灯火に闇ジリッとライターの擦れる音が鳴り、薄暗い闇の中で男の顔を映し出す。煙草に火をつけると直ぐにライターの火は消えて煙草の火種だけがぼんやりとその赤を灯す。ふーっと吐き出した息に乗って紫煙があたりに漂って視界を歪ませる。
1面の大きなガラス窓の奥に広がる夜景の光に照らされて男のよく通った鼻梁がかたどられる。
私は情事を終えた後の気怠さの残る体をうつ伏せの格好で高級そうなベッドに預け、男の横顔の輪郭をなぞる様に眺める。
この男とは体だけで繋がっている。男が私に本気になる事はないと断言されているし、もし私が本気になったらこの関係は終わる。だが憎らしいほど好みの顔のこの男は初めから私の想い人だ。この男はただセックスの相手が欲しかっただけで、たまたまそこに私が居合わせただけだ。体だけの繋がりでもいい。どんなに苦しくても血反吐を吐きそうでも私はこの関係を選んだのだ。
見つめている事に気付いたのかふとこちらに顔を向けた。
｢なんだよ、どうした？｣
驚く程優しい笑みで私の髪を手慣れた様子でかきあげてくる。
｢べっつに〜。｣
何人の女にそうしているのかと考えてなんだか腹立たしくなり素っ気なくそうとだけ返して顔を反対側に向ける。
この高級であろう夜景美しいホテルの一室も、優しい仕草も何もかも、私だけの物ではなくヤレる相手なら誰にでも用意するのだろう。もう一度チラリと男の方に顔を向けると、男はまだこちらを見たままで｢ん？｣と眉を上げてみせる。
その甘い声を、私を狂わす手を、蕩けさせる口淫を、熱い楔を、何人の女に味わわせているのか。脱がなければ見られない胸元に刻まれたタトゥーを何人の女に見せたのか。嫉妬で体の中が焼き切れそうだった。だがそんな嫉妬は微塵も滲ませずに私は笑ってみせる。
｢なんか、さっきのエッチはつまんなかったな〜って思ってさ。｣
つい先程までよがっていた口で平気で嘘をつきながら、ふと思い出す。
以前、電子タバコにしないのかと何の気なしに聞いた事があった。彼はライターで煙草に火をつけてから『だってなんかつまんねぇじゃん。』と愛しいものでも見る眼差しで答えた。つまらない物に魅力はない。この価値観が呪縛となって今も私を蝕んでいる事に気付く。
｢…？｣
私の言葉が琴線に触れたのか、男の喉の奥で唸るような低い声がして私の鼓膜を震わせる。手に持ったまだ火をつけて間も無い煙草をなんの躊躇もなく灰皿に押し付けると私の肩を乱暴に掴み仰向けに転がす。
更に顎を上から押さえつける様に掴まれると男の怒りを孕み歪んだ顔がすぐ目の前に近付いた。前髪が私の額に触れる。
｢まだテメェの身体が誰のモノなのか分かってねぇみてぇだな。｣
怒気を孕んだ低い声が私の腹の底を刺激する。
それと同時に噛み付くように私の唇を割って男の舌が侵入する。舌を絡み取られ吸われると湧き上がる愉悦に体が粟立つ。
｢…っ！！！｣
そのまま湧き上がる熱に身を委ねようとした刹那、舌に走った強烈な痛みに私は咄嗟に首をすくめた。口の中に鉄の味が広がる。
離れた男の冷ややかな視線とぶつかった。口の端に付いた私の血液の混じった唾液を手の甲で拭いながら上唇を舐める。私の舌に小さく傷をつけた八重歯が唾液に濡れて怪しく光る。
｢キスだけで甘えた顔してんじゃねぇぞ。｣
冷たい表情のままそう言うと顔がまた近付く。再び塞がれると思った唇は期待を裏切り通り過ぎ、私の耳に寄せられる。
｢寝られると思うな。抱き潰してやる。｣
獣が唸るそれの様に耳元で低く囁かれて体が震えた。
抱き潰して欲しい。抱いて抱いて抱き潰して、穿たれてどろどろになって何もかも曖昧になって、それから堕ちて欲しい。愛して欲しいとは望まない。だからせめて、私の身が甘いうちはただ私の甘露に酔って溺れさせてやるのだ。