お題:ポインセチア その人は、閉店前の花屋に突然駆け込んできた。
「はな、花束!花束作ってください!」
膝に手をついて必死に息を整える彼からは、あまりの熱気に湯気が立ち上って見える。走ってきたのか髪はくしゃくしゃで、柔らかそうな素材のマフラーが首元から滑り落ちそうだった。思わず炭治郎は手を伸ばす。
「あ、」
同時に、マフラーを触る彼と手が重なる。
顔を上げた彼はまん丸の目をしていた。透き通るような黄金色だ。よく見れば、ライトに照らされるその髪も同じ色をしていた。ぺたりと前髪が額に張り付いているのは、きっと汗をかいているのだろう。
「あ、すみません……」
先に我に返ったのは金髪の彼で、身を引くといそいそとマフラーを巻き直した。じっと見つめていた炭治郎は、はっとして姿勢を正す。
「え、ええと、花束を?」
「あっ、そう!至急で一つ!お願いします!」
鼻息荒く言う彼に押されながら、これくらいだとこの値段で、と説明を始める。色合いもお任せで、と言うので炭治郎は手早く花を整え始めた。
「差し支えなければ、用途をお伺いしてもいいですか。プレゼント用でしょうか?」
「えへへぇ、そうなんです。今から会社の同僚に渡すんです」
でれ、と脂下がった顔はちょっとだらしがない。そのまま彼は、でれでれと頭を掻きながら一人で話し始めた。
「実は今送別会をやっていて、同僚の女の子が一人大阪に異動しちゃうんですよ。同じ仕事をしたこともあって、結構仲良かったんで、寂しくなるなって言ったら、その子も『私も我妻くんと働くの結構楽しかったよ』って言ってくれて」
そうか、お名前は我妻さんというのか。ふんふんと頷きながら炭治郎が聞いていると、
「なので、プロポーズすることにしたんです!プロポーズには花束、必須でしょ!?だから慌てて花屋に来たんです!」
突然の話の方向転換にずっこけそうになった。えっと……送別会の話じゃなかったっけ。
「あー……我妻さん、は彼女のことが前から好きだったんです、か?」
「いや、今までは普通に可愛いな〜って思ってたくらいだけど。でもだって、俺と働くのが楽しいってそれもう俺のこと大好きじゃん!俺のこと好きな子に出会えるなんて、こんなこと滅多にないよ!だからもうこれは結婚しかない!って思って」
言っていることが支離滅裂だ。炭治郎の口はあんぐり開いた。それでもプロなので、手は止めずにてきぱきとリボンを結ぶ。
「うーんと……よく分かりませんが、とりあえず成功を祈ってます……」
「ありがとうございます!!わあ、可愛い花だ」
女の子に渡すということで、ガーベラやバラといった華やかな花を集めて、白とピンクでまとめた。プロポーズだったらもう少し派手な方が良かっただろうか、と炭治郎はちらりと考えたが、嬉しそうな顔を見るとこれでよかったのだと思う。彼は高潮した顔で「頑張ります!」と高らかに叫んだ。
お代を払うと、我妻はキャメルのトレンチコートを翻して走り去っていった。その後ろ姿はまさしく「ウキウキ」で、思い付きだとしてもプロポーズをする彼は幸せそうに見えた。
「いいなあ……」
炭治郎はぽろりと自分の口から出た言葉に首を傾げた。今自分は、何を羨ましく思ったのだろうか。プロポーズをする彼に?それとも──彼にプロポーズされる女の子に?
今会ったばかりの人に、おかしな話だ。
炭治郎は腕まくりをすると掃き掃除を再開した。明日の朝も早い、花の様子を見たら今日はもう帰ろう。
「プロポーズ、成功するかな……」
ぽつり、呟きが誰もいない店内に響く。返事をするように、水の入ったバケツの中でユリが少し傾いた。
その答えを知れたのは、案外すぐのことだった。
レジ締めも終えてシャッターを下ろそうと炭治郎が外に出ると、遠くの方にぼうっと金色の頭が見えた。
「あれ……我妻さん?」
思わず名前を呼ぶと、よろよろとその顔が上がる。その顔色の悪さに炭治郎はぎょっとした。
「えっ!?我妻さん、大丈夫ですか!?」
慌てて駆け寄ると彼は先程とは真逆の、地を這うような声で「ああ……大丈夫です……」と言った。
「いや、大丈夫そうに見えませんけど……」
何があったんですか、の言葉は飲み込んだ。大方、プロポーズした相手に振られたのだろう。その手に残っている花束は、受け取ってもらえなかった証だ。
「や、せっかく作ってもらったのに……花束、渡せなくて、すみません……」
「それは、いいですけど……」
炭治郎が気遣わしげに肩を支えると、我妻の目にじわりじわりと涙が浮かんできた。
「お、俺、結婚してって言ったんですけど、ありえないって言われちゃって……すげえ汚いもの見るような目で見られて……ショックだった……」
ぽろ、と涙が溢れるのを見て、炭治郎は手の力を強めた。今にも崩れ落ちてしまいそうだったのだ。
「花束も……突っぱねられちゃって……ちょっとしわしわになっちゃって……、ごめんね……」
あんなに可愛かったのに。目線の先の花束は確かにしわが寄っていた。花も心なしか、少し萎れて見える。
ぽとりと地面に涙が落ちた。それを見て、炭治郎は両手で我妻の肩を掴む。
「あの、ちょっとお時間ありますか」
「へ?」
