第三者視点の話「──太刀川、おまえ恋人が出来たのか?」
オレがカレーを食べていた手を止めてたずねると、向かいの席に座る太刀川がうどんを啜っていた顔をあげた。その拍子にさっきまで見えていた“それ”が髪に隠れて、心の中でほっと安心する。太刀川はゆるいし抜けたところが目立つ奴だけど、けしてデリカシーに欠けるわけじゃない。知っていたらなんらかの対策をして大学に来るはずだ。だから本人が気づいていないからこそ、いまオレたちがいるここ──空席が見当たらないくらい混雑している昼休みの食堂で。いくら隅にあるふたり用の席に座っているとはいえ、近くを通りかかった他の学生に会話が聞かれる可能性があるなか、デリケートな話題をどう指摘したものか悩んでいたから助かった。この場に堤がいたらオレの代わりに上手い言い方を見つけてくれたのかもしれないが。そうオレが高校時代からの友人の顔を思い浮かべていると、おなじく高校時代からの友人の太刀川が「お、よくわかったな」とめずらしく驚いたように言う。「まだ話してなかったはずだが」と聞かれて、「なんとなく察したんだよ」と誤魔化した。察した理由はさすがに口には出来なかった。
「太刀川が恋人を作るなんてめずらしいな。どんな子なんだ?」
ひとまず問題は解決したものの気になってたずねる。
オレが知るかぎり太刀川は女の子と付き合っても長続きしなくて、過去に付き合った恋人の人数も多くなかったはずだ。太刀川は特別にモテるわけじゃないが、かといってモテないわけでもない。ボーダーのA級一位という肩書きもあるから女子の食いつきもいいし、背も高くて見栄えもするし、性格もおおらかで付き合いやすいからそれなりに人気がある。ただ本人が恋愛に興味がないみたいで、大学に入ってからも彼女が出来るそぶりはなかったものの。そんな太刀川に大学二年生の冬になってようやく恋人が出来たのだ。
嬉しいような寂しいような複雑な気持ちになっていると、太刀川は昼メシのうどんを食べていた手を止めて「そうだな〜」と腕を組んだ。
「……冷たそうに見えるけど優しい奴だな。キツい言い方をするけど面倒見がいいし過保護だし、あまり笑わねえから周りに誤解されやすいけどかわいいとこもあるし。まー俺はちゃんと講義に出ろっていつも怒られてるが」
なははは、と笑いながら言う。太刀川の言葉に誰を指しているのかすぐにピンときた。
──月見さんだ。
太刀川の一学下の幼馴染で、三門市の男子学生なら誰もが知っている元星女の高嶺の花だ。いまはオレたちとおなじ三門市立大学に通っていて、太刀川とはゼミも一緒だし一般教養の講義も被っているらしい。講義をサボろうとする太刀川を厳しく咎めている姿ならオレも見かけたことがある。聞けばふたりは家族ぐるみで仲が良いらしくて、昔からよく知っているぶん月見さんは太刀川の扱い方がうまいし、太刀川も他の女子に接するときとは違う気やすい雰囲気で話しかけていた。ふたりが親しげに会話する光景を見かけるたびにどうして付き合っていないのか不思議に思っていたが、そうか、いよいよくっついたのか。
月見さんなら太刀川の単位ごと太刀川の面倒を見てくれそうだな。オレが今期も必修の単位が危うい友人の未来に希望の光を見出していると、続いた言葉によって淡い光はあっけなくかき消えた。
「それに同い年だけど素直で子どもっぽいとこもあっておもしろいんだよ。天然でチョロいからたまに呆れるときもあるけど、そういうのも含めて好きだしな」
「…………まて。オレたちと同い年の子なのか?」
「おう。つーかうちの学年の奴だしおまえも知ってるぜ」
ここまで言えばわかるだろ、と言うような目を太刀川から向けられる。
おなじ学年でオレも知っている女子学生。
──加古さんか?
頭に思い浮かんだのはオレたちとおなじ学部の加古さんだった。たしかに太刀川とはふたりでよくツッコミ不在の会話をしているし、大人っぽくて落ち着いている見た目とは反対に子どもっぽい天然さもある。言われてみればお互いにマイペースな性格をしているぶん気が合うのかもしれない。ボーダーでもそれぞれA級で隊長職らしいし、太刀川が付き合う相手としてしっくりきた。というか、それよりも──
「本当にその子のことが好きなんだな」
さっきから太刀川の口から出るのはのろけめいた言葉ばかりだ。オレの想像以上に恋人に惚れ込んでいるらしい。けれど太刀川に自覚はないみたいで、「そうか?」と顎に右手をあてて首を傾げながら聞き返された。髪とジャケットの襟の隙間からまた“それ”が覗いて、加古さんと付き合っているのを知ったぶん余計に気まずくなる。さすがにオレが目を逸らしたところで、太刀川がさらっと爆弾発言を投下した。
「まあ俺より背が高くてこっちからキスしづらいことしか付き合ってて問題がないしなー」
まて。まてまてまてまて。加古さんも背は高いがヒールを履いても太刀川より低かったはずだ。太刀川より背の高い女子がオレたちの学年にいるのか?
