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    東間の保管庫

    雑多に書いたものを置いています。

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    東間の保管庫

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    サマーウォーズに激はまりしていた頃に書いたもの

    #サマーウォーズ
    summerWars
    #カズケン
    kazuken.

    遠距離恋愛の焦心苦慮についてあの人の一番綺麗な記憶は、青い空と困ったような笑顔だ。
    そう思いながら、佳主馬は携帯を弄る。携帯の画面は今年の夏に会った時に上田の屋敷で撮った向日葵と健二の画像。他の親戚が皆揃って色が黒いせいか、健二の色の白さに呆れた気がする。初めて会った時もそうだった。暗い納戸の中から見た健二は細くて白くておどおどした仕草で。その辺は今と変わらないなぁ、と思う。
    未だに変わらない笑顔をくれる。
    「夏希先輩の親戚でOZのチャンプ」と「数学のできる年上の内気な人」という立場からはずいぶんと関係は変わったが、それでも態度は変わらない。それが少し寂しいとか思うが、奥手な上に鈍感な健二にそれを求めるのは無謀もいいところだろう。最近ようやく手を繋いでも顔を真っ赤にしなくなったのだ。四年掛かってもまだ照れる健二が可愛いとは思うが、高校生になった佳主馬の理性がどこまで持つかは分からない。なにせ思春期真っ只中なのだ。
    好きな人といれば色々と考えたり、触れたくなるのは当たり前のことなのだ。
    その事を伝えても、健二は首を傾げるばかりで佳主馬はどうしたらいいかわからなくなる。健二にも十七歳の頃はあったはずだ。否、十七歳の健二に会っている。佳主馬と健二が出会った時、健二は十七歳だった。佳主馬は十三歳で。世界を揺るがすような事件が起こっている中、出会った。あの時の健二は落ち着いていて、大人だと思った。佳主馬を年下と認識はしているけれど、けれど子ども扱いしない人。今にして思えば、基本的コミュニケーション技術が身についていない健二だからこその距離の取り方だったのだろう。今でも、口下手で言いたい事の半分もきっと言えていない。佳主馬には少しずつ我侭とかそんなことを言ってくれるが。
    それでもあの時の健二と同じ年になった佳主馬の気持ちは、とうの健二は解らないようで。触りたい、抱きしめたい、キスしたいと言えば照れて真っ赤になって泣きそうになる。それでも触れば逃げないし、抱きしめればおずおずと答えてくれる。キスは…するたびに真っ赤になって逃げてしまって数十分は顔を見せてくれない。だから抱きしめたまま逃げ出さないようにするけれど、そうすると今度は俯いたまま顔をあげてくれない。
    そんなところも歯痒いけれど、愛しくてたまらないのだ。
    出会って四年目の秋。
    初めて会ったときの健二の年になった佳主馬、一通のメールを読んで頭を抱える羽目になるとは、思いもよらなかった。



    あの夏、別れ際に渡したメールアドレスにメールがあったのは、健二が東京に帰って翌日のことだった。まだ上田の屋敷にいた佳主馬は誰にも気が疲れないようにこっそりと納戸にいて、そのメールを開くのに何十分も時間をかけて、ようやく読んだときには手の平に汗をかいていた。
    文面は短くて、また会えたらいいね、と書かれていて、訳も分からずに拳を突き上げていた。また会いたいと思ってくれることが嬉しくて、あれが最後だとは思っていなかったことが嬉しくて、佳主馬はその場にひっくり返る。
    夏希に頬にキスされた健二を見ながら感じた胸の痛みを健二が帰ってから知った。
    会いたい、話したい、そばにいたい。
    そんな気持ちを表すことは一つしかない。

    恋をしていた。

    年上の男に、佳主馬は恋をしてしまった。
    健二が帰った後に気がついた気持ちに泣きたくなってしまう。
    だから「また会いたい」と言ってくれたメールが嬉しかったのだ。
    「会いに行く」
    寝転がったままぐっと拳を突き上げた。
    「絶対、会いに行く」
    そう思ってひと夏を過ごして、季節が変わって連休を使い上京した。
    「佳主馬君!」
    東京駅の新幹線の改札の向こう側から手を振る健二を見つけたときに、佳主馬は早足で改札を抜けて飛びついた。
    「健二さん!」
    「久しぶり~」
    「元気だった?」
    「元気。毎日OZ経由で会っていても、やっぱりこうして会えると嬉しいな」
    「ほんとに?」
    「うん」
    へにゃっと笑った健二に胸がキュウンとして、佳主馬は思わず下を向いてしまった。機嫌を悪くさせたとあわてる健二の手を取って「会いたかったんだ」と小さな声で言うと、健二はほっとしたように笑い、佳主馬に照れたような笑顔を見せた。
    「僕も佳主馬君に会いたかったよ。ようこそ、東京へ。会いに来てくれてありがとう」
    「うん…」
    混雑する駅を抜けて、健二の家に向かう。東京に行くと連絡したときにはホテルに泊まる予定だったのだが、健二が「よ、よかったら…うちに来ない?」と言ってくれた言葉に甘えてお邪魔することに決めた。二泊三日の旅行が楽しみになった一因でもあり、最大の目的にもなった。
    電車に乗って、駅から歩いて数分。大きなマンションの一室に案内される。
    「うちの両親、仕事でいなくて。帰ってこないと思うんだ」
    そう言いながら開けたドアの向こう側は、やけにさっぱりしていて秋なのに寒々しかった。生活感がまるでない空間。
    「佳主馬君、泊まるのは僕の部屋でいいよね?」
    「ウン…」
    陣内家の大所帯に慣れている佳主馬は、こんな所に一人でいて寂しくないのかな、と思う。健二の部屋に通されて、そこでも佳主馬は言葉が出なかった。きれいな部屋だ。きれい過ぎて何もない。机とその上にノートパソコン。本棚には教科書と数学の問題集、ベッドはクリーム色のリネンがかけられている。人が住んでいるのに、そこは切り離されたような空間だった。
    「健二さんの、部屋」
    「う、うん」
    「ここにいつもいるの?」
    「そうだよ」

    僕は、いつも一人です。

