第三話 愛されたいその日、梓にとっていらぬ来客があった。
中学の時に、いじめられていた男子がズカズカと部屋まで押し入ってくる。
「……っ」
「久しぶりだなぁ、梓! 元気にしてたかよ!」
「なんで……」
「懐かしいなあ! お前が来なくなって二年だぞ!? いやぁ、会いたかったぜ!」
ガッと胸元をつかまれると顔を寄せられ、そいつは笑う。
「逃げるために引越ししやがってよ……これからたっぷり搾ってやる」
「ひっ……」
思わず声が出た。それに、何も変わってないんだと分かったのかニタァとした気味の悪い笑みを浮かべる。
「んじゃ、分かってるよなぁ?」
「……僕、は……お金……持っ……てない……」
「はぁ? マジのニートかよ。じゃあ部屋にあるちょっと高そうなモンでも……」
床に捨てられ、完全に怯えた状態の梓は無意識で助けを求めるようにドレッサーに手を伸ばしていた。
そう都合よく彼が出て来る訳がない──だが、鏡は彼の状況を見てなのか異世界を写し出す。
『……おい、何をしている!』
「ゲッ……!」
部屋を物色していたソイツはアズイルの声に肩を跳ねらせると、急いで扉の方へ向かう。
そして、梓を一瞥した。
「……運が良かったな」
「……っ……!!」
出ていったのを確認してから、ドレッサーに振り返る。
あからさまに不機嫌そうな顔をしているアズイルが、相も変わらず森の中にいた。
「……ごめん……」
『はぁ……別に。あんなんで逃げるなんて、たいしたヤツじゃないのは明白だな』
「……うん」
沈んだ声に耳がピクピクッと動かしてから、尾を少し左右に揺らがせて近づいて来る。
「……」
『本当に平気か?』
「……ダ、メ……」
ガクッと膝をつき身体中がブルブルと震えるのを、アズイルは見つめた。
『アイツが例の……イジメとかしていたヤツだな』
「……っ、うん……彼も、ピアノを……習っ、てたんだ……中学の合唱コンクールで……僕が選ばれてから……いじめが……酷くなって行って……」
『……そうか。辛かったな』
珍しく優しい声をかける彼に、梓は顔を上げる。青色の瞳が憂いに満ちており、実際は慈悲深いのがよく分かった。
少しずつ落ち着いてきた梓はフラフラしながらも、ピアノの椅子に座る。やはり、手は震えて動かなかった。
「……ダメ、なんだ……あんなことがあったり……父さんと母さんに怒鳴られると……僕は、生きていたらダメなんだって……」
『……』
「僕は、他人に疎まれたり妬まれたりすることでしか……生きてはいけないのって……何回も神さまに祈ったよ。けど、何も変わらないし……どんどんとエスカレートしてくし……」
前髪をくしゃっと掴んで、梓は泣きそうな顔でピアノの鍵盤に映る自分の瞳を見る。
アズイルよりも深くて濃い青色の瞳だ、母方の祖父がこの瞳の色だったらしく間接遺伝と言うものらしい。
「……僕は、誰かに愛されることなんてないんだ」
『そんなことはないんじゃないか』
「え……?」
『愛ってよく分かんないけど……だって、愛は人の心を動かすことができるものじゃないか?』
「……」
『僕は、お前の……梓の演奏を聞いて心が震えた。これは事実だ、お前は僕の心を動かした……お前が音楽を愛してるから』
「音楽を、愛してる……」
『妬みも憎しみも疎みもあるだろうさ、感情とはそういうものだ。特に、欲に関する負の感情は人間の目を曇らせる。アイツには見えてないんだ、お前がぴあのを愛していることを』
「……僕、は……」
梓が口吃るのをアズイルは、フッと笑いながら琴を持った。
『それに、お前のことが大切だから親は喧嘩しているんだろ?』
「……」
『なら、愛されてるじゃないか。ちゃんと見てくれてるぞ』
「でも、こんな形……間違ってるよ」
『ああ、問題の本人が何も言わないんだからな』
図星だ、いつも言い争っている親に「何かして欲しい」「これを聞いて欲しい」「自分の想いを分かって欲しい」……どれも、今までに言ったことのないワガママだ。
「……そう、か……僕は……」
いつも閉じこもっていた。
逃げられる場所なんてなくて、どこに行けばいいのか分からなくて勝手にダメだと決めつけて防ぎこんでいたんだ。
「……僕、変わらないと……」
『……その意気だ』
アズイルが小さく笑うと鏡がぼんやりと消えていく。
「……もう……」
『ん……ああ、最近は終わるのが早いな。今度はいつ繋がることやら……』
「……ん……あの、さ……アズ」
『ん?』
すぅっと一息ついて、梓は笑う。
「……ありがとう、いつも……優しい声をかけてくれて」
『ああ、そんなことか……気にするな』
「うん! 僕、アズに会えてよかった」
『……僕も、梓に会えてよかった……』
小声で言うが、梓にはもちろん聞こえておらず。
ピアノの椅子に座れば、鍵盤を押して曲を奏で始める。
その日は雨の音に混じり、ピアノの音が彼の部屋を包んだ。
続