秘湯「ナジーンさぁぁぁん!」
陽射しが燦々と照りつける砂漠の都ファラザードの正午頃。
魔王城に勤めるものたちは各々昼食を摂りに向かい、殆どが出払っている時間帯にその奇声は響き渡った。
ドドドドとまるで軍馬が駆けるような重い音がして、バァンと扉が壊されん勢いで開かれる。ノックくらいしろと言いかけて、奇声の主である少女が瞬間移動でもしたのかという程の速さで肉薄し、思わず後ろへ仰け反った。
「当たりました!」
興奮気味に話されるそれは、良いことであるのだろう。悪いことならば落ち込んでいるはずだ。
きらきらと……いや、ギラギラと瞳を輝かせる姿は、おおよそその姿とはちぐはぐだった。
「何がだ」
とりあえず何が当たったのか尋ねる。ため息混じりなのはご愛嬌だ。
「温泉です!」
ずずいと身を乗り出され、更にからだを仰け反らせる。小柄なのに圧がすごい。
我ながらなかなか使わない筋肉を使って回避しながら、努めて冷静に対処をすることにした。
いや、そもそも。
「何故私に」
温泉が当たって何故こちらに報告に来るのか。普通ユシュカたち三魔王や、勇者姫アンルシアや魔仙卿の兄や幼なじみとかではないのか。
「ネクロデアで掘り当てたので!」
えっへんと胸を張って、突撃してきた少女は誇らしげだ。
無邪気とは恐ろしいものだと思いながら、その頭に手を伸ばした。
「いだだだだだ!!!!」
両側頭部を拳で挟んでグリグリと回せば、少女は可愛らしくない叫びをあげた。
褒められるとでも思ったのだろうか、褒めるわけがないだろう!
仮にも大魔王である少女にする仕打ちではないが、少女自体は不敬などということを気にはしていない。
それもそれでどうかとも思うのだが。
「君はパトドルバイクプリズムといい、日頃の乱獲といい、静かに眠る死者に対して酷いと思わないのか!」
何をしたのか知らないが、また何かやらかしたのだろうことは確実だ。
以前、鬼ごっこイベントの報酬だとかでサイレンが鳴って光るうるさい乗り物を手に入れたと報告しに来た時も、ネクロデアで試走したのだとのたまった。あれ以来ネクロデアでかの乗り物は禁止している。
「それで、今度は何をしでかしたんだ?」
呆れ混じりに問えば、少女は痛みから最早復活してビシッと手を挙げた。まるで選手宣誓だ。
「気紛れに超危険爆弾を設置したらお湯が湧き出ました!」
キリッとしていうことでは無いことをドヤ顔で宣言する少女。誰か彼女を止めてくれ。どっかの塔の管理人が似たようなことを言っていた気がするが、本当にその通りだ。
というか、気紛れに超危険爆弾を設置する少女が恐ろしくてならない。いつかファラザードも爆破されるのではないだろうか。
「ピャッ!?」
そんな危険物である少女を抱きあげてベッドへと放り投げれば、少女はまたもや奇声を上げた。
まだ日も高いが、こういうことはからだに躾けるのが一番早い。
「あ、あの、ナジーン……さん?」
真っ青になってカタカタと震える少女に、にっこりと笑みを返す。
少女が長い間放浪していたのもあって、溜まっていたので実に丁度いい。
ファラザードに本日三度目の少女の悲鳴のような奇声が響いた。
*
少女は顔を覆ってしくしくと泣いていた。
意識を飛ばしかけては無理やり引きずり戻され、好きなように弄ばれたからだは悲鳴をあげている。
特に足腰が使い物にならず、ベッドから起き上がることさえままならない。
少女を食い散らかしたケダモノは、何食わぬ顔どころか肌ツヤもよく、機嫌も若干いい。食われる前の不機嫌さはどこへやらの現金さだ。
普段は残酷なくらい優しいのに、仕置も兼ねている今回は加減というものをして貰えなかった。
確かに少女は人間を辞めている規格外の存在である。が、怪我をすれば当然血が出るし、無理をすればたたる。
普通の人間の少女ならば耐えきれないであろうことが可能なのは、いいことなのか悪いことなのか。
「これに懲りたら少しは大人しくすることだ」
未だ余韻を残すように艶を含んだ声に、自然と腰が震える。本当にやめてほしい。
