夢でもいいからほしいと言って。「…KK、KK。おきて、ねえ」
「…んぁ…?」
寝入り端をゆさゆさと起こされて、薄目をあける。
そこには困った顔の暁人がぺたんと座り込んでいて。
どうした、何かあったかと尋ねてやれば、目の周りを真っ赤に腫らしてぎゅう、とオレの両手を握ってきた。
「暁人?」
「けーけー、僕、ぼく、」
不安げに言葉を詰まらせる暁人の表情がまるで不安に押し潰されそうにみえて、オレは両手を握られたまま、そっと泣きそうな目元にキスをしてやる。
少しだけほっとしたような表情を浮かべたのもつかの間、またオレの肩口に顔を埋めて、ぐしぐしと泣き出すから、これは本気で何かあったかと、さしものオレも血の気が引く。
「暁人、オマエ何が…」
「けーけー…僕、僕ッ!KKと、別れたくない…ッ」
ー何だって?!
予想もしない言葉に思わず声を荒げ、肩を掴む。前髪が揺れて、涙に濡れた瞳がオレの視線を避けるように俯いた。
「暁人!オマエ何言って、こっち見ろ、オイ!」
ゆさゆさと肩を揺さぶれば、動揺したように首をふる。何があったってんだ。ちゃんと説明してくれ。
「だって!!だってこんな…こんな事になっちゃって…僕もうっ…!」
オイ、何だってんだ。やめてくれよ。オレたち上手くやってきたはずだろ。頼むから、別れるとかー
「…出来ちゃった、の、」
「…あ?ナニが出来たって…?」
「だから!!赤ちゃん、出来ちゃったの!妊娠してるって、病院で、言われてッ…!KK…僕、どうしたら…っ!!」
ー頭が、真っ白になる。何だって?暁人が、妊娠??
「そりゃ…オレとの子、なんだろうな?」
驚きのあまり思わず口にして、暁人の目が、きっとオレを睨んでくる。しまった。流石に失言だ。
「当たり前だろ!?僕が誰かと浮気でもしてると思ってたのKK!!」
「ち、違う!そんなわけねえだろ!?ほら、人間幸せだと目の前の出来事が信じられなくなるっつうか…」
「え…?」
しあわせ、という言葉をきいて。暁人の目が大きく見開かれる。
「…け、KK、それって」
「そりゃ、幸せだよ。…こんなオレでも、まだ、寄り添って暮らしてくれるヤツが居るってだけで有り難えのに…それなのに、ガキまで出来て」
思わずこっちまで感極まってしまう。
ー今度こそ、守り通してみせる。オマエとの宝物なら、きっとー
「う、産んでいいの、KK」
「何言ってやがる。当たり前だろうが。つか…オマエ、オレが産むなって言うとでも思ったのかよ…?」
そんなに冷たいヤツだと、思われてたのか?って、あまり偉そうな事を言えないことは、分かってる。過去の自分のしたことを、無かったことになんてできねえことも。
「だって、だって!KKもう、面倒なことは嫌だって言うと…思ったからっ…!でも、僕は絶対産みたくて!それでっ…!」
「暁人、体に障る。ほら、落ち着け。…もうオマエ1人のカラダじゃねえんだ。しかも、ソイツはオレみてえに強くねえ。守ってやらないとな」
…オレたち、2人で。
「けーけー…ありがとう!僕…絶対、ちゃんと産んでみせるからね!」
ぎゅう、と抱きついてきてくれる暁人の腹は、確かに少し膨らんでいるように見えた。…歓びに、涙が出そうになるのを、暁人を抱き締めることで胡麻化して。
「なあ、コイツ男か?女か?」
そっと、肚を撫でてやる。くすぐったそうに。暁人が微笑む。もう、なんつーか既に、母親のカオしてやがる。…少しだけ悔しい気もするが、コイツの旦那はオレだ。誰にもその座は渡さねえ。
「ちょっと、気が早いよもう。まだ分かんないって」
「あー名前どうしようなぁ…。って、暁人オマエそんな薄着してんじゃねえよ!腹は冷やすんじゃねえ!お、男用のマタニティウエアとかあんのか!?買いにいかねえとー」
「だからそれもまだ早いって!今は普通の生活してて大丈夫だってお医者さんにも言われたから!落ち着いてよKK!」
そう言われても。落ち着いてなんていられねえ。オレと暁人の。ふたりの血を繋いだ、何よりも尊い絆だ。ーあの夜を乗り越えたオレたちに授けられた、新しい繋がりを、喜ばないわけがねえだろう?
