( .ˬ.)" す、と足を半歩引いて、軽く膝を曲げ、右手は左胸に、左手は背中に回して、上体は軽く前へと傾ける。
「っ!」
本来なめらかに、そして優雅に行う礼はまだまだぎこちなく、ともすればバランスを崩してふらついてしまう。
とてもではないがヒトに見せられる状態ではなく、上手くできない礼を何度も何度も繰り返す。
出来ない、なんて言える立場ではない。必ず習得しなければいけないマナーのひとつなのだ。
『なかなか精が出ますねぇ』
楽しげな声の主は双眸を三日月形に歪めて笑う。それは嘲笑などではなく、純粋に褒めているのだろう。
本来ならば隠れて、誰にも見られずに特訓をしたかったのだが、それは叶わぬ願いというもの。声の主である少女には実体というものがなく、本当にそうなのか実に怪しい存在だと思うが端的に言えば幽霊だ。
地縛霊がその土地に縛られているのと同じように、少女は私に縛られている。私の傍を離れることが出来ない、なんとも難儀な存在だった。
とは言え彼女に助けられたことは数知れず、面倒ごとに巻き込まれたことも数知れず。
世話の焼ける幽霊だと思う反面、彼女のいない生活など考えられない程にその存在を受け入れてしまっている。
いるのが当たり前。これからもずっと一緒。
そう信じて疑わない程度には一心同体だと思っている。運命共同体とも言えるか。
そんな少女はふわふわと浮きながら、ぴしりと急にその背筋を伸ばした。
纏う空気も不思議としっかりとしたものになり、軽く口角を上げた少女は、そのまま私が練習していた礼をした。
ぶれることのない体幹。優雅でなめらかな動き。指先まで細かに張り巡らされた神経。
普段感じることのない気品を纏った姿に、思わず息を飲む。
『なーんて、どうですかね』
見直すような素晴らしい礼だったというのに、それも数秒で崩れてしまうのだから勿体ない。まあ、少女らしいと言えばそうなのだが。
「君もこの礼を?」
『ふざけて真似したら結構スパルタで仕込まれました……』
問えば遠い目をした返事が返ってきた。彼女が見る先にいるのは一体誰なのだろう。
それから少女はふざけていくつもの礼を見せてくれた。
尻を突き出して振るプクリポの挨拶や、スカートの裾を持ち上げる動作をするエテーネの挨拶。
そのどれもが目を見張るほどに美しく、そして彼女の異質さを強調する。
疎外感さえ感じ始めた私の隣へ、少女はすいと空中を滑空して並び立った。まだこどもの私と同じくらい、少女は小さい。
『いいですか。まず、重心を低く保ちます。そうするとふらつきにくくなりますよ』
背筋をピシッと伸ばして、言われるがままに重心を意識する。体幹も勿論鍛えるのだが。
『指は真っ直ぐです。そう意識します。これ以上ないほど伸ばすんです』
言われるがまま指を痛いほどに伸ばす。それだけでなんとなくあっただらしなさがなくなった。
『重心を低く、体重移動はなめらかに。引いた足は添える程度でいいですが、きちんとバランスをとるために支えにしてください』
引いた足から力を抜いていたのが悪かったのか、今度はふらつきなく立つことができた。
軽く膝を曲げても重心が低いからか安定している。
『上体に気を取られないでください。必要なのは腹筋ではなくバランスです。石を立てて積み上げるかのような絶妙なバランス。つつけば簡単に崩れ落ちてしまう、けれど触らなければそうあり続ける、そんなバランスを意識してください』
なかなか難易度の高いことを言っている気がする。
けれど、言われたままに意識すれば、びっくりするほど礼の状態が安定した。
『胸の腕や背中の腕は飾りではありません。それらも絶妙なバランスを作り出すもの。そう力を込めてしかるべき場所です』
両腕の重さを意識すれば、礼はさらに安定した。後はこれらの動作を如何に優雅に、なめらかに行うかだ。こればかりは練習あるのみだろう。
「ありがとう。おかげで何とかなりそうだ」
『私が教わった時のことを教えたまでですよ〜。……さすがご本人だから分かりやすかったのかな』
「? 何か言ったか?」
後半が聞こえず聞き返せば『なんでもないですよぅ』と適当な返事が返ってくる。それもいつものことだ。
いつの日か、彼女に見惚れてもらうような美しい礼をする為に。
私はまた足を半歩後ろへと引いた。