不貞寝するように毛布を引っ張りあげて被れば、笑ったような気配がした。いたたまれない。
確かに死者の眠る土地で暴挙をやらかしたのは悪いとは思っている。が、かの土地はもう前を向いて過去と決別するべきなのではないかと思うのだ。
もう、怨念を向ける相手はいなくなった。怨みを抱いてこの世に留まるよりも、前を向いて次の生へ歩んでいくべきだ。
だからこそ少女は、今のネクロデアを壊す。彼らが執着するものをなくすために。
強者と戦いたいなら相手取ってやろう。希少な鉱石が欲しいのならば見つけてやろう。未練があるのならば叶えてやろう。
ネクロデアを、彼らが愛した姿から変えてやろう。
やり方は手荒だが、少女には魔族と違って時間がない。いつ命がつき果てぬともしれない。
少女の命は常に燃やされ続けている。細く長い線香花火ではなく、大きな音を立てて一瞬で終わる全力の打ち上げ花火のような生き方だ。
少女を襲ったあの悲劇さえなければ……いや、それ以前に両親に庇護されて五千年前に生きていれば、このような人生を歩むことはなかっただろう。
数多の悲劇を少女は見てきた。
その悲劇の先に少女は立って、ただひたすらに力を求められるがままに突き進んでいる。
そんな少女が愛した男。彼の身にも悲劇は降り掛かっている。
少女は、彼が愛おしいからこそ彼の故郷を愛おしいと思い、そのありようを悲劇の国から変えたいと願っていた。
その結果として今回温泉が噴き出たわけだが、そこに後悔も反省もないので、ただ美味しく頂かれただけだ。
後悔も反省もしていないので、懲りるこという言葉を全くもって知ることはない。
とりあえず、少女はぼろぼろのからだを休めることに専念することにした。温泉が噴き出ただけでは特になにも変わらない。あの地に生者はいないのだから、浸かるものがいるわけないのだ。
少女は野望を胸に、愛おしい男の匂いが染み付いた枕を思いっきり吸い込んだ。
*
「という訳なの」
「どういうわけだ」
少女の話をきいたそれらはまるっきり分からんという顔をした。なるほどわからん。
「だってオンとセンは温泉の神でしょ?」
「温泉の神だがアズラン温泉の神だぞ?」
なにを言っているんだこいつという顔をして、温泉の神であるオンとセンは怪訝な顔をした。
そもそもオンとセンは土着神である。アストルティアから切り離された魔界の温泉なんて管轄違いにも程がある。
「でも他に温泉の神の知り合いなんていないし」
温泉の神の知り合いがいる時点でだいぶんおかしいが、少女が変わっているのは今に始まったことではない。彼女の人脈は、時に謎が多すぎて頭を抱えたくなる。
だいたい今話されている魔界へと普通に出入りしていることもおかしいのだ。挙げ連ねればキリがないので、ツッコミは入れない。
「まぁ確かにおぬしには我らの加護があるからのぉ」
なんだかんだで少女を気に入っている彼らは、少女へと加護を与えている。温泉の神の加護は殆ど役に立たないレベルだが。
センの言葉にオンが眉をつりあげた。まさか加護がこんな形で働くとは予想外も甚だしいといった表情だ。
「我らが加護を与えた影響もあろう。少し行くくらいどうとでもなろうて」
そもそも彼らの夢はプクレット村で演芸グランプリにでることである。アズランからの移動くらいはできるのだろう。
「やったー! じゃあ早速!」
とっとと話をつけた少女は、アビスジュエルを取り出して笑った。未だにオンは不服そうだが、彼は短気なので気にしたら負けだ。
「……これは、なんとまぁ……」
アビスジュエルで出た先で起こっていた光景に、センは絶句した。
少女と温泉の神の前に現れたのは、噴出しているお湯である。
湯の色は赤く、天高く噴き上がっているそれは、雨のように降り注いで地面を濡らしていた。
どれだけ盛大にお湯を引き当てたのか。最早加護という範囲を超えていそうで、オンとセンは少女が末恐ろしくなった。
呆れているセンを尻目に、意外にもテキパキと温泉を調べ始めたのはオンの方だった。