「…きっと強く生まれてきてくれるよ。僕たちの子だもの。」
そっと下腹部を撫でながら、うっとりとした表情で暁人が呟く。
「…だな。違いねえ」
とくとくと小さく鳴る腹に耳を当てて、オレも小さく呟く。
ああ、これからは二心じゃなく、三心同体、だな、暁人。
笑顔で頷く暁人をそっとベッドに横たえて、オレは満ち足りた気持ちで目を閉じた。
ーーーー
「KK!KK起きて!ほらもう遅刻するから!起きろーー!!!」
「んあ!?」
再び暁人の声で目を覚ます。ー朝、か。なんだか興奮してあまり寝られなかった気がする。
ふと横を見れば、とっくに着替えた暁人が怖い顔でオレを見つめている。ーあれ今日って何曜だ?いやそれよりも、
「暁人オマエ!だからそんな薄着してんなって!てかそんなに腹締め付けるジーンズとか履いてんじゃねえ、窒息したらどうすんだ!」
「…は?」
「は?じゃねえよったく…ほらもっとベルトも緩めろ、んで次の通院はいつだ?オレも一緒にー」
「ねえKK、さっきから何言ってんの?大丈夫?」
「オレじゃねえよ自分の心配しろ!いや自分っつかお腹の子のー」
「KK!ほんともーいい加減にしてよ!僕今日朝からバイトだって言ってたろ!?遅刻したらKKのせいだからね!?」
…おん??
何かが、何かがおかしい。
昨夜はあんなにオレとー
オレとーーーー??
「…KKががっつくから!しかもナカに出しちゃうからっ!寝坊したし準備も遅くなっちゃったんだよ!!ほんともう、だから昨日はしないって言ったのに…!!」
顔を真っ赤にして怒鳴る暁人を見て、思い出す。確かに昨晩は…明日絶対起きれなくなるからヤダ!っていう暁人に一回だけだからとか頼み込んで致した挙げ句、我慢できずにナカ出ししたんだった。イヤ鬼畜かよ昨日のオレ。つかゴム切らしてたのが悪いんだよ。
何より抱き締めたまま後ろから突き上げられるとすーぐ蕩けちまう暁人も悪い。ナカ出しされて「こんなに出されたらぁっ、もぉ、こども…こどもできちゃう♡♡孕んじゃうゥ♡」ってかわいい事言うからつい…
って、
「ハァ!?夢だったっつーのかよ!?冗談だろ?!妊娠は?子供は!?!」
「………妊娠?」
思わず叫んだオレを、冷ややかに見る視線。
ーーああ、どうやら本当に、夢だったらしい。
さよなら、オレのスイートライフ…
がくり、と頭を垂れるオレの耳に、
「…後でゆっくり続き聞くから。とりあえず、朝食食べ終わったら片付けといてよね。ゴミ出しも宜しく」
冷たく言い残して、暁人がばたん、とベッドルームのドアを閉める。
いつもなら二人で囲む食卓の上、
冷めたコーヒーと少し焦げたトーストが
心に苦味だけを残して。
上に乗せたバターが、静かに溶けていった。
ーーーー
「ーーで、僕が妊娠する夢を見た、と」
「…おう」
そして現在、22時半。
オレは今、ソファの前で仁王立ちしている暁人を見上げている。何故見上げてるかって?そりゃオレが今土下座させられているからだ。
「…ほんっと、頭大丈夫??いくら夢とは言えー男が妊娠するわけないだろ?バカなの??」
ー信じられない、という顔で暁人がはあああ、と大きなため息をつく。
「…いやだってよそりゃオマエが…」
「人のせいにしない!もうほんっと!!次ゴム付けずに挿れようとしたら1ヶ月お預けだからね!?」
取り付く島もない。それはあまりにも酷いだろうがよお暁人さまァ…いやゴム付けろって話なんだが。それは分かってるが、それでもだ。大体ナマ好きだろうがオマエ。いやだからそうこっちゃねえ。分かってはいるが。
