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「結婚しないか?」
由衣は子どもの頃から、敢助のことが好きだった。強くて、誰よりも優しくて、かっこよくて、敢助の良いところは誰よりも知っている自信があった。
どれだけアピールしても全然伝わらなくて、妹としか見られていなくて、どうしたら気づいてくれるのだろうと悩んだことは、もう何度あったか分からない。鈍感で勝算がなく、決定的な言葉を由衣も言えずにいた。
何かきっかけがあったのか、ある日突然、由衣を見る目が変わり、これまで伝わらなかった想いがようやく実を結び、長い長い片想いを終えたのだ。
敢助と想いが通じ合いお付き合いが始まり、陳腐な表現だが、こんなに世界は輝いているのかと思うくらい、毎日幸せだった。これまでの敢助も優しかったが、恋人となった彼はとにかく甘くて、優しくて、胸がいっぱいで許容できないなんてこともあったが、本当に、幸せだったのだ。
そんな敢助から出てきた『結婚』という言葉。正直言うと、飛び上がるほど嬉しい。幼い頃由衣の憧れだった甲斐に「甲斐さんのお嫁さんになる」と言ったことがあるが、敢助のことを好きだと恋が芽生えたときからずっとずっと、敢助のお嫁さんになるのが夢だった。
でも……
「ごめん…私、敢ちゃんと結婚できない……」
そんな綺麗な夢を見て許されるような、綺麗な人間ではなくなってしまった。甲斐の事件の謎を解くために、義郎の好意を利用して結婚した過去。そんな自分を愛してくれていた彼は、亡くなってしまった。
義郎だって善人ではなかったかもしれない。それでも、どうしても考えてしまうのだ…自分だけ幸せになって良いのかと……
「お前の考えてることは何となくわかる。前も言ったろ、気にすんなって」
バツイチなことを気にする由衣に、敢助は気にすることはないと伝えてくれた。そのときは彼の優しさが嬉しくて、そういうところが好きだなと感じたのだ。
虎田家に嫁いだことを後悔しているわけではない。あのときの覚悟を由衣自身否定するつもりはない。
それでも、もっと堂々と敢助の隣に立ちたかったと、そう思わずにはいられないのだ…
「じゃあ、別れるか?俺といるのが辛いんだろ?じゃあやめるか?」
「っ」
(別れる?やっと好きになってもらえたのに?こんなに好きなのに?)
嫌だ、別れたくなんてない…でも、結婚に踏み出せない、義郎に申し訳ない……じゃあ別れるしかない?
自分以外が敢助の隣に立つなど絶対に嫌だというのに、自分で良いのかと迷いが生まれてしまう。
結婚を受け入れることもできなければ、別れる選択をすることもできない。どうすれば良いのか分からなくて、イヤイヤと駄々をこねる子どものように、涙が溢れて止まらなくなった。
悪い、言いすぎた、という敢助の声が聞こえると、優しく手を引かれて抱き寄せられた。とくんとくんと規則的に鳴る敢助の心臓の音に、「あ、生きてる…」なんて場違いなことを思う。あやすように背中を叩いてくれる大きな手の温かさと、その心臓の音を聞いていると安心して、次第に涙が止まっていった。本当に子どもみたいだ。
「全く気にしないと言えば、正直嘘になる。お前が嫁いだって聞いたとき、心臓止まるかと思ったんだ…あんな思いはもうしたくねぇ」
敢助にそんなことを思わせていたのだと、また胸が痛くなって涙が滲んでくる。この先、このことで苦しい思いをさせてしまうことがあるかもしれない。いつか責められることもあるかもしれない。そうなったら耐えられない。それならいっそ…と1番口にしたくない言葉を言おうとすると、「でも」と敢助が続けた。
「俺がいいって言ってるんだから、いいんだよ。1人で抱え込むな。苦しむな。俺も一緒に、背負ってやる」
だからもう悲しそうな顔すんな、と頭を撫でられる。
「俺はお前が欲しいものなら全部手に入れてやりたいし、なんだって叶えてやりたい。これは全部自分のためだ。俺がお前に笑っててほしいからやってんだ。グダグダ考えてねぇで、お前はただ俺と一緒にいりゃあ良いんだよ」
体を離して由衣の左手を取り薬指をそっと撫で、力強く握りしめる。
「俺のところに来い、由衣。結婚するぞ」
由衣の不安などなんでもないとでも言ってくれているような、全てを許してくれるような、守ってくれるような、そんな想いが握った手から伝わってきた。
敢助が名前を呼んでくれるだけで、手を引いてくれるだけで、なんでも乗り越えていけると思えた。光のある方へ導かれ、強くなれる気がした。
この人といれば私は大丈夫だと、この人がいないと駄目だと、この手を離すなんてできないと、この人と歩んでいきたいと、そう思った。
「うん…する……敢ちゃんと結婚……」
また泣きじゃくってしまった上、小さい子どものような返事をしてしまったが、見上げた敢助も嬉しそうに子どものように笑っていた。
由衣が泣いていると、必ず助けに来てくれて、由衣が笑うと、同じように笑ってくれる。
その笑顔が眩しくて、由衣は何度だってまた、恋をしてしまうのだ。
*
翌日、結婚することになったと高明に伝えると、彼はとても喜んでくれた。いつも何も言わず見守ってくれていたが、心配をかけることも多かったに違いない。
「高明くん、いつもありがとう」
何となく今伝えたくなって、昔呼んでたように呼びたくなって、そう伝えると彼は優しく微笑んだ。
「ですが、この時間も残り僅かかと思うと、少し寂しくなりますね」と高明がぽつりと呟いた。
敢助か由衣のどちらかが異動しなければならないことに対して言っているのだろう。1度バラバラになってしまったものの、 また県警本部に3人が揃い、捜査を共にすることも多かった。
もう全員が捜査一課でいられないと思うと寂しくないわけではない。でも…
「俺らはなんも変わらねぇだろ」
なんでそんなことを言うんだ?とばかりに、敢助がそう言った。由衣だって、きっと3人離れることはないのだろうと確信している。3人とも、誰かを手離すなんてこと考えていないのだから。
敢助の言葉に、「それもそうですね」と高明が笑ってくれたので、3人で一緒に笑った。
「それでは、お祝いに今日は僕がご馳走しましょう。駅前のお店で今日からパスタの新メニューが始まりますので、そちらでランチでも」
「お祝いなんだから俺の好きなもんにしろよ。蕎麦だ蕎麦」
「いいえ、僕からのお祝いなのですから」
敢助と高明のいつもと変わらない言い合いが始まる。この日常が愛しくて、当たり前だと思えることが尊くて、由衣はまたこっそり泣いた。
由衣が来ていないことに気づいた敢助と高明が振り返り、「置いていくぞ」と彼女に声をかけた。子どもの頃2人の後を付いて回っていた事を思い出す。背中を追いかける由衣を、置いていくぞ、なんて言いながらも、決して置いていくことはせず待っていてくれる大好きな2人。大人になっても、変わらない。
これから先も、ずっと一緒にいられますように、この関係だけはずっと変わりませんようにと、そう願った。
fin.
ここまで読んでくださってありがとうございました。
創作者のわがままで異動させて良いのかという葛藤はありますが、敢由を結婚させたくて…笑
語彙力が欲しいです…