第五話 友だち色の褪せた世界は続いた、鏡に彼は写らないし弱まっていた雨は強まっていく。
ピアノを弾いても楽しくなかった。音楽がこんなにもつまらないと感じたのは初めてだった。
褪せた世界が色を失って、白と黒だけの世界になっていって……。
馬鹿だ。
僕は愚かだ。
話を聞いてくれた人を、嫌いだと突き放した。
決して親身ではなかったけど、それでも彼は話をしっかりと聞いてくれていた。
それだけで、良かったじゃないか。
欲を張って、彼を知ろうとしたのがいけなかったんだ。
『だって、それじゃあ不公平じゃない?』
不公平だよ。
僕だって、知りたいよ。
友だちになってくれた人を知りたいよ。
もっと、仲良くなりたいんだよ。
それの何がいけなかったの?
数日写らない鏡は僕の抱く虚無感を増幅させて行く……。
そんな中、部屋の扉を叩く音が聞こえた。
ぼんやりした目で、入ってきた人を見上げる。その人は、母方の叔母だった。
僕を抱き締めて、泣いている。
どうして泣いているんだろう。
「梓くん……ごめんね、こんなことを伝えるのは酷だと思った……けど……」
叔母は僕と六つしか違わない、母と10も離れた妹で若い。
「……あなたのお父さんと、お母さんがね……車で移動していたら……大型のトラックがスリップして……衝突、して……」
……なんで。
「亡くなって……」
……なんで?
僕が、変われなかったから?
毎日、喧嘩していたとしても大好きな両親だ。
神様は、僕に何を求めているの?
僕を救ってはくれないの?
「……なん、で……」
皆、いなくなっていくんだろうな。
…………。
それから、時が経つのが遅く感じた。
雨の中行われた父と母の葬儀を、上の空で終わらせる。
遺影を持って、ぼんやりしていた。
全てが、どうでも良くなっていく。
……あれ、どうして?
どうして、僕は生きているんだっけ?
自分の部屋に戻ると、葬儀の時の服のままピアノの前に座った。
鏡は以前とヒビが入ったままで、あの世界を写すことはない。
なんでかな……音楽が聞こえない。
一つも、音がないんだ。
色が、どんどんと透明になって……鍵盤がぼやけて見えなくなって行く。
ああ、そっか……。
『僕はもう、この世界に用はないんだ』
そう思った時には暗い道をフラフラと歩き、家の近くにあるビルへと向かっていた。
雨が止むことは無い。
僕の足も止まらない。
止まない雨なんてなかったんだ。
明けない夜なんてなかったんだ。
全て、自分のせいじゃないか。
フェンスを越えようとした、その時だった。
『──バカっ、何してんだ!!』
今、一番聞きたい声が聞こえた気がした。
「……え」
振り返った先には祖母のドレッサーがあり、その中にはアズイルを写し出している。
「な、んで……?」
『馬鹿! なんでじゃない! 足を下ろせ!!』
「っ……放っといてよ! 幻滅しただろ! 呆れただろ!? 僕なんか、いらないんだ!!」
『お前には音楽とぴあのがあるだろ!! 全部捨てるのか!?』
「うるさい!! アズに僕の何が分かるんだ!!」
『分かるわけないだろ! 顔は似てても、僕はお前じゃないんだぞ!!』
ズキッ、と胸が痛んだ。
「なら、尚更……放って……」
『でも、お前のことを助けることはできる!!』
ドクン、と鼓動が鳴る。
「たす、けるって……」
『お前を分かることだってできるかもしれない! それに――』
グッと泣きそうなのを堪えるアズイルの顔と瞳が、僕の姿を捉えた。
『――友だちが死ぬのは嫌なんだ!!』
「っ……」
待ってたんだ。
僕は、待ってたんだきっと。
そう言ってもらえることを。
『うわ、なんだ!?』
「アズ……?」
鏡から光りがあふれた。眩しさに目を瞑っていたらバランスを崩して、そのまま柵の向こうに落ちそうになる。
「う、わ……」
だが、身体は落ちるどころか上に引っ張られて誰かに抱き留められた。
「……どうなってるんだ、これ」
「……アズ!?」
助けてくれたのは、鏡から出てきたらしいアズイルだった。
…………。
「不思議なこともあるもんだな……どうやったら戻れるんだ? コレ」
「うーん……何が起きてるのか……」
二人でビルの屋上に体育座りしてぼーっとしている。アズイルは帰れなく、頭を抱えていた。