必死に頭を働かせて条件にあてはまりそうな人物を探していると、「太刀川」とふいに頭上から二宮の声が降ってきた。
「おまえまだ昼メシを食い終わってないのかよ。つぎの必修の講義はかならず出ろって言っただろ」
「お、もうそんな時間か」
太刀川がのんきに返しながら二宮に振り返る。
時計をうかがうとあと十分ほどで昼休みが終わる時間だった。二宮はいま大学に来たところなのかコートを羽織って首には暖かそうなマフラーを巻いている。このあと太刀川が受ける必修科目は去年太刀川だけが単位を落として再履修になった講義だ。オレも二宮もすでに取り終えているし、ついでに言えば二宮もオレと一緒でつぎの時間は空きコマのはずだが、わざわざ太刀川の様子を見に大学に来たんだろうか。
二宮、意外と優しいし面倒見がいいんだよな──と、二宮に挨拶しながら整った顔を眺める。最初は冷たそうでとっつきにくい印象だったけど、太刀川と加古さんにいじられているのを見るとおもしろい奴だし。いまも太刀川から「二宮も俺が食い終わるまでなんか食ってけよ」と適当なことを言われて、「だから時間がないって言ってるだろ」といちいち本気になって返している。天然だし素直に感情を表に出すし、太刀川が子どもみたいにちょっかいをかけたがるのもわかる。と、オレがふたりのやりとりを見守っていると、その二宮が太刀川の隣まで来たあと顔を顰めた。まるで家族で映画を見ていたらいきなりラブシーンがはじまったみたいに。
あ。いまの二宮の位置からは“それ”が丸見えだ。
二宮は潔癖そうだからそういうのを見るのは嫌なはずだ。しかも相手はあの太刀川で、またいつものふたりの言い合いがはじまってしまうかもしれない。オレがフォローしようと口を開きかけたところで、二宮が先に太刀川のジャケットの襟を無理やりひっぱり上げた。
「うわっ。急いで食ってるときに邪魔するなよ」
「つぎの講義はこれを巻いてろ」
「は?」
「風邪をひいてることにしとけ」
言いながら二宮が自分の首に巻いていたマフラーを太刀川に押しつける。うどんを食べ終えた太刀川は不思議そうな顔をしたもののとりあえずマフラーを受け取った。首にぐるぐる巻くと襟から覗いていた“それ”が──首もとのキスマークが覆い隠されて完全に見えなくなる。
そうか、その手があったか。
感心しつつもオレは太刀川にノートすら貸したがらないあの二宮がマフラーを渡したのに驚いていた。オレの動揺をよそに太刀川はマフラーの触り心地が気に入ったみたいで満足そうに顔をうずめている。
「あったけ〜〜〜。腹も膨れたしつぎの講義は絶対に寝ちまうわ」
「自信満々に言うんじゃねえよ」
「昨日あまり寝れなかったのは二宮のせいだろ。おまえ最初はノリ気じゃないのにはじまったらなんだかんだ俺よりがっつくよな」
「誘ったのはおまえだろ。夜にいきなり呼び出しやがって」
「それがひさしぶりに迅とランク戦をしたら盛り上がってさ。おまえとはしばらく戦ってないなって考えたら急に会いたくなったんだよな」
「あいかわらず単純な頭だな」
会話の内容的に昨夜太刀川と二宮は一緒にいたらしい。ふたりの話しぶり的にたぶんゲームかなにかで一晩中盛り上がったんだろう。意外と仲がいいんだなと考えて、昨夜?とひっかかった。
なら太刀川のキスマークはいつついたんだ?
「じゃあ俺は先に行くわ」
太刀川がオレへ向けて言って、空になったどんぶりののったトレイを持って立ち上がる。並んで歩く太刀川と二宮のうしろ姿がどんどん遠ざかっていく。結局太刀川の恋人が誰かわからなかったな。午後の講義で堤に会ったときにそれとなく聞いてみるか。そうオレが心に決めて、昼メシを再開するためにスプーンを手にしたとき。なにげなく眺めていた太刀川の頭の位置が二宮より数センチ低いのに気がついて、すべてが繋がったオレはカレーの海の中にポロっとスプーンを落としたのだった。