    あの時言った言葉が蘇る。世界を救うほどの数学的才能の持ち主は、小さな頃からずっとここに独りでいるのだ。あの机に向かって一人、数字に囲まれて過ごしているに違いない。小さい頃虐められていた佳主馬とはまた違った孤独の中にいたのだ。佳主馬は家族に助けられた。けれど健二は違ったのだ。人見知りをする性格も、引っ込み思案なところも。この中にいたのなら仕方がないと思ってしまう。
    「名古屋に来ない?」
    気がつけば、唐突にそう言っていた。ぽかんとする健二に佳主馬はどきりとする。馬鹿ことを言っているという自覚はあった。けれど、言わずにはいれなかった。一緒に住めば寂しい思いなんかさせない。こんな寒い部屋に一人で帰り、一人で眠るなんてことさせない。一緒の時間を過ごして、大事にして、いつも笑っていてほしい。
    「ねぇ、一緒に名古屋に行こうよ。そうしたら、健二さん、一人でいなくてすむ。俺の家に来てよ」
    「佳主馬君…」
    「陣内の身内っておばあちゃんも認めてくれていたんだ。健二さんが家に来ても誰も文句なんていわないし、言わせない」
    陣内家の人間ならば、健二を知るものならば誰も異論は唱えないに決まっている。それどころかきっと、賛成するだろう。家族の大事さ再確認できた場面に立ち会っていた健二を知るものならば。
    「すごく魅力的なお誘いだけど…僕は行けないよ」
    「なんで、どうしてさ!ここに健二さん一人でいて寂しくないの?俺の家に来れば家族がいるんだよ!」
    「うん…」
    困った顔の健二にしがみついて佳主馬は声を荒げる。
    「でも、ここが僕の家なんだ。今は誰もいなくても、ここが温かい場所だったことを僕は忘れられないし、まだ離れたくない」
    「でも」
    「…きっといつかは僕はここを離れる時が来ると思うんだ。たぶん、そう遠くない時期に。その時までは、もうちょっと思い出を大事にしたいんだよ。ごめんね?でも、そう言ってくれてありがとう」
    「俺は健二さんのこと、家族みたいに思ってるんだ。おんなじぐらい、大事に…」
    「うん…」
    「だから、健二さんに寂しい思いなんてしてほしくない。一緒にいたい。そばに…いたい」
    「佳主馬くん…」
    「俺は健二さんが好きなんだよ…」
    どさくさに紛れて、口からこぼれてしまった言葉に佳主馬は固まる。どう考えても文脈がおかしい。
    おかしいことは分かるが、健二の顔を見れない。何も言わない健二を、なんとか恐る恐る見れば、首をかしげて佳主馬を見ている。
    「家族みたいに、好きだと思ってくれて嬉しいよ」
    佳主馬は頭を抱えてしゃがみこんだ。違う。完全に勘違いしている。いや、あの流れからではそう勘違いされても仕方がない。けれど違うのだ。佳主馬の好きと、健二が思っている好きとは違うのだ。
    「あの、健二さん」
    「なに?」
    あの笑顔で「どうしたの?」と聞かれたら毒気が抜かれてしまう。それはしょうがないことなのかもしれない。惚れた弱み、ということなのだろうか。
    結局、二泊三日の間に訂正できず、その後も「佳主馬君は、僕のことを家族みたいに好き」と思い込んでいる健二との距離は一層縮まったが佳主馬の望んだものは違う。いつか訂正しよう、ちゃんと言おう、そう思っていたのに、気がつけば一年が経っていてまた夏が来た。上田の陣内の家に集まった中に健二もいて、親戚の大人に囲まれて困ったように笑っている。独占したい、という気持ちがあふれそうで佳主馬はぎり、と唇を噛んだ。子供じみた嫉妬だとは分かっている。健二の「特別」でもない自分が口をはさむ隙間なんて見つからない。以前のように食事を早々に切り上げて、懐かしい納戸に入り込みヘッドフォンを耳に当ててパソコンを起動させた。明るくなった画面には時分のアバターが立っている。
    キング。
    自分の分身。メールを出すたびに健二のところに飛んでいく分身。
    それにさえ「うらやましい」と思ってしまう自分にため息をついた。今度会ったら、ちゃんと気持ちを伝えようと思っていたのに、それすらままならなくて佳主馬の気分は沈んでいく。健二に会える、とうきうきと上田にやってきたのに、健二とのんびり話すこともできない。すっかり忘れていたが、自分の身内は全員健二が好きなのだ。大人たちはもちろん、一番手に負えないのはチビたちだ。ようやく健二が大人の話から解放されて、やっと二人で話そうとするたびに邪魔にはいる。そして健二を持っていってしまうのだ。悪気がない分、手に負えない。思い出してまた気分が暗くなった。こんな気分じゃ試合なんてできない。マウスを操り起動させたばかりのパソコンを終了させる。一礼して消えるキングに「ゴメン」と小さく謝って、暗くなった納戸の天井を見上げながらゆっくり寝転がった。電球のついていない天井は暗く高い。遠くで話す賑やかな声がするのが聞こえたが、その輪に入っていく気にはなれなかった。健二の声も微かに聞こえるが、佳主馬は起き上がることもできない。
    話したい。沢山話したい。邪魔なものがいないところで、ゆっくりと。秋からずっとあっていないんだ、とぼんやり考えながら目を閉じた。
    何か物音がして瞼を開けると、向こう側に見えていた明かりは消えて、廊下は静まり返っていた。それほど時間は経っていないと思いながらポケットに入れておいた携帯電話を取り出し、画面をみると深夜に近い時間を示している。ちょっとのつもりがずいぶんと眠ってしまったようだ。体を起こしながら首を回すとゴキゴキと音がした。板の間で寝転がっていたから背中も痛い。体を伸ばしながら、風呂にでも行こうかと考えていると、納戸の入り口に人の気配を感じて振り向くと、健二が手を振りながら立っていた。
    「やっぱりここにいた」
    「健二さん」
    「姿が見えないから、ここかなぁって思って」
    へにゃっと笑う健二に佳主馬の胸はきゅうんとする。可愛いなぁ、と思いながら健二はばれないように小さく握り拳を作った。
    「久しぶり、佳主馬君。元気だった?」
    「うん。健二さんは?」
    「僕?元気だったよ。今年は受験があるからお邪魔するのは無理かなぁって思ってたんだけど、やっぱり来ちゃった」
    「そっか。健二さん、受験生だったね」
    「うん」
    「数学オリンピックにも行ってたし、今年は忙しいんじゃないの?」