下ろしかけのシャッターを少し持ち上げて、中へ誘う。もう春だというのに夜はまだまだ寒い。特に今日は、冬に戻ったような気温だった。あまり暖房は効かせられないので暖かくはないが、外の空風に吹かれるよりはましなはずだ。彼も、萎れた花束を抱えてほっとした顔を見せた。
「ちょっと待ってて」
きょとんとした顔の彼を待たせて、花に目を走らせる。この時間はもう花の種類も多くない。それでも、丁寧に手入れをした花たちはまだまだ綺麗な姿を見せていた。炭治郎は一、二本手に取ると、彼の手からそっと花束を受け取った。
「えっ」
驚く彼の前で、手早く花束を整える。挿したのは、黄色いチューリップだ。少しカスミソウも足して、ボリュームを出す。萎れたように見えた花たちも、にわかに元気になったように見えた。
「これ、どうぞ」
「えっ?」
炭治郎ははにかんで笑うと、我妻に花束を握らせた。
「少しですけど、我妻さんのことを思って、我妻さんのための花を入れさせていただきました。これで、この花束はあなた宛の花束になった。これなら、持って帰ってあなたのお家に飾ってもらえるかなって」
思ったんですが、と炭治郎は上目で伺う。いや、でもプロポーズに振られた花束なんてやっぱり嫌かもしれない。余計なことをしたかな、と不安に思ったとき、我妻の顔がぶわりと赤くなった。
「えっ、あ、えっ!?俺に!?」
「は、はい、あなたに」
見てるこちらも恥ずかしくなるような赤面だった。彼は「わあ、わあ、嬉しい」と呟きながら花束を抱きかかえた。思わず炭治郎も笑顔になる。
「そんなに喜んでもらえて嬉しいです」
「そ、そりゃ嬉しいよ!俺のための花束なんて、生まれて初めてだもん」
我妻はじっともう一度花束を見ると「ありがとう」と噛み締めるように言った。
「すごいや、あんなに落ち込んでたのに、一気に幸せになれた」
「それは良かった」
「大切に飾るね」
ありがとう、と何度も言いながら彼は帰っていった。炭治郎はふわふわと揺れる黄色を見送りながら、ミモザの花を思い浮かべていた。
「こんにちは」
遠慮がちな声がして炭治郎が振り返ると、入り口にマリーゴールドのような頭が見えた。今日は朝から天気もよく暖かい。開放された入り口の向こうに、はにかんだ顔が覗いていた。
「我妻さん!」
「あれ、俺の名前覚えててくれたんだ。ありがとう」
前回とは違い、ラフなジーンズ姿の彼はきょろきょろと店内を見回しながら中に入ってきた。炭治郎もカウンターから出る。
「いらっしゃいませ」
「うん、先日はどうもありがとうございました」
そう言って頭を下げる我妻につられて、炭治郎もお辞儀をする。
「俺は何も……でも、お元気そうで良かったです」
「あんな風に花束もらったら、元気になるよ。それでさ、あの花束、そろそろ萎れてきちゃったんだよねえ」
彼は金髪の頭をかくと、気恥ずかしそうにこちらを見た。
「その……もう一回、花束、つくってもらえないかなって……ええと、俺用に」
炭治郎はぱちりと瞬きして考えると、すぐに顔を輝かせた。
「はい、もちろんです!」
ご予算はこれくらいで、イメージカラーは、と相談している内に、恥ずかしそうだった我妻も随分と打ち解けてきた。こんな風に花屋で花を買うことが、今までなかったのだろう。この前のときは、随分慌てていたしな。
仕事の話や、会社での話なんかもしながら二人で花束をつくり上げていく。
「わ、このお花かわいいね」
「ラナンキュラスですね。かわいいですよね、何本か入れましょうか」
綺麗に花びらが重なっているものを選んで、二、三本まとめる。うっすらピンクが入った黄色なんかもいいだろう。
炭治郎は花束をつくるのが好きだ。それぞれの花の良さを生かして組み合わせることによって、一本のときとは違う魅力を生み出せる。花は同じ種類でも、一本一本顔が違う。角度が変わるだけでも、違った表情を見せる。そして隣に並ぶ他の花を変えるだけで、全く違った花束になる。そういうおもしろさが、炭治郎は好きだった。
そして何より、花束を買う人々は皆幸せそうだ。その花束を渡された人も、きっと幸せになれるだろう。それを想像しながら花を選ぶのが、炭治郎は大好きだった。
「ラッピングの色は何かご希望ありますか」
「いや、竈門さん……のおすすめで」
炭治郎のネームプレートを見て、我妻は名前を呼んだ。このタイミングで呼ばれるとは思っていなくて、炭治郎の心臓は変な風に飛び跳ねる。
「わ、かりました……じゃあ、」
薄い黄色とオレンジを重ねて、整える。名前を呼ばれただけでこんな風にどきどきするなんて、おかしな話だ。今までお客さんに名前を呼ばれたことなんて、何度もあるのに。
「はい、こんな形でいかがでしょうか」
「わ、すごく良い!ありがとう!」
にこにこと笑う彼につられて炭治郎も笑顔になる。お会計を済ませて「どうぞ」と渡す時になって、我妻はじっと花束を見つめたまま動かなくなった。
「……?我妻さん?」
「あ、いや……なんか、不思議で。俺が自分で、自分のために買った花束なのに……なんだか、竈門さんから贈ってもらったみたいな感じがして」
花をもらうのって、幸せなんだねえ。
