「ドラケン、三ツ谷って恋人いンのか?」
普段は口数の少ない同僚がわざわざ仕事の手を止めてそんなことを聞いてきたのは、額にじんわりと汗の滲む初夏のことだった。
その言葉にドラケンこと龍宮寺堅もまた、作業の手を止めて、目の前のバイクから目線を外した。左のこめかみから汗が流れ落ちて、首にかけた真白いタオルに吸い込まれていく。
「イヌピーの方が知ってるんじゃねぇか?」
僅かに責めたような口調になってしまったが、イヌピーこと乾青宗は、そんな龍宮寺に気がつかないのか、ゆるゆると気怠けに首を横に振った。
「そういう話はしねぇ。それに三ツ谷のことで、ドラケンが知らねぇことを、オレが知ってるわけねぇだろうが」
とはいうものの、兄貴気質の三ツ谷と、年上ではあるが末弟気質の乾は相性が良いのだろう。二人のサシ飲みは遅番の龍宮寺の仕事が終わるまで、だったのが、いつしか予定を合わせて開催されるようになった。
昨日も二人は双悪に顔を出したあと、居酒屋に場所を変えて随分と遅くまで飲んだらしい。たまたまその場に居合わせた武道と千冬が連絡してきた。
もちろん、そのことに口出す権利は一切ない。龍宮寺と三ツ谷はただの友人同士だし、もう互いに成人を過ぎた男なのだ。
「・・・・・・なんでそんなこと気になるんだ?」
龍宮寺が聞くと、乾は首を傾げた。窓から差し込む光に、肩まで伸びた金髪がきらきらと光る。どう言うべきなのか迷っているようであった。
どくり、龍宮寺の心臓が歪に脈を打つ。
「三ツ谷はアレで来る者拒まずって感じ、だからか?」ゆっくりと乾が口を開いた。
ようやく言葉にした乾の語尾には、ありありとクエスチョンマークが浮かんでいた。それでも言い直すことなく、どこか納得したようにひとり頷いている。
龍宮寺は先程の乾とは逆の方向に首を傾げた。
「・・・・・・そうか?」
「ウン」
龍宮寺はその結論に至るまでの経緯を知りたいのだが、会話はこれでお終いとでもいうように、乾はちらりと視線を時計に向けた。
いつからか男二人ゆえに食事をつい疎かにしてしまう龍宮寺と乾を見かねて、三ツ谷が週に何度か手料理を持ってきてくれるようになった。いつも大体お昼時、遅くとも十一時過ぎには顔を出す。
だがしかし、今、壁にかかった時計の針は十一時半を指している。店のドアベルは鳴らない。
「今日は三ツ谷来ねぇか」
残念そうに肩を落とした乾は、いつも通り先に昼休憩へと消えていった。その後ろ姿を見送りながら、龍宮寺はゆっくりと息を吸って吐いた。
胸に居座るこのもやもやとした感情は、かつての龍宮寺に覚えがあった。
✱
それからしばらく、三ツ谷がバイク屋に顔を出すことはなかった。一度連絡をしたら、ただひとこと『やばい』と返信がきたので、たぶん納期やらなんやら龍宮寺のあずかり知らぬところで忙しいのだろう。
両手にそれぞれ三ツ谷の好きな酒と、カゴに適当に放り込んだ食材がいっぱい入ったビニール袋をぶら下げて、龍宮寺は三ツ谷の家へと向かった。
少しでも息抜きになればという気持ちと、あわよくば三ツ谷の手料理をと思う気持ちが六対四――本音を言えば三対七くらいだった。
時刻は午後十時を過ぎたところだ。月はぼんやりと雲に薄化粧され、星の瞬きがいつもより輝いて見える。
それなりに年季の入ったアパートの二階角部屋。電気はついているので在宅らしいが、カーテンは閉まっていて部屋の様子は分からない。
「はーい、今行きます!」
軽やかなチャイムの後、しばらくしてドアの向こうから可愛らしい女の声がした。龍宮寺は思わず体を固くする。思い出すのは数日前の乾の言葉。『三ツ谷って恋人いンのか?』
