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    カナト

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    カナト

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    びゃ2 しばらくゲルヘナに潜伏していたカナトは、手近なランタンこぞうを狩っていた。
     あれから数日筋肉痛でベッドから起き上がれなかったが、今では以前と同じように乱獲を楽しめるまでになっている。
     そうなれば、そろそろこの場所から移動してもいいかもしれない。
     魔界は、大戦によって主要三国が大きな痛手を負った状態だ。一番酷いのが魔王ヴァレリアが行方不明となったバルディスタ。次いで王太后が斃れ実質的な統治者が不在となり不安定なゼクレス。一番被害が少ないのがジャリムバハ砂漠が一時戦場となり、有能な副官が瀕死の重傷を負ったファラザード。
     カナトはアストルティアの人間なので、これらの国に関わるも関わらないも自由だ。しがらみといったものを一切持っていない。
     どこの国に肩入れする、どこの国に所属する、どこの国を贔屓する、どこの国を敵視する、なんてものも一切ない。
     元ユシュカのしもべなので、ファラザード扱いかと思いきや、ユシュカに一方的な喧嘩を吹っ掛けられ、手酷い扱いを受けている。
     ならばファラザードの敵かと言われれば、大戦ではファラザードの兵士たちに混ざって大立ち回りを繰り広げ、バルディスタの名将たちを斬り伏せているのだから分からない。
     大戦後、ファラザードに身を寄せていたが、それもイルーシャが居たため。彼女はナジーンから囮の依頼を受けた時に、ゴダ神殿へと送り返している。
     一番被害が少ないとはいえ、ファラザードもまた、荒れている。イルーシャの力を狙って何が訪れるかも分からない。だとすれば、来るものを選別することの出来る魔仙卿の元に預けるのが妥当だと思ったのだ。
     これからの魔界の復興に、イルーシャの力が必要なのは一目瞭然。カナトは彼女の護衛をかって、荒事を片付けるのが一番だろう。
     そうと決まればゴダ神殿へと向かおうと、荷物をまとめてアビスジュエルを掲げる。
     久しぶりに訪れたゴダ神殿は、相も変わらず静謐な空気に包まれていて……どこか重苦しい。
     扉を開けば、魔仙卿がちょこんと玉座に座っていた。イルーシャもいたのでちょうどいいというところか。
    「本当に来たわ!」
    「そなたがここに来るのは分かっていた」
     はしゃぐイルーシャと、落ち着いた魔仙卿。どうやらカナトがこの場に来るのは最初から分かっていたらしい。
     そんなに自分の行動は筒抜けなのか……などと複雑な気持ちになりながら、魔仙卿の言葉に耳を傾ける。
    「此度の大戦で、魔界の三国は大きな痛手を負った。そなたたちには、各国の復興の手助けをして欲しい」
     魔仙卿の言葉に、イルーシャは大きく頷いた。イルーシャもやる気なのだろう。
     カナトとて、一時は親しくなったと思っていた人たちの安否は気になる。
     王城で斃れた王太后エルガドーラ、アスバルに吹っ飛ばされた氷の魔女ヴァレリア、各国がどのような混乱のさなかにあるのか、どのような対処を望んでいるのか、それを見て、聞いて回る旅となるだろう。
    「ゼクレスとバルディスタ、どちらから行くのかはそなたに任せる。どうか、魔界の復興を手助けしてやって欲しい」
     その依頼を引き受け、カナトはイルーシャと共に魔界の各地をさまようこととなる。
     混乱するバルディスタでヴァレリアの行方を探し、不満が広がるゼクレスで、実はアストルティアに旅立ってしまっていたアスバルを連れ戻し。
     どこの国も一目置く奮闘をしたカナトは、再び魔仙卿の元を訪れる前に、しばらくぶりにファラザードに顔を出すことにした。
     砂埃にまみれたバザールは、今日も活気に溢れている。そう言えば、あの誘拐事件から事態はどう進展したのか、カナトは逃げ出してしまったので何も分からない。
    「相変わらずここは賑やかね」
     楽しそうに笑うイルーシャと買い食いをしながらファラザード城を目指した。
     黒蜥蜴の丸焼きを手土産に、カナトは門番に見送られて城内へと入る。
     ユシュカに一方的に喧嘩を吹っ掛けられていた時は、断固として中に入れてくれなくて、しかも「ユシュカさまを裏切るなんて……」と不満に満ちた顔をされていたのに、手のひら返しが早い。
     まあ、また入れて貰えなくなっても、城の地下の水道から地下牢へと侵入するだけなので問題ないが。
     手段なんて選んでいる場合ではないことが多かったので、不衛生だろうが不気味だろうが死者の怨念が渦巻いていようが、訳アリの迂回路であろうともカナトはその道を突き進む。
    「いらっしゃいませ! カナトさま!」
     楽しげに弾んだ声を耳にしてそちらを向けば、ウテンがいつもの人懐っこい笑みを浮かべていた。
     ウテンは肝の座ったメイドで、カナトのことをとても推してくれている。
     ユシュカの許可が無くても客室を使えるようにしたりだとか、結構なカナト贔屓だ。一体誰に仕えているのかと問うてみたくもある。
    「今日は泊まって行かれないんですか? 魔瘴の巫女さまも一緒に酒盛りしましょうよ〜!」
    「私がお酒飲めないの知ってるくせに〜。でも、女子会とかしたいね!」
    「いいですね! パジャマを着て女子会参戦楽しそうです!」
    「女子……会?」
     女子会が分からないイルーシャに、女の子だけで集まって色々やることだと教えてやれば、興味を持ったようで瞳を輝かせていた。
     結果としてあっという間にお泊まり会が決定したのは言うまでもない。

     *

     ナジーンは大捕物から先、帰還するや否やユシュカによって拘束されていた。
     だがそれは地下牢に入れられる、などといった拘束ではない。部屋から出てはならないという軟禁の指示だった。
     今回無茶をしたことが相当堪えたのだろう、泣きそうな声で懇願されてしまえば、ナジーンとて折れるしかない。
     ただでさえ戦場で散々心配させたのだ、大切な誰かを亡くす恐怖は、痛いほどにわかっている。
     魔界では突然死は良くあることだ。国を滅ぼされる、故郷を焼かれる、いきなり魔瘴塚が出現して通りすがりの人が死ぬ。
     遠い昔に体験したそれは、時間が癒してくれることだろう。けれど、身近で再発してしまえば、恐怖は再びぶり返す。
     ナジーンの部屋は仕事と寝る為だけの部屋だ。くつろぐためのスペースというものが一切ない。
     だからこそ、辛うじて許されている書類仕事をしているのだが、正直これだけで回っているとは思えない。
     だが、ナジーンがいなくなった後のことも考えねばならない。後進育成を後回しにしていたツケか。
     まだまだ上位魔族としては若い部類に入るが、確かに突然死が多い魔界で、これからのことを考えて人を育てるのは必要なことだ。
     魔王であり、この国にとって亡くしてはならないユシュカを守る為ならば、ナジーンは何度だって命もからだもはるだろう。これから先同じようなことがないとは言いきれない。
     必要なことを書き記した簡易的なマニュアルでも作成した方がいいだろうか。汚れ仕事はどこで落とし所をつけようか。
     出来れば最期まで、ユシュカの隣で彼を支え続けていたい。彼の夢を共に見たい。
     その夢にはカナトが必要で。カナトもまた、ナジーンの大切なもので。
     守りたいものが増えていく。けれど、それは不愉快ではない。
     かつて、守るのだと思っていた己の国を守りきれず、滅亡に導いた王子は、今度こそ大事なものを守るために奮闘するのだ。
    「ナジーン殿」
     気がつけば執政官のひとりが茶と茶菓子、書類を持って来てくれていたようだ。ノックの音も聞こえないくらい集中していたのだろう。