    数ヶ月前、「数学オリンピックの代表になったのでちょっとオランダまで行ってきます」と黄色いリスがメールを持ってきたときにはひっくり返るかと思うほど驚き、数日後には「銀メダルでした」というメールが来たときには本気でひっくり返った。どれだけ数学ができるのだろうか、と頭を抱えたのは記憶に新しい。
    「うちの学校の指定校推薦を貰えそうだから、佐久間みたいに夏中毎日予備校に行かなくてもいいんだ。でも、僕、数学以外の教科はあんまりできないからやっぱり帰ったら勉強しなきゃいけないんだけどね」
    「できなくはないでしょ、健二さん」
    「いやいや、ほんとにできないんだって」
    ぶんぶんと首を振る健二を見ながら佳主馬は小さくため息をつく。佐久間に聞いたことがある健二の成績を知っていなかったら、鵜呑みにしただろう。けれど佳主馬は知っているのだ。数学だけが特別できるように見える健二が言う「数学みたいにいい点が取れない」教科は、佐久間曰く「平均点のかなり上を常にキープしている状態」なのだ。数学ができすぎているので気がつかないのだろうけど、健二は平均的な受験生よりかなり頭がいい。「頭はいいけど賢くない」と言ってのけた健二の長年の親友の言葉に佳主馬は頷くことしかできないが、確かにそうだとも思う。
    「一芸入学になっちゃうから頑張らないと」
    「その一芸だってすごいじゃない。数学オリンピックで銀メダルなんでしょ?」
    「そうかな」
    「そうだよ」
    「すごいことなんかじゃないんだけどね…」
    二千桁の暗号を暗算で解読できる数学的頭脳はなぜ日常生活でまったく生かされないのかが謎だが、そこがまた健二らしいと思う。
    「健二さんの受ける学校って東京?」
    「うん。都内」
    「そう…」
    名古屋にも沢山の大学があるので、もしかして、という淡い希望は柔らかい笑顔と共に砕け散った。
    「名古屋の大学にしなよ」
    「ええっ」
    「大学いっぱいあるし。ね?」
    「いや、でも、もう指定校だから決まっちゃってるんだし」
    「どうしてもそこじゃなきゃだめなの?」
    「そういうわけじゃないんだけど…」
    「じゃぁ名古屋にしなよ」
    名古屋に健二が来れば会いたいときにすぐに会いに行ける。そんな下心にまったく気がつく様子はない健二は困ったように笑いながら「大学に行ったら一人暮らしをするから、そんなに離れていないほうがいいんだけどなぁ」とつぶやく。
    「え?一人暮らしするの?」
    「うん。そのつもり」
    「じゃあ、やっぱり名古屋にしなよ。家に来ればいい。父さんも母さんも健二さんが来るなら絶対反対はしない」
    「佳主馬君」
    「来てくれたら…俺もすごく嬉しい。健二さんが近くにてくれたら本当に嬉しいんだ」
    健二をじっと見て、何度も心の中で言ったことを言う。そんな佳主馬の気持ちに気がつかない健二はやはり困った顔で笑う。
    「ねぇ、どうしても名古屋に来れないの?」
    「うん…。大学が東京だから。でも今よりもうちょっと自由になるから、きっと今までよりも沢山佳主馬君には会えると思うんだ。この前は佳主馬君が来てくれたから、今度は僕が名古屋に行くよ」
    「そういうんじゃなくて…」
    「え、僕、会いに行ったらダメ?」
    「違う!ええっと…」
    ぐるぐると混乱し始めた健二の肩に手を置いて「落ち着きなよ」と言う。
    「あのね、俺は健二さんが好きなんだよ」
    「僕も佳主馬君が好きだよ」
    「…たぶん、じゃないや。絶対健二さんの好きと俺の好きは違うと思う」
    きょとんとする健二は佳主馬を覗き込んでくる。去年と変わらない視線に佳主馬はガクリと項垂れた。一年間メールでも電話でも事あるごとに「好きなんだけど」と言ってきたのにも関わらず、全く伝わっていなかった恋心が哀れになってくる。
    「佳主馬君?」
    「だから、ええと…」
    掴んでいた肩をぐいっと引き寄せて、健二の唇に触れる。ちゅっという小さな音を立てて、触れるだけのキスをした佳主馬は、健二を見つめる。きょとんとしたままの健二は何が起こったのか分かっていない様子で、佳主馬を見ていた。
    「健二さん?」
    名前を呼ぶと、暗がりでも分かるほどに真っ赤になる顔。
    「か、か、か…佳主馬くんっ?」
    「声、裏返ってる」
    「き、き、き…キス、し…っ」
    「うん。キスした」
    真っ赤になって、泣きそうな顔をする健二をぎゅっと抱きしめる。
    「だから言ってたじゃない。俺は健二さんが好きだって」
    「え、だって…」
    「家族の好き、じゃない。特別の好きなんだよ」
    真っ赤になったままの健二は、潤んだ目で佳主馬を見る。
    「佳主馬君が、僕のことを…好き?」
    信じられない、という顔で佳主馬を見る健二に佳主馬は少し悲しくなった。どうすれば伝わるのだろうか、この心は。この人見知りで臆病な年上の人に。年下で男の自分から告白されて迷惑だっただろうか。嫌われて、しまったのだろうか。黙り込んでしまった健二の目を覗き込むと、健二は子供のような目で佳主馬を見た。
    「健二さん?」
    「…」
    ますます赤くなる顔に佳主馬は困惑する。泣かせたいわけじゃない。困った顔をさせたいわけじゃない。それなのに、どうしたらいいかわからない。何をどういえば、健二が悲しそうな顔をしないでいてくれるのかが分からない。こんな時、子供は嫌だと思う。もっと大人だったら、健二を丸ごと抱きしめて、ちゃんと気持ちを伝えられるのに。
    「佳主馬君…、泣きそう」
    健二は佳主馬の頬に触れる。
    「泣きそうだよ…」
    「泣かないでよ」
    「健二さんが好きすぎて、泣きそう」
    そろりと背中に回る腕に驚いて健二を見ると、赤い顔で俯きながらぽそりと呟く。
    「ありがと。僕も佳主馬君が好きだよ…」
    「家族として?弟みたい?」
    「違う、と思う」
    「なにそれ」
    「ごめん…」
    「謝らないでよ。健二さんが悪いわけじゃない」
    「…あのね。ちゃんと、好きだよ。佳主馬君のこと」
    「ホントに?」
    「う、ん」
    「特別に好き?」
    「難しいこと、聞くなぁ…」
    「難しくないと思うけど。俺は一番に健二さんが好き」
