お題:「耳かき」「仕事中」6/26「アーロン、おいで」
ルークはソファに腰掛けて、まるで猫でも呼ぶように手招きをした。アーロンは呼ばれるままルークの隣に座ったが、フと、コイツ今ネコを呼ぶみたいに俺を呼んだな、ということに気がつき、牙を剥いてルークを睨むと、ずい、と目の前に木製の細い棒を差しだされた。棒の先には見覚えのある造形の飾りがついている。
「これ、何だと思う? 何と、ニンジャジャンの”耳かき”なんだ!」
聞きなれない言葉とはじめてみる物体を前に、アーロンは眉間に皺をよせてその”耳かき”とやらをまじまじと見た。
「耳の掃除をする道具なんだけど、僕たちは使ったことのない道具だよな。ニンジャジャン公式グッズショップの新作なんだ。先端にちょっとカーブがついて小さなスプーンみたいになっているだろう、この先端を耳の中へ入れて、掃除するんだ。そしてなんといってもこの持ち手の上にのっかっているニンジャジャンのフィギュアが実に見事なんだよ! こんなに小さいのに、ほら、みてくれ、こんな細部まで正確に……、待ってアーロン、どこへ行くんだ」
立ち上がろうとしたアーロンのシャツをルークがひっぱる。アーロンはいまいまし気にその手を振払おうとしたが、存外、ルークの力が強く、アーロンはソファの上へ引き戻されてしまった。
「今からこれで君の耳のなかの掃除をします」
ルークの瞳が、新しい道具を手に入れて何かとっても楽しいことをはじめようとしている子供みたいにきらきらと輝いていた。
そのグッズを使ってみたいだけだよな……俺で
呆れて、でも、あまりにもルークの瞳が初夏の草原のようにきらめいているものだから、アーロンは何も言うことができなくなってしまい、黙ってルークのきらきらとひかる宝石のような瞳をみつめていた。そうして、右耳を上にして横向きになりルークの膝の上に頭をのせてソファの上にそっ……と寝かされたところで我に返った。
「いやちょっと待て、何だこれ、お前は俺にナニするつもりだ?!」
「何って、耳の掃除だよ。ほら、ちゃんと膝枕して」
ここにおいで、とばかりにルークが自分の膝の上を叩く。
完全に自分をネコか子供扱いしている相棒の、これは無意識なのか、それともワザとなのか。しかし、一瞬、その膝の上に頭を預けたときの妙な心地よさにはちょっと抗いがたいものがあることも、認めたくはないが認めざるを得なく、アーロンは唸りながら再び、ルークの膝に頭を預けた。
「動かないでくれよ、少しでも手元が狂うと君の鼓膜を破ってしまう危険性がある」
「……おっかねえこと言うんじゃねえ」
太腿の感触は硬くて、枕に適しているとはいえない。けれど、何故だかその太腿にのせた頭の部分がとろけてしまいそうなくらい気持ちがいい。耳がよく見えるようにルークの手がアーロンの髪をかきわける。髪の一本一本すべてに神経が通っているみたいに、ルークの指に触れられた部分がぞくり、とした。少しづつ、“耳かき”の先端が穴の中へと入ってくるのを感じながら、アーロンは目をとじた。スプーンみたいな部分が耳の内壁を撫でているような、ひっかいているような感触は何だかとても変な感じがする。くすぐったくて、むずがゆい、何ともいえない感覚に早くも耐えることが困難になってきたが、先程のルークの言葉を思いだし、アーロンは只々、じっとしていた。だけれど、ルークに耳の穴のずっとおくまで見られているのだと思うと、何故だか無性に今すぐ逃げだしてしまいたいくらい恥ずかしくて、アーロンはぎりりと歯を喰いしばる。
「アーロンのなか、キレイだなあ、掃除する必要なんかないくらいだよ、もしかしていつも自分でしてるのか?」
ルークがしゃべるたびに、吐息が耳にかかる。丁寧に、耳の穴のなかを舐めるようにひっかく棒の先端と、ルークの息が、アーロンの耳をくすぐる。突然、ルークがアーロンの耳に強く息を吹きかけた。思わず声が出てしまった口をアーロンは咄嗟に手でおさえた。
「ごめん、痛かったか?!」
「…………てめえ、ワザとやってんじゃねえだろうな」
アーロンは、鼻を鳴らして主人のことを心配そうにのぞきこんでいる仔犬のようなルークを睨めつけて、大きなため息をついた。
「……、っとに、タチがわりぃ」
ルークは謝りながら、今度はもっと優しくするから、そう言うと耳かきを握った手に力を込めた。