    「すこし根を詰めすぎでは。休憩されてはいかがでしょうか」
    「……そうしよう」
     心配されているのだから、ここは素直に従っておくべきだとナジーンは引き下がる。本来ならばベッドから起き上がることも許されなかったのだ。休憩も取らないとユシュカにでも告げ口されれば、ベッドに括り付けられること間違いない。
     白い湯気をくゆらせる茶器を受け取り、ナジーンはまずは香りを楽しむ。甘い香りが立ち上り、思わずほっとした。
     ふぅ、ふぅと息を吹きかけてナジーンはゆっくりと喉を潤す。
    「臭っ! 苦っ!」
     が、その味にビックリして舌を出した。
    「え? そうなんですか? しもべどのが故郷のからだにいいお茶だって持ってきまして」
     見れば茶の色は泥のような色合いで、原材料は何か全く予想がつかない。
     アストルティアではこんなお茶がからだにいいと飲まれているのか、アストルティアは恐ろしい……などと思ったところでふとナジーンは問いかける。
    「待て、カナト殿が来ているのか?」
    「ええ、はい。今夜はお泊まり会で女子会だそうですよ。楽しそうで和みますね」
     今度は茶菓子を渡しながらほわほわと和んでいる執政官に、ナジーンもまた微笑ましい様子を想像して少し口元に笑みを刻んだ。
    「では、明日彼女を訪ねてもいいかユシュカに許可を取ってくれないか?」
    「分かりました」
     城の中の短距離の移動ならばユシュカの許可が降りる可能性は高い。
     なんとしてもカナトに会って、その体調を確かめてネシャロットに押し付けられるように渡された避妊薬を飲んでもらわなければならない。
     ナジーンはまだ父親になるつもりはないし、この魔界の動乱期にカナトの力が必要だ。彼女を妊娠させてしまえば、激しい戦闘など以ての外になるだろう。
    (作るのならば大魔瘴期が終わった後だな)
     茶菓子にと差し出された緑色の豆をポリポリと食べる。不思議な感覚がする豆だが、これもカナトの故郷のものだろうか。
     アストルティアの文化は面白いと思いながら、ナジーンは豆を完食した。
    「では、私はこれにて失礼致します。ご用があればまたお呼びつけ下さい」
     そんなナジーンの様子をしっかりと観察していた執政官は、書類を置いて茶器と茶菓子の皿を下げ、丁寧に一礼して去っていった。とりあえずユシュカにナジーンの様子を報告するのだろう。
     不味い茶と不思議な豆のおかげか、からだがぽかぽかして軽い気がする。
     カナトの手土産の茶、干しどくけし草茶は実際にからだにいいものだ。もみがらと合わせて枕にすると、安眠枕へと変貌する。
     また、豆ははつらつ豆で、材料の影響で豆のような姿になっているが、実際には食料の少ない場所でもエネルギーを回復できる栄養食である。時渡りの力を持つものには、その力を急速回復させる効果もある。
     そんな不思議なもののあるカナトの故郷に、ナジーンは「一度行ってみたいものだ……」と独りごちて、再び書類に向き合った。

     翌日、ユシュカの許可は割とアッサリと取れた。
     数日間缶詰にされていたので、少しくらいの運動はと思ったのかもしれない。
     カナトの部屋の前にいるウテンに取り次ぎを頼めば、ウテンは渋い顔をした。
    「まぁ、ナジーンさまなら……」
     渋々といったふうに部屋に通されれば、カナトはまだベッドに横になっていたようだ。
    「あっ、ナジーン……」
     ベッドの傍には不安げなイルーシャが待機していた。
     立ち上がりかけたのを手で制して、ナジーンはカナトの様子を問う。もしや、妊娠初期の症状でもでているのだろうか。
    「カナトは今眠っているわ。それまで酷く苦しんでいたから……」
    「……そうか」
     ナジーンがそっとカナトの枕元に近寄った。
    「……この格好でよく寝ていると分かったな」
    「唸り声が少し収まったから、眠ったと思ったの」
     覗き込んだカナトは、相も変わらず頭巾のようなものを被っていて顔が判然としない。寝苦しくないのかとも思ったが、それで慣れてしまっているのだろう。言うなれば、毛布を頭まで被って眠るタイプに似ている。
     今は落ち着いているようにみえるが、イルーシャの言ではかなり苦しんでいたようだ。
    「カナトは何か、病なのか?」
    「いいえ、病気ではないわ。でも……こんなに苦しむのは可哀想……。私の力で癒してあげられればいいのに……」
     指を組んで祈るような仕草をするイルーシャの言葉に、ナジーンはいよいよ腹を決めねばならぬと思った。
     カナトの妊娠は時期尚早だと思うが、命の誕生は奇跡だ。それが遅いか早いかだけであって、いずれは己の子を産んでもらう予定だったのが早まっただけ。
     ただ、そこにカナトの気持ちが伴っていないことが辛かった。
    「責任を、取らなければならないな」
    「えっ?」
     ナジーンの呟きを耳ざとく拾ったイルーシャが目を見開く。
    「ナジーンの責任じゃないわよ? だってカナトは……女の子の日で苦しんでるから」
     言うのを躊躇ったイルーシャは、小声でボソボソと真相を告げた。
     カナトとイルーシャとウテンは女子会パジャマパーティーで、楽しくお泊まり会をしたそうだ。
     楽しく恋愛トークなどで盛り上がり、あの人のここがいい、あの人はカッコイイけれどあそこに難があるなどと、きゃあきゃあ姦しい夜を過ごして一夜を明かしたらしい。
     そして、目が覚めるとカナトの下半身が血みどろで、本人も酷い痛みに腹を抱えてうずくまっていた、らしい。
     結果、カナトは酷い生理痛で、慌ててウテンが痛み止めと生理用品を用意し、イルーシャも手伝えることはないかとホカホカストーンを袋に詰めて、簡易的な湯たんぽを作ったりした。
     ウテンが汚れた箇所や服を洗いに出し、その間吐き気やら酷い体調不良でふらつくカナトにイルーシャがオロオロし、やっと痛み止めが効き始めてカナトが眠りに就いたのが今なのだそうだ。
     その事実にナジーンは思わず心の中で舌打ちした。怪我の功名とばかりに手に入りそうだった少女に、ナジーンが欲した命は宿らなかったらしい。
     そもそも、カナトはアストルティアの人間で、魔族ではないが、ユシュカと血の契約を結んでいるので、可能性として有り得ると思ったのだが。
    (今度ユシュカに血の契約のしかたを聞くか? だがあれは……失敗した時のデメリットが大きすぎる禁術……)
     しかし、ユシュカとカナトが血の契約によって繋がっているというのは、今更ながらナジーンを酷く嫉妬させた。かつて、ユシュカと行おうとして、手酷く失敗して瀕死となった禁術。
     カナトとユシュカの相性が良かったのか。確かに二人には似通ったところがあり、類友と言えるだろうが、ナジーンの心には黒いドロドロとしたものが込み上げてくる。
     カナトを抱いたのはナジーンだというのに、その心を手に入れられていないことが、こんなにも己を苦しめるなんて思わなかった。
    「少し、席を外してもらえるだろうか」
     絞り出すようにそう告げれば、イルーシャは素直に部屋を出ていった。なにか思うところがあったのかもしれない。
     イルーシャの退出を確認すると、ナジーンはカナトの頭巾をはぎ取った。
     もう既に顔を知ってるのだから、このくらい晒してもいいだろう。
     久しぶりに見たカナトは、酷く苦しげで、眉間にシワを刻んでいた。
     ナジーンは親指の腹でカナトの眉間を優しく揉みほぐし、そのままそっと頬に手を滑らせる。
     ナジーンの手のひらで簡単に覆えてしまう頭部。その小ささに、ナジーンは恐怖すら抱いた。
     柔らかな頬を撫で、そっと耳をくすぐる。手は首筋を辿り、はたと動きをとめた。
    (何をしようとしていたんだ、私は……)
     仮にも生理痛で苦しんでいる女性に、ナジーンは何を感じたのか。
