【曦澄】クリスマスの話【腐向け】十二月二十四日の夕方。
「できた」と、目を輝かせてリビングのソファーで空に掲げる。
教えてくれた家政夫に「できました!」と、キッチンに向かうとそちらもケーキが完成した頃合いだった。
「おお、よくできとりますなぁ」
網目は、江晩吟の性格を表す様にきっちりと密度が高く仕上がっている。
留めの所をチェックすると、肩をぽんぽんと優しくたたいた。
「がんばりましたな」
「うん!!あ、いや、はい!!」
「かしこまらんでもよろしいですよ。江の坊ちゃん」
褒められた事がうれしくて、気安く頷いてしまう。
するとクスクスと笑われてしまった。
「坊ちゃんたちのケーキは、冷蔵庫に入れてありますからな」
「はい。悠瞬さんは、これからデートですか?」
「そうやよ。まぁ、外には出れんけど、楽しんでくるわ」
愛し気に微笑むその人の顔は、どこか寂しさがにじみ出ていた。
彼の恋人は、体が弱くて入院をしている。
毎日の電話やメールは、欠かさない。
「……てっきり、悠瞬さんは藍先生に恋慕なさっているのかと思ってました」
「勘違いされるけど、そやないよ。先生に対しては、敬愛や。世が世なら、忠誠心も命も捧げてもええくらい」
「どうして、そこまで?」
「そうやねぇ」
家政夫は、いや、藍悠瞬は鍋に牛乳を入れてコンロにかけながら苦笑する。
「家族と折り合いが悪かったんよね」
「……」
「曦臣と同い年やろ?だから、祖父には負けるな言われ続けてなぁ。
父は最悪な事に、兄弟の父親の担当医。だから、哀れに思ったんやろね。
両親は、実の息子より従兄の息子たちを気にかけておったんよ」
沸騰する前に、鍋を火からおろす。
それぞれ使っているマグカップに、ココアと蜂蜜を入れて牛乳を注いだ。
くるくると小さなスプーンで、かき混ぜる。
「祖父には、どんなに努力していい成績になっても満足してもらえず。
両親からは、期待もされとらんかった。
先生だけが、私を褒めてくれた。二人の保護者なんに、平等に厳しく平等に優しくしてくれたんよ」
はいっと、藍悠瞬は江晩吟にできたココアを渡す。
マグカップは、熱すぎずに手に収まるくらいに温かい。
「実質、三人の子育てしたようなもんやね」
「そうだったんですか」
「慕うには、十分な理由やろ?」
江晩吟は、藍悠瞬の寂し気な笑顔に見覚えがある。
江家の鏡で、毎日見ていた顔だ。
「悠瞬さんが、優しくしてくれるのは……俺がかわいそうだからですか?」
「そうやね」
「そっか」
「だけどな、坊ちゃん」
すっと指の背で目元にかかった髪を、払ってくれる。
「曦臣の事、慕ってくれるんが嬉しかったんよ」
「え?」
「私は、曦臣の気持ちを知っとったから。ずっと、坊ちゃんの事が好きやったから。
坊ちゃんが、曦臣の事を好きになってくれて嬉しかったわ」
藍悠瞬の本当に嬉しそうな笑みに、江晩吟は胸が締め付けられる。
己なんか好きになってくれない、憧れのような感情だった。
こうして誰かに祝福されるなんて事を、考えてもいなかった。
「二人が喧嘩したら、私は立場的に曦臣の味方になってしまうけど。
これからも二人の事を、応援しとるから……うちの藍渙を末永く頼みますわ」
「……はい」
二人で、ココアを飲んで笑いあった。
******
江晩吟の友人である梓観世は、江晩吟の親戚が主催する合コンに来ていた。
「江先輩」
「どうした?」
「なんか、合コンというより、婚活パーティーみたいな規模なんですけど」
スーツで来いと言われた時に、察するべきだった。
いつもの合コンだったら、普段着で居酒屋で騒ぐのだけなのだが、女性はきれいにドレスアップしていた。
この人も分家とはいえど、江家の人なのだと認識してしまう。
「俺だってなぁ、学生の合コンを楽しみたかったよ」
「そうですか」
「だけど、これでも江家の人間だし新入社員だしで、断れると思うか?」
「思えません」
江晩吟が江家の会社を継がなくても、この人にお鉢が回るのは奇跡に等しいくらいに継承権が低い。
しかし江氏の一員であるためか、名家の御曹司である。
彼が主催をするという合コンとなれば、江家にパイプを持ちたいとか近づきたい者は多い。
しかも江先輩は、江晩吟が一時期だが会社の代表代理を務めた時に献身的に彼を支えた。
仕事も一流の人なのだ。
彼自身を狙っている女性は、多い。
しかし、悲しきかな江氏の血筋で、好意に鈍いのだ。
「おじさんに手伝ってもらったら、いつの間にかこんな規模になったんだよ。
社長が、それなら忘年会も兼ねたらどうだなんて言うからっ」
