ありふれた日々も君さえいれば、ね「おまたせ、ごめんね」
息を切らせて駆けてきたその人を見て、Fulgurは隠しきれない胸のときめきを感じた。
髪を耳にかける仕草もやはり愛らしくて、一方でどこか危なっかしいような色気も秘めていて。
「…待ってないですよ、大丈夫」
辛うじてそれだけ返した俺に、先輩は破顔して「よかった」と言った。
それだけのことで、幸せだと感じる気持ちが止まらない。
こんなんで一日持つだろうか、と自問して気を引き締め直す。
ふーっ、とスポーツマンのように息を吐いたFulgurにShuは微笑んで言った。
「じゃあ、早速だけどどこから回ろうか?」
今日はふたりの、2回目のデートの日であった。
場所は水族館。誘ったのは、Shuから。
ある日の帰り道、あまりにも唐突に誘われたのでFulgurは大層驚いた。
Fulgurの兄でありShuの友人でもあるVoxから、「Shuが息抜きもせずに毎日根を詰めて勉強しているから心配なんだ」と何度も聞かされていたからだ。
まさか休日に、それも彼からデートのお誘いがあるとは夢にも思わず、その場で数回聞き返してしまったくらいだ。
そんな俺に彼は頬を赤く染め、「この日以外は頑張るから、一日くらいFulgurと一緒にいたいな、って」と照れながら口にしたのだ。
その時のFulgurの反応はお察しの通りである。
それから2週間ほど、Fulgurは止まらないワクワクを胸に過ごしていた。
服もお洒落な先輩と並んで遜色のないように新調した。
センスのいい浮奇に一緒に選んでもらったので、きっと大丈夫だろう。
そんなことを考えながら、緩む頬を抑えて想い人を待っていたのが、数分前のFulgurであった。
「服、凄く似合ってるね。スタイルの良さが際立っててとても格好良いよ」
「ありがとうございます!」
合流して早々そう言われ、初めはまっすぐな褒め言葉として受け取って喜んだFulgurだったが、よく見るとShuの様子がおかしい。
彼はその口を僅かに尖らせて、そっぽを向いていた。
なぜだ。そういえば褒め言葉もどこかよそよそしかった気がする。
「…先輩?どうかしたんですか?」
わけがわからず尋ねると、先輩は拗ねたような顔のまま、聞き取れるか聞き取れないかくらいの小さな声で言った。
「………今度は僕に選ばせてくれると嬉しいかな」
「え…?」
聞き取れはしたが何のことかよくわからなくて思わず疑問形を漏らした俺に、彼は普段より少し大きな声で言った。
「だってその服、誰かに選んでもらったんでしょ?」
珍しいその様子にとても驚きながらもFulgurは、ある可能性に思い至る。
あれ、これって、もしかして。
「先輩、嫉妬、してるんですか?」
途端に、彼の頬と耳が真っ赤に染まる。それはもう肯定しているようなものだった。
「……………悪い?」
そして自分で耐え切れなかったのかまたぷい、と顔を背ける。可愛くて頭を抱えたくなった。
「…先輩。そういうの、抱きしめたくなるのでやめてください」
思わず驚いた顔でこちらを見たShuと目が合って、暫く見つめ合った。
そしてなんだかおかしくなってしまって、お互いに吹き出した。
ひとしきり笑い終えると、俺たちはひとまず推奨されている道順通り辿ってみることにした。
「わ〜ペンギンだ!」
無邪気に駆け寄り、手すりから身を乗り出して観察している先輩の後ろを守るように陣取った。
そしてそのまま先輩の頭の少し上から覗き込む。
「かわいいですね」
「うん!最近ペンギンはいない水族館も多いから、お目にかかれて嬉しいな〜」
本当に嬉しそうに瞳を輝かせる彼の横顔をもろに見てしまい、Fulgurは胸がきゅっと締め付けられるのを感じた。
「…ペンギンと俺、どっちが好きですか」
ばっと、俺の鼻のあたりにあった頭がこちらを振り向いた。
ちょっとした冗談だったので、こうまじまじと見られると照れてしまう。
先輩はそれらを全部見透かしたように、笑って言った。
「Fulgurに決まってるでしょ?」
からかってやろうと思ったけどかわいくてできなかった!と楽しそうにけらけら笑っている目の前の彼。
その細い指を、すっと絡め取った。
「そろそろ次、行きましょ?」
そのまま澄ました顔で微笑んでみせると、先輩は照れながら嬉しそうに笑って頷いた。
「ショー、凄かったですね!」
「うん、イルカってあんなに飛ぶんだね!実は何気にイルカショーって初めてだったから、すごく新鮮で楽しかったな」
はしゃぐ様子を、かわいいなと目を細めて見つめていると。
「Fulgurと初めてを一緒にできて嬉しい」
突然そんなことを言うので、危うく飲んでいたコーラを吹き出すところだった。
いや、嬉しい言葉のはずなんだが、言い方がちょっと、何と言うか。
笑顔で見つめてくる純粋なShuの眼差しに我に返り、Fulgurは辛うじて「…俺も、嬉しいです」とだけ返した。
これから始まるアシカショーに人が流れてしまったのか、珍しく大型水槽の前がガラガラだった。
Fulgurはガッツポーズしたくなるくらい喜びながらも、なんとか平静を装ってShuを招き寄せた。
「めっちゃ空いてますね」
「うん。やったね」
にこにこ笑って、そのままサメを興味深そうに観察する彼を、じっと見つめた。
僅かな光に照らされたその横顔は、やっぱり言いようもなく美しくて。
右手を彼の左手に寄せ、そっと小指を絡めた。
先輩は視線を少しこちらに寄越し、それでも微笑んでいる。
その余裕が少し悔しくて、そっと耳元に囁いた。
「Shu先輩、」
少しだけ彼の瞳が泳いだ。
「何?」
あと、もう一押し。
目一杯の甘さと、ありったけの愛を含めて囁いた。
「キスしても、いいですか?」
彼は眉を下げて、困った顔をした。
でもその頬は薄く染まっていて。
「………聞かないでよ」
そのかわいらしい抗議を聴いた瞬間、もう唇は重なっていた。
触れるだけの拙いキス。それでも、驚くほど甘かった。
至近距離で見た先輩も、やっぱりどうしたって綺麗で。
「一生、幸せにしますね」
零れたように本音を告げると、先輩は大きなその瞳をほんの少しだけ潤ませた。
「ありがとう」
そんなの全部、こっちのセリフなのに。
静かな、優しい光に埋もれたふたりはそのまま、またどちらともなくキスを交わした。
とびきりに甘いファーストキスを
もう一度、だけ。