     簡単にへし折れそうな細い首が、ナジーンの手の中にある。
     こんなに小さく細いのに、か弱そうなのに、どうしてか果てしない強さと光を秘めた少女は、ナジーンを強く惹き付ける。
    「あいしている……」
     言葉に出して呟けば、その言葉はストンと心に落ちた。
     空気に溶けて消えていった言葉。いつか、カナトに伝えることが出来るだろうか。
     いつか、カナトの生理を止める栄誉を授かれるだろうか。
     再び寄り始めた眉間に唇を寄せて、ナジーンはカナトの頭を優しく撫でる。
     普段誰も知らない、カナトの素顔。どうして隠すようになってしまったのか、その経緯はこの姿を見れば簡単に察しがつく。
     カナトはその瞳ひとつとっても、高い魔力を有した人物だ。
     強い力を得たいものの中には、強者の肉体の一部を欲しがるものが多い。
     バラバラの体の部位はもちろんのこと、血や内蔵。骨も武器として使用されることがある。
     だが、それよりも恐ろしいのは、魂を狙われることだ。
     強い肉体には強い魂が宿る。特にカナトの運命は数奇なもの。潜り抜けた死線の数だけ、カナトの肉体も魂も、それはそれは強い力を秘めたものになっているだろう。
     ナジーンとてその高潔な魂に魅了された一人だ。己のものにしたいと、縛り付けたいと願っている。
     けれどそれは、己の力とするためではない。カナトの行く先を、共に見たいと思ったからだ。
     カナトはユシュカによく似ている。強い光でナジーンを引っ張るところも、破天荒な無茶をしでかすところも、それでいて支えたくなるところも。
     ユシュカが女性ならば、ナジーンはユシュカと夫婦になっていだろう。けれど、ユシュカは男で、ナジーンもまた男だ。ユシュカに恋愛感情はない。誰があんなゴツイ髭男抱くかとも抱かれるかとも思う。
    「きみも男ならば良かったのにな……」
     カナトが男ならばこんなに苦しめられることはなかった。
     こんなにも胸が苦しいなんて知ることはなかった。
     そっとカナトから離れようとすれば、ゆっくりと開かれた紅い瞳と目が合う。
     先程寝付いたばかりだと聞いたが、起こしてしまったのだろうか。
    「すまない、起こしてしまったか?」
     問えば、細い腕が伸びてきて、ナジーンの腕を掴んだ。
     力は強くない。添えられる程度の緩いものだ。それでも、ナジーンはそれを外そうとは思えなかった。
    「なじーんさんのて、きもちいいです」
     どこかぼんやりとして焦点を結んでいない瞳が、へにゃりと弧を描く。
     節くれだって硬い手は、お世辞にも気持ちいいなどと言えたものではないだろう。ペンだこや剣だこもあってゴツゴツしているはずだ。女性の柔らかく滑らかな手とは違う。
     それでも頬を擦り寄せて、カナトはもっと触って欲しいとねだった。
     ナジーンは躊躇いながら、カナトの腹に手をやってそっと撫でる。どうか、痛みがマシになりますように、と。
     カナトはその様子に微笑んで、再び眠りに落ちたようだった。
     どのくらいそうしていただろうか。カナトの表情はだいぶん落ち着き、ナジーンもまた、穏やかな時間を過ごしていた。
     カナトときちんとした関係を結べていたのならば、こんなふうに穏やかに甘やかす事が当たり前だっただろう。
     いつか、こんな関係が当たり前になればいいと願った。

     *

     カナトは生理痛で二、三日ファラザード城への滞在を余儀なくされていた。
     カナトの初潮は早かった。齢九歳にしてやって来て、しかし自分で気にすることはなかった。
     普通の子供ならばなにか病気になったのかと心配するところだが、カナトはそんなこともなく、普通にスルーしたのだ。
     それに気がついたのは、洗濯物を取りに来た村のおばさんだった。カナトはすぐさま専用の下着やら生理用品やらを教えられて、混乱しながらそれを受け取った。
     そこからゆっくりと、どうして生理が来るのか、来たらどうすればいいのかなどを教わった。
     生理が来たということは、子供が産めるからだになったということ。からだは大人になったということ。
     カナトはそれとかなり早くはあるが、ごく普通に向き合っていた。
     最初は血が出るだけのものだったのが、ある日突然激痛を伴うようになった。
     カナトはエテーネ村からでることは無かったから、この痛みを理解してくれる誰かと平穏に暮らしていくものだと思っていた。
     けれど、あの日がやってきてしまう。
     炎と絶望に満ちた、悲しい旅立ちの日が。
     そこからカナトは死んだ。そして、エルフのからだを得て、再びアストルティアに降り立った。
     カナトが得たエルフの少女は、穏やかなカナトの幼少期とは違う、過酷な過去を持った人物で、それ故に助けてくれたスツクルの村に恩を返そうと、薬学研究に励む人物だった。
     彼女にも生理は来ていたのだろうが、カナトがからだを借りてから、生理は一切止まっていた。薬学研究をしていたから、薬でとめたのかとも思ったが、そうではないらしいことも、旅をしていくと分かってきた。
     やがて、自らの肉体を取り戻し、ふたつの姿を得た後も、カナトに生理は戻ってこなかった。
     肉体はまだ死んでいるのだと思った。からだは子供を作れるような状態じゃないのだとも。
     いつかこの戦いが終わって、誰かを好きになった時に、子供ができないカナトを貰ってくれるような数奇な人はいるのだろうか。
     そんな風に悩んだ時期もあったが、やはり戻ってきてみるとろくなものではない。
    (でも、今なら赤ちゃんが出来るってことだよね……?)
     魔族であるナジーンと子供ができるかは不明だが、ナジーンの母親であるルーテア王妃は人魔族だったのだ。息子であるナジーンとの間にできる可能性は十分にある。
     厄介な媚薬に侵されていた時は、ナジーンの精を受けても生理が来ていないので平気だと思ったが、そういえばナジーン自体はどうして避妊をしなかったのか。やはり、ナジーンとカナトでは出来ないと分かっていたのか。
    「男だったらよかった、か」
    「どうしたの?」
    「ううん、なんでもない」
     ふと呟かれた言葉を思い出し、イルーシャに微笑みを返す。彼女にはだいぶん心配をかけてしまった。
     ようやく動けるようになったカナトは、かいがいしく世話をしてくれたウテンに礼を言って、和解したユシュカにバルディスタやゼクレスでの話をして、魔仙卿の元に報告する為に帰還していた。
     その間、ナジーンに会ったのはあの一度きりで、周りの人に聞けばどうやら無茶をしたせいでユシュカに半ば軟禁されているとのことだった。
     あの時にカナトを抱いて無茶をしたことで傷が悪化してしまったかもしれない。あの状況ですら申し訳なかったのに、益々申し訳なくなった。
     一応エテーネ村からからだにいい干しどくけし草茶や、はつらつ豆を差し入れたが、どれだけ体調回復に役立ったか、そもそも魔族に効果があるのかは分からない。一応面白がってユシュカも飲んだらしいが、干しどくけし草茶は不評だった。
     たくさん持ってきたので魔仙卿にも振る舞おうと思っている。布教は大事だ。
     めげない精神のカナトがゴダ神殿に到着すると、それを追うようにユシュカがやってきた。
     そしてトントン拍子でカナトに大魔王に就任して欲しいという話になった。
     確かに、闇の根源の深淵たる腕はカナトだけを素質ありと選んだ。しかし、カナトは魔族ではない。ましてや、魔と戦い続けた敵である。
     慌てるカナトに、魔仙卿は奥で話がしたいと言ってきた。
     カナトは二つ返事で了承し、奥へと向かう。
     かつてイルーシャが出てきた闇の彫像があった部屋は、相変わらず魔瘴石でできた像が粉々のまま放置されていた。
     そこで立ち止まった魔仙卿は、おもむろに頭部を外す。
    (えっ!?)