三ツ谷という男は誰に対しても優しい。あの頃は男ばかりでつるんでいたが、今はデザイナーという職業柄、女との出会いも多いだろう。
もちろん、三ツ谷が女に不誠実な対応をするとは思っていない。乾はああ言ったが来る者拒まず精神で告白を受けるようなことはない。長い付き合いだ、言いきれる。
が、だからこそ、怖いのだ。人付き合いを大切にする三ツ谷に彼女ができればきっと、近いうちに必ずその女と結婚をするだろう。
その時、三ツ谷は自分のこめかみに龍がいることを、相手に伝えるのだろうか。
龍宮寺はふと思った。
「すみません、お待たせしました!」
ドアが内側から開いて、隙間から丸くて大きな垂れ目が覗く。随分と可愛らしい女――というより、まだ少女というべき見た目だった。
「あー、えっと、うーんと」
少女は龍宮寺を認めると、右手でドアを全開にし、視線を左上に泳がせた。淡い桃色に彩られた指先が、艶のある薄い唇に添えられる。生温い風が高めの位置で結ったポニーテールを揺らした。
きっと高校生だろう。白を基調としたセーラー服に、胸元の襟の部分には紺色のダブルラインが入っている。同じ色のリボンタイに、プリーツの細かいスカート。すらりと伸びる両手足は細く白い。
完璧に退散するタイミングを逃した。龍宮寺は少女に代わってドアを左肘で支えながら、小さく溜め息を吐いた。まさか三ツ谷の彼女が未成年だとは・・・・・・。本当ならば、その場でしゃがみこんで頭を抱えたい気分だった。
「ドラケンさんだ!」唐突に少女が叫んだ。
ぽかん。見知らぬ少女だと思っていた子に名前を呼ばれ、龍宮寺は口を開けた。
「忘れちゃった?」
「・・・・・・あー、ルナちゃんか」答えながら心底安心した。
「うん! お久しぶりです」
無邪気に笑うその顔は、少女の兄によく似ていた。まだあどけなさは残るが、記憶より幾分も大人っぽくなっている。当然だ。三ツ谷が実家を出てから龍宮寺がひとり顔を出すわけもなく、こうして会うのは実に五年ぶりほどになる。ドラケン、なんて呼び捨てされていた頃が懐かしい。
「マナちゃんも元気か?」
「元気ですよ。きっと私がドラケンさんに会ったって知ったら羨ましがるだろうな」
言いながらルナは、どうぞと龍宮寺を家に招き入れた。何度も来ているのに初めての空間に足を踏み入れるような、そんな不思議な感じがした。
「三ツ谷は?」
「それが・・・・・・」
姿の見えないこの家の主の所在を聞けば、ルナは困ったように口を曲げた。そして部屋の隅、こんもりと膨らんだベッドを指さした。それだけで龍宮寺には伝わった。
「寝てんのか」
「お兄ちゃん、熱があって」
「マジか」
ただ徹夜が嵩んで寝こけているわけではないのか。龍宮寺は眉間に皺を寄せた。すると、あの、とルナは声をあげてから、少し逡巡するように俯いた。前髪で顔に影が落ちる。
「お兄ちゃんのこと、お願いしてもいいですか?」
やっぱり家にひとりで残してきたマナのことも心配なんです。姉の顔をしたルナの言葉に、龍宮寺は安心させるように微笑んで頷いた。
「ああ。コイツをひとりにはしねぇよ」
ぱあっとルナの顔が明るくなった。明日ウチの店は定休日だから気にすんな、と龍宮寺が付け加えると、申し訳なさそうに、でも嬉しそうに頷いた。
ベッドサイドに置かれたアナログ時計は、午前十時半を指している。さすがにひとりで帰すのは心配で千冬に連絡をしてみれば、そういうことならと車で迎えに来てくれた。ルナは最後までお礼を言いながら踵を鳴らして帰って行った。
部屋の電気を落とし、ベッドサイドの小さな明かりだけつける。静かになった部屋で龍宮寺がそっとベッドに近づいて覗くと、顔を赤くした三ツ谷がいた。どうやら熱はあるらしいが、寝息はすうすうと穏やかなものだった。