そう言って笑う彼は、恥ずかしそうに顔を赤らめていた。その顔を見て、炭治郎も顔が熱くなってきた。心拍数が先ほどよりももっと速くなる。高鳴る心臓がエプロンの上から動いて見えないかだなんて、変な心配をしてしまう。
「あ、変なこと言ってすみません……」
「い、いや!」
返事をしない炭治郎に不安になったのか、我妻は眉毛を下げて炭治郎を伺う。その上目にも動揺しながら、炭治郎は「喜んでもらえて、嬉しいです」と笑った。
「もし良かったら、またぜひ来てください」
「うん、また来るよ」
大切そうに花束を抱えて、我妻は炭治郎に小さく手を振った。炭治郎も手を振り返しながら、とことこ鳴り続ける心臓を手のひらでそっと押さえた。
「俺、花屋はここしか知らないけどさあ」
「うん?」
すっかり常連となった我妻は、今日も炭治郎の側でミニブーケをつくる様子を見ていた。いつもの通り「お任せで」、今日は夏に似合う花をという注文だ。
「花屋の店員さんって、みんな竈門さんみたいに優しいの?」
「えっ、と……」
炭治郎は返事に困って我妻を見る。我妻は他意のない目でこちらを見返していた。カウンターに肘を乗せて、かわいらしくこちらを見上げる様子は、とても炭治郎より一つ年上の社会人には見えない。
「竈門さんがいつも構ってくれるから、俺もこうして来ちゃうけど。迷惑じゃない?」
「えっ!?迷惑じゃないです!!」
「おお、声でか……」
思わず大きすぎる声が出てしまった。炭治郎は慌てて口を押さえる。「本当に、迷惑じゃないんです」
我妻は口元を緩めると「そ?じゃあまた来ちゃうね」と言った。
「はい!待ってます」
今日のミニブーケは、夏らしくヒマワリをメインにしたものだ。周りにグリーン系のトルコキキョウを散らして、爽やかに揃える。うん、良い感じだ。
「よし……できました!」
「うん、あっ!待って待って、まだ見せないでね」
「もちろん」
お会計を終わらせて、炭治郎は我妻の前に立つ。目をきらきらさせる彼に「はい!」と今日のミニブーケを差し出した。
「わあっ!すごい、綺麗!」
喜んでくれる我妻の顔を見て、炭治郎も自然と笑顔になる。
我妻の希望で、完成した花束はいつも渡す瞬間に初めて見せるようにしている。その方が、感動が大きいのだそうだ。まるで炭治郎から贈られているみたいだと言う我妻は、炭治郎をも幸せな気持ちにさせた。
「ひまわり見ると、やっぱり夏って感じがするねえ」
「そうですね、この時期は特に人気です」
嬉しそうに様々な角度からミニブーケを眺める我妻は、その髪色も相まってとても似合っていた。
「なんか、ひまわりってずっと見てると不思議な感じ。こっちを見てる気がする」
「『あなただけを見つめる』」
「えっ?」
「ひまわりの花言葉です。ちょっとホラーっぽいって、言われちゃったりもするんですけどね」
「へえ……竈門さんは、花言葉にも詳しいの?」
「詳しいってほどでもないですけど、やっぱり聞かれたりすることも多いので、なるべく頭には入れてます」
我妻はそれを聞いて目を輝かせた。
「じゃあ、これは?この緑の花!」
「トルコキキョウですね。有名なのは『希望』ですが、緑は……『良い語らい』だったかな」
「へえ……じゃあ俺たちにぴったりだな!」
にっこり笑った我妻が、花を炭治郎の方に向けた。輝くような笑顔と、ひまわりたちがこちらを向く。
「いつも竈門さんと、『良い語らい』ができてるからさ」
「あ、えっと、そうですね……」
炭治郎は思わず目を擦った。我妻まで花に見えたのだ。
「じゃあ、また来るね」
「はい!ありがとうございました!……お待ちしてます」
炭治郎は不思議と熱くなった顔に、ぱたぱたと風を送った。夏の空に、黄色はよく映える。
「えっ会社の受付に、ですか?」
「うん……俺が、休みの日に花屋に行ってるって話をしてて……そうしたら、会社の花を注文するように頼まれちゃって」
確かに、社内に、特に入口や受付に飾る花を注文されることは少なくない。今でも毎週月曜日に届けている会社は二つある。
「できますよ。カウンターに置くくらいの大きさですよね?」
「うん……そうなんだけど……」
どこか暗い顔をした我妻に、炭治郎は首を傾げた。
「我妻さん?」
「あ、いや……なんか、竈門さんの花が俺以外に見られるの嫌だなあって思っちゃって……ごめん、仕事もらえるほうがいいに決まってるのに……変なこと言った」
炭治郎は一瞬固まって、すぐに首を振った。いや、この人に他意はないはずだ。
「我妻さんへの花束は、いつも我妻さんのことだけ考えてつくってます。会社のお花とはまた別ですよ!」
「あ、そ、そうなのね……えへ……竈門さんも結構恥ずかしいこと言うのね……」
恥ずかしいことを言っただろうか?炭治郎としては本当のことを伝えただけだ。「ううん、ごめん大丈夫だから」と我妻は手を振った。
「じゃあ、月曜日にお届けに上がればいいですか?」
「そうだね、午前中に来てくれればいいから」
炭治郎はカレンダーに書き込むと、それじゃあと善逸の目の前に立った。
「今日のお花です!」
「わあ、バラだ!」
九月なので秋っぽく、ということでオレンジ色のバラをメインに、ダリアを添えてまるみのあるデザインにした。花を見てぱっと頬を染める姿が可愛らしい。
ん?可愛らしい?