     そこから現れた見知った姿に、カナトは思わず駆け出して抱きついていた。
    「お兄ちゃん!」
    「まだオレを兄と呼んでくれるんだな」
     カナトをしっかりと受け止めて、カナトの血の繋がらない兄、シドーは妹の頭を優しく撫でる。
    「お兄ちゃんごめんね! ごめんなさい……!」
     涙を押し付けながら、カナトは肩を震わせて嗚咽を漏らす。
     各地に残されていたシドーの手記や、時渡りの旅の果てに知った事実で、カナトがシドーに呪いかけたことを知った。
     ひとつの時代に留まることが出来ない呪い。時渡りの呪い。
     それがシドーを苦しめ、過酷な運命を与えているのだと、カナトはずっとずっと悔やんでいた。
    「おまえのせいじゃねえよ。おまえがいたから、オレは今ここにいる。それにさ、時渡りの呪いも解けたんだぜ?」
    「えっ?」
    「まあ、呪いの上書きってやつでな。オレは大いなる闇の根源、異界滅神ジャゴヌバと契約して、時渡りの呪いから開放されたんだ」
     聞けばシドーは時渡りの末に数百年前の魔界にやって来て、先代の魔仙卿に拾われたらしい。
    「オレはおまえに大魔王になって欲しい。数々の困難に立ち向かってきたおまえならば、魔界を大魔瘴期から救うことが出来ると思うんだ」
    「でも、私……」
    「おまえなら大丈夫だ。なんたってオレの妹だからな」
     にっと昔のように微笑んだシドーに、カナトはこくりと小さく頷いた。
    「やる。私、みんなを救う。そのために強くなったんだもん」
    「あぁ、自慢の妹だ。だが、余計な混乱を招かないように、オレとおまえが兄妹であることは秘密にして欲しいんだ」
     兄ちゃんとの約束だぞ。
     そう言って、シドーはまた、魔仙卿の着ぐるみを被った。
     涙の落ち着いたカナトとシドーが帰ると、待っていましたとばかりにユシュカとイルーシャが出迎える。
    「この者は、大魔王となることを了承した」
    「ファラザードの魔王はそれを祝福しよう」
     あんなにも大魔王の座に固執していたユシュカが、いの一番にカナトが大魔王に選出されたことを言祝いだ。
     カナトが各国に齎した復興、そして平定、その働きは破天荒な魔王たちをまとめあげる大魔王として相応しいと認定されたのだ。
    「ここにゼクレスとバルディスタへの戴冠式への招待状を用意した。バルディスタはまだ内政が荒れておろうから、先にゼクレスへ向かうといい」
     最初からカナトを大魔王にする気満々だったと取られない発言だ。しかもいつしたためた。
     ジト目で見遣る妹に飄々とした態度を崩さない魔仙卿。いつまで経っても食えない兄だと思った。
    「オレは宴の準備をしよう。アスバルもヴァレリアも、おまえならば認めてくれるだろう」
    「私はここでユシュカの手伝いをするわ。あなたが大魔王になるの、楽しみに待ってる」
     ユシュカとイルーシャ、魔仙卿に見送られて、カナトはアビスジュエルでゴダ神殿を後にした。
    「あっ、干しどくけし草茶とはつらつ豆差し入れるの忘れてた……。アスバルでいいや」
     後に国宝にすると言い出したアスバルを止めるのに、カナトが苦労したのは言うまでもない。 

     *

     ナジーンは久しぶりにユシュカの傍に控え、ザード遺跡を抜けた先、デスディオ暗黒荒原にいた。
     過保護な幼なじみは座ってもいいんだぞと笑っていたが、一応魔王の威厳というものがある。
     ユシュカは魔王であり、ナジーンは副官だ。それを心得ていなければいけない。
    「すまないな、建築途中の大魔王城の内装なんだが、ファラザード式をやめて変えてもらいたいんだ」
     いきなり何を言い出すのかと思えば、ほぼ完成していた城の内装を変えろという。
     大魔王城の建築現場に突如現れたユシュカに、大工たちは口々に戸惑い、無茶振りに困っていた。
    「オレは、大魔王にはならない。いや、なれない。オレより大魔王に相応しいやつにあの城をやろうと思う」
     ユシュカがそう宣言すれば、大魔王城建築現場はあっという間に阿鼻叫喚地獄絵図へと変貌した。大工たちだけではなく、護衛に連れていた衛兵たちまで驚愕の声を上げたからだ。
     大工はともかく、衛兵たちには躾をしないといけないとナジーンは頭痛を覚える。
     この中で飄々としているのはユシュカのみで、ナジーンは無の表情だ。ユシュカがとんでもないことを言い出すのはいつものことである。
    「オレはそいつを支えてやりたいと思うんだ」
     その言葉にナジーンは片眉をはね上げる。成程、流石に成長したようだと、ユシュカの言葉を嬉しく思った。
     ユシュカは、自分こそが大魔王に相応しく、自分ならば誰もを守ってやれると過信していた。それは、魔仙卿が告げたとおりに、あまりにも傲慢だ。
     けれど大戦でナジーンを失いかけ、自分一人では何も出来ない、立っていられないのだということを自覚した。
     長い間、ナジーンがそばで支え続け、影としてユシュカの行動を後押ししていたからである。
     結果として、ナジーンもまた、自分でやった方が早いからと後進育成を怠ったりしていて、反省点は尽きない。
     魔族の寿命は長いが、死がない訳ではないのだ。むしろ、死と隣り合わせなのが魔界であると、平和ボケして忘れていたのかもしれない。
    「期間は余りないが、どうか頑張って欲しい」
     そう頼まれれば、ユシュカに惚れ込んだ国民である大工たちは、「ユシュカさまのお願いなら……」「ユシュカさまの為に……」等と声を上げ始めた。
     なんとか彼らが改修を請け負い、大魔王城の改築の話し合いをしに行ったのを見届けて、ナジーンは大きくため息をついた。
    「そういうことは早く言って頂かないと」
    「分かってる。彼らには悪いことをしたと思っているさ」
     だらしなく椅子に腰掛けるユシュカは、本当に申し訳なく思っているのだろう。困ったように太い眉を八の字に曲げていた。
    「しかしあなたが大魔王を支えると仰ったのには驚きましたよ。どういったご心境の変化で?」
    「おまえがオレの夢を好きだと語った。そして、改めてオレの夢を見直した時、大魔王になることは必要なことじゃなかったと気付いたんだ」
     ユシュカが大魔王になることは、手段のひとつに過ぎず、それだけが答えではなかった、と。
    「おまえには苦労をかけるな」
    「あなたを支えると誓ったあの日から、散々かけられっぱなしですが」
    「ははは、悪い悪い。だが、今度はオレが支える側に回ろうと思うんだ。おまえが見ていた景色を」
    「あなたが誰を支えようとも、私は変わりませんよ。忠誠を捧げた主は、生涯あなた一人だ」
     すっと片膝をつけば、ユシュカは困ったように笑った。大方、ネクロデアのことを気にしているのだろう。
     ナジーンの中では、ネクロデアはもう滅びて、ネクロデアの王子も死んだというのに。
     いや、未練がましく死者の声に耳を傾けたり、墓石を並べたりしに向かっていたナジーンの行動が誤解をうんだのだろうが。
     どちらにせよ、遠い未来の話は分からない。ナジーンがネクロデアを復興して、魔王となったとしても、ナジーンはユシュカの副官であり続けるだろう。そう、心に決めている。
    「あなたの夢のために私をお使いください、ファラザードの魔王さま」
     皮肉を込めて仰々しくいえば、ユシュカは苦笑してナジーンにこの場に残るようにと告げた。
     大魔王領となっているデスディオ暗黒荒原は、かつて不死の大魔王ネロドスが治めていた土地だ。常に闇に閉ざされ、雷鳴が轟き、電が空を切り裂く。
     ナジーンに与えられた仕事は、その場所でゼロから政務を立ち上げること。
     ユシュカとナジーンの二人でファラザードを建国したのだから、そのノウハウを活かして、といった所か。