いやしかし。結果的に今朝も絶対に間に合わない時間まで引き止めた挙げ句、その分残業させてしまった非も確かにオレにある。それは認める。
それでも、だ。
「ハァ…」
ーあの高揚感。あの胸の沸き立つような感情が、全てー夢だったなんて。
あれからちゃんと皿も洗って、ゴミ出しもした。偉いぞオレ。
しかし、部屋に戻ってからは何も手につかなかった。夢の中の暁人の、「赤ちゃん出来ちゃった」と泣きながら笑った儚い表情が焼き付いて離れなかった。
夜に暁人が帰ってきても、その腹ん中には何も宿ってねえと思うといつもみてえに喜べなかった。もう一度確かめるようにそっと下腹部に耳を当ててみても、何の音も聞こえねえ。強いていえばぐう、と暁人の腹が鳴って、お腹すいたよKK、という暁人の呆れたような声がして、とことんまで気が滅入ってしまった。もちろん暁人のせいじゃない。我ながら情けねえ。だがしかし。
「ねえ…そんなに子供欲しかったの?」
なんとか土下座から解放されて、ふたりで並んでソファに座って。暁人が茶の入ったマグカップをことん、とガラスのテーブルに置く。
「…オレぁただガキが欲しかったわけじゃねえ。オマエとの子だから欲しいんだよ。オレたちを繋ぐ、誰にも奪えない絆が欲しかったんだよ」
「…KK」
少しだけ眉を潜めて、暁人がおいでおいでをする。クッソ、ガキ扱いしてんじゃねえよ。でも今は大人しく、胸の中に飛び込んでやった。よしよし、と背中を撫でられる、いや、撫でさせてやる。
「あのねKK。僕は赤ちゃん産めないけど、それでもKKとの絆は誰にも奪えないし、奪われない自信はあるよ。…KKも、そうだろ」
「…ああ」
それはそうだ。オレたちを引き離す事なんざ、誰にも出来ねえ。誰が奪いに来ようが、そいつらにくれてやる気などこれっぽっちもねえよ。
「じゃあさ、…約束。もし将来、なんかの拍子にさ、男が妊娠出来るようになったらさ、…その時こそ、」
ーふたりでちゃんと相談して、こども、作ろう。僕だって、出来るならKKとの赤ちゃん…産みたいと思ってるから、ね。
だから、もうそんな風に、がっかりしないでくれよ。もう少し、今のままのふたりでいよう?
ことん、と肩に頭を乗せてきて、ふわり、と暁人が笑う。ーああ、そうだ。オレにとって、何よりも失くしたくないものが、ここに、ちゃんと…あったよな。
「…暁人、愛してる」
「知ってる。…僕だって、愛してる」
「ああ、知ってる」
抱きしめながら、そのままソファに押し倒す。何だかんだいって、ちゃんと抱かせてくれる暁人は、マジでオレに甘い。
「…でも今日は、ナマ禁止、だからね」
「わあってるよ」
流石に、釘を刺された。まあ、今日は許してやるよ。どうやら、ゴムも買い足してきてくれたみたいだしな?
リビングテーブルの上に放り出されたままのコンビニ袋の中に、茶色の紙袋を見つけて、思わず頬が緩む。
ああ、やっぱり最高だよ、オレの暁人は。
今日もたっぷり愛させて貰おう。
そしてまた、明日も明後日も、同じ場所で、同じ時間を、生きよう。
未来を二人の手で、共に変えてゆこう。
オレたちならきっと、変えられるさ。
夢のなかでも、いつでもいい。
どんな馬鹿げたことだっていい。
だからほら、欲しいと言って。
世界を救ったオレたちだ、
きっと強欲なくらいで、丁度良い。