含まれているのであろう効能に興味を示したり、周囲の水脈も探っているようだ。
「面白い!」
オンは意気揚々と声を上げ、少女へと泉質を伝える。
どうやらこの温泉には多量に魔力が含まれており、解呪効果が望めるらしい。
その他の効能としては、一般的な温泉とほとんど同じで、特筆して効能をあげるのならば、石化したものなど凝り固まったものを解す作用があるという。
「ここの鉱石を使って鍛えた魔剣には切りつけたものを鉄塊化させる効果があるんだって」
「なればそれを解く反対の効能が発揮されているというわけか」
少女の説明にセンも興味深そうに頷いた。
その後、オンとセンはわりかし楽しげに温泉を調査し、ついでに温度調節と湯量の調節までしてくれた。
彼らだけでは帰れないので、少女は彼らに礼を言ってアズランへと送り届け、また魔界へととんぼ返りだ。
とはいえ、向かったのはネクロデアではなくファラザード。城ではなく集合住宅地だ。
少女はそこで目当てのモグラの魔物を見つけて意気揚々と歩き出した。
*
「ナジーンさぁぁぁん!」
ついこの間も聞いたような叫びを耳にして、今度は何事かと頭痛を覚える。
会いに来てくれることは嬉しいが、毎度毎度問題をひきおこしてくるのはやめてほしい。
ただでさえユシュカという大問題児を抱えているのだ、これ以上は手に余る。
ネシャロットも問題児ではあるが、彼女には頭の上がらない姉が二人いるのでそちらは問題ない。
バァンとデジャビュかと思うくらい同じように扉が開けられて、気がつけば目の前に少女がいた。
足腰を使い物にならなくしたばかりのはずなのに、復活が早い。もっと念入りにしても良かったかもしれない。
若干のどうしようもない後悔を抱きながら、こぼれ落ちそうなため息を呑み込んだ。
「今度はどうしたのだ?」
「温泉のお話です!」
どうやら前回の話の続きらしい。これ以上厄介事を増やすのはやめて欲しい。
相変わらず目を輝かせる少女はイキイキとしているが、代わりにこちらの目は死んでいる。
「入りましょう!」
そして、どうやって止めればいいのか見当もつかない暴走列車の少女は、返事も聞かずにアビスジュエルを使用した。
少女以外の人物が使用したのならば、アビスジュエルの効果範囲は本人とその手荷物程度だ。が、少女は規格外。有無を言わさず周りは巻き込まれる。
「は?」
巻き込まれて出た先にあったものに、思わず素っ頓狂な声を上げた。
真新しい木材を使って作られたそれには、見慣れぬ布に書かれた温泉という文字が踊っている。
滅びる前のネクロデアにも、滅びた後のネクロデアにも、こんな建物はなかったはずだ。
ぽかんと口を開けている間に、少女にグイグイと引っ張られ、勝手に服に手をかけられる。
「いやいやいや待て。待ってくれ」
理解が追いつかないにも程がある。なんだ、この怒涛の展開は。
一体何が起こっているのか全くもって分からない。分かるのは目の前の少女が何かやらかしたことだけだ。
混乱しているうちに服をひっぺがされて、気付けば少女も全裸だった。お互い見慣れているとはいえ、やはり落ち着かない。
少女は未だに慣れず普段は恥じらっているのに、何故か今は恥じらいもクソもなく堂々と大股で闊歩していた。今は少しは恥じらって欲しい。大股はやめろ。
先日柔くて白い肌につけた執着だって薄くなっているが消えていないのだ。確かにつけたのは自分だが隠す努力もして欲しい。
言いたいことはあるのに言えないまま口をぱくぱくと動かすが、少女が気にする様子は微塵もなかった。
かたまっているうちに今度は違う部屋へと連れていかれ、そこにあったものに今度は閉口した。
ゴツゴツとした岩に囲まれてあるのは、湯気を立てる赤い温泉だ。一部は屋根に覆われているが、その殆どが露天であるらしい。
「ふふん。グタクたちに頼んで作ってもらったんです」
こういうきに大魔王命令を使わないとなどと嘯く少女は誇らしげだ。
現に堂々とした佇まいで胸を張っているが、全裸でそれはいただけない。