     ナジーンはそれに了承を告げた。なんとなくそんな予感はしていたので、着替えなどの最低限のものは持ってきてある。いつもいつも振り回させるので、耐性がついたとも言えるだろう。
     幸いにもナジーンが閉じ込められたりしているうちに、後進の育成が爆発的に進められたようで、何ヶ月かナジーンが城を空けたとしても問題はないだろう。
     大魔王城は内装を含め建築途中であるので、ナジーンは仮設テントで作業をする。
     ナジーン自体は他の魔族と雑魚寝でも良かったのだが、ユシュカが妙な過保護を働かせたようで、ナジーンはひとりでひとつのテントを与えられていた。
    (妙なところで王子扱いするよな、アイツ……)
     百年かけて身に付けた礼儀作法はそう簡単には剥がれない。が、ナジーンとてそこから二百年荒波に揉まれて粗雑さを学んだというのに、ユシュカはナジーンを時たま過去に連れていく。
     そういえば、カナトもたまに見かける仕草が上品だと思うことがあった。それは食事であり、所作であったりするが、ほんのちょっと見え隠れする程度で、普段の破天荒さに埋もれている。
     存外、かなりいい所の血筋なのかもしれないが、だとしたらどうして魔界でユシュカのしもべになったり、そもそも死にかけるような事態になっていたのか。
     そしてふと、ナジーンはカナトのことを何も知らないのではないか、ということに思い至った。
     その姿さえも秘匿して隠してしまい、謎が多いカナト。他人の過去の精算には力を貸してくれるのに、自分の過去は語らない。
     ただひたすらに、武器を取り、敵と戦い、誰かの光になる少女。
     それはまるで、救世主や救いの神といったものに近く、人間味がまるでない。
     それを誤魔化すようにハチャメチャなことをしているようにすら、思える。自分もまた、私欲で動く人間なのだと主張するように。
     今度会ったら、ゆっくり語り合おうとナジーンは思った。あの不味い茶を飲んででも、カナトの話に耳を傾けたいと思う。
     そうと決まれば、仕事を早く片付けて時間を作らなければならない。
     ファラザードの方の仕事は、あちらの執政官たちの頑張りに任せるとして、今は基盤を築いて始める時だ。
     あちらこちらに指示を飛ばし、契約書、誓約書、色々な書類を作成して循環を作っていく。
     大魔王城は特殊な立ち位置で、兵士たちは各国が配備するし、守るべき直轄の民はいない。あえて言うならば、魔界の全員が国民なのだろう。
     給料制度や税金、その他諸々をどこから捻出するのか。この何もないデスディオ暗黒荒原にどう価値を見出すのか。
     やることは山積みで、大魔王城の改修も急ピッチで進められ、数日すればナジーンはテントから大魔王城の東翼にある執務室に籠ることになった。
     各国の魔王が滞在する客室は未だ改修中だそうで、大魔王の居室などがある西翼も手付かずだ。
     今のところ何とかなっているのは、エントランスとそれに付随する控え室、二階に位置する玉座の間だけだ。
     城は移動範囲が広いので、各所にアビスゲートが置かれており、アビスジュエルを持つものたちは比較的楽に移動ができる。
     ナジーンもファザードへの移動などもあるので、アビスジュエルは持っている。勿論ネクロデアも登録しているが、ユシュカ程の行動範囲はないので、それ程多くの場所は登録されていない。
     それからしばらく、ナジーンは執務室に缶詰状態で仕事をしていた。
     幸いというべきか、身持ちの固いパンドラチェストの魔物が書類を管理してくれるようなので、いちいち重要書類を探したりする手間が省けて便利ではある。
    「よう、首尾はどうだ?」
     ノックもせずに無遠慮に執務室にやってきたのはユシュカだった。
     その顔はどこか晴れやかで、瞳は濁ることなく真っ直ぐに強い意志を宿している。
    「すぐにでも回せます」
    「流石有能なオレの副官さまだな」
    「お褒めに預かり光栄です」
     一通りの礼を通して、休憩しないかと誘われ、この場から一番近い部屋であるユシュカの部屋に向かう。
     執務室から一番近いという理由で、ナジーンが使用することを熱望した部屋でもある。
    「執務室に寝泊まりするような状態でしたが、私の部屋は割り当てられているんですか?」
    「いや、まだだな。しばらくはオレと相部屋にすればいい。おまえと同じ部屋なんて久々で悪くないだろう?」
     男女ならばともかく、ヤロー同士で同じ部屋でもなんら問題はないだろう。主人と部下という立場はあるものの、ユシュカとナジーンは腐れ縁の幼なじみという側面も持っている。
     ユシュカが使用する部屋は、大元は大魔王城の単色で洗練されたものだったが、運び込まれた絨毯や机、長椅子などはファラザード様式のものだった。
     机の上にはちゃっかりとおやつのドーナツまで置いてあるのだから、準備のいいことだ。
     すっかりユシュカにカスタマイズされた部屋で、軽く今までの報告をし合う。ナジーンは下地を作った業務の連絡、ユシュカはこの城の主予定の大魔王の連絡。
     誰が大魔王に選ばれたのかは分からないが、ユシュカが晴れやかな表情であいつなら大丈夫だろうと言ってるので心配はしていない。
     新たな大魔王を祝福する人々は各所にいるらしく、あの滅びたと言われていた魔幻都市ゴーラからもお祝いが来ているらしい。
    「気晴らしに挨拶でもしてきたらどうだ?」
    「そうですね。だいぶんからだも鈍っていますから」
    「間違っても無茶はするなよ」
     もう大分傷も癒えたというのに、相も変わらず過保護な幼なじみだ。
     ナジーンが右眼を失って苦しんでいた時も、救おうとして禁術まで調べてくるような優しい男だ。まあ、結果として契約は失敗して、お互いに生死の境を仲良くさまよった訳だが。
     気の置けない間柄というのに、気恥しさとくすぐったさを感じながら、ナジーンは久しぶりに東翼から移動した。
     玉座の間はただひたすらにだだっ広い。
     あるべき玉座は未だ完成しておらず、赤い絨毯が敷かれているだけの部屋だ。
     そこに、見知った女性と、虫を彷彿とさせるシルエットの見知らぬ少年がわいわい騒いでいる。
    「久しぶりだな、イルーシャ」
    「久しぶりね、ナジーン」
     見知った女性、イルーシャに挨拶をすれば、なにかに夢中になっていた少年がようやくこちらを向いた。
    「こちらは?」
    「この子はペペロくん」
    「ハッハッハ! オレさまは偉大なる芸術家……予定……のペペロゴーラさまだ!」
     高笑いし、胸を張りすぎてそのまま頭部の飾りで見事にブリッジを決めた少年は、バタバタと四つの腕を動かす。
     イルーシャが面白そうにふふっと笑い、どうやら何とか体勢を整えた少年、ペペロゴーラが顔を赤くした。
    「お初にお目にかかる。私はファラザードで副官をしているナジーンだ。ところで、今は何をしていたんだ?」
    「それはだな、偉大なる芸術家のオレさまがこの城にふさわしい玉座を作っていたのだ!」
     どうだと言わんばかりに見せられたのは、カラフルな翼をあしらった、かなりド派手な玉座だった。なかなかに前衛芸術的である。
    「とてもかっこいいと思うわ」
     楽しげににこにこ笑うイルーシャ。ナジーンは無表情を貫いた。
     わいわいと楽しげに大魔王の玉座というとんでもないものを工作する二人を、ナジーンは微笑ましい気持ちで見守る。やれ謎のスイッチをつけるのはどうだ、くるりと一回転なんかしたら面白いんじゃないか、ここを触ると連続ドルマドンが出るようにしよう……などというのは全力で止めた。玉座を何にするつもりなのか。座る大魔王の気持ちにもなって欲しい。
     相変わらずユシュカの周りには破天荒が集うものだと頭を抱えていれば、キィと扉が開く音がした。
