『体調不良』柔らかな陽射しの射し込む執務室の中、ガイアは昨日上げられていた部下達からの報告書へ目を通していた。魔物の巣が新たに三つ確認されたこと、どれも未だ活発に活動をしている訳では無いこと。
それから、近頃悪さをしていた宝盗団の一員を捕縛したこと。
それらの報告書へ羽根ペンで確認済みのサインを書き込んでいると、何やらバサバサと鳥類の羽ばたく音が耳を打つ。鳩にしてはやけに力強い羽音に背後の窓を振り返れば、見慣れた猛禽類がジッとガイアを見つめていた。
「ヴァネッサ……?どうしたんだ?」
ディルックの愛鳥であるヴァネッサの訪問に驚き、目を丸くしながら窓を開いてやれば、器用に飛び跳ねて窓枠へ足をかけてクルルと喉を鳴らす。
その足に括り付けられている紙筒に首を傾げ、間違っても傷付けて仕舞わないよう丁寧に解き広げる。こちらも見慣れた細く丁寧な字体だった。
中身は短く『ディルック様が風邪を引きました』の一文のみ。
「あぁ〜、なるほど……」
大きく溜息を吐き出して、アデリンからの便りをきちんと運んでみせた賢いヴァネッサの頭を指先でゆっくりと撫でてやる。ディルックは幼い頃から年に一度ほど、風邪を引く時があるのだ。
「ご苦労さん。お前は先に主人のところに戻っててくれ」
ガイアの言葉を理解している訳では無いはずだが、賢いヴァネッサはひと鳴きして力強く羽ばたいて空高く登ってい く。その姿を見送り、ゆっくりと窓を閉じながら今日一日の予定を頭の中で呼び起こした。
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代理団長へ事の顛末を伝え、ディルックの元へ駆けつけたガイアを出迎えたのはアデリンではなく別のメイドだった。いつもであればすぐにアデリンが出迎えるので首を傾げていたが、メイドの何とも言えない表情と微かに聞こえてくる声にすぐさま納得した。
「ディルック様、本日はお休み下さい」
「し、しかし……」
「しかしも何もありません。悪化する前に休息をとってください」
どうやら体調を崩している中でも仕事をしようとしているディルックをアデリンが叱っているらしかった。肩を揺らして小さく笑い声を洩らしながら出迎えてくれたメイドへ礼を伝え、開け放たれたままの寝室の扉から顔を出す。
「アデリン、手間かけさせて悪いな」
仁王立ちをしてるアデリンと、その向こうで白磁の肌を林檎のように真っ赤にしたディルックが、ムスッと唇を歪めてベッドの縁に座っている。ガイアの声に二人の視線がこちらへ向き、アデリンは表情を和らげたがディルックは眉を顰めて不貞腐れたような表情を浮かべた。
「お出迎えも出来ず申し訳ございません」
「気にしないでくれ。ところで、そこの駄々っ子の容態は?」
「発熱と咳です。……私は、休んでくださいと申しているのですが」
呆れたように息を吐き出すアデリンに苦笑いを浮かべながら、不貞腐れてそっぽを向いているディルックへゆっくりと歩み寄る。熱のせいで潤んでいる真っ赤な瞳を覗き込み、薄らと汗の滲む額に手のひらを推し当てれば、確かに酷く熱い。
こんな状態でも仕事をしようとしていることに驚きだ。
「結構高いな。ほら、これ以上アデリンを困らせるな」
ケホケホと咳き込むディルックの身体を押して半ば無理やり寝かせる。ムスッとしたままだが、ガイアがやって来たことでさすがに観念したらしいディルックは大人しく布団の中へ潜り込むと僅かに震える息を吐き出した。
「私は食べやすいものをご用意して参ります。ガイア様、後はよろしくお願い致します」
「あぁ、任せてくれ」
ゆっくりと扉を閉めるアデリンの姿を見送り、騎士団からそのまま来ていたガイアは装飾品の類を取り払ってディルックの隣へ腰掛ける。すかさず熱い腕がガイアの腰へと回り甘えるようにぐりぐりと額を押し付けられる。
「本当は結構しんどいだろ?……頭痛とか吐き気は?」
「……頭は、いたい…すこし、きもちわるい」
「そんな状態で無理しようとするんじゃない」
咳き込むディルックの背を優しく摩り、柔らかな赤毛を掻き混ぜながら、手のひらへ元素を集めて火照る身体を冷ましてやる。
「きみが一緒にいてくれるなら、ねる」
ぎゅうと抱き締める腕に力を込められるが、熱のあるディルックの腕を振り払うのはおそらくとても簡単だろう。しかし弱っている相手を一人残していけるほどガイアは冷酷ではなく、特にディルックへは甘いのだと自覚をしている。
「分かったから。ちゃんと隣にいるから、今はゆっくり寝てくれ」
救い上げた髪の先へ口付けを落として、優しく髪を掻き混ぜ、眠りへ誘うように瞼をそっと撫でてやる。ガイアの言葉に安心したのか、すぐにディルックの身体から力が抜けて穏やかな寝息が聞こえてきた。
「……早く良くなれよ」
祈るように呟き、熱い身体を冷ますよう絶えず元素を扱いながら力の抜けたディルックの手を掴んで、手のひらへ口付ける。
冷たいガイアが心地良いようで擦り寄ってくる温もりに小さく笑いを洩らしては、アデリンが来たらディルックが目を通すはずだった書類を持って来て貰おうと、勝手に決めて、柔らかな赤毛へ手を伸ばした。