ミスタの初夢 今朝、ヴォックスが夢に出てきた。ミスタが仕事部屋に入ると、デスク前の椅子に座ってコーラを飲んでいた。コーラを飲んでいるだけでこんなにセクシーなのは、イギリス中探しても彼だけだ。たとえそれがミスタの夢の中のことにすぎないとしても。
「城が燃える夢を見て、目が覚めてしまったんだ」
ヴォックスは言って、床を蹴って子供っぽく椅子をくるくる回転させた。長い脚の爪先が空で描く美しい弧を目で追いながら、ミスタは言う。
「城を守るためにそこで戦ったんじゃなかったっけ」
「夢で記憶を完全に再現できるわけではないようだな。だが、戦って死ぬ方がずっとマシだ。夢の中の私は口もきけず涙を流すばかりで、そこから何か行動したり解決を試みようとしないんだからな。愚かな話だ」
ヴォックスは甘くけだるい溜息をついた。濡れた唇が艶めいて、ミスタの肌が泡立つ。
「泣く暇もなかったから夢で泣くんじゃないの?」
「優しいことを言ってくれる」
ヴォックスは無自覚に蠱惑的な微笑みを浮かべ、グラスにコーラを注ぎ足した。炭酸がしゅわしゅわ弾けるのが悪魔の囁きに聞こえた。もっとも、コーラを注いでいるのがまさしく悪魔なわけだけど。ヴォックスは、ふ、と息をついて、
「まあ構わんさ。良く見る夢なんだ。泣いている自分に言ってやりたいね。仇はテンプラにあたって惨めったらしく死ぬから安心しろ、と」
ヴォックスは顔を上げてにっこりした。冬のイギリスらしからぬ日の光が透き通るように白いその肌を輝かせた。デスクの上のパソコンのモニターと思っていたのはよく見ると窓で、そこから染み入った日差しが部屋の中にあるものの上で燃え輝いていた。シェイクスピアの書物、コーヒーマグ、チェダーチーズプリングルズ、床にうず高く積み上げられた死者の祭壇みたいに鮮やかなエナジードリンクの空き缶の山。
「記憶というのは不思議なものだ、時が経てば経つほど美しく見える。しかしそれと同時に、領民たちが…確かにともに過ごしたはずの相手が、急速に遠くにいってしまうように感じるのだ。お前たちとの日々もまた―」
ヴォックスはふと口を噤んだ。しみったれた話はやめない、と言おうとしたまさにそのタイミングで都合よく黙ったのは、自分の夢だからだろうか、とミスタは思った。
取り繕うように椅子から勢いよく立ち上がったヴォックスに「ジョイコン見つかったんじゃなかったけ」と聞いた。ヴォックスは別の話題を振られてほっとしたように目を細めた。
「そう、やっと見つかったぞ。これでお前とゲームができる!」
ヴォックスは小娘みたいな嬌声を上げてミスタに抱きついてきた。コーラの甘ったるい香りとヴォックスの匂いが混ざりあって、ミスタの腹の底をふつふつ沸き立たせた。ミスタが腕を回してその滑らかな手触りを確かめるのと、ミスタの手からスマホが滑り落ちるのは同時だった。ゴツ、とスマホが床に落ちる音でミスタは目を開けた。
目を覚ましてからもヴォックスの語る夢の風景が頭を離れなかった。燃える城を見つめるヴォックス、その浮世離れした美しい顔を、涙が静かに伝うのを。どこかで見た景色だと思ったのだが、ヴォックスが出したカバーソングのMVの冒頭だと思い至った。あのシーンが随分印象に残っていたので、彼の過去を聞くことはほとんどなかったというのにこんな夢をみたらしい。彼の内心は知る由もないけれど、今も彼は、ニッポンの地の果て、神話的な風景の、終わりと始まりの境い目で涙を流し続けているのだろうか。
ぼーっと天井を眺めていると、ドアが開いてヴォックスが顔を出した。「いつまで寝ているんだミスタ、早く起きて、ピザの残りを片付けてくれ」
そこで初めて、昨日ヴォックスの家でピザを食べ、そのまま泊まったことを思いだした。おはようの代わりに、ミスタはふと問うた。
「ジョイコン見つかった?」
「どうしてそれを。そう、やっと見つけたんだ。これでお前と配信でゲームができるぞ!」
言い終わるうちに、ミスタはヴォックスに抱きついた。いいから早く顔を洗ってこい、と言うヴォックスの、夢で味わい損ねた象牙の感触を楽しむ。