    「あれ?」
     そして素っ頓狂な声を上げた。
     酷く間抜け面を晒しているのであろうカナトが、隙間から顔を覗かせていた。
    「……なんだ、その被り物は……」
     呆れたように言えば、「ちょっとアストルティアのお祭りで……」との答えが返ってくる。旬になると通常サイズの百倍はある魚が釣れたり、カジノでレイドイベントがあったり、何故か湖探査機を海に使うという無謀なことをしたり、月がバカンスにやって来たりする摩訶不思議なアストルティアの祭りを聞いたことを思い出した。
     よく分からないが、そのイベントのひとつにナジーンもイルーシャもペペロゴーラもユシュカもヴァレリアもアスバルも強制参加済みである。しかもナジーンとイルーシャは次回も出場が決定している。アストルティアの祭りもだが、ファルパパ神は実に謎だ。
     そんなカナトが被っているのは、フクロウの頭部を模したもので、その姿はパッと見魔物のようにすら見える。
    「お、流石仕事が早いな」
     ナジーンが胡乱な目をしてカナトを見ていると、カナトの後ろからユシュカがやって来た。
    「イルーシャが拐われたって言うのは嘘でな、どうだ、驚いたか?」
     ニンマリと笑うユシュカは、どうやらイルーシャが拐われたと嘘をついてカナトをここまで呼んだらしい。流石に悪質ではないかと叱るべきか。
    「見て、カナト。ペペロくんがあなたの玉座を作ってくれたの。みんなあなたが大魔王になるのを祝福してくれているわ」
     嬉しそうに微笑むイルーシャの言葉で、ようやくナジーンは誰が大魔王に選ばれたのかを知った。
     三人の魔王と共にデモンマウンテンを登頂し、魔仙卿に、大いなる闇の根源の深遠たる腕に、唯一大魔王の素質ありと断じられた少女。
     そのことでユシュカと決別することになったが、それでもなお魔界のために死力を尽くしてくれた少女。
     その行いは実を結び、主要三国から認められる程になった、といった所か。
     カナトの行いや行動は評価されて当然だと思う反面、自分だけがカナトを見ていたわけではないと思い知らされて、ナジーンは少し複雑な気持ちになった。
    「で、だ。大魔王なのに城のひとつも持ってないっていうのは流石にいただけないと思ってな、このファラザードが密かに作らせていた大魔王城を献上しようと思うんだ」
    「え」
     ナジーンの複雑な心境など置いてけぼりのスピードで、事態は進展していた。
     素っ頓狂な声を上げるカナトに、それはそうだと同情する気持ちも湧いてくる。普通城なんか貰うものじゃない。
    「本当はオレが大魔王に就任して住むはずだった城なんだが……、大魔王に選ばれたのはおまえだし、だったらこの城どうするんだってなるだろう?」
     内装変更の指示まで出しておいてよく言う、とナジーンは思ったが口には出さなかった。ユシュカのタテマエというやつだろう。
     カナトは散々渋った挙句、結局押し切られるようにして大魔王城の主となった。
    「もう物件管理出来る気がしない……」
     頭を抱えるカナトという図も割と珍しいと思いつつ、どれだけ物件を所持しているのか気になった。
     大魔王となる人物も到着し、ゼクレスやバルディスタからも、続々と式典に出席する人々が来ているらしいので、尋ねることはしなかったが。
    「もうすぐおまえが大魔王になるんだ。就任したらキリキリ働いてもらうから、今のうちにゆっくりしとけよ」
     ユシュカがそう言ってひらと手を振って退出していく。
     カナトはそれを呆然と見ていた。気持ちは分かる。
     しばらくして、アスバルも大魔王城へ到着したようで、アスバルと共に戻ってきたユシュカが、あれやこれやと自慢も挟みながら大魔王城を案内することとなった。
     その課程で大魔王の居室の隣の空き部屋に誰が住むか、なんていう論争も発展したが、結局イルーシャが住むことに落ち着いた。
     曰く「三魔王は自分の部屋がもうあるでしょうが」らしい。ナジーンも候補に上がったのだが、三魔王さえ断られた部屋に亡国の王子であろうが一介の副官が住むのはおかしい、と大ブーイングを食らった。
     カナトの反応は相変わらず分からないものだったが、実際にはフクロウの下で真っ赤になっていた。
     一通り案内され終え、まだ大魔王の居室は完成していないので、カナトには一階の控え室が割り当てられた。そこから全員が待ち受ける玉座の間に移動し、式典が開始される。
     ナジーンはそのための諸々を片付けにまわり、その合間にこっそりとサプライズを用意した。
     やがて、魔仙卿も到着し、戴冠式の準備も整った。
     カナトは魔仙卿が到着するや否や、なにやら相談ごとのようなものをもちかけていたが、その内容は不明だ。
     これに大いに助けられることになるとは、この時はつゆとも知らなかった。

     戴冠式の日、ナジーンはカナトがいる控え室を訪れていた。
     ノックをして返事をもらって入れば、相も変わらず無頓着な服装をしている。
     時たまアストルティアの不思議な技術で違う種族になって遊びに来ることがあり、その中でもプクリポの時は基本的に全裸なので、それよりはマシとは言えよう。
    「この度は大魔王就任おめでとう」
     丁寧に礼をすれば、カナトは照れたように笑った。
    「これから、みんなを守れるように頑張ります」
     本当に彼女が大魔王なのかと問いたくなるくらいに、優しい答えだった。守るために大魔王になる、なんて大魔王がかつていただろうか。その殆どが、アストルティアを侵略するためになったものだというのに。
    「これは私からの就任祝いだ。是非、きみに着て欲しい」
     そう言って差し出したのは真っ黒なドレス。煌びやかなアクセサリーが輝くそれは、わざわざネクロデアまで行って取ってきた遺品だ。
    「……これ」
     カナトはそれがなにかすぐに分かったようだった。彼女は死者が見え、彼らと会話することが出来る、霊感の強い人物である。もしかすると、この服を着た人物を知っているのかもしれない。
     その人物に、会いたいと思う反面、酷く恨まれているのだろうと思うと、なかなか踏ん切りがつかない。
    「いいんですか?」
    「勿論。母上も喜ぶだろう」
     「王子が結婚したら、そのお嫁さんに着て欲しいわ」とよく言っていたドレス。それはナジーンの母、ルーテアのお気に入りでもあった。
     結局、ナジーンが大人になる前にネクロデアは滅び、ルーテアは息子の生存すら知らなかった訳だが。
     カナトは躊躇った挙句、服を持って衝立の後ろに隠れた。
     服が床に落ちる音がして、ナジーンはなんだか少しいたたまれなくなった。確かに、服を贈るというのは脱がせたいという意味ではあるが。
    「ナジーンさん」
     しばらくして、カナトがいたたまれなくなって後ろを向いていたナジーンを呼んだ。
     困ったような顔をして、ひょっこりと衝立から顔をのぞかせている。
    「あの、ここ留められなくて」
     黒髪をかきあげて、白いうなじを顕にし、カナトが留めて欲しいと告げる。
     ナジーンはごくりと生唾を飲み込んで、動揺から震えそうになる指を叱咤し、冷たい金具を留めた。
    「ありがとうござ……んっ!」
     カナトがほっとしてお礼を言う前に、ナジーンはそのうなじに唇を寄せ、強く吸いつく。
     カナトの白い肌に、赤黒い鬱血痕が刻まれ、ナジーンは優越感を味わった。
    「よく似合っている。綺麗だから、他に言いよる虫が湧かないように虫除けだ」
    「虫が出るんですか、この城」
     キョトンとするカナトに、他のアクセサリーもつけてやりながら、ナジーンは虫の正体については黙秘した。
     素直にナジーンに身を預けてされるがままになっているカナトは、はっきり言って危険以外の何物でもなかったが、ナジーンはそれに耐えた。我ながら鉄壁の理性を褒めちぎりたい。