炭治郎は自分の考えに「うん?」と思いながらも、喜ぶ我妻に笑いかけた。
「バラっていうと赤とかピンクとかが有名ですけど、オレンジもいいですよね」
「うん、俺オレンジのバラ好きだな。あっねえねえ、これも花言葉あるの?」
「オレンジ色のバラは『爽やか』ですね。我妻さんにぴったりだ」
「えっ!?えへぇ、そんなに褒めたって何も出ねえよお!」
「そういうところは爽やかじゃないけど……」
でれ、と褒められて身をくねらせる我妻を見て、炭治郎は苦笑する。オレンジのバラの花言葉は他にも「無邪気」「情熱」「プライド」と数多けれど、とりわけその中でも、
「『無邪気』……なんだよなあ……」
「え?何か言った?」
炭治郎は、我妻が花を見て無邪気に喜ぶ姿が好きだ。もっと見ていたいと思う。できたら……一番近くで、ずっと。
「いえ、今日も喜んでもらえて嬉しいです!」
「うん、大切に飾るよお」
秋風に吹かれながら跳ねる後ろ髪を見つめて、炭治郎は「あ、次の花にクラスペディアを入れよう」と思い付いた。
「おはようございます!サンフラワーかまどです、お花を届けに来ました!」
次の月曜日、炭治郎は約束通り我妻の会社に軽トラックで向かった。受付には女性が一人、ここで良いだろうかとにこりと笑いかける。
「お花は、こちらに置かせていただいてよろしいでしょうか?」
「は、はい、ありがとうございます。お願いします」
どこか顔が赤いような気がするが、気のせいだろうか……?もしかしたら体調が良くないのかもしれない、炭治郎が「あの」と声を掛けようとするとそれを遮るように後ろから聞き慣れた声がした。
「竈門さん!」
振り返ると、スーツ姿の我妻さんが立っていた。
「我妻さん!おはようございます」
「おはようございます。ありがとうございます、お花。早かったんですね」
「はい、早くお届けしたくて!」
普段店に来てくれる時は休日の私服ばかりだったから、こうして我妻のスーツ姿を見るのは初めて来店してくれたとき以来だった。細身でかっこいいなあ、と炭治郎は少し見惚れる。
「わ、今日も綺麗だな」
炭治郎が置いた花を見て、我妻が小さく笑んだ。かっちりとまとめられた髪型も相まって、どうにもいつもより大人っぽく見える。炭治郎は珍しくどもりながら領収書を差し出した。
「え、と、とりあえず本日だけとのことでしたので、今回の分の領収書です」
「あ、ありがと。多分またお願いすることになると思うけど。連絡しますね」
「でしたら、次回からは、月に一回まとめての精算にさせていただきます」
「うん、よろしくお願いします」
炭治郎は花の角度を整えて、そういえばと振り返った。顔を赤くしていた受付の彼女は、大丈夫だろうか。
「あの、大丈夫ですか?」
やはりまだ赤い顔でぼうっとしていたものだから、もう一度声を掛ける。炭治郎から話しかけられてはっとしたのか、「いえ!あの、すみません!」と慌てだした。
「ちょっと竈門さん、うちの受付に手出さないでよ」
ぶすくれた声がして振り返ると、口を尖らせた我妻がカウンターに肘をついてこちらを見ていた。
「えっ?」
「はあ……まあいいや。ごめんね、おじゃましました」
最後の言葉は受付の女性に向けて、我妻は炭治郎の肘を持ってぐいぐい引っ張り出した。
「え、ちょ……っと、我妻さん?」
「高身長イケメンの若い花屋さんにあんな風に笑いかけられたら、そりゃぽーっとなっちゃうでしょうよ」
「な、何ですか?」
「何でもなーいです。イケメンはむかつくなーって言ったの!」
「……一体、我妻さんは何に怒ってるんですか?」
こんな風に不機嫌な我妻を見るのは初めてかもしれない。炭治郎は困って、正直に尋ねた。
「別に!竈門さんがあんな風にかっこよく花を持ってきたら、みんな好きになっちゃうんだから気を付けろよなって話!」
「えっ!?じゃあ我妻さん、俺のこと好きだって思ってるんですか!?」
外に向かっていた我妻は、炭治郎のその言葉で足を止めた。真っ赤な顔が振り返る。
「そういうところは、好きじゃない!!」
「ええ!?」
「お疲れさまでした!!」
耳まで真っ赤にした我妻が会社に戻っていくのを見送りながら、炭治郎も呆然と突っ立っていた。
「え……もしかして、俺……」
我妻さんのこと、好きだったのか。
自覚した途端、心臓にどんどん血が送り込まれた。鼓動が速まる。頭のてっぺんから指先までぎゅんぎゅん血が廻って、どこもかしこも毛穴が開いたかのような心地だった。
そうだ、初めて会ったとき、俺は我妻さんが弾丸プロポーズしようとしているのを見て、羨ましく思ったんだ。誰に?我妻さんに、そんなに思われている名前も知らない女性にだ。我妻さんに花束を渡す時には、いつも胸が高鳴っていた。何故?我妻さんの笑顔を、心待ちにしていたからだ。俺がつくった花束で、我妻さんを喜ばせたかった。この前も、「俺以外に竈門さんの花を見せたくない」だなんてかわいい言葉に喜んで……。あれ?