    うーん、と悩んで健二は俯く。その姿を見ながら、心配になってくる佳主馬の心はやはり解らないようで、健二は目線を合わせるようにして、小さく笑う。
    「僕も佳主馬君が一番に好…んっ」
    その言葉を最後まで聞くことができず、佳主馬は二度目のキスをする。夏の暑い夜の時間が止まっているように感じられた。
    そして、その年の冬には健二は指定校推薦の大学に平気な顔をして合格していた。世の中の受験生が苦しむ冬休みは「どうしても健二さんと年越しをしたい」と言い張る佳主馬の言葉に「じゃぁ、ちょっとだけ」と言って年末に名古屋の池沢家にやってきた。そこで両親ともうじき二歳になる妹と一緒に家族団欒で年を越し、佳主馬がぎりぎりまで引き止めて、予定を延長して新学期直前まで名古屋にいた。そして新学期だから、と帰っていく後姿を見送りながらやはり寂しく感じてしまう。新幹線で二時間弱のこの距離がたまらなく遠い。
    同じように健二を見送りに来た母親に「東京の高校に行きたい」と言って頭を叩かれるまで、佳主馬は新幹線が行ってしまったほうを見ていた。会えるのは季節ごとの連休ぐらい。メールは毎日するし、チャットだって毎日するし、OZ経由なら顔を見ながら話もできる。それでもやはり、健二の隣で、一緒の空間にいたいと思ってしまうのだ。
    高校は東京に行かせてもらえなかったけれど、大学は絶対に東京の大学にする。あわよくば健二と同じ大学に、と力がこもる。うまくいけば健二と同じ講内で勉強できるかもしれない。そんな誘惑もあった。
    「え、佳主馬君と僕って同じ学校にいるのって無理だと思うよ?」
    「え」
    「だって佳主馬君が大学に入学するとき、僕は二十三歳だから大学卒業してるよ」
    OZ経由で話す健二はちょっと困った顔で笑う。
    「なんか残念だね」
    「健二さん。留年して」
    「ええっ?」
    「俺とキャンパスライフを満喫するためにも一年を四回位やって」
    「む、むりだよぉ!」
    「無理じゃない」
    「佳主馬君、目が据わってるよ…?」
    モニター越しに健二が苦笑する。
    「なんで健二さんとこんなに年が離れてるんだろう…?」
    「そう?」
    「だって大人だったら会いたいときに会いにいけるし、背伸びしないでキスもできるし、健二さんを引きずってでも名古屋に連れて来れるし、結婚だってできる」
    「一番最初の以外はなんか犯罪の臭いがするよ、佳主馬君…」
    「気にしないで。本気だから」
    「僕は今のままがいいなぁ」
    「何で?」
    「だって僕より大人の佳主馬君って絶対かっこいいから、きっと顔見て話せなくなると思うから」
    「…」
    「今の佳主馬君もかっこいいから、きっと大人の佳主馬君もかっこいいと思うんだ。だけど僕が始めて会ったのは、今の佳主馬君だから、僕より大人の佳主馬君より今の佳主馬君の方がすごく好き」
    机の顔を伏せるようにして佳主馬はうつむく。顔が真っ赤になっているのが分かるから顔を上げられない。
    「佳主馬君?どうしたの?」
    「健二さん、最強かもしれない」
    「え?」
    「ノックアウト勝ちだよ」
    「何に?」
    きょとんとしている健二に、片手で頬を隠しながら佳主馬は横目でモニターを見る。
    「ねえ健二さん。結婚しようよ」
    「はっ?」
    「だってずっと一緒にいたいんだもん。嫌なの?」
    「嫌じゃ…ないけど…」
    「じゃあ結婚して」
    「法律上男同士では結婚できないんだけどね」
    「知ってるけど、俺は健二さんと一緒にいたい」
    子供じみた我侭だとはわかっている。けれど健二とずっと一緒でいられる約束がほしかった。十三歳には名古屋と東京は遠すぎる。四歳の年の差は大きすぎる。この優しい人を独占したいだけなのに、不安のほうが大きい。だから確固たる物が欲しかった。
    「困ったなぁ…」
    「困らないでよ」
    困らせているのは自分だと解っていても佳主馬は我侭を言うしかできない。何も変わらない距離に自分は地団駄を踏むしかない。それが益々悲しくなった。
    「ねぇ、佳主馬君。春休みになったら、遊びに行ってもいい…?」
    「いいけど、なんで?健二さん、忙しくないの?」
    「卒業式終わっちゃえば、後は引っ越すだけだから。引っ越しちゃったら、後することって言えばOZの保守点検のバイトぐらいだし」
    「まだやってたの?あのバイト」
    「うん」
    OZの救世主がOZの保守点検なんてバイトでいいんだろうか。キングカズマと同じぐらい有名になった黄色いリスのアバターで管理棟でバイトをする健二に小さく笑う。自分を取り巻く世界が変わっても、健二の本質は変わらない。そういうところが凄く好きだと思うし、憧れもする。
    「OZのバイトもお休みもらえるし、大学に行ったらきっと忙しくなるだろうし。だからその前に佳主馬君に会いたいなぁって思って。ダメ、かな?」
    「いつ?」
    「え?」
    「俺は今から行ってもいいけど?」
    「いやいや。今からは無理でしょ。佳主馬君、もうじき期末テストじゃなかった?」
    「う…」
    中学二年の最後のテストを目前にした佳主馬は言葉に詰まる。いくらOZでゲームの特許を幾つも持つ佳主馬も現実世界では、悔しいことに中学生なのだ。
    「頑張れば、ご褒美くれる?健二さん」
    「ご褒美?いいよ。何がいい?」
    「二学期の期末テストと比べて、点数の上った教科の数だけ俺のお願い聞いて」
    「あ、そんなんでいいの?」
    「うん」
    「いいよ」
    ニコ、と笑った健二の言葉をきっちりと録音する。
    「約束したからね」
    「うん」
    そこでOZからログアウトして、佳主馬は英語の教科書に手を伸ばす。
    「しまっていこう」
    かつての夏の時の台詞と緊張感そのままの言葉を言って、教科書を開き書いてある文字の列を頭に叩き込み始める。二学期のテストは今までで一番頑張って一番いい成績だった。冬休みに遊びに来てと渾身の力を込めて誘った健二に「佳主馬君の勉強の邪魔しちゃ悪いから」と辞退されそうになったからだ。「健二さんががいても勉強の邪魔にはならない、むしろ来てくれなきゃ今後の学生生活に多大な影響が出る」ということを証明すべく全力で取り組んだ結果が学年十五位だった。家族は喜ぶし、健二も「それだけ佳主馬君ががんばったなら」と言ってきてくれた。
