのは、2人の結婚が政略的なそれで愛を伴ったものではないからだ……と見なされていた。しかし、そうではなかった。それは2人にとっては出会った頃からずっと続いていることで、当たり前で、普通のことなのだろう。むしろそういったことも含め、互いを認め合い、強い絆で結ばれているのかもしれない……そうナディアは思った。
そして、話に一区切りついた時だった。一瞬の沈黙の時を狙ったかのように、2人以外の人間の声が訓練場に響きわたった。
「おーい、2人で俺の悪口かい?なんだよ、おかしな人、とか聞こえたんだが」
「クロード!?」
「陛下!?」
ナディアと王妃が同時に、声のした方に顔を向ける。
(クロード?)
王妃の口にした名が気になったが、それよりも突然の王の登場にぼさっとしているわけにはいかない、ナディアは立ち上がり姿勢を正す。
「カリード陛下、おはようございます!」
「おう、おはよう、ナディア。今日もイングリットに付き合ってもらって悪いな」
「いえ、私の方こそ王妃様に鍛えていただいております」
「それは何よりだ、これからもよろしく頼む」
王はそう言って屈託のない笑みを浮かべた。
「もう、いたならもっと早くに声をかけてくれればいいではないですか。一体いつからいたのです?」
王妃が気まずそうな顔で王に尋ねている。ナディアもそれは気になった。王は「いや、邪魔しちゃ悪いと思ってさ」と、にやにやしている。これはかなり前から来ていて、ずっと話を聞いていたなと確信する。そして王妃も同じように思ったらしい、これまで柔らかな曲線だった眉が攣りあがる。
「盗み聞きをしていた……と。これは看過出来ませんね。王たるもの、もっと正々堂々とあるべきではないですか」
「っと、おいおい、イングリット、朝からやめてくれよ。ナディアもいるんだぜ?」
そう言って、王がちらりとナディアに目を向けてくる。これは助けを求めているのか。さて、どうしたものか、とナディアは迷う。
”もうじき朝食です。お部屋に戻って着替えましょう”
王妃にそう言えば、この場はおさまるだろう。しかし。
「朝一で、侍女長に報告することがあったのです。私は一旦失礼しますね、王妃様、後ほどまた!」
「ええ、ナディア、また後で」
「ナディア……嘘だろ……」
王の情けない声が耳に入ったが、自業自得だ。それに、先ほどの王妃の話を聞いてしまっては、こうすることが正解なような気がした。
その日も、相も変わらず宮中を逃げる王と、追いかける王妃の姿が見られたという。