「や、やっぱりもしかして……我妻さんも俺のこと、好きなのかも」
はっとして我妻さんの姿を探すも、もうとっくにビルの中だ。あの綺麗な金髪は見当たらない。
「我妻さん……」
次に会えた時、自分の想いを伝えよう。
そう心に決めると、炭治郎は我妻にプレゼントするに相応しい花を頭の中で思い浮かべ始めた。
「それで、もう二月も会えてないわけ?」
「そうなんだ……前は、月に一度は店に来てくれていたし、今なんか毎週会社に花を卸しにいっているのに……」
カウンターに手をついて項垂れる炭治郎を見て、花子は溜息をついた。
大学生の花子は、こうしてたまに兄の店を手伝いに来てくれる。他のアルバイトもしているから、入れるのは授業のない平日や、たまに土曜日。日曜日に多く来店する我妻とはまだ出会ったことがなかった。しかし、ここ最近溜息ばかりつく兄の姿を見て、もう限界と声を掛けたのだ。
「ねえ、会社に行くときに会えないの?『我妻さんいますかー』って、言えばいいじゃん」
「一回、言ってみたことはあるんだ。でも社外に出てますって……。俺が入れるのはエントランスまでだし、それ以上中に入ることはできないよ……」
また深い溜息をつく炭治郎のつむじを、花子は唸りながら見つめた。
この兄が、このいつもしっかりしていて面倒見が良く、爽やかで優しくてちょっぴり頑固で、地域の全ての人に愛されているんじゃないか?と思えるくらい良い人な兄が、好きな人に会えないと悩んでいる。どうにか力になってあげたい。
花子はまた「うーん」と唸った。姉なら、どうやってアドバイスをするだろうか。
禰豆子も就職前は、よくこの「サンフラワーかまど」を手伝いに来ていた。今はもう実家も離れてしまったし、なかなか店には来れない。代わりに大学生になった花子が、こうして手助けに来ているのだ。
禰豆子はいつも優しいが、判断が素早く頼れる姉だった。何か相談すると、いつも親身になって話を聞いてくれたし、花子を助けてくれた。禰豆子だったらこの兄にどうアドバイスするだろうか。花子は眉を寄せて考える。
「そうだ!会社の前で出待ちしてみたら!?木曜なら定休日でしょ?」
「いや……うーん、迷惑そうな顔されたら立ち直れない……」
「……お兄ちゃんって意外と小心者だよね……」
「うっ……いやでも……」
あまり見ることがない兄の弱った姿に、花子は少し腹が立ってきた。何を弱気になっているのだ。あなたは私の、私たちの自慢の兄だというのに。
「しっかりしなよ!迷う前にまず行動!何もしなければ今の状況と何も変わらないよ!」
ぱしんと、細い手で炭治郎の背中を叩く。その勢いに炭治郎ははっとした。
「……そうだな、ありがとう花子!兄ちゃん頑張ってみるよ!」
「そうそう、お兄ちゃんはその調子じゃないと!」
炭治郎はぐっとこぶしを握って大きく頷いた。花子も合わせて頷く。
「じゃあ、作戦立てよっ!」
炭治郎は驚いていた。いつまでも小さな妹だと思っていた花子が、こんなにも大きく成長していたとは。店を手伝ってくれていたときからそうだったが、彼女は本当に責任感が強く、面倒見が良い。弟二人の世話をしてくれていたからだろうか。
「よし……どう?お兄ちゃん。これで上手くいきそう?」
「うん……うん!上手くいく!いや絶対、上手くいかせる!」
「そうこなくっちゃ!」
「絶対に、我妻さんを振り向かせてみせる!!」
炭治郎は大きく頷いた。その兄の姿を見て、花子も力強くガッツポーズをする。
ここに、『毎週お花で告白大作戦』が始まったのだ。
……が今、それも早々に頓挫しようとしていた。
「あっ我妻さん!我妻さーん!」
「うるさいうるさい!寄ってくんなよお!」
来るべき木曜日。まずは、昼休憩に出てくるのではないかという我妻を、炭治郎は出待ちしてみた。もちろん片手に花束を携えてだ。
今日は、丸っこい形がかわいらしい赤いキクをメインに、オンシジュームで黄色みを足してみた。冬にでも気持ちがぱっとする、華やかな花束だ。
「我妻さん、あなたに受け取ってほしいんです!」
「いやいや、嘘だろ!?会社の前で花持って立ってるイケメンいるとか社内で噂になってたんだよお!まさか俺を待ってるとは誰も思ってねえよ!」
「我妻さんに会いにきたんです!」
「そんな大きな声で言わなくても聞こえるから!今まさにみんな大注目だよ!俺たちのことをさあ!」
我妻の大声の拒否にも負けず、炭治郎はまっすぐ花束を差し出した。華やかな花束は、黒のストライプスーツを身に纏う我妻によく似合うはずだ。
炭治郎の圧に押されてか、もしくは花の綺麗さに惹かれてか、我妻は一拍置いて花を受け取った。花を見て苦笑する。
「まあ、花に罪はないしな。……これは、赤いけど、キク?……もしかしてだけど、花言葉とかあるの?」
「『あなたを愛してます』です!」
「……聞くんじゃなかった!」
我妻は花束で顔を隠してしまった。炭治郎が覗き込むと、耳まで赤くなっている。
「我妻さん、また来てもいいですか?」
炭治郎の問いに、我妻は黙り込んだ。しばらく経ってから、ようやく「……目立つのは嫌いだ」と言った。
「昼は俺も、コンビニに買いに出るくらいしか時間ないし。……次は、夜来いよ」
七時くらいに、いつも帰るから。
そうぼそぼそ話す我妻の声に、炭治郎も耳まで赤くして「はい!」と答えた。
「えーっと……今日は?」