    今回はそれ以上に気合が入る。期末テストの教科は五教科。全て前回より点数が上れば五個のお願いを健二に要求できる。正々堂々と。きゅっとシャーペンを握りしめて佳主馬はニッと笑う。OZで無敗のキングカズマのように、現実の自分だって負けないのだ。
    ご褒美は健二さん。
    それを目の前にちらつかせれば、負けるはずがない。
    期末テストまであと二週間。佳主馬の戦いは幕を開けた。 

    「こんちわ」
    玄関の向こう側の健二は口をポカンと開けて佳主馬を見た。
    「来たよ、健二さん」
    「あ、ほんとに来ちゃったんだ」
    呆然としている健二に少しだけむっとした顔をして佳主馬はぎろりと健二を睨み付けた。
    「せっかく新居への引越しをお祝いしに来たのに。邪魔なの?」
    「邪魔じゃないです」
    わたわたと慌てる健二は佳主馬を玄関の中に入れて、顔を真っ赤にして笑う。
    「来てくれてありがとう。会えて嬉しいよ、佳主馬君」
    「始めからそう言えばいいのに」
    背伸びをしてキスをすると、健二が真っ赤になる。久しぶりのキス。
    「会いたかった」
    「うん…」
    「一人暮らしするのなんて心配だよ、健二さん」
    きゅっと抱きつくと、健二は困ったように笑う。再三「名古屋に来い」と言われていたのにそれを断って東京に留まったのに、結局一人暮らしをすることに決めたことを許してはくれない佳主馬に「ゴメン」と謝る。
    「健二さん、寂しくないの?」
    「寂しくないよ。元々、あの家にいても僕は一人だったから。でも、こうして佳主馬君が来てくれるから寂しくない」
    ぼっと顔に血が上るのがわかる。そんなことを、大好きな人に言われたら動悸だってするし顔だって赤くなる。抱きしめたくなる。
    「佳主馬君?」
    「大好き、健二さん」
    「へへ…」
    もう一度キスをして、手を繋いで新居に入る。
    大学近くという学生用のアパートは小さなキッチンとユニットバスと、八畳ほどのフローリングの部屋だった。引っ越してきたのはつい最近のはずなのに部屋はさっぱりと片付いている。健二の自宅で見たシンプルなパイプベッドに学習机。それから本棚に新しく買ったらしい小さなテーブル。新居なのに元々使っていた家具が多いせいかずっとここに住んでいるような錯覚すら感じる。
    「狭くてゴメンね?」
    「狭いならくっついているからいい」
    「ははは」
    ベッドに寄りかかるように床に座った健二の隣に座って寄りかかる。健二の手をぎゅっと握ると、隣りで照れて俯くのがわかった。
    「ほんとに佳主馬君だ…」
    「偽者だと思ったの?」
    「ううん。まさかホントに『お願い』されるとは思ってなかったから」
    期末テストの結果が出たその日のうちに佳主馬は、結果をスキャンして健二に送りつけていた。願い事は一つだけ書いた。それは「春休みに入った日から、新学期の前日まで健二の家にいる」という事だった。高校の卒業式より遅く、大学の入学式より早く終わる短い休みを丸々健二を独占したい、という佳主馬に健二は笑いながら快諾した。昨日の夜に佳主馬の宿泊期間中の荷物が宅急便で来て、朝一番の新幹線できた佳主馬は愛用のパソコンと財布と携帯だけ持ってやってきた。
    「佳主馬君が来たいと思うなら、いつでも来てくれていいのに」
    「ほんとに?」
    「だって、僕だって…会いたいし…」
    最後は小声になってしまうが、健二が会いたいと思ってくれるならこんなに嬉しいことはない。
    「あと四つあるからね?」
    「うん。何?僕に出来ること?」
    「健二さんにしかできないこと」
    「なんだろう?」
    首を傾げる健二に佳主馬は笑う。本当に変わらないなぁ、と。来月から大学生と言うのに、出会った時と全く変わらない健二に安心する反面、心配になる。しっかりしているようで抜けているところもある健二だ。大学の課題やら、OZの保守点検のバイトに熱中してしまうと他が見えなくなってしまう。ちゃんと鍵を掛けて部屋に入るとかして欲しい。
    「僕だってちゃんと鍵ぐらい掛けます」
    「本当に?」
    「鍵っ子だったもん」
    「…ふぅん」
    「あ、信じてないでしょ?」
    「そんなことはないよ」
    むきになって言ってくる健二に擦り寄って佳主馬は甘える。健二と会わない期間に背が伸びた。住んでいる距離は変わらないが、身長の差だけは少しでも縮むといい。そんなことを思っていると、健二との体格差は劇的に変わっていないことに気がついた。佳主馬はだいぶ背が伸びたはずなのに、おかしいと思いつつ聞いてみると、健二も背が伸びたと話す。無邪気に「理一さんとか侘助さんぐらいは背がほしいよね」と言う。
    「健二さんはそれ以上大きくなったら駄目」
    「えええっ?」
    「俺が背を追い越すまで身長伸ばしちゃだめ」
    「…それ、お願い?」
    驚いた顔をしながら佳主馬に聞いてくる健二に佳主馬は真面目な顔で頷く。四歳差は変わらないならば、せめて身長だけは追い越したい気持ちを酌んで欲しい。
    「高校生の頃みたいに一気に伸びないと思うけど、僕はもうちょっと背がほしいな」
    「なんで」
    健二は佳主馬を見ながら、照れる。
    「なに?健二さん」
    「理一さんや侘助さんは背が高いでしょう?陣内の男の人たちはみんな。だからきっと佳主馬君も背が高くなると思うんだ。佳主馬君が高校生とかになったらきっとグンと背が伸びて、僕の背を追い越しちゃうだろうし。そのとき、僕があんまり背が低いと…一緒にいて、佳主馬君が…」
    恥ずかしいんじゃないかと思って、という言葉は小さな声になってしまった。
    その言葉に佳主馬は息を飲む。自分が高校生になっても、健二は一緒にいてくれるのか。
    「絶対、健二さんの背を抜くから。健二さんはそれ以上背を伸ばしちゃ駄目、やっぱり」
    「むちゃなお願いだなぁ…」
    「約束したんだからね、健二さん」
    「それを言われると痛いなぁ」
    苦く笑う健二に寄りかかり、佳主馬は不敵に笑う。
