未来の話ひそひそ。ひそひそ。
自分の周りで小声で交わされる会話が嫌でも耳に入る。
——ご覧になりましたか、あの顔の傷。
——京都校の女術師ですか、嫁入り前でしょうにな。
——女の分際で、いっぱしに呪術師を名乗るからああなるんですよ、どうせ大した術式でもないのに。
ああ、もううんざりだ。歌姫はそう思っていたが、本心は悟られないように人前では笑顔を崩さないよう努める。こんなところで悶着を起こすわけにはいかない。今日は関係者のほとんどが、呪術高専東京校に集う日なのだ。
呪術高専では、毎年新年度の授業開始前に呪術教育に関わる諸関係者の会合がある。教員、補助監督だけでなく、上層部の人員も東京校に集合し、新年度にあたっての情報共有を行うのだ。普段は京都校で教鞭を取っている歌姫も、母校である東京校に馳せ参じていた。そして、一年ぶりに歌姫と顔を合わせた者のほとんどが、ぎょっと驚いた態度を隠せずにいるのをうんざりしながら笑顔で受け流していた。
歌姫の顔には、最近傷ができた。右側の頬の端から目の下を横切る大きなものだ。呪霊討伐の任務の際に負った傷で、歌姫自身も最初に包帯が取れた自分の顔を鏡で見たときはさすがにショックを受けた。しかし呪術師として生きることを決めた日から、とっくにこういうことは覚悟していた。この傷も呪術師としての自分の一部。そう考えるようにしていた。だがこうもわかりやすく他人から哀れみの視線を向けられると、ふつふつと込み上げてくる怒りを抑えるのに苦労する。そして実感する。この呪術界では、女、ましてや傷を負った女は歓迎されない生き物なのだと。
一通り要人に挨拶をし終わり、大会議室の定められた席に座る。集まった中には、京都校の楽巖寺学長や、歌姫の元担任でもある夜蛾の姿もある。しかし、若い女術師は歌姫くらいのものだった。
——なんだか、私だけ場違いみたいだな。れっきとした呪術師で、教師なのに。
今年度の予算、入学してくる新入生、新しく入ってくる補助監督——次々に報告されるそれらの情報を聞きながら、歌姫はぼんやりと思った。
「……あれ?」
会議室に集まっている者の顔をなんとなしに見ていると、東京校関係者の席が不自然に一つだけ空いているのに気づいた。学長である夜蛾の隣だけが誰にも座られることなく、ぽかんと空いている。なんだろう、誰か欠席者でもいるのだろうか。さっき挨拶まわりをしたときは気づかなかったけど——。
すると、コツコツと足音がひとつ、会議室に近づいてきた。それと同時に、馴染みのある呪力の気配がだんだん近づいてくるのがわかった。
——何であいつがここに?
他の者も全員その呪力を感知したらしく、一斉に視線が会議室の扉へと集まる。そして引き戸がガラっと音を立てて開き、皆が予想していた通りの人物が現れた。
「いやーどーも。遅れてしまったみたいで、スミマセン」
呪術界御三家のひとつ、五条家嫡子にして特級呪術師、五条悟だった。
空いていた席は五条のためのものだったらしい。遅れたことを悪びれもせず席についた五条の頭を、夜蛾がバシンと思いっきりはたいていた。
——一体なぜ、五条悟が。
その場にいたほぼ全員の頭に同じ疑問が浮かんでいた。今日ここに集まっているのは、高専の教育になんらかの形で関わっている者だけだ。五条は昨年にもう高専を卒業してしまっている。任務依頼を受けるために時たま母校に顔を出すことはあっても、この顔合わせに参加する立場ではないはずだった。
五条の席は歌姫の斜め向かいだった。五条は歌姫の姿を認めると、軽く右手を挙げて合図をする。歌姫は顔を顰めて表情でその態度を咎めた。全く、どこまでも緊張感がないんだから。五条自身は意に解していないようだが、彼が姿を表してから、明らかに場の空気が変わった。特に学長以上の上層部に位置する連中は、明らかにピリピリと敵意に近い眼差しを五条に対して向けている。そんな中で五条は悠々と頬杖をついて、会合を取り仕切る補助監督の報告を聞いていた。むしろ歌姫の方がその場の空気を敏感に感じ取り、冷や冷やした気分になっていた。
「えー、それでは、次が最後の報告になります」
五条に気を取られているうちに、いつの間にか会合も終盤に差し掛かっていた。司会の補助監督は、額の汗を拭きながら資料をめくり、読み上げる。
「えーっと、禪院家と五条家の間で交わされた誓約に関しての報告です」
(続く)
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