次第に、耳のなかをいじられている感覚に慣れてきたアーロンは、なんだかふわふわとして気持ちがよく、うっとりと目をとじて、ルークの太腿に頭をすりつけた。
「……アーロン、眠いの?」
ルークがアーロンに声をかけると、アーロンは、返事とも、何ともつかない声で小さく唸って、ルークの太腿のあいだに鼻先を突っ込んでもぞもぞと動いた。
「アーロン、動かないで、危ないよ、……アーロン、くすぐったい、」
ルークはアーロンの頭の向きを元に戻すと、耳にかかる赤銅色の髪を指で静かに退け、あらわになったやわらかな耳朶を、そっと指で摘まんだ。アーロンは子供がむずがるように鼻の頭に皺をよせて、わずかに身じろぐ。ルークは、アーロンの耳に唇をよせて、その穴の入口を舌の先でつつくように舐めると、その舌を、アーロンの耳の穴のなかへ、挿入れた。突然、アーロンが起き上がる。瞳孔は、猫のようにまるくなり、頬は上気して、額には汗がうっすらとにじんでいる。口から飛びだしてしまいそうな心臓を、ごくり、と呑込み、耳を手でおさえながら、アーロンはゆっくりと振返った。
「……てめえ、いま、何、」
「ご、ごめん、あまりにも君の耳がきれいだったから、つい、」
悪戯がバレてしまった仔犬みたいに笑うルークの、その舌に侵入された耳の穴は、なまあたたかく濡れたぶあつい舌の感触がまだのこっているようにぞくぞくとして、アーロンはたまらず自分の耳に指を突っ込んで中をぐるぐると掻きまわした。
「ああ! そんな乱暴に指を入れちゃだめだぞアーロン! 君のなかが傷ついちゃうじゃないか」
「うるせえ! 黙れ!!」
おろおろするルークと、不意打ちをくらってうっかり反応してしまった身体に気づかれまいとソファの上を飛び跳ねるアーロンと、ソーダ水のようにさわやかな初夏の昼下がりは何とも奇妙な光景へと一変した。
画面に表示された名前を確認したルークは急いで電話をとる。
「こんにちはルーク、もしかしていま仕事中?」
「いえ、ちょうど今からランチにしようと思って公園まで来たところです、アラナさん、お久振りです!」
「まずはお礼から言わせて、子供たちに贈りものを有難う。みんなとても喜んでいたわ。特にあの、そう、ニンジャジャンの“耳かき”! 耳の掃除を嫌がる子もあの“耳かき”でなら嫌がらないのよ、とても助かるわ、あんな道具があるなんてはじめて知ったけれど」
「お役に立てたのならよかったです。嬉しいなあ、みんな気に入ってくれて!そうそう、アーロンの耳も掃除したんですよ、あの耳かきで」
電話の向こうで、アラナが驚いた声をあげた。
「ルークがアーロンの耳の掃除をしたの? あの子、むかしから絶対に耳の掃除だけは他人にさせなかったのよ、何故か嫌がってね、抵抗しなかった?」
抵抗、というのだろうか、あれは。しかし、結局はちゃんと耳の掃除をすることが出来たわけだから、ルークは、アーロンがさほど嫌がらず耳の掃除に協力的であったこと、そしてアーロンの耳のなかはとてもきれいに手入れされていたことなどをアラナに報告した。アラナは笑いながら、頑なに耳の掃除を拒否していたアーロンのことや、子供の頃のアーロンの話を思いつくままに話した。ルークは自分が知らないアーロンの話を聴くのが楽しくて嬉しくて、アラナの話を熱心に聴きながら、笑ったり、驚いたり、ランチのこともすっかり忘れてアラナとの話に夢中になっていた。不意に、アラナの声が聴こえなくなる。気がつくと、手に持っていたはずのスマートフォンが、無い。背後で、鋭利な刃物と刃物がぶつかる音がする。ルークは恐る恐る、振返った。
「……俺のいねえところで、随分と楽しそうに俺の話をしていたなあ、ドギー、耳の掃除が、何だって……?」
「や、やあ、アーロン、どうしてここに……?」
「今度は俺が、この前の礼にてめえの耳掃除をしてやろうと思ってな……」
「それはどうも有難う……でも、耳かき、持ってきてないぞ……?」
「“耳かき”なら、ココにあるぜ」
そう言って、アーロンは鉤爪を、光らせた。
「耳まるごと一掃する気か?!」
「掃除の手間が省けるだろうが」
やはり、“耳掃除”はアーロンにとって鬼門だったのだろうか。もうしないから、と何度も謝りながらランチボックスを盾にしてアーロンの攻撃を防ぐルークと、アーロンの過激な照れ隠し攻撃による二人の攻防戦は白昼の公園をほんの少し、いやだいぶ賑やかにしたものだから、二人はしばらく、この公園の有名人としてウワサされることになるのであった。