しかし、ここにいるのは二人だけ。貸切ならば、少女の裸体を見るのが恋人である自分だけならば、問題ではないだろう。
「まず内容を相談した後、アストルティアのエルトナ大陸に行ってもらって建築様式を学んでもらいました」
そこは少女の伝手の見せどころだ。魔物さえもアッサリと弟子入りさせ学ばせてしまう人脈に舌を巻く。
「グタクたちも未知の建築様式や技術に強く興味を引かれたようで、今度本腰を入れてアストルティアで学ぶそうです」
「優秀な我が国の大工を引き抜くな」
思わず苦言を呈すれば、少女は楽しそうにころころ笑った。
「これは先行投資ですよ。アストルティアの文化を取り入れるのにも、アストルティアの人々に知ってもらうのにもうってつけです」
魔族とアストルティアの住民は長い間いがみ合っていた。昨日今日で解決する話ではなく、手を取り合ったあの時も、共通の脅威というものと、少女という鎹があったからこその協力だった。
興味の為に勤勉な姿を見せる彼らは、魔界に対する偏見を減らせるだろう。間違った知識を訂正することも可能だし、逆にアストルティアの住民に興味を持たせる話をすることも可能だ。
そして彼ら自身も新しい知識と技術を手に入れることが出来る。それらは魔界の発展にも、アストルティアの発展にも大きく寄与するだろう。
少女が見据える未来のなんと明るいことか。
主である魔王ユシュカと壮大な夢を見ていた。その夢が大好きで、だからこそ夢を叶えるために助力を惜しまなかった。
そして、叶うかも分からなかった夢は手の届くところまで来ていて、少女はそれを強く後押ししてくれている。
偉大な人物だと素直に思うが、目の前の破天荒な少女はやはりとてもそうには見えなくて、再び口元に苦い笑みを浮かべた。
少女に温泉への入り方マナーを教わって、一緒に湯船へと浸かる。
柔らかな少女を腕の中に閉じ込めて、肩まで浸かる温泉は気持ち良かった。
湯船は中央に行くほど深くなっているようで、縁から階段状に形作られていた。これは、入る人物の大きさに大きな差があることが要因だろう。
少女は小さいので縁に近い位置が適切だが、共に入りたいので深い位置にいる。膝の上に乗せれば、それだけで上げ底になるはずだ。
小さな魔物用にとても浅い湯船もあり、少女が他者のことを深く慮っているのだと痛感した。
とんでもないことばかり引き起こすが、その実彼女は周りをよく見ている。
湯が熱くて気持ちいいのか、それとも少女の体温が伝わって気持ちいいのか分からないが、幸せな気持ちなのは確かだった。
向かえば憂鬱な気持ちになる故郷が、こんなにも癒される場所になるなんて思いもよらなかった。
それを引き起こした少女は、腕の中で気持ちよさそうに目を閉じている。
遠慮なくからだを預けて、日々の戦いで強ばったからだは解されているようだ。たまにマッサージをするのだが、それよりも効果がありそうなので少し嫉妬した。
温泉に嫉妬するなど心が狭い男だと言われても致し方ない。
血色の悪い少女の肌が火照って色付き、汗なのか湯に濡れたのか分からないがしっとりと濡れている。
水草のように湯にゆらゆらと揺れる髪は、湯の上では少女の肌に張り付いて、そこからちらりと見える肌が扇情的だった。
「 」
少女の尽力の結晶とも言えるこの場所で無体を働けば、さすがに怒られるだろうか、などと考えながら声をかければ反応がない。
瞳を瞬き、慌てて少女を引き上げれば、少女は見事に逆上せていた。
「全く。君は……」
呆れつつも口元が笑ってしまうのは、この少女にどれだけ救われているか分かっているからで。
「ありがとう」
たった一人の男のために、こんなにも己の力を奮ってくれて。
「だから君が愛おしくて堪らないのだ」
根底に見える深い優しさと愛情にどうしようもなく幸せを感じながら、他者が触れることを許さない唇へ口付けて、逆上せた少女を介抱するために歩を進めた。
後にこの温泉が観光産業に火をつけることとなるが、今はまだ、二人だけの秘湯なのだ。