あまやかし③【幕間】
いつにもまして、亡霊の嘆きが酷い日だった。
故に、ほとんど這いつくばりながら報告書を作成していたシンを具合が悪いのに何やってんだこの馬鹿と怒鳴りつけてくる腐れ縁が鬱陶しくて。
だから、おれ以外に一体誰が出来るのだと口うるさい顔面に紙の束を叩きつけてやった。
ろくに初等教育も受けぬうちに収容所へと押し込められたシンたちの世代は読み書きを苦手とする者が多い。シンは例外だ。……あの教会の蔵書と神父さまからの教えを独占していたのがシンだから。
ならばシンがやるのが道理だ。
この腐れ縁とて読書や文字を書いているところなど見たことがない。どうせ書類は突き返される。口を挟むないるだけ邪魔だ――くらいは言ってやろうと思っていた。
……そもそもがライデンに気取られるほどに不調を隠しきれていなかった。
そんなことにも思い至らぬ程度には心身ともに限界であった自覚もなくて。
「……これでいいか」
神妙な表情と共に返された書類には、随分と流麗な文字が記されていた。
ひったくるようにして書類を確認して、シンは愕然とした。
「――――」
地頭が良い奴だとは薄々感じていたが、読み書きが出来るどころではない。しっかりとした教育の痕跡。
思わず、シンは笑ってしまった。
いずれ必ず死ぬだけのエイティシックスの子供にも教育を施そうとした誰かはいるらしい。
シン以外にも。
ちゃんと。
「なんだよ」
わらうシンを鉄色の瞳が怪訝そうに見つめてくる。
「良い拾いものをした」
言ってやれば、ライデンの顔がぐしゃんと歪む。――歳のわりに大人びた顔つきをしている一方で、表情そのものは年相応だから、むしろ余計に子供っぽく見えることに当人は気がついていないらしい。
……戦場に放り込まれた時点で成長期を迎えていた身体は比較的丈夫な部類で、だから死ななくて。そこそこに物事を考えられる頭があって、だから死ななくて。周囲を見渡せる冷静さと人当たりの良さを持っていて、だから死ななくて。単に悪運が強くて、だから死ななくて。
「お前、そろそろ一年経つんだな」
もしかしたらお前は号持ちになれるのかもしれない、なんて。
思ってしまったシンの頭の上に、薄っぺらな毛布が落とされる。
「……いいから寝とけ。お前に倒れられるのが一番困る」
毛布に遮られてライデンの顔は見えなくて。ライデンからもシンの顔は見えなくて。別に見る必要があるとも思わなかった。
「……」
毛布にくるまったところで、がなり立てる亡霊の声は消えやしない。
だからベッドに横たわったシンが、それなりに長い時間を掛けて書類に向き合っている少年の気配をずっと感じていたことを、向こうは気づいてもいなかっただろう。
そういう男だ。