「あーはは……お疲れ様です。会社に就職するの考えようかな、いやでも晩吟の側にいるためには入社したほうがいいし」
口元を抑えて梓観世は、考え込む。
そんな後輩を、江先輩は大きくため息をついた。
「なんで、そこまで晩吟がいいんだ?本家の跡継ぎだからか?」
「それも、ありますけど……。私だけは、彼の味方で居たいんですよ」
「……わかってもらえないぞ?」
「それでいいですよ。寄りかかってほしい訳じゃないんです」
くいっと、持っていたグラスの中身を飲み干す。
「晩吟は前しか見えてないから、私が彼が切り開いた道を途絶えないようにしたいんです。
晩吟が、甘えるのは私じゃない。晩吟の手を引くのも私じゃない。甘えるのも、私ではありません」
「……」
「私は、彼が立ち止まった時に一緒に立ち止まって、
振り返った時に『あなたが導いた者です。あなたの誇りです』と言う立場でありたい。
晩吟は、自分に自信がないから、私が彼の自信になりたいんですよ」
子供のころから、見つめてきた。両親に、期待されて期待されないで、育っていた江晩吟。
どんなに努力をしても、報われなかった。
父親の愛情を受けられなかった事は誤解だったけれど、傷ついてきた心がすぐに治るわけじゃない。
「……ふむ」
「なんですか?」
じっと見つめられて、梓観世は見つめ返した。江先輩は、少しだけ晩吟に似た笑みを浮かべる。
「俺も、その自信とやらになろうかな」
「え?」
「俺は、晩吟につくよ。高校生ながらに、代表の代わりを務めあげた実績もある。
それは、晩吟は誇っていい。まだまだ未熟だが、十年も経てば俺たちを導ける技量を持っていると俺は踏んでいる。
もしかしたら、社長以上かもしれない」
暗い夜道を導いてくれる歌のように、希望を見いだせた。だから、その歌声を信じる。
「一緒に、晩吟の自信になろう」
「は、はい」
自分の考えに賛同されるなんて、思っていなかった。
それは、腰ぎんちゃくのようなモノだ。
「いいか、観世」
「ん?」
「それは、支えるって言うんだ」
江先輩は、優しい笑みを浮かべていた。
「よろしいかしら」と女性が二人声をかけてきて、梓観世には見たことのある二人だった。
「兄さん、せっかくの出会いの場で、男同士で話してるだなんて!」
「悪かったよ。それで、こちらの美しい女性は?」
一人は、江先輩の妹。もう一人はーーー……。
「虞夫人のご実家のご令嬢です」
「観世、知っているのか」
「話した事はありませんが、母に連れられて虞家に行った時にお見掛けしました」
虞紫鳶や江晩吟に似たアーモンド形の瞳をした女性は、梓観世を見つめて美しい微笑みを浮かべた。
彼女も、梓観世にとっては使えるべき家の人だと遺伝子レベルで認識している。
「ねぇ、梓さん」
「へ?」
「私、梓さんの話が聞きたい。あっちで、お話しましょう」
江先輩の妹に、ぐいっと手を引かれて梓観世はその場を退場した。
******
家政夫とココアを飲んだ後、彼は恋人の所へと出かけて行った。
藍啓仁を会場まで送ると言っていたが、こんな時ぐらい恋人を優先しろとたしなめられていた。
二人が家からいなくなると入れ違いに、仕事を終わらせた藍曦臣が部屋から出てきて、二人でリビングでくつろいだ。
リビングのテーブルには、家政夫が作ってくれたケーキと夕食が並べられていた。
本来なら食卓のほうに並べるのだが、今夜ばかりはソファのあるテーブルだ。
いつもは喋らないで食べる夕飯も、喋りながら食べた。
食事を終えて、テレビをつける。
「悠瞬と何を話していたの?」
「秘密」
「ふぅん……」
すねたように唇を尖らせる藍曦臣に、江晩吟は肩が触れ合うくらいに近づいた。
瞬きをして藍曦臣が、見つめてくる。
「……マフラーが」
「うん」
「できたから、それを見せたんだ。そしたら、よくできてる頑張ったって褒めてくれた」
「そう」
藍曦臣は、ゆっくり恋人の肩に手をまわして寄りかかるように引き寄せる。
江晩吟は、戸惑いながら肩に頭を乗せた。
「プレゼントは、いつもらえる?」
「クリスマスプレゼントなら、明日の朝に開けるのが定石だろう」
「それもそうだね」
こつんと、頭をくっつけられる。
そんな時に、江晩吟のスマホがなった。
「無羨からだ」
「どうしたの?」
スマホを見せれば、江晩吟の義兄と藍曦臣の弟が顔を寄せ合って自撮りしている画像だった。
浮かれたようにメリークリスマス!と書かれている。
「私たちもやってみる?」
「ん……」