「今日は、スターチスです!」
紫に緑でシックにまとめた花束を、我妻に差し出す。どうだろうか、今日は少し、大人っぽい雰囲気にしてみた。炭治郎は唾を飲み込む。我妻の評価が気になる。
「へえ、なんかおしゃれだね。俺好きだな、こういうのも」
「あっありがとうございます!」
三回目ともなると、我妻も慣れた様子で花束を受け取ってくれた。道端の植え込みに隠れて待っていたのも良かったのかもしれない。一回目は必要以上に目立ってしまい、怒らせてしまったから。
我妻が出てくるのはすぐに分かった。炭治郎はずっと、エントランスにちらちら目を向けていた。それに我妻も、ここに炭治郎がいることには気付いていたようだ。真っ直ぐにこちらに向かって歩いてきてくれる姿に、炭治郎は胸が高鳴った。
「あー……聞いた方がいいのかな……えっと、花言葉は……?」
「変わらぬ心!です!」
「な、なるほど……」
キク、ベゴニア、と来て今日はスターチスだ。我妻は花言葉を律儀に聞いてくれる。炭治郎がちゃんと考えて花を贈っているのを知っているからだ。
「ねえ、毎週貰っていてさすがに悪いよ。俺、お金払うからさ」
「えっ!?いえいえこれは俺が好きでやっていることですから!というか、我妻さんを好きでやっているんです!」
「あっえっ?そ、そうなの?」
竈門さんって突然ぶっ込んでくるよねえ、と我妻は顔を赤らめた。そんな我妻を見て炭治郎は「好きだなあ」と思う。自覚してからは特に、会う度にどんどん好きな気持ちが強くなる。そしておそらく──我妻も、悪く思っていないはずなのだが。
「ほ、ほら、今日は飯、食べに行くんだろ?」
「はい!嬉しいです!」
「駅の方でいい?」
「はい!」
「俺の好きな居酒屋があるんだけど……そこでいい?」
「はい!」
「すげー体育会系の後輩をもった気持ちだわ」
我妻は炭治郎を振り返って笑った。手には炭治郎が渡したばかりの花束。これで、本当に炭治郎のことを何も思っていないわけがないだろう。こんなに好意を伝えているのに、拒絶されず、あまつさえこうして仕事終わりに飲みに行こうとまでしているのだから。
「竈門さん?早くおいでよ」
しかし、ここで問い詰めても、きっと良い結果にはならない。炭治郎は「はい!」と元気よく応えると我妻に駆け寄った。
「それでねえ、結局、総務課のヨシカワさんにも彼氏がいるって……じゃあ何のためにその合コンは開かれたのって話よ!」
「は、はあ……」
「もう……人数合わせで呼ばれたから行ったのにさ、まあ可愛い女の子たちとお話できたから良いんだけどねえ」
うへへぇ、と笑った我妻は、またハイボールに口をつけるとジョッキを空にした。
我妻の行きつけの居酒屋というのは、カウンターもあるが半個室のボックス席もある、うるさくもないが静かすぎもしない居心地の良い店だった。料理も美味しく、大衆居酒屋らしく安価なものばかりなのに、どれも丁寧に作られている。まだ週末ではないというのに良いペースで酒を進める我妻は、すっかり酔った様子で先日の合コンについて話し始めた。それを聞いて、炭治郎は少しだけむっとする。メニューのタッチパネルを触る彼に、炭治郎はぽつりと声を掛ける。
「……我妻さんは、」
「え?」
「我妻さんは、恋人、欲しいんですか」
二、三回瞬きすると、我妻はまた目線をタッチパネルに戻した。
「そりゃあ、世の男の多くはそうでしょう」
「そうじゃなくて、我妻さんはどうなんですか」
「ええー?」
我妻は酒精の回った呂律で「まあねえ」とだけ言った。それきり言葉は返ってこない。
「あ、レモンサワーにしよ」
「我妻さん、俺の気持ちは知ってますよね」
我妻は、黙ったままタッチパネルを操作した。軽い電子音だけがテーブルに響く。
「俺は、恋人になれませんか」
ピ、注文ボタンを押すと、もうやることもなくなる。店内のBGMがやたらに耳についた。
「竈門さんはさ」
今までの酔いを感じさせないはっきりとした声で我妻が言った。
「かっこいいよ。身長も高いし、爽やかだし、笑顔はかわいいし。しかもその若さでしっかり自分の店を切り盛りしていて、すごい。めちゃくちゃえらい!」
我妻は一つ枝豆を摘んだが、もう殻だったようでまた皿に戻した。
「そんなかっこいい人があんなに素敵な花束つくれるなんて、もうずるいよ。チートだよ。花なんて貰ったら、誰でも好きになっちゃう」
「……我妻さんは、好きになってくれましたか?」
我妻は炭治郎を一瞬睨むと、すぐにテーブルに顔を伏せた。つむじまで金色なのだと、炭治郎は初めて知った。
「……そういうこと聞いちゃうのも、ずるい」
炭治郎は胸が高鳴った。これはもしかしたら、我妻も自分のことが好きだと言ってくれているのではないか。
「我妻さ、」
「でもさ」
くぐもった声が炭治郎の言葉を遮る。
「俺たち、勘違いしてるんだよ」
「……え?」
「花を渡して、渡されて。何か、そういう気持ちになっちゃっただけ。ごめんね、俺がさ、いつもただの客なのに竈門さんに渡されてるみたいとか馬鹿なこと言ってたから。竈門さんも、訳わかんなかったでしょ」
「……そんなことは」
「だから、竈門さんの気持ちは、勘違いだよ。ごめんね、俺のせいだ」
今は、彼のつむじしか見えない。顔が見たい、と炭治郎は強く思った。それは、我妻さんの本心?どんな顔で、そんなことを言っている?