     このままこうしていたかったが、今日の主役を独占するわけにはいかない。
    「きみはその肉体を狙われることを危惧しているのだろう? 戴冠式の期間中くらいならば、目眩しのまじないをかけておくが……」
    「一応、目眩しは出来るんです。元からどんな姿でも私を私と認識するまじないがかかっているので。でも、気を張ってないといけないので……」
     カナトはそう言って、近くに置いていた頭巾を手に取ってズボッと頭に被った。
    「せっかく着飾ったのに……」
    「いいんです。ナジーンさんに綺麗って言ってもらって嬉しいですし……。その、ナジーンさんだけ、知ってればいいです。ふふ、特別ですね。あっ、そろそろ行かないと時間では?」
     勘違いしそうなセリフをさらりと言って、カナトはナジーンを急かす。
     頭巾の下は真っ赤になっている、なんていうことには気づかないまま、ナジーンも染まってしまった頬を隠すようにして退室した。
     首まで真っ赤に染まっているカナトが、部屋で照れまくっているなど知らぬまま。
     気を取り直し、ナジーンは玉座の間の定位置についた。
     玉座のある壇上には魔仙卿が、ゼクレス王家に伝わる王冠と、大魔王の覇印を掲げて待機している。
     これらは、カナトの頭上に輝くこととなるだろう。
     そうそうたる面子に祝福されての戴冠式は、しかし波乱に終わった。
     魔仙卿が突如として魔界の悲しい歴史を語り、魔瘴魂をけしかけてきたのだ。
     玉座の間は一気に臨戦態勢になった。魔仙卿の一番近くにいて唖然としているカナトをナジーンは咄嗟に庇う。それはまた、ユシュカも同じだったようだ。
     イルーシャはバルディスタの魔王ヴァレリアと副官のベルトロに庇われて無事だった。アスバルの方もリンベリィを庇っている。ペペロゴーラは独特の方法でなんとか逃げ延びたようだった。
     上位魔族たちは魔瘴に対する耐性が強いが、兵士たちはそうではない。何人かもろに食らった兵士たちが床に倒れている。
     カナトは魔仙卿がいた箇所をじっと見つめていた。そこには巨大な魔瘴魂が出現していて、無限に魔瘴魂を生み出している。これを倒さなければ事態は収拾しないだろう。
     巨大な魔瘴魂……魔瘴魂グウィネーロはカナトとユシュカ、ナジーンのを囲むようにして魔瘴の霧を噴出する。ここから脱出するには元凶を叩く他ないだろう。
     ナジーンとユシュカが武器をかまえるより前に、カナトは既に動いていた。
     動きを全く捉えられなかったことにユシュカもナジーンも目を見張った。
     現在使っていた武器は、美しい薔薇の意匠が施された大鎌で、まるでそれを手足の延長のように扱うさまは圧巻の一言だった。
     小柄なからだは全身がしなやかなバネのようで、放たれる攻撃を身軽に躱す。
     避けきれないものは武器や魔法で相殺し、補助魔法を的確に唱えて行動力を上げている。
     それは、ユシュカの荒々しいものとも、ヴァレリアの全てを凍らせるものとも、アスバルの超火力魔法とも違う、死線をくぐってきた弱者の戦闘スタイル。
     足りなければ補う。相手の弱体を誘うことも厭わない。その感覚は人間を超越するほど研ぎ澄まされ、戦う姿はまるで舞踊のように美しい。
     そして、問題は相手にしている魔瘴魂。
     あれほどの魔瘴魂を相手にするのは、上位魔族でも辛いものがある。ユシュカと血の契約をしているとはいえ、元が人間であるカナトに、耐性があるとは思えない。
     なのに、カナトは魔瘴の中でもケロリとしているのだ。
     何もかもが異常な少女。魔族から見れば赤子にも等しい年月しか生きていない、そんな少女。彼女に一体何があるというのか。
     ユシュカもナジーンも、カナトの動きに見惚れていた。逆に自分たちが助けに入れば、カナトの邪魔をしてしまうのではないかとさえ思わせた。
     しかし、実際にはカナトは前衛で戦うのも、中、後衛で補助するのも得手としている。ユシュカとナジーンが戦闘に入れば、その身を後衛に回しただろう。
     ユシュカとナジーンが呆然としていると、いきなりカナトからだがぐらりと揺らいだ。よくよく見れば、靴のヒールが折れてしまっている。
     しかし、その傷さえ感じさせないまま、カナトは思いっきり床を蹴って跳躍する。
     ヒールの折れた靴を履いたまま、挫いているはずの足を庇うことなく、カナトは魔瘴魂グウィネーロに突っ込んでいく。
    「ぐっ!」
     大鎌を大きく振りかぶって、魔瘴魂グウィネーロを仕留めるかという時に、魔瘴魂のひとつがカナトにぶつかった。
     吹っ飛んだカナトは、ナジーンたちを隔絶している濃い魔瘴の壁にしたたかに背中をうちつけた。その拍子に被り物が吹き飛び、長い黒髪が姿を現す。
    「「カナト!」」
     流石に見ている場合ではないと、武器を片手に参戦しようとしたユシュカとナジーンはしかし、カナトの紅くぎらつく瞳を見て、ヒュっと息を呑む。
     ゆら、と立ち上がったカナトは数歩たたらを踏んだだけで、再び魔瘴魂グウィネーロへと大鎌を向けた。ドレスの背の部分は魔瘴にやられて溶けるようにして消えている。顕になった背中には、血すら滲んでいた。それでも、カナトは闘志を滾らせる。
     床を蹴り、襲い来る魔瘴魂たちに魔法を叩き込んで殲滅していく。そして、カナトは異形の心臓のような形をしていた魔瘴魂グウィネーロを細切れに切り伏せた。
     流石に集合して再生することが出来なかったのか、その破片たちは煙状のものへと変化し、空気に溶けるようにして消える。
     それと同時に他の魔瘴魂も消えたようで、ナジーンたちを隔絶していた魔瘴の壁も消え去った。
     完成したばかりの玉座の間は、あっという間にぼろぼろの有り様となってしまった。大工たちが泣くだろうな、とナジーンは心の中で合掌した。
     各国の兵士たちも各々戦闘による手傷を負ったようだが、あれだけいがみ合って大戦まで勃発して戦った兵士たちと、共に手を貸し助け合っていた。
     これが、ユシュカたちが求めてきた協調、というものなのだろう。
     それでなくとも魔族は、大魔王を頂とし、それに従い団結することは出来るのだから、当然といえば当然か。
     騒然としている玉座の間に転がっていた王冠を、部屋の隅の方で難を逃れていたペペロゴーラが拾い、軽く埃を払って玉座の右前に設えられた置き場に置く。
     カナトが被って微笑む姿を見たかった、とは思ったが、今はそれどころではないだろう。
     来てそうそう出番となったドクター・ムーが、ぶつくさいいながら各国の兵士たちの手当をする。もちろん、一番重症の大魔王が最優先だったが。
     けれど、怪我をした兵士たちは自分たちで魔瘴魂を退けたのだと胸を張り、笑っていた。
     ナジーンは呆然と大鎌を持って立っているカナトに近づいて、脱いだ自分の上着を被せた。包帯に包まれている背中は、見ていて痛々しい。
    「ありがとうございます。それと、ごめんなさい、ナジーンさん」
     上着に礼を言って、カナトは申し訳なさそうに眉を下げる。被り物があるのとないのとでは、破壊力が段違いだ。
    「せっかくドレスをくれたのに……」
    「そんなもの、きみの為ならいくらでも用意するから気にすることではない」
    「でも、このドレス……」
    「私とユシュカがきちんと動けなかったせいだ。きみのせいではない。むしろきみはよく戦ってくれた」
     カナトは困ったように瞳を揺らして、ナジーンの上着を掻き抱き、ナジーンを見つめる。
    「そんな顔をするな。……抱き締めたくなる」
     大きなナジーンの上着に包まれて、下から見上げられるさまは、なんとも言えない毒だ。
     しかし、カナトには後半の言葉は聞こえなかったようで、更に困ったような顔をしただけだった。
