名前を呼ぶー愛情とは、物質に向けるモノでは無い。あの日、あの男が言い残した言葉。
それを否定するつもりはない。
でも、僕はやっぱり。
触れられたいし、触れていたい。
身体が無い恋人に触れることが出来ないのは、とてもつらい。言っても仕方の無いことだと分かっていても。
我儘な僕はいつだってこんなふうに彼を困らせてしまうけれど、それでも僕らは存外、上手く愛し合えている、と、思っている。
ー彼がどう思っているかは…聞いてないけど、きっと、たぶん、同じように感じてくれているから、僕たちはこうして今日もふたりで、いきている。
ーーー
「伊月、今日飲みいかねーか?」
その日最後の講義が終わって一息ついた途端、隣に座る男に唐突にそう声をかけられて、暁人はうーん、と首を傾げた。確か、冷蔵庫に使いかけの鶏肉があったことを思い出す。
「ごめん、今日はやめとくよ。賞味期限切れそうな食材があるから、使っちゃいたくて」
「マジで?はー、お前ほんっとマメだよなー。まあいいや、また誘うわ。じゃーな!」
「はは、うん。また宜しく。」
そんな軽いやり取りのあと、参考書を纏めて鞄に仕舞う。
誰もいなくなった、がらんとした教室。先程までの喧騒が少しだけ恋しくなって、思わずふう、と溜め息が漏れた。
『…騒がしいのも、人の生きてる証、ってな。まだ少し不安になってんだろ…暁人、大丈夫か?』
耳にイヤホンを装着してから、そうだね、と暁人が答える。
「何か、不思議な感じ。こっちの方が現実の筈なのに、あの日の事が濃厚過ぎて、さ。…大丈夫だよ、KK」
ー外での会話は、電話で話している振りをしよう。はじめにそんな取り決めをして、KKと暁人のニ心同体での共同生活は始まった。
【あの日】と違って、今は周りに人が溢れかえっている。今までと同じように、簡単に手のひらに話しかけることはさすがに出来ないから、とふたりで考えたこと。
まるでちいさな秘密をふたりで共有しているような、幼い子どもの悪戯のような。そんな何気ないことが、暁人には穏やかで嬉しくて、たまらなく、愛しかった。
あの日突然出逢って、得体の知れぬ怪異と戦って、何とかこの世界を、人々を救って。そして一度は、離れ離れになって。けれどまた、こうして毎日を過ごせるようになって、わかったことがある。
目まぐるしくかわるこの世界のなかで、
暁人は、この身体を持たぬ男を、口が悪くて時々意地悪なこの恋人を、誰よりも、愛している。
「ね、KK。今日の晩ごはん、何にしよう?」
霊体である彼はものを食べることは叶わないし、味わうこともできない。それがわかっていても、暁人はいつもそんな戯言をつい口にしてしまう。
KKも、暁人が欲しいものをちゃんとわかっていて、そしてもちろんそれを咎めたりはしない。
だからちゃんと答えてやる。暁人の欲しい言葉を。
一番欲しいものは、あげられないから。だからせめて。叶えてやりたい。あまやかな言葉遊びも、そのうちのひとつ。
『鶏肉あるんだろ?親子丼とかどうだ?』
「あ、いいね。じゃあ三つ葉と…」
『あと七味!買い忘れんなよ』
「…KKってば、前買い忘れたの根に持ってるでしょ。食べるの僕なのに…」
『んなこたねぇよ。ただ、毎日お疲れの暁人クンには美味いモン食って貰わなきゃだからな』
「なにそれ。七味無くても美味しいだろ親子丼」
へんなの、と笑うその笑顔が、何よりも愛しいのに。キスすることも、抱き寄せることも出来ないから、KKはせめてもの償いのように、いつもこうして、出来るだけたくさん、名前を呼ぶことにしている。
『…暁人』
「ん?なぁにKKー」
その先は、誰にも聞かせないように。そっとその右手を操って、耳にかかる髪を掻き上げてやるその仕草の合間に、そっと、耳元で。
『暁人、愛してるぜ?』
「…なにもう、いきなり。まだ外なんだけど?」
嬉しそうにはにかみながら、それでも同じように、そっと。右のてのひらに、優しくくちびるを落とすだけのキスをして、暁人も彼の名前を、呼ぶ。
「…僕も、愛してる。KK」
「おう」
ああ、抱き締めるための腕はひとつしかなくても。
抱きしめられるたましいは、ひとつではない。
こころを預け合うように、慈しむように。
ふたりがひとつで在ることを、確かめるように、互いの名前を呼ぶ。
『な、帰ったら…いいだろ?』
「残念でした、今日バイトなの知ってるだろ?日付が変わるまでは、お預けだからね」
『…チッ、仕方ねえな…早く上がれよ』
「はいはい。僕も我慢してるんだから、KKも我慢してよね」
KKと出会ってから、暁人は欲しがりになった。甘えるのも、上手になった。KKには、それが何よりも嬉しい事だった。
最初は恥ずかしがっていた自慰行為が、【ふたりで】するととても気持ちいいことを知ってからは、甘い声で強請る事も、覚えた。これも、とても嬉しい事だ。
ひくひくと先走りをこぼす陰茎を、主導権を握った右手で優しく激しく扱いてやると、蕩けるような甘い声で、けぇけぇ、気持ちイイ。もっといっぱい、して…?といやらしく乱れてくれる。自分を求めてくれる。腰を揺らし、うわごとのように、けーけー、と、自分の名前を、呼ぶ。それが最高に、KKを興奮させる。
ああ、コイツの中を思う存分味わい尽くせたら、どんなに幸せだろう。自分を求めて疼く身体をめちゃくちゃに抱き潰せたなら、濡れたひくつく穴に自分の剛直を突き立てて、胎の中に子種をぶちまけられたなら、どんなに。
「…ねえちょっとKK、えっちなこと考えるの、やめてくれる?」
『あ?何でわかんだよ、オマエこそエロい事思い出しちまったんじゃねえのか?』
「KKの思考のせいで僕まで腰の奥うずうずしちゃうんだってば!もう、バカ…知ってるくせに…」
顔を赤らめて頬を膨らませる。
おい、そんな顔オレ以外の誰にも見せるんじゃねえぞ。
年の離れたこのかわいい恋人を誰にも取られたくなくて、みっともなく嫉妬してしまう程に、KKは暁人を、愛している。
ー例え直に触れられなくとも、心だけは寄り添っていたい。
我儘なんて、幾らでも言えば良い。
オレたちがこうして上手くやれているのは、オマエがオレの名前をほんとうに、本当に嬉しそうに呼ぶからだってことに、オマエはいつ気づくんだろうな。
あの日失ったたくさんのものを拾い集める為に、昼の街を、闇の中を、駆け抜ける。
そして、2人だけの夜は、まだまだこれからだ。
そうしてオレたちは、明日も、2人で生きていく。これからもずっと、ふたりで。