▼エーフィの メロメロ!「フィィィイ」
来た。だんだんとこの部屋に近づいてくる甘ったるい鳴き声に、ジュンはゴクリと息を飲んだ。
少しして、カリカリと扉が爪で引っ掻かれる音。決まって、2回。淑女らしく扉を傷付けまいという気遣いか、それ以上はしてこない。けれどもジュンが扉を開けるまで、執念深く何時間でもそこに佇んで待っている。否、流石に実際にそこまで待たせたことはないけれど。
「……今、開けます」
カチャ、恐る恐る数十センチの隙間を開けるとスルリと滑り込んできたエーフィは、クルルル、と喉を鳴らしてジュンの足元に擦り寄った。
日和の実家から連れてこられ、どういうわけだか惚れ込まれてしまって以来、時折日和の目を盗んで部屋を抜け出してはこうして色仕掛けをしにやってくる。
つぶらな瞳で見つめられ、喉を鳴らしながら甘えられ、あの手この手でジュンをメロメロにさせようとしてくるものだからたまったものでは無い。
もちろん、ジュンとてエーフィが嫌いな訳では無い。好いてくれていること自体は素直に嬉しいし、ビロードのように手触りの良い毛並みを撫でてやりたいと思う。
けれどそうしてしまうと、後が怖いのだ。
「フィッ」
ジュンが自分以外の相手を思い浮かべたことを察したのか、私だけを見て、とでもいうようにトンッと軽く頭突きされる。そういうところも飼い主にそっくりだ。
「はいはい、わかりましたよ。わがままなお姫様ですねぇ」
誰も見ていないだろうな、と廊下の外を確認してから扉を閉める。今日は日和は単独の仕事で、帰りは夕方になると言っていた。それまでの間構ってやるくらい良いだろう
ジュンがソファに腰掛けると、エーフィもその隣に跳び上がり、ジュンの膝に乗り上げた。ぐんっと身体を伸ばし鼻先でちゅ、ちゅっと挨拶代わりのキスをする。
両手でエーフィの顔をすっぽり包んでやると、ぐいぐいと顔を押し付けるように擦り付けられた。至近距離で目が合うと、ぱち、ぱちとゆったりとジュンに向かって瞬きをする。ジュンも真似をして同じように瞬きをし返してやったからだろうか、ゴロゴロゴロと喉を鳴らす振動が手に伝わってくる。ジュンと居ることで幸せを感じてくれているらしいことがわかってジュンの表情も自然と緩んだ。
エーフィと出会って触れ合う機会が増えたので、研究がてらエーフィの生態について調べてみたところ、緩やかに目を開けたり閉じたりするのはネコ科のポケモン特有の愛情表現なのだと知った。喉を鳴らすのは心地いい時や上機嫌の時。尻尾を真上にぴんと立てているのもそうだ。
逆に、尻尾を激しく振っているのは機嫌の悪い証拠。イヌ科のメアリが嬉しい時にそうするので初めは勘違いしてしまっていた。よくよく観察してみれば、確かにジュンが日和にばかり構っている時などに見かける。恐らく嫉妬しているのだろう。
他にもコロンとお腹を見せてきたり、尻尾を巻き付けてきたり、エーフィと出会ってまだ間もないというのにおおよその親愛表現はコンプリートしてしまった。
「なぁんでこんなに気に入られちまったんですかねぇ……」
二本の前脚を器用に使ってジュンの腕を引き寄せて抱擁を要求してくるエーフィの仰せのままに抱きしめてやれば、膝の上で身体をピッタリとジュンに密着させてすやすやと寝息を立て始めてしまった。エーフィの安眠のために、しばらく動くことはできないなと、ジュンもそのままうたた寝を決め込むことにした。
ザラザラとした感触が頬に触れて、ジュンの意識が浮上する。一足先にお目覚めだったらしいエーフィ嬢が暇を持て余してジュンを起こしたのだった。
「ん、おはよ〜ございます。……やべ、もう夕方か……そろそろおひいさんが帰ってくる。ほら、エーフィも部屋に戻ってください」
「……」
きちんと人間の言葉を理解している賢いエーフィは、ジュンとの別れの時間が来てしまったことを察してはいるのだろう。それでも頑として動く様子がなくそっぽを向いてしまったお姫様のご機嫌を伺うようにジュンがエーフィ頭にキスをひとつ落とすと、ピルピルッと耳がこちらに向いた。どうやら話だけは聞いてくれる気になったらしい。
「お願いしますよエーフィ、またこっそり遊んでやりますから。ね? おひいさんの機嫌損ねたら、エーフィの監視も厳しくなっちまいますし」
「……フィ」
「いい返事。さ、部屋まで送りますよ」
エーフィが突撃してきた日は、日和の部屋の前までエーフィを抱き抱えながらデートをするのがお決まりになっていた。すれ違う人たちに『日和には内緒で』と人差し指を口元に当て、どうか日和と鉢合わせしないことを祈りながら日和の部屋までたどり着くと、エーフィは大人しくサイコキネシスでドアノブを開けて自分で部屋へ戻って行った。最後にメロメロをひとつ飛ばすことも忘れずに。
「……はは、……はぁ」
こうしてジュンは、嬉しくも気が重いエーフィとの密会をどうにか無事に終えたのだった。
「ジュンく〜ん!」
「はいはい、今開けます」
夜になって、次にジュンの部屋を訪れたのは晴れて恋人となった日和。仕事の合間、空いた時間はもっぱら日和の部屋かジュンの部屋に赴き恋人としての時間を共に過ごすのが最近の常だ。
「んもう、聞いて〜!今日の仕事ったら本っ当〜に厄介でね?」
「へぇ、おひいさんがそんなに言うなんて珍しいっすねぇ」
部屋の中に迎え入れソファに隣合って座り、今日あった出来事などを語り合っていると、ん?と日和がふいに声をあげた。無遠慮にジュンの服の衿元に手が伸ばされ、何かをつまみ上げる。ホコリか何か付いていただろうか、とジュンは大人しくその様子を眺める。
「……」
「おひいさん?」
「……ジュ〜ン〜くん」
しばしの沈黙の後。笑っているのに笑っていない声。笑みを貼り付けた日和の指先には、薄紫色をした細く短い毛があった。
「このポケモンの毛……なぁに?」
「……っ!こ、これはえっと……その、ん、ぅ……っ」
しまった、と思うも時すでに遅し。日和はそれをゴミ箱に捨てると、言い訳を紡ごうとしたジュンの唇を塞ぐ。
「ぼくのいない間に……また『彼女』を連れ込んだんだね?悪い子」
口内を蹂躙されくったりと力なくソファに横たわるジュンの上で、日和はスっと目を細めた。
連れ込んだのではなく、向こうから訪ねてきたのだ、なんていくら言っても無駄なことはわかっていた。こうなってしまったら最後、ジュンに残された道はあの手この手で日和のご機嫌取りをすることだけだ。
こういう時の日和はいつもの倍しつこい。諦め半分、確かな期待も胸に抱いてジュンは再び近付いてきた唇を受け入れた。