(1) 「青髭」というのはグリム童話の一つであるが、郊外に大層な屋敷を構えている彼は、近隣の町の住人からそう呼ばれている。郊外に建てた屋敷に閉じこもるように暮らし、後ろ暗い経歴のある大勢のものがそうするように、近隣のまともな地域社会と関わり合いになろうとしない、偏屈な独り身の金持ちが彼だった。
青髭の屋敷には、得体の知れない連中が雇われている。日々飲み屋に入り浸って日銭を泡にしているような連中の間で、気前よく仕事を与える彼は「気のいい領主」のように親しまれているのだが、一方で、素行が良いと地元で折り紙付きの者が物は試しと乗り込んでみても、その男から仕事を賜ることはなく、追い出されるのがオチだった。
そうやって追い出されるのならまだ良い。その屋敷に入ってくると、二度と日の目を見ないものもある。例えば、クリスマスに買い与えられたサッカーボールやラジコン、糸の切れたタコなんかが、ひとたびその屋敷の敷地に吸い込まれると、子供がどれほど泣きわめこうと、二度とは戻ってこなかった。迂闊に取り返そうとして屋敷の扉を叩けば、その日以降、青髭が雇っているに違いない素行の悪い連中からしつこく絡まれ、遅かれ早かれ、夜逃げ同然にその町を追われることになるので、もう誰もそんなことをしない。
青髭の屋敷に入ると二度と出て来ないものは、他にももう一つあった。女だ。結構な屋敷には時折「あからさま」な身なりの女が吸い込まれていくが、それが再び出てきた試しがない。不審に思った近所の住人が警察に通報したこともあったが、警察の側は双方の話し合いによる住民トラブルの解決を促し、通報した住人の家には厄介な連中が足繫く通うようになった。近隣の者はその屋敷がある郊外の方へ向かう女たちを、商売女をとっかえひっかえしているだけのことだと目を瞑る代わりに、影で彼を「青髭」と呼んで噂するようになったということだ。
その男の名前はクリーチャー・ピアソンと言う。普段は屋敷の中に引きこもっているが、時折何の仕事をしているのか、真昼間から町をぷらぷらとぶらついていることもあり、その男の姿を見かけた(と同時に、道で遊ばせていた自分の娘を慌てて隠した)という住人は珍しくなかった。
彼は「屋敷に引きこもっている金持ち」という要素から鑑みるに、驚くほど貧相な男だった。日が出ていないときでもキャスケット帽を目深に被り、物音もしていない内から辺りの様子を窺うように、頭を挙動不審に揺り動かしながら、他人からの目を憚りたがる具合に肩を丸め、そそくさと歩いていく所作は、およそ名士に相応しいそれではない。
しかも、そうやって何かと人目を気にして、隠れたがるような身振りと裏腹に、悪趣味に派手な赤のシャツを身に着けているのが滑稽さを印象付ける上、少なからず開けたシャツの胸元から覗くのが、鎖骨が浮き、落ち窪むほど痩せた胸元というのも惨めを誘った。
とはいえ、流石に屋敷を持つ程の財を成したのだから、一言喋ればなにがしかの威厳が生まれるのかといえばそうでもなく、それどころか、彼は吃音持ちですらあった。彼に雇われ屋敷に出入りする(つまり、直接口を利く機会がある)下層のものは、彼に雇われている手前、表立って青髭をこき下ろしはしない。何ならものによっては、彼が本当に、自称の通りに“慈善家”であると信じている者もいた。恵まれない子供を救うための事業をよそでやっており、あの屋敷は、彼が日々暮らすためだけに建てた、粗末な生活スペースであるという。
そう自称するピアソン自身、その言いぐさを馬鹿にするようにせせら笑いながら話すのだが、兎も角頭からそれを信じている手合いは居た。先の鋭く尖った柵に区切られた内側。手入れを他人に任せ、三日と置かず刈り込まれていることがはっきりわかる程、あからさまに形の整った植え込みにぐるっと取り囲まれた三階建ての屋敷の外観はゴシック・リヴァイヴァル(ヴィクトリアン様式)風で、青々としてなだらかな丘陵地帯に、その煉瓦造りが突如屹立し、西日を一身に受けている風景は、「立派なお屋敷」と呼ぶにはどうにも品がなく、悪趣味なテーマパークめいていた。
あんな家に、それも家族もなく、たった一人で住んでいるやつが、まともなわけあるか。あの屋敷だって、汚い金を持て余した思い付きだろう。などと、表立って言ってみる者もいない。下層の人間というのはネズミと同じで、どこで誰が聞いているかわからないからだ。下層の連中が皆、心底から青髭を敬愛している筈がないが、彼らは「青髭」を免罪符に、街の者に暴力を振るうことを楽しんでいる節があった。青髭の悪口を公然と言う、という事は、今やそういうことを意味していた。
不幸中ながら幸いなことに、青髭自身は町の掌握に興味がないようだった。彼が下層のものを組織して、町に何かを不逞な要求する、というようなことはしなかったのだ。あの男の手のものがどこにいるかわからないが、黙っていれば、そして下手な関わり合いにならずにいれば、自分の身に危険はない。
町の大人は、「街はずれの屋敷に近づいてはいけないよ」と自分の子供に(あるいは、近所の子供に)よく言い聞かせた。曰く、青髭の話を知っているか? あの屋敷に今も住んでいるのがそれだ。あの屋敷の回りには、あそこから二度と出ては来られなかった女の幽霊が出て、子供を欲しがって、屋敷の中に引きずり込むから(実際、あの近辺で子供が行方不明になる事件もあった。警察が踏み込むに足る証拠が出て来なかったとはいえ、誰もが口には出さないまま、「青髭の仕業だろう」と考えていた)。
ある日、その噂を耳にしたらしい男は、自分に二つ名が付いたことを気に入ったのか、その日のうちに髪と髭を青く染めた。見るからに孤独な割に、俗っぽいところのある男だった。
悪趣味ながら、城や教会と見紛うほどの規模の屋敷を構える財を成すよりも前、ピアソンはしがない泥棒だった。彼が物心ついたとき既に親はなく、孤児院とは名ばかりの窃盗集団の中で揉まれ、生き残るために盗みを覚えた口である。
盗みの尻尾切りに使われ何度か塀の内側に入ったあと、物乞いなら兎も角、盗みをやるときには、協力者を減らしてこっそりやったほうが、結果的に上がりも良いのでは。と、物事の仕組みを把握した頃、彼はある屋敷の天窓を外して盗みに入った。
月のない夜だ。天窓から壁を伝って、どこまでも続くように見える長い長い廊下に降りる。昨日この家の車庫から高級車が出て行くのを、彼はその目で見ていた。だから、もしも誰か控えているとしても、万全の警備体制と言う程のことはないだろう。
文字通り命を懸けた(「何も手持ちがないから盗む」という連中との盗みの