戸惑っている江晩吟に「私がやりたいな」とねだれば、しぶしぶだが頷いた。
イヤだというわけじゃなくて、恥ずかしいというのがあるのだ。
カメラに収まるように、二人で顔を寄せ合って写真を撮る。
それにハッピークリスマスと書いて、送り返した。
しばらくして『顔が近いぞ!!!』という、自分の事を棚に上げた返信が来る。
しかし、その言葉に自分たちの距離が近いことに自覚してしまう。
「江澄。離れないで」
「え?」
ぐいっと強い力で引き寄せられて、肩どころか胸にほほがくっつく。
「私から、逃げないで」
「逃げてない」
「傍にいて」
頬を大きく優しい手に包まれて、顔をあげさせられる。
まだ、夕飯を食べていないとか、さっきココア飲んだばかりだと考えていると唇が重なった。
何度も重なるだけのキスをして、角度を変えてちゅっというリップ音が耳に届く。
少しだけ開いた唇から、舌が侵入してくる。
「ん、あっつ」
「ふ、ん。んあ」
ぴちゃぴちゃと水音が、自分の口から発せられている。
歯茎を撫でられて、上あごをなめられると、そこから甘いしびれが体を走った。
「ふぁ!!」
思いのほか大きな声が出てしまい、驚いて目を開く。
すると、視界いっぱいに藍曦臣の顔が見えて、江晩吟は自分が何をしているのかと自覚してしまう。
体を押し付けてくる藍曦臣の胸を押すと、するとすんなりと離れてしまう。
突き放したのは自分のくせに、それが寂しく思ってしまった。
「すみません」
口元を抑えて、何が起きたのか全く理解していないような藍曦臣がそこにいた。
「あ、あなたとの口づけがあまりにも気持ちがよくて……。むしろ、キスというのがこんなに……」
「ら、藍渙?」
「誰かと、キスをするのは初めてなんです」
かぁああ…と赤くなる藍曦臣に、江晩吟は眉を寄せた。
初めてのキスで、ディープキスをしたのかこの人は……。
「江澄は、恋人がいた事もあるのですから、キスってしたことがあるのでしょうか?」
「ない。そういう事をする前に、振られてた」
する寸前になった事もあったが、いつも藍曦臣の事が頭に浮かんでしまっていた。
その度に突き放して『すまない』と、キスを拒絶して恋人を泣かせてしまった。
それが原因で、別れた。
「藍渙」
「なんでしょうか」
「イルミネーションを見に行かないか……」
「外は、寒いですよ?」
「こ、これを使えばいい」
ソファの端に置いてあったマフラーを渡すと、きょとんとしながら受け取ってくれる。
「朝に開けるのでは?」
「クリスチャンじゃないんだから、いいだろう。
それに、ここでこのまま二人きりでいると、貞操が危なそうだ」
「あー……はい、そうですね」
ディープキスをしたせいか、自分の理性に自信が持てない藍曦臣は素直にうなづいた。
顔を赤くしながら、江晩吟はうつむく。
「……受け身は、準備が大変なんだろう?」
「江澄、受け身をなさってくださるのですか?」
「お、俺に、男を抱く技量がないんだ。別に、イヤなら頑張るけど」
さっきのキスで、自分は受け身になったほうがいいと自覚した。
義兄が男と同棲してから、男同士のセックスについて語るので知識だけはある。
「俺は、あなたにだったら抱かれてもいい」
「江澄……」
仮にも先ほど深いキスをした恋人に対して、そのセリフは煽りもいい所だ。
理性を保とうとして、藍曦臣は長方形の小さな箱を江晩吟に渡す。
「時計が、壊れたと聞いて……もらってくれるかい?」
「時計……」
包装をはがして箱を開ければ、紫の革のベルトの時計が入っている。
デパートで、時計を手に取った時に友人が言っていた言葉を思い出す。
『貴方の時をくださいとか、私の時間を上げますって感じがしますよね。まるでプロポーズみたい』
ぶわっと耳まで赤くなる江晩吟に、藍曦臣が首を傾げた。
「江澄?」
「あ、ありがとう。大事に使わせてもらう」
「うん?」
のぞき込んでくる恋人に、江晩吟は言いづらそうに口を開く。
「観世が、時計を送るのはプロポーズみたいだって、言ってたから」
「……へぇ。そう受け取ってもらっていいけれど、揃いの時計じゃないからなぁ」
「そ、そうだよな」
藍氏の時計は、特別なモノだ。めったに外すことは許されない。
江晩吟の視線が、時計に落とされる。
「いつか、君とおそろいの指輪を渡してもいい?」
「へ?」
「十数年、君に恋をしてきたんだ。恋に愛が勝ったら、君と結婚したい」
藍曦臣は、江晩吟の腕に時計を装着する。
「共に歩んでくれますか?」
「喜んで」
江晩吟は、藍曦臣をまっすぐ見つめて微笑んだ。