    「それは一気にお願いされちゃうなかな?」
    「分割でもいいよ」
    「じゃぁ、分割でお願いします」
    「…キスしてくれたら考えてもいい」
    「あ、ずるい。キ、キスしたいだけじゃないの?」
    「ずるくないし、キスはしたい」
    「佳主馬君…」
    ため息をついて、健二は体をよじって触れるだけのキスをして、膝に額を押しつけてしまう。顔を必死に隠そうとする健二に小さく笑って佳主馬は健二の髪を撫でた。相変わらず照れ屋な思い人はこんなにも可愛らしい。年上なのに、そう感じないのはやはり健二の性格所以だろうか。本当は願いを聞いてくれる、と言った時、一番に思いついたことは「名古屋に来て」だった。東京にいなくたっていい。佳主馬のそばにいればいい。そんな子供の独占欲と健二への憂いだった。
    一人暮らしをする、そう聞いた時もそうだ。この部屋に入った時もそうだ。本当は寂しがりやで、泣き虫なくせに、人とうまく関われない。佳主馬もそうだ。だからこそ、寂しさがわかる。誰かにそばにいてほしいという思いも、それを口に出すことができない思いも。だからこそ、強引にでも名古屋に連れてきたかったのに、本人が東京を離れたがらないのでは仕方がない。
    健二よりもOZにスポンサーを抱える佳主馬のほうがフットワークが軽い。新幹線で毎日通ったっていいぐらいなのに。
    「ねぇ、健二さん」
    「な、なに?」
    「願い事、あと三つあるからね。忘れないでよ」
    「う」
    「約束だからね」
    「確かに約束したけど、全部の教科で自己記録更新しなくてもいいじゃない」
    佳主馬は「何を今さら」と肩をすくめて、健二の腕を掴んで顔を上げさせる。
    覗きこむと、目元を真っ赤にした健二が視線を泳がせて、必死に照れているのを隠そうとした。
    「健二さん」
    「う、あ、はいぃ!」
    「前にも言ったじゃない。戦って勝つのが好きだって」
    健二に今日何度目かのキスをして、チャンピオンは不敵に笑う。
    「だから、頑張った子にご褒美を頂戴」


    そんな我儘を言っても困ったように笑うだけで許してしまう健二に佳主馬は少しだけ悲しくなった。
    矛盾はしているのは解る。
    困らせたくない、泣かせたくない。でも、こんな我儘を言っているのだから一言ぐらい言ってもいいと思うのだ。「困るなぁ」とか、「まったく、もう」とか。
    何も言われないまま、受け入れられてしまうのは、どこか落ち着かない。
    愛されているとか感じる前に、まだ表面上の付き合いでしかないのかと疑ってしまう。好きと伝えたのに、まだ敬語が抜けない時があるし、挙動不審の時もある。知り合って四年、付き合って三年になるのだからそろそろ遠慮なんて事はしてほしくない。
    物理部の友人だった佐久間までとは言わないが、佳主馬の我儘を聞くばかりではなく、健二からも我儘を言ってほしい。
    大学を決める時にも「名古屋にきて」と言ったのは佳主馬だった。このときはさすがに学校が東京だったので泣く泣く折れたが。
    春休みが終わるまで一緒にいたい、というご褒美はもらえた。
    背を伸ばさないで、というお願いは押し付けたがそれでも伝えられた。
    「ねぇ、三つめのお願い聞いてくれる?」
    「うん」
    顔をまだ赤くしたままの健二を覗きこむ。
    「もっと我儘、言って?」
    「へ?」
    「健二さんの我儘なら、どんなことでも聞きたい」
    「我儘…」
    「そう。なんでもいいよ」
    「それじゃ、僕のお願いを佳主馬君がきくことになっちゃうよ」
    「それでもいい。ねぇ、なんかあるでしょ?」
    「そうだなぁ…」
    うーん、と考え出した健二の髪を撫でる。
    健二の我儘を聞きたいというのが佳主馬の本音だった。
    どんな小さなことでもいい。健二の思うままに、佳主馬にねだってほしかった。
    会いたい、というのも佳主馬。
    近くにいて、というのも佳主馬。
    何時だって悲しい顔はさせたくないし、そばにいてほしいし、健二は自分のものだと宣言したい。
    ところどころ跳ねている柔らかい髪は撫でていて気持ちがいい。子犬とか子猫を撫でている感触に似ている。
    そんな事を考えていると健二がやはり困ったように笑う。
    「決まった?」
    「ううん。ないんだ」
    「え?」
    きょとんとする佳主馬に健二は、首をかしげて笑う。
    「だって佳主馬君と会えるだけで嬉しいから、他に何にもいらないんだ」
    「…」
    健二の言葉に佳主馬は絶句する。
    そんな答えが返ってくるとは思わなかった。
    だから何も言えなくなる。
    「佳主馬君?」
    「健二さん、ずるい」
    「そう、なの?」
    「だって、俺ばっかり我儘言ってる」
    「そんなことないよ?いつも佳主馬君が僕の都合に合わせてくれているんだなぁって思ってるから、我儘ばっかり言ってるかなぁって思ってたんだけど」
     違うの?と佳主馬を覗きこむように見てくる健二に抱きついた。
    「佳主馬君?」
     背中を撫でる手が嬉しくてぎゅっと抱きしめる。
     この人はこんなに小さかったのだろうか、とそう思った。もう何度もこうしているのに、今さらになってようやく気がつく。あの夏、頼もしいと思った背中は、実はとても小さいのだと。
     優しいのは知っている。
     我儘なんて言わない人だということも知っている。健二にそんな希望を押しつけたのは佳主馬の「我儘」だった。遠くにいる分、気持ちを知りたい。
    佳主馬のほうが年下の分、余計そう思えるのかもしれない。わずかにひらいた身長の差や、佳主馬の知らない世界を知る四年分の年の差とか。
    それが悔しいのと、切ないのと、一緒になってしまって胸が痛い。どうして四歳も年が離れていて、自分は年下で、健二より小さくて、そして何より名古屋と東京という距離が広すぎた。いくらOZのマーシャルアーツのチャンピオンで、青年実業家という肩書があっても、実際の佳主馬はまだ高校なのだ。
    「佳主馬君?」
     急に黙ってしまった佳主馬を覗きこむ健二の頬に唇を寄せる。とたんに首筋まで真っ赤になる健二をさらにぎゅっと抱きしめた。
    「健二さん…」
    「か、かずまくんっ?」