「我妻さん」
金色の髪の毛をそっと触る。手の端に触れた耳が思ったよりも熱くて、思わず指先でさり、と触れる。
ばっと顔を起こした彼は、悔しそうな、それでいて泣きそうな顔をしていた。その勢いに驚いて手を離した炭治郎だったが、吸い寄せられるようにその頭に手を回す。
「え、」
戸惑う声を飲み込むみたいに、気付いたら顔が寄って、唇が重なっていた。柔らかい。ハイボールのほろ苦い味。ふわふわする頭の中でそれだけが泡が弾けるように浮かんだ。
離れて見た我妻の唇は赤くて、濡れていて、あ、俺の唾液か、と思うともう止まらなかった。今度は右手も伸ばして顔を寄せようとすると──
バチン!
左の頬に熱を感じてはっとする。息を荒げた我妻が、こちらを睨み付けていた。
「あ、我妻さん──」
「釣りはいらない」
言葉の温度にぎくりとする。聞いたことのない冷たさだった。ばしんとテーブルの上にお札が置かれる。
「我妻さん、ごめんなさい、」
「レモンサワーお待たせしましたあ!」
店員が珠のれんの隙間から顔を出す。俺たちの異様な雰囲気を感じ取ったのか、一瞬動きが止まった。その間に我妻はコートを持って立ち上がる。
「あ、」
後ろ姿があっという間に見えなくなる。追いかけた方がいい、そう思うのに、あの冷たい目と声を思い出すと足が動かなかった。好きな人に嫌われたかもしれない、その事実は今までかかってきたどんな病よりも苦しいのだと、炭治郎はこの時初めて知った。
「……よく、また来れるよな」
「今会わないと、もうずっと会えないと思って」
一週間後、再び木曜日。炭治郎はすっかり日の落ちた植え込みに座って我妻を待っていた。立ち上がるとダウンジャケットが擦れて音を立てる。もうとっくにその存在に気付いていたらしい我妻は、それでも炭治郎の前で足を止めてくれた。
「先日は、すみませんでした」
頭を下げた炭治郎に対して、我妻は黙っていた。その沈黙が怖い。我妻に会ったら何と言うかずっと考えていたが、とにかく謝ることしか浮かばなかった。まずは非礼を詫びたい。
「あなたの気持ちも考えずに……自分の欲をぶつけてしまった……本当に、反省しています。ごめんなさい!」
遠くで聴き馴染みのあるクリスマスの歌が鳴っている。我妻はため息を吐くと「もういいよ」と言った。
「別に、気にしてない」
「まっ、待ってください!」
じゃあね、とそのまま踵を返そうとするその腕を、炭治郎は慌てて掴んだ。
「何さ?」
「あの、えっと、これを……」
我妻は渋い顔をする。この期に及んで、まだ花を渡そうとするのか。しかもこれは──
「……バラじゃん」
「……はい。これが、俺の気持ちです。我妻さん、あなたのことが好きです」
「……だから、それは」
「勘違いじゃないです。この気持ちが勘違いだったら、無理矢理キスなんてしません!」
閉口する我妻に「あっいや、たとえ好きでも許されないことですけど!ごめんなさい!」と慌てる。
「あの、つまり、俺は!本気です!……それを、分かってほしくて」
炭治郎はそっと赤いバラを差し出す。我妻がそれを受け取ってくれたのを見て、「俺は、もうここには来ません」と言った。
「え?」
「我妻さんのことは好きだけど、俺は我妻さんの迷惑にはなりたくない。俺では駄目だって言うのなら、ちゃんと諦めます。……でも、もし、もしも」
俺の気持ちに、応えてくれる気があるのなら。
「店に、また来てください。……待ってます」
炭治郎は真っ直ぐ我妻を見つめた。困惑している。その黄金の目の中に、自分の姿が映っているのを見た。ずっと見つめていたい──でも、今は駄目だ。
「じゃあ、失礼します!」
お辞儀をすると、炭治郎はぎゅっと目をつぶった。このまま我妻のことを見ていたら、未練たらたらになりそうだったからだ。走りながら、我妻にもう会えないかもしれないと考えると涙が浮かんできた。慌てて手の甲で擦る。
ええい、炭治郎!しっかりしろ!かっこよくないぞ!