龍宮寺が汗に濡れた前髪を分けて、右のこめかみを柔く撫でてると、冷たい手のひらを求めるかのように三ツ谷が頬を寄せてきた。
「・・・・・・ドラケン?」
「おう。大丈夫か?」
「うん、って、ハハ。夢だよな」
「夢じゃねぇぞ。大丈夫じゃなさそうだな」
はたはたとまつ毛が震えて、三ツ谷はゆっくりと目を開いた。その淡い瞳は龍宮寺が映ると、驚きにきょとんと丸まり、それから嬉しそうに弧を描いた。
「えー来てくれたんだ」
「まあな。熱いくつあんだ?」
「そんなにねぇよ。大袈裟。薬も飲んだし」答えた三ツ谷の口調は、思ったよりしっかりしていた。
「嘘つけ。さっき俺のこと夢だと思ったくせによ」
なんてことない軽口だったはずが、三ツ谷はなぜか狼狽えた。え、あ、と言葉にならない声を漏らす。いつもはキリッと上がった眉が今はヘニョリと下がって、龍宮寺は可愛らしいなと思った。
「それはさ、あの、」
「ンだよ。ハッキリしろよ」
「会えたらいいのにって・・・・・・、思ってた、から」
最後は消え入りそうな声だった。これには龍宮寺も頭を殴られたような衝撃を受けた。
「例えばよォ」
龍宮寺はいきなりベッドに腰掛けた。ぎしりと音が鳴り、近づいた距離に三ツ谷が視線を泳がせた。
「イヌピーとオマエが二人で飲むのが嫌だ」
「へ?」
「オマエに彼女できんのが嫌」
「ちょッ、ま、」
「こういう時に真っ先に頼られねぇのも嫌」
「ど、ドラケン?」
「俺はもう、ただオマエのそばにいられるだけじゃ足りねェんだワ」
三ツ谷は押し黙った。色素の薄いアメジストのような瞳がゆらゆらと揺れる。そこには困惑を浮かべているが、たしかに隠しきれていない喜びもあった。
「オレのもんになれよ、三ツ谷」
龍宮寺の傲慢な言い草に、三ツ谷は優しく笑った。子どものような無邪気な笑い声をくつくつと数度零してから、ゆっくりと龍宮寺のこめかみに手を伸ばし、そこに柔く触れた。
「もうとっくにオマエのもんだワ」
どちらからともなく、すっと互いに目を閉じた。龍宮寺の手のひらが三ツ谷の耳朶に触れて、こめかみの揃いの龍に添えられる。
唇に熱い息を感じた、そのとき。
「待て」
龍宮寺の唇が触れたのは、三ツ谷の手のひらだった。
理性と本能の天秤がゆらゆらと揺れる。待てという言葉を無視して、今すぐ唇を奪ってしまいたい。龍宮寺はそれでも息を吐いて、三ツ谷に聞いた。
「・・・・・・・・・・・・ンだよ」
「風邪伝染る」
そんなことか、とは言わないまま、龍宮寺は三ツ谷の手のひらを退かして、薄いその唇を塞いだ。本当は僅かに開いた隙間から舌を入れてしまいたかったが、病人相手だぞと寸のところで理性が勝った。
中学生のような触れるだけのキスで、三ツ谷は顔を真っ赤に染めていた。藤色の瞳が潤み、龍宮寺を甘く見つめる。煽るな、と龍宮寺は叫びたくなった。
「三ツ谷ァ、治ったら覚えておけよ」
これ以上は双方、限界だった。
三ツ谷に布団を掛け直し、龍宮寺は重く深い溜め息をついた。部屋は暗くとも、つられて赤くなった顔は隠せていなかった。
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ぬぴが恋人の有無を聞いたのはモブ男に三ツ谷が絡まれていたからです。(この後の展開で書く予定でした、、)ぬぴは聖夜決戦後にた〜じゅくんと仲良くしたり「撲殺」したぬぴ自身にも優しいので『来る者拒まず』と三ツ谷のことを評しました〜!
個人的には三ツ谷は来る者拒まずってより(ちゃんと嫌なことは嫌だと主張できる)社交性があるだけのような気はします。