    アワアワとする健二を今度は佳主馬が覗きこんだ。出会ったころと変わらない健二に、噴出して自分の暗い考えに首を振る。
    変わらないでいてくれるのが嬉しい。
    まるで「待っているから」と暗に言ってくれているようで。
    「かず、ま、くんっ?」
    「絶対大学は東京にする…」
    「へっ?」
    「三年間、勉強さぼらない。親にも反対させない」
    「はっ?」
    「ぜったい健二さんの学校に行く」
    「なんで?」
    「だって、絶対健二さんは大学に残ると思うから。大学院に行きなよ。それで講師とか、研究員とかになってずっと大学にいればいい。そしたら健二さんとキャンパスライフは送れるし、構内デートもできるし、登校デートとか、帰りの待ち合わせとかそういうのができる」
    「だいぶ不純な動機だねぇ」
    「いいんだ。だって、本当の事だから」
    腕の中の健二が目を丸くする。
    本当に好意には疎い人だと思う。何度も好きだと言って、キスもしているのに、まるでそれが初めて言われたことのように驚いて照れて真っ赤になる。ちゃんと伝わっているのか不安にもなる時があるが、それでも健二は嫌がらないでいてくれるのが、嬉しかった。
    「健二さん」
    「はい」
    「大好き」
     また真っ赤になった健二を、今度は笑顔で抱きしめて、照れて顔があげられないほどキスをした。



    それから一日の大半を二人で過ごした。普段離れているから、会える時にはできるだけ姿を視界に入れておきたいのかもしれない。
    そんな事を思っていても、片方は大学進学を控えている暢気な学生だが、入学前から教授陣に気に入られている健二は「午前中だけ」とか「四時まで」とか言って大学に行ってしまう。
    「来月から毎日行くんだから、今日は行かなくてもいいじゃん」「そうなんだけどさ。今日は教授が論文読ませてくれるって言うから」
    「ろんぶん…」
     健二が持ち帰った分厚い紙の束を思い出して、佳主馬はうんざりした顔をする。日本語で書いてあるはずなのに、まったく理解できない文章と数字の羅列を、こよなく愛してしまっている健二に信じられない、という視線をむけた。
    「おもしろいの、それ」
    「うん。まだよくわかんない処もあるけど、今度教えてくれるって」
    「今度って、何時?」
     春休み中でなければいい、と思いながら聞くと健二がぱぁっと笑う。
    「あと二年ぐらいしたら!」
    「にねん…」
    「うん。三年生の授業でやるんだって。それまでにもまだたくさん覚えることあるから」
    「そうなんだ…」
    「うん。あ、僕ちょっと行ってくるから。佳主馬君の予定は?」
    「今日はスポンサーとの打ち合わせ。ねぇ、お昼には終わるの?」
    「うん」
    「じゃぁ、ごはん食べよう。大学まで迎えに行くから」
    「そう。ごめんね、出かけてばっかりで」
    「いいよ。健二さんがしたいことなら」
    「ありがと」
     ふにゃりと笑いトートバッグを手にした健二が出かける準備をする。
    「じゃぁ行ってきます」
    「はい。行ってらっしゃい」
     背伸びをして出かける健二の頬にキスをすると、真っ赤になった。
    「か、か、かじゅま、くんっ?」
    「どもり過ぎ。ほっぺにチュッってしただけじゃん」
    「そ、そう、なんですけどっ。心の準備がっ」
    「始めに予告すればいいの?じゃあ、今からキスするから」
    「ちょ、ま…っ」
     両手で顔をガードしても、佳主馬の手は簡単に健二の手をどけてしまった。
    「ちゃんと予告したからね」
    「う…」
    「お昼になったら迎えに行くから」
    「うん」
     唇が触れる寸前で囁かれて肯くと、「よくできました」とキスをされる。
     触れるだけのキスはすぐに離れて、健二は両手で顔を覆ってしゃがみこむ。
    「佳主馬君て…キスが好きなの?」
    「うん」
    「ううう」
    「健二さんにするキスが好き。健二さんからしてくれるキスもきっと好きだよ」
     いまだに健二からキスしてこないことを含み笑いで言うと、健二はさらに顔を赤くする。
    「しません!」
    「してくれないの?」
    「はい!」
    「ケチ」
    「ケチとかいう問題じゃないでしょ!」
    「してくれないなら、もっとする」
     ぐっと迫る佳主馬に「ギャー!」と声をあげて、腕全体で顔を覆ってしまう健二に抱きついて、佳主馬は笑う。
    「冗談だよ」
    「う…。じょ、冗談にしては酷すぎる」
    「限りなく本気だから?」
    「ギャーッ!」
     可愛らしくない悲鳴を残して飛び出していく健二を見送って佳主馬は笑う。
     二人で暮らしたら、毎日こんな風に過ごせるのか、と。
    「とりあえず、大学は東京…」
     ぐっと拳を握りしめて、佳主馬も出かける準備をする。本当は予定にないスポンサーとの打ち合わせだが、健二がいないと暇なのだ。
     暇つぶしにはちょうどいい、つまらない大人の話だが、時間が潰しにはちょうどいい。今日の企業は比較的大きな会社だ。時々東京に来たいことをちらつかせれば、新幹線の回数券ぐらい出すかもしれない。
     今日の戦利品を決めて、佳主馬は出かけた。
     佳主馬が企業から戦利品を勝ち取り、健二の大学に向かうまではそれほど時間がかからなかった。打ち合わせ自体は一時間ほどで終わってしまい、暇つぶしにもならなかった、と溜息をつきながら待ち合わせまでには随分と時間がある大学の門まで来た。
    「…何回見ても、でかい」
     健二の通う大学を見て、肩を落とす。
     見かけで判断してはいけない、と思いつつもさすがに東京屈指の大学なだけあって、立派な門だ。きっと中もそうなんだろう、と覗きこむと、遠くの校舎から健二が出てきた。
     遠目にも「あ」と言っているのが解り、大きく手を振るとパタパタと走ってくる。
     癖っ毛が跳ねて、佳主馬は「犬みたい」と小さく噴き出した。息を切らして駆け寄ってきた健二の頭を思わず撫でてしまう。
    「待ってた?」
    「今、来たとこ。健二さんはどうしたの?」
    「教授が会議だっていうから、今日は帰ろうと思って」