我妻は、店に来てくれるだろうか。
また勝手に浮かぶ涙をごしごし擦る。
置き去りにしてきた我妻が、呆然と炭治郎の背中を見送っていたのには気付かなかった。
「ちょっと、お兄ちゃん!クリスマスなんだから、ちゃんとキビキビ働いて!ほら次の仕事!予約の花つくって!」
「うん……ごめんな花子……」
「はい伝票まとめといたから!私六時には出ちゃうからね!?ちゃんとやるんだよ!?」
「うん……ありがとう花子……」
十二月二十四日。クリスマスイブ。何となく世間全体がそわそわした空気に包まれている。多くのお店が大忙しの日だろう。花屋も例外ではなく、花の予約でいっぱいだった。やはり生花をプレゼントするなら当日に受け取るのが一番だ。花子の手助けもあって、花束はもうほとんどつくり終えていた。あとは予約時間の受け取りを待つばかりだ。
昨日、我妻と別れてから、炭治郎はずっとぐるぐる考え込んでいた。あの選択は正しかったのだろうか。赤いバラはキザすぎただろうか、彼はもしかして引いていただろうか。俺の気持ちに応えてくれる気があるなら、だなんて偉そうな言い方だっただろうか。もう我妻には二度と会えないんじゃないか──なんて、考え出したらキリがなくて、今日は朝から溜め息をつきっぱなしだった。先週からずっと暗い顔で思い悩む炭治郎に、詳細は突っ込まないが大体状態を把握したらしい花子は、時々気遣ってくれながらもしっかり仕事をするように背中を叩いてくれた。もう、本当によくできた妹だ。
「これで、終わりかな……」
予約の花は全て引き取ってもらった。昨日の炭治郎のような赤いバラの花束もあれば、豪華な胡蝶蘭の鉢植えまで出た。小さな可愛らしいピンクのブーケや、おしゃれなグリーン系のバスケットも、みんな嬉しそうな笑顔、もしくは緊張した面持ちのお客さんが引き取っていった。きっとどれも、それぞれの場所で大切に飾られるだろう。
ぐっと腰を伸ばすと、ぽきりと音がした。屈んだ作業がいつもより多かったからか、腰も固まっている。掃き掃除を終わらせたら帰ろうと箒に手を掛けると「あの、」と声が掛かった。
炭治郎は一瞬固まると、ばっと振り向く。その勢いにちょっと押されて身を引く彼は、ここ最近の炭治郎の頭の中にずっといた、金髪の彼、その人だった。仕事終わりなのだろう。スーツにコートを羽織って、立派な大人の格好をしているのに、どこか頼りなさげに彼はそこに立っていた。
「我妻、さん……」
「あの、えっと」
入り口で立ち止まる彼は、小さな声で「花束、つくってもらえますか」と言った。
炭治郎が花の茎を切る音だけが店内に響く。二人とも、あまり何もしゃべらなかった。いつもの定位置よりも、少し離れたところで、我妻は炭治郎の手際を見ている。
「ラッピングは、何色がいいですか」
「……おすすめで」
「分かりました」
白と、あとはクリスマスらしい赤色が透けた包装紙を選ぶ。炭治郎が仕上げをするときには、我妻は所在なさげに下を向いていた。
「我妻さん」
炭治郎が静かに呼ぶと、我妻がゆっくり振り向く。炭治郎は後ろ手に持っていた花束を「どうぞ」と差し出した。
「……わあ」
「我妻さんを思って、つくりました」
真ん中に目立つのはポインセチア。赤がよく映えるように周りにはカスミソウを添えた。我妻は受け取ると、「ポインセチアだ」と呟いた。
「ポインセチアは鉢植えが多いですけど、こうやって切り花にしても素敵ですよ」
「うん、綺麗だな」
再び店内に、沈黙が落ちる。炭治郎は一歩、距離を詰めた。
「聞かないんですか?」
「え?」
「ポインセチアの、花言葉」
花から目を上げた我妻は、こくりと唾を飲んだ。その様子が胸に苦しくて、衝動的に炭治郎はその背中に緩く手を回した。
「聞いてください」
顔が近すぎて、我妻の目の中に映る自分がはっきりと見える。彼が口を開くと、息が顔に掛かってくすぐったかった。
「……花言葉は?」
「『わたしの心は、燃えている』」
こつり、額がぶつかった。二人の体の間で、花束が抗議するように音を立てる。潰さないように、でもこれ以上離れたくなくて、炭治郎は金色の彼の目を覗き込んだ。
「我妻さん、ここに来てくれたってことは、それがあなたの答えでいいんですか?」
炭治郎が囁くと、我妻もくすぐったそうに目を細めた。少し顎を上げれば、キスできるような距離。でも我妻の許可が欲しくて、炭治郎はじっと耐えた。
「あのさ」
「うん」
「善逸って、呼んで」
「善逸、好きだ」
目の前で嬉しそうに琥珀の目が細まるのを、炭治郎はたまらない気持ちで見ていた。
「俺も好きだよ、たんじろ、んっ」
素早く花束をカウンターに戻すと、隙間ないように体を抱き寄せ唇を寄せる。すぐに善逸の腕も炭治郎の背中に回った。
少しだけ皺の寄った包装紙の中で、瑞々しいポインセチアだけが二人の幸せそうな横顔を見ていた。