最終話 変わらない、これからも二人が夕飯を食べ終えれば、お風呂に入る。見たことの無いシャンプーやリンスのせいで、アズイルが一人でてんやわんやしていたため仕方なく梓が手伝った。完全に猫のお風呂である。
それからは、テレビを物珍しそうにじーっと見ていたり、梓の持つ『すまーとふぉん』とやらを見たりと文明の違いに彼が飽きることはなかった。
「不思議だな……」
「うん、僕たちは魔法が使えないから……こうやって発展や発明をして行くんだ」
「なるほどな……」
小さく笑って、梓は濡れた髪をドライヤーで乾かす。猫のような耳としっぽなのに、髪の毛はサラサラしている。自分でしっかりとお手入れしているのが良く分かった。
「アズって、意外とオシャレ好きだよね」
「……そうか?」
「うん」
「……母さんが、オシャレは大事だって色々と叩き込まれたからな」
凄い母親だなぁ、と梓は思いながらも乾かしきると優しく櫛で梳かす。
「お前は顔が綺麗だから、いざとなったら女と偽って逃げなさいとかも言われたな……」
「えっ」
「昔の話だからな」
「そ、そっか」
でも、四歳の頃にアズイルの母親が死んでいると言うことはだ……。
「……えぇ〜……」
「よく言うだろ、どうでもいいことはよく覚えてることがあるって。それと同じだ」
「あ〜……分かりたくはないけど、分かるよ」
楽しい時間はあっという間だな、とドライヤーを片せばクッション型のソファに座っているのを見かけた。
通称、人をダメにするクッションソファ。その柔らかさから、ベッドで寝れない時はこっちで寝ると意外とよく眠れる。
「気持ちよさそうだね」
「ん、中々いいなこれ……」
はしゃいだり、不良を相手にしたりで疲れたのかアズイルは既にウトウトしていた。
森の中ではないから気を張る必要もない……きっと、安堵してのことだろう。
「……」
寝息をたて始めるのを見て、梓は目を伏せる。
今、ここにアズイルがいること自体が奇跡だ。
けど、この世界の者ではない。いずれは帰ってしまう。
「……ワガママ、言ったら……ダメだよね」
別に、この世界にずっといてくれとか一緒に連れてってくれとかではない。
いつまでも、一人の友として忘れないでいて欲しい。
ただ、そんな想いが強かった。
けど、時間とは酷なもので人の記憶から消えていくものは沢山ある。
せめて、記憶に残っていられれば……。
「……僕は、アズのこと……絶対に忘れないから」
グッと拳を作ると部屋の電気を消し布団の中へと潜ると、久々に遊びに出た疲れがブワッと来て眠気が襲ってくる。
こんなに心地の良い眠気はいつぶりだろう──そのまま、暗闇へと意識は持っていかれた。
…………。
僕は、何か変われたのだろうか。
梓は……僕に会えて良かったって言ってくれていた。それは、僕だって同じだ。自慢じゃないけど、村を出てから誰かを信頼したりとか友だちができたとか、あんまりなかったし。
けど、僕らは違う世界に住む人間だ。
なんだったら、もしかしたら僕たちは本当は出会ってはいけなかったのかもしれない。
けど、この手鏡を見つけたのは本当に偶然だったのだろうか?
奇跡で片付けて、よかったのか?
……分からない。
「……分からないな」
明け方に目が覚め、まだ眠ってる梓の顔を覗き込む。
鏡の向こう側で見ていた時は、いつも眠れないようで布団の中で何度も寝返りをうっていた。
今日ほど、よく眠れている顔を見るのは初めてだ。
「……僕は、忘れない。梓に出会ったことを」
ベランダに出て身体を伸ばす。
つい最近、両親が亡くなったと梓が言っていた。
……僕は、立ち直るのに時間がかかったのにな。
「強いな、梓は……」
実際、彼に出会って救われたのは僕の方だったのかもしれない。
いつまでも過去に縛られて、何度も同じことを繰り返そうとしていた。
僕は、決して強いわけではない。
すぅっと朝の空気を吸う。ここは、梓に連れて行ってもらったアサクサとは違って自然に囲まれていて、空気がよく澄んでいる。
少しでも外に出れば、淀んだ空気がした。
暗い顔をしながら歩いている人が多くて、大丈夫かと思ったがそればかりではなさそうだ。
「う、ん……あれ? アズ……? おはよう……」
「……はよ」
未だに帰り方が分からない……どうしたものか、と考え始めると梓がおずおずと声をかけて来た。
「あのさ」
「なんだ?」
「その……僕と、合奏してくれないかな」
「……合奏? 僕は琴しか持ってないし、他人と楽器合わせたことなんてないぞ」
「それでもいいんだ」
そう言って、梓は『すまーとふぉん』をポチポチと操作すると、ある曲を流し始める。
「……いい曲だな」
「うん、僕も好きなんだ……なんだか僕らみたいな曲じゃない?」
「ああ」
クッションの近くに置いてある琴を手に持つと、ぴあのに寄りかかった。梓もぴあのの前にある椅子に座ると、けんばんを弾き始める。
この曲の伴奏か……なら、僕は琴で歌詞を奏でればいいのか?
合わせると、琴とぴあのの音が綺麗に重なる。一つの音楽にできることの楽しさを初めて知った。
楽しくて、混ざり合って、絶対に解けない音。
「……楽しいな、これ」
…………。
初めて見た、アズイルの心の底から楽しむ笑顔に梓は嬉しくなった。
そうだ、これが本来の音楽の在り方のはずだ。
人々の心を楽しませ、救い、笑いを誘う。
全てを救うことなんてできないけれど、それでも。
「音楽で、誰かを救うことはできるんだ……」
「そうだな、きっと……そうなんだ」
太陽が少しづつ街を照らし始める中で響く、鮮やかな音色。
いつまでだって、空に響け。
……………………。
それから数日後、アズイルは鏡に吸い込まれて帰って行った。
寂しくはあったが、一緒にいれた時間は大切な宝物だ。僕の心の中には、ずっと彼がいる。
鏡も、いつの間にかヒビが大きくなっていて使い物にならなくなっていた。けど、前よりも透き通っている気がする。
また、会えたらいいな。
今の姿を見たら、ビックリするかな。
アズイルと出会ってから四年が経ち、成人式でピアノを弾くことになった。
僕は海外の学校でピアノの腕を更に磨き、あちこちから呼ばれている。
それでも、この家には定期的に帰ってきていた。
……なんだか、またアズに会える気がして。
「……アズ、僕は──」
無事に、大人になれたんだ。誰かを助けられる音楽を、奏でられるようになったよ。
……。
いつしか、また会える。鏡が、彼を写し出す日はそう遠くなく。
友同士が再開を果たす日が訪れる──それは、また別のお話。
終