    「失礼する」
    「ひゃっ!?」
     ナジーンはそんなカナトをひょいと抱き上げて、玉座へと座らせた。足を挫いてしまっているカナトを、これ以上立たせておく訳にはいかないと思ったからだ。
     実際には玉座に座らせてしまえば、大魔王という肩書きが嫌でも目に入って仕事モードで煩悩を追い払えると踏んだからである。
    「では、私は事態の収集をつけてくるので、きみは安静にしているように」
    「背中大怪我してたのに無茶してたナジーンさんには言われたくないです」
     むう、とむくれて、カナトはようやく困った表情を柔らかく変えた。
    「はは、耳が痛いな」
     ナジーンも釣られるようにして柔らかく微笑み、カナトの前を辞する。
     ナジーンが去ると色んな人物がカナトの容態を確認しにやってきた。被り物が脱げてしまっていることについても、色々と言われているようだ。しかし、反応は概ね好意的なもののようだ。
     カナトが何を考えているのか、思っているのかは分からない。
     カナトが通ってきた道のりは、決して魔界の住人が理解できるものではないだろう。
     だからこそ、その違った視点を隣で見たいと思った。

     *

     戴冠式が終わると、ぼろぼろの玉座の間は野戦病院みたいになって、その後ユシュカの号令によって大宴会が開催されることとなった。
     魔王も犯罪者も関係の無い無礼講は、ファラザードではよく見る光景だが、それにバルディスタやゼクレスが混ざっているのはなんだか不思議な感じだ。郷に入っては郷に従え、というところなのだろうか。
     カナトは勿論、その宴会の主役で、目の前には山のような料理や酒が並んでいる。
     呆気に取られているうちに、ユシュカが勝手に音頭を取り、あっという間に飲めや歌えやの大宴会状態だ。
     カナトはすんすんと飲み物の匂いを嗅いで、アルコールなのかジュースなのかを考えていた。
     その警戒はナジーンも同じなようで、こちらはユシュカが飲ませようとするのをあれやこれやと躱している。仲が良く見えて、カナトは少し嫉妬した。
     じっとそちらを見ていると、ナジーンがウザ絡みをするユシュカをひっぺがして、こちらへとやってきた。
     そして、カナトの隣にどっかりと腰を下ろす。仕草が上品な彼にしては、ユシュカのように粗雑だ。
     カナトがいる位置は、ある意味安全圏となっている。ヴァレリアが目を光らせている場所だからだ。彼女の副官であるベルトロは、もはや酔い潰れて絡み酒に走っている。今回は持って帰る看板はないので、そのまま雑魚寝コースだろうか。
    「どうした。楽しんでいないのか?」
     ジュースだと分かっている飲み物を渡してやれば、カナトは礼を言って素直にそれを受け取った。
    「どこの世界も変わらないな、って思って」
     どんちゃん騒ぎの宴は楽しいものだ。それは、戦勝を祝うものであったり、結婚や誕生のお祝いであったりと様々だ。
     カナトはそれに何度か加わったけれど、どれもこれも疎外感を感じてしまうものが多い。所詮、カナトは余所者だからだろう。
     主役であっても、なんだか遠い世界を見ているようで実感はあまりわかなかった。
    「ナジーンさんはこっちに来てていいの?」
    「ユシュカが脱がないようにだけは見張っている」
     ユシュカは酔っ払うと服を脱いでしまう癖がある。元々半裸のような格好なのだが、それでも脱ぎたいとは……。
    「露出狂なの……?」
     隣でナジーンがブーッと口に含んでいた飲み物を吹く音がした。
    「はっはっは! 大魔王殿はなかなか面白いことを言うな」
     その様子を見てヴァレリアが愉快そうに笑う。氷の魔女と名高い彼女だが、その実はとても優しい人だ。だから怪我人であるカナトに危害が及ばないように目を光らせてくれている。
     ナジーンは苦々しげな表情をして口元を拭った。否定できないところが辛いのだろう。
     カナトはきょとんとしながらも、取り分けられた料理を口に運ぶ。すぐにお腹がいっぱいになってしまうので、少量ずつで誤魔化している。
    「よーう! ファラザードのぉ! オレと副官同士で語り合おうぜぇ!」
     しばらく歓談しているところに、ぐでんぐでんに酔っ払ったベルトロが突撃してきた。
     ヴァレリアはあちゃーと言わんばかりの表情をし、ナジーンはすっと無表情になる。
    「私、ユシュカの方に行ってるね?」
     波乱を予感したカナトは、足をひょこひょこ引きずりながら、ユシュカの方へ向かっていった。
     ユシュカはちょうどアスバルと楽しんでいたようで、ユシュカの師匠の話に花を咲かせている。
    「魔王陛下、こちら、陛下の為に用意した最高級のベヒードスのしもふり肉のローストです。こんな粗雑な場所のものよりもどうぞこちらをお召し上がりください」
     そこにリンベリィがグイグイ割って入る。
     リンベリィの持っている皿には、グレービーソースがかかった、美味しそうな肉があった。
    「おっ、美味そうだな」
    「ちょっと! あんたにじゃないんだからねっ!」
     ユシュカがそれに無作法にも手を伸ばし、リンベリィが皿を避けるよりも早く手掴みで取って口の中に放り込んだ。
     ユシュカがそれを飲み干すか飲み干さないかで、カナトはひょこひょこユシュカに近づき、大きすぎるナジーンの上着の裾を踏んで転んだ。ユシュカは反射的にカナトを支える。
    「ありがとう」
     礼を言って再び動こうとするが、ユシュカの手が離れない。一体何が起こったのか、カナトは小首を傾げた。
    「好きだ」
    「へ?」
     ユシュカから出た言葉に、カナトは素っ頓狂な返事を返す。
     告白するにしたってタイミングというものがあるだろうし、カナトは今ナジーンの上着を羽織ってぼろぼろの状態である。好きだと言われる理由がわからない。
    「わ、私は知らないからねっ!」
     混乱しているうちに、リンベリィは皿を抱えるようにして逃げだし、カナトはユシュカに押さえられている状態で動けず、アスバルも何が起こったのか把握しきれていない。
    「なぁ、オレにしとけよ」
     その間もユシュカは熱心にカナトを口説いている。能力的な意味合いで口説かれたことはあるが、愛的な意味合いで口説かれたのは初めてで、カナトは酷く混乱した。
     なんと答えればいいのか、好きな人がいると告げればいいのか。告げてしまえば、今の関係性も変わってしまうのではないか。
     カナトの唇がわななく。それは、今のぬるま湯のような優しい関係を、変えたくないという心と、何も言わなければそれより先に進まないのだという欲張る心の葛藤だった。
    「ユシュカ。私、疲れたから、先にお部屋で休ませてもらうわ」
     幸いにも宴もたけなわといった感じで、色んなところで酔い潰れている山が存在している。
     あとはダラダラと飲み会や食事会が続くだけだし、イルーシャは最初の方に飲み食いと歓談をしてすぐに部屋の方に帰って行った。騒ぐにも体力がいるので、早々に疲れてしまったようだ。
    「部屋まで送る」
    「ありが……ひゃっ!?」
     素直に礼を言おうとしたカナトの膝裏をすくい上げ、ユシュカは軽々とカナトをお姫様抱っこした。
    「軽いな。ちゃんと食べろよ?」
     それはかなり色んな人から言われる台詞であるが、食べられないのだから仕方がない。甘いものが大好きなので、これでも結構ユシュカのおやつのナジーン手作りドーナツを強奪している自覚がある。
     カナトを抱き抱えて玉座の間を後にするユシュカを、ナジーンが射殺しそうな目で見ていたことを、カナトは知らない。
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