「……困ったな……」
「え?」
「荷物、全部森に置きっぱなしだ」
「えぇ!?」
「や、金目のものは置いてな……おい落ち着け」
オロオロとする梓は鏡の中をバンバンと叩く。
「いいの……? 大丈夫なの?」
「わざわざ笛とか太鼓持っていくヤツいないだろ、そんなことするのよっぽど金に困ってるヤツか暇なヤツだぞ」
アズイルの世界での楽器の扱いはどうなっているのか……しかし、彼が困っているのは別の方だった。
「弓矢がないと……」
「え?」
「敵に襲われた時に対応できない」
真面目な顔をしていう彼に、梓はぷっと吹き出すと大声で笑う。
「なんだよ! 僕は真剣なんだぞ!!」
「ご、ごめっ……はは! そんなこと考えるのは、この世界でアズぐらいだよ」
滲んだ涙を拭って、空を見上げる。いつの間にか鬱陶しかった雨は止み、夜が明けていた。
「……止んだ……夜も、明けたんだ……」
「止まない雨はないし、明けない夜もないからな」
「うん……そうだね、アズの言う通りだった。」
ふぅっ、と一つ息を吐き梓はアズイルの腕を引っ張る。
「あ?」
「行こう、濡れたまんまだと風邪ひいちゃうから」
「僕は平気だって……ちょっと引っ張るなよ!」
明け方の道は誰もおらず、誰かが見ていることもない。
……が、一応梓が着ていたベストを頭に被りジャケットを腰に巻いて耳と尾を隠しながら、家へと向かった。
中では梓の叔母が泣きながら心配したんだよ、と怒られたが無事だったことに安心したような顔をしている。
周りにはちゃんと自分を心配してくれる人がいる――それを知って、嬉しいような恥ずかしいような……そんな想いを胸に抱きつつ部屋へと向かった。
アズイルは一回の庭で見つからないように茂みに隠れており、梓が顔を出して手招きすると木を器用に昇ってベランダにスタッと降り立つ。
「おぉ~……」
「関心してる場合じゃないだろ……」
拍手でもしたいが、それは我慢してタオルを渡した。
……が、タオルを見ても首を傾げているため代わりに頭をワシャワシャと拭く。まるで、本当の猫のようだ。
「耳が生えてる~」
「ミコッテだからな」
「しっぽがある~」
「……ミコッテだからな」
気の抜けるような会話をしつつ、髪を拭き切ると耳をヒョコヒョコと動かして振り返る。
「それより、どこかに動物はいるか?」
「……もしかして……とは思うけど」
「狩りをしないと飯が食えないだろ」
「はぁ~……戻れるまでは、ちゃんと食べさせてあげるから」
「本当か?」
声色は変わらないが、嬉しいのか尻尾がゆっくりと揺れていた。完全に猫である。
「……でも、不思議だな……アズがここにいるなんて」
「僕も不思議だよ、そこらへんに動物はいないし奇妙な箱が動いているし、やたらと高い塔はあるし。クリスタルタワーか何かか?」
「クリスタルタワー? ……なにそれ」
「ほら、ここから見える……あの高いヤツ」
「東京スカイツリーのこと?」
「と……すりー?」
「東京スカイツリーだよ」
クスクスと笑って、梓は何かを思いついたのか自分のタンスをガサゴソと漁った。
「うーん……多分大丈夫だとは思うんだけどな……」
「ん?」
「これ着て、着てたものは干しとくから」
「どこでだ?」
「そこの浴室で」
部屋にある三つの扉の内の一つを指さす。
「ここに」
「……本当に、お前って金持ちなんだな」
「なんだよ! 今更!」
そんな意味のない会話をしながら、二人は着替えを済ませる。
梓が財布を持ったのを、アズイルはジト目で見て首を傾げた。
「なんだそれ」
「お財布だけど……」
「へぇ~……」
「これで、あそこのクリスタルタワーに行くよ」
「なんだと!? じゃあ早く弓矢を」
「いらないいらない、ベランダに出て待ってて」
大人しく従うアズイルを、本当に猫みたいだなぁと思いながらも部屋の外へ出る。
「叔母さん、僕ちょっと遊びに出かけてくる!」
「え? いいけど……気を付けてね」
「うん!」
梓の明るい表情に、叔母もホッとしながら見送った。
ベランダに行き、アズイルを呼ぶと尾を隠して頭に帽子をかぶせる。
「……窮屈」
「我慢して」
そう言って梓は彼の腕を引っ張って、街中へと繰り出す。
空は、温かい太陽が濡れた地面を照らしていた。
続