第二話 興味鬱陶しい雨が気にならないほどに、梓は鏡の中の彼に興味を持った。
鏡は決まって部屋に誰もいない夜の19時に繋がるようだ。アズイルも、その時間は大体は野宿をして過ごしているようで森の中であれど、場所は毎度変わっている。
今日は、穏やかな川のせせらぎが聞こえて来て梓は欠伸をした。
「静かでいいとこだね」
『まぁ……僕も気に入ってるとこ』
そんなたわいない会話しかしなかったが、梓には楽しい日々が続いている。
「そういえば、なんでアズは野宿してるの? 宿とかないの?」
『あることにはある……けど、今は帰りづらい』
今日は動物の心配がないのか、琴は脇に置いてアズイルは頬をポリポリとかく。
「帰りづらい……誰かと喧嘩した?」
『……まあ、そんな感じ……』
少し頬を赤くして顔を逸らす……ということはだ。
「もしかして、恋人と?」
猫のようにバッと素早く梓を振り返るアズイルは、顔を真っ赤にする。
『そ、そんなんじゃ……いや……合ってるけど……』
「そんなに照れるってことは、相思相愛なんだね。早く謝ったら?」
『うっ……分かってる……けど……』
俯く真っ赤な顔を見て思ったことを、彼はふと口にした。
「アズはツンデレなんだな」
『誰がツンデレだ!!』
図星らしい。
「素直になれない気持ちも分かるけど、ちゃんと伝えてあげないと可哀想だよ」
『そんなの、言われなくても……分かってる……し……』
唇を尖らせながら、顔を背けられる。本当に素直じゃない性格のようだ。
「ははっ、アズイルも恋するんだ」
『うるさいな……そういう、そっちはどうだよ』
「僕? ……そうだなぁ、初恋の女の子はいたよ。同じピアノスクールに通ってて」
『ぴあのすくーる?』
「うん、けど……僕が練習していく度に女の子のプライドを傷つけたみたいでさ……最終的に嫌われたんだ」
『……才能を妬む者は大勢いるからな』
今や昔の話でも、すぐこの間のように感じた梓は未だに降り止まない雨を見つめた。
『そういえば、ぴあのってなんだ?』
「え、ほら……鏡の向こうにある……」
『その大きな黒いのか? ……持ち運びはできなさそうだな』
「そりゃそうだよ、僕たちよりもめちゃくちゃ重いんだ。部屋に入れると、工事みたいに大掛かりなことになるんだよ」
『ふぅん……』
少し興味があるのか、アズイルはじっと見つめている。
クスッと笑ってからピアノの前に行くと軽く調律して、椅子に座った。
手が動くだろうか……ちょっと怖かったが、ポーンと音を鳴らす。懐かしい音に、心のどこかのつっかえが少しだけとれた気がした。
そこからアズイルは魅せられる。
美しい旋律、奏でられる楽しさ、音に込められた感情一つ一つに耳をピクピクと動かして聴き惚れていた。
その様子が面白かったのか、梓は小さく笑う。
ああ、そうだ。これが音楽の楽しさだ──ようやく、思い出した。
身体中を音が、ピアノの声が覆っていく。心地よい……温かくて、たまらない。
やはり、ピアノが大好きだ。
弾き終えた頃に、アズイルが拍手をする。
『お前……すごいな』
「そ、そう? これで天才ピアニストって言われてた意味が……って感じかな」
『ぴあにすとってよく分からないけど……感動した』
素直じゃない彼が言うほどなのだ、心を動かせたことに違いはない。
「で、謝る気にはなれた?」
『なっ……それとこれとは話が別だろ!?』
やはり素直じゃなかった。
…………。
眠れない……モゾモゾと布団の中で動いていると、鏡にまだアズイルが写っているのが見える。
木を背にして腕を組み座ったまま眠っているようだ。
アズイルの方が歳上に見えるが、恐らく同い年だろう。
どうして、あんなに大人なのだろう……気になり見つめていると、声が聞こえた。
『うっ……うぅ……』
「……アズ?」
魘されているのか──鏡に近づくと、苦悶の顔がよく見える。
『……だ、めだ……起き…………と、う……さ……』
「アズ……」
『起き……て……父さ……置い…………ない……』
「アズ!」
声に、アズイルはバッと目を開けると素早く弓矢を構え梓に向けた。
ビクッと肩を震わせるのを見て、少し悲しそうな顔をしてから弓矢を下ろす。
『……悪い』
「いや、いいんだ……大丈夫?」
『……ああ』
そう思えば、梓は彼の過去を何も知らない。浮かない顔をしているところに何かいい言葉をかけられれば、と思ったが生憎とそんなポキャブラリーはない。
『……気にするな、いつものことなんだ』
「いつも? ……うなされてるのか?」
『ああ、いつも……昔の夢だ』
昔に囚われているのだろうか……梓はしゅんとしながらも、布団を鏡の前に持って来るとクッションタイプのソファをズリズリと引きずってきた。
『……何してんだ、お前』
「一緒に寝ようかなって……」
『あのな……一緒に寝るって言ったって、鏡隔てた向こう側だぞ』
「いいだろー、誰かと寝落ちるまで話してみたかったんだ」
『なんだそれ……変なヤツ』
くっと笑うアズイルを見るのは初めてだ。物珍しそうにじっと見つめていると、いつもの顔に戻った。
「あ、戻った!」
『あまりヘラヘラするタイプじゃないんでな』
「えー、もっと笑えよ〜! 女の子にモテるぞ!」
『モテなくていい』
布団を被りながら二人でくだらない会話をする。
こんな友だちを、求めていたんだ。
そう梓は、アズイルと笑いながら話しつつ確信した。
続