    「そう?じゃ、早いけどご飯に行こうか。どこがいい?」
    「どこでも」
    「健二さん…ちょっとは選ぼうよ」
     佳主馬の呆れた顔に慌てて健二は訂正する。
    「佳主馬君と一緒なら、どこでも!」








    春休みに二週間近く健二の部屋にいて、次に会えるのは五月の大型連休だね、と話して別れた。新幹線の駅、構内なで送りに来てくれた健二が小さく笑う。
    「体に気をつけて」
    「うん。健二さんこそ。ちゃんと食べて、ちゃんと寝てよ」
    「大丈夫だよ。自炊はできます」
    えへん、と胸を張るが一緒にいた間、数学に夢中になってしまって食事を忘れたことが何回かあった。実家に実家にいたころからそうなのだろう。一人で食事をとることが多いと時間なんて気にしなくなるのかもしれない。
    「ほんとに?」
    「うん」
    にこにこと頷く健二にため息をついて、佳主馬は肩をすくめた。むっとした顔をする健二は佳主馬に「ちゃんとできるよ」と抗議をしている。そばにいれば一緒にご飯を食べることぐらいすぐにできるし、メールの返事が帰ってこなければ様子も見に行ける。心配症だと笑われてもかまわない。
    離れている分、健二のことが気になってしょうがないのだ。
    「五月まで待つのが我慢できなくなったら、会いに来るから」
    「え?」
    「スポンサーと打ち合わせとかもあるし」
    「それは佳主馬君の仕事じゃないの?」
    「健二さんに会うのがメイン。仕事はおまけ」
    「もう!でも、ほどほどにしてよ?佳主馬君は実業家でもあるけど、そのまえに学生なんだから。勉強もちゃんとやらないと」
    「わかってる。健二さんも勉強ばっかりしてないでよ」
    「ぼ、僕はそれがすることだから」
    ちらりと健二の目をのぞき込んで笑うと、慌てた健二がプルプルと首をふる。今週から始まる大学の勉強が楽しみでならないのだと一緒にいたときに話していた。
    難しそうな厚い参考書のページをめくりながら、呟いていた。
    受験前には散々「名古屋の大学に来い」と言っていたが、健二が行きたい学校なので、仕方がないと諦める。三年後のこの季節に、今度は佳主馬が家財道具を持って東京に来ればいいのだ。
    当面の目標はできた。
    ふふん、と強気に笑う佳主馬を、健二はその理由が解らないままに、つられて笑う。佳主馬が嬉しいと、健二も嬉しいらいしいので、その様子に佳主馬の機嫌はさらに良くなる。
    「また、来るから」
    「うん」
     へにゃりと笑う健二を「お持ち帰りできないかなぁ」と考えながら、見ているうちに新幹線の出る時間になってしまった。ドアが閉まるギリギリまで新幹線に乗らず健二の手を握っていたが、アナウンスが流れると、本当に渋々新幹線に乗り込む。
    「まだ、あと二つお願いが残ってるんだけど」
    「それはまた今度に持ち越しでお願いします」
     うっと引きつった笑いを浮かべる健二に佳主馬は笑う。
    「もっと取引先に言うみたいに言って」
     いつかの夏の台詞をそのまま言うと、健二は眼を細めて笑う。
    「今度、ね?」
     照れた笑いを浮かべながら言う健二に佳主馬は「恋人みたいだ」と思い、自分の考えを訂正する。恋人みたい、ではないのだ。ちゃんとした恋人なのだから。
    「あ」
    「健二さん。また、来るから」
    閉まりだすドアの隙間から健二がぽそりと呟いた声は、出発のベルに掻き消されることなく事なく佳主馬に届いた。
    「ありがと。佳主馬君、大好き」
    「え?」
     プシュウと閉まったドアに手をつくと、健二が手を振る。そうじゃなくて、確認したい事象があるのだ。健二の手を握って、抱きしめて、さっき聞こえた小さな声の告白をちゃんと目を見て言ってほしいのだ。
    「ああ、もう!」
     流れ出した景色に毒づいて佳主馬は髪をかきむしる。これが普通の各駅停車だったらすぐに乗り換えることができるのに、この新幹線は隣の県に止まったら、次は名古屋なのだ。一瞬消えた離れた距離への焦りが一気に噴き出す。
     ポケットの中に入れておいた携帯を取り出し、大慌てで健二にメールを送った。キング・カズマは走る新幹線からでもきちんと黄色いリスの処にメールを運び、数分後にメールを持って戻ってきた。焦る指でメールを開く操作をすると、『もっと、取引先に言うみたいに言ってください』と、さっきの佳主馬の台詞をそのままに健二がメールを返してきた。
    「健二さんめ…」
     うぐぐ、と唸って、『大変申し訳ありませんが、先ほど言ってくださった事を、もう一度お願いします』と返信する。ドキドキする心臓を抑えながら待っていると、キング・カズマがさっきと同じようにメールを持って帰ってきた。
     よし!と気合を込めてメールを開き、がくりとうなだれた。
    『だめ~』
     短すぎる一言はなかなかのパンチをもってして、キングをノックアウトさせた。
     やはり敵わないのか。
     そう思って携帯を握りしめる佳主馬は、追加で来たメールに気がつかない。そのまま携帯をポケットに押し込んで、名古屋につくまで席に深く腰掛けて、目を閉じる。名古屋についた時に、時間を確認するために見た画面に驚いて、受け取ってから暫く経っていたメールを開いて、即座に電話をかける。
    「健二さん!今言って。すぐ言って。もう一回言って。今すぐ言って!」
     電話の向こうで健二が「ダメです。早く帰りなよ」と笑いを押し殺した声で言うと、電話を切ってしまう。
    「健二さん!」
     携帯を睨みつけて、佳主馬は短縮に入っている母親の携帯に電話をする。「あら、帰ったの?」と聞こえる母親の声を聞かず佳主馬は叫んだ。
    「お母さん?もう一回東京行ってくるから!」
    『なに馬鹿な事言ってんの。明日から学校でしょ。早く帰ってきなさい!』
     到着したばかりの名古屋駅で母親に電話をすると、あっさり却下されて、佳主馬は荷物を取り落とす。
    「やっぱり、高校も東京にすればよかった…!」
     今回も、健二のノックアウト勝ちに終わり、OZのチャンピオンは降参、とばかりに両手を上げた。
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