座敷牢の乙女あら、ゆうげを……?
有り難う御座います。いつも、貴方のお蔭で退屈が紛れる気がいたします。
あ、いえ、暇と言うわけではなく……
旦那様のことを考えているだけで、勝手に太陽は沈んで昇りますから。お気遣いありがとうございます。
でも、この家で話し相手になってくださる方も貴方だけになってしまいましたね。
ふふ、つまらない事しか話せませんが、何でもお聞きください。
旦那様とは誰か……ですか?
あら、旦那様のお話、した事ありませんでしたか?
ええ、この家の主人のことではありません。
共に過ごしていたのはとても短い間でしたが、私が今も恋焦がれているお方なのです。
◇◇
そうですね……
旦那様は、不思議で、魅力的で、私が心からお慕いしているお方でした。
えへへ、そう、そうなのです。とてもとても、お美しいお方でした。美人は三日で飽きる、とは言いますがあんなの嘘っぱちです。
旦那様に初めてお会いした時、私はその美しさの虜になってしまったのです。今でもよく覚えております。
忘れもしないあの日……初めは、物の怪か何かかと思ったのです。
暗い雨の日、小道を傘も提灯も持たずに背のとても高いお方が歩いていたのですから。
しとしと降る雨のせいで足音も聞こえず、姿だけがぼんやりと浮かんでいて、とても不気味でした。
ゆっくり近づいてくる大男にすっかり萎縮してしまって、がたがた震えるしかなかった私は、夜道怪が攫いにきたのかも、と悪い考えが浮かぶばかりでした。
そんな私に、旦那様は緩やかに話しかけてきたのです。
その声が……何と申したものでしょうか、低く艶やかに響いて、恐怖心がたちまちに溶けていくのを感じた事を覚えています。
不思議に落ち着いた心臓と、聞いたこともないような美しい声に混乱して、おっかなびっくりお話していたのですが、眼を見ていないと失礼に当たることに気づきまして、慌てて顔を上げました。その時初めて、人の物では無い美貌を見て、恋に堕ちてしまったのです。
あゝ、その麗しさと言ったら!
黒檀の髪は雨に濡れて艶々と輝きながら、私の持つ灯に照らされるてちらと紅く見えるようでした。
平安の女でも、ここまで艶やかな濡羽色は持ち合わせていなかったでしょう。
怖く思えた身長も惚けた頭では気にならず、固まった私を見、不思議そうに笑われた時のお顔と、優しく差し伸べられた大きな手にますます惚けるばかりでした。
そして何より、旦那様のお声!どれだけ時がたって顔も何もかも忘れてしまっても、お声だけは決して忘れません。
もしかしたら、お声を聞いた時から私はとっくに恋に堕ちていたのかも。
旦那様は、一声で人も鳥も花も従わせていたのでしょう。
貴方も聞いたら、きっと聞き惚れてしまいますよ。
学の無い私があの方の声を讃える詩をうんうん唸って書き上げたほどですから。
この髪紐が見えますか?
私がその詩、もとい恋文を渡した時に下さった物なのです。今もきらきら輝いて、とてもとても綺麗でしょう?
旦那様の蜂蜜色の瞳と同じ色をしているんです。
でも、私は一度だけ、桜色……いえ、桃色の瞳を見たことがあるのです。渡した恋文を見て、旦那様は私を見下ろし、目を細めて、きゅっと笑って……あの時私、幸せの絶頂にいましたの。今でもこれを触れば、あの時の心地を思い出せますわ……
あゝ、でも、憎らしいお方でした。
旦那様は芥子の香りがする日に、ふらりと姿を消してしまったのです。
いつまでも共に過ごせるような方では無いと分かっていましたが、悲しいものは悲しいので、わんわん泣きあかしていました。
あの時の私は、酷い傲慢を胸に抱いて、どこまでも愚か者でした。諦めきれずに、必死に旦那様を探したのですけれど、場所はわからずじまい。
居場所なら、今ももちろん知りたいです。それさえわかれば、旦那様の元へすぐにでも飛んで行くのに。
でもきっと、もう一度会えたとしても、私では旦那様の孤独を埋める事はできない。
それが悔しくて、憎らしくて仕方ないのです。
もっと私が美しくて、もっと私が賢くて、もっと私が長い時を生きられたら、と、ありもしない夢を見るだけの力ない女であることが、無力であることが恨めしい。
私が出来ることは、旦那様が心から愛おしいと思えるような居場所を見つけて、心の底から幸せだと思えるようにお祈りするだけ。
今、どうしているんでしょうか。
笑っていますか? 泣いていますか? 辛い思い、苦しい思いをしていないですか?
旦那様の幸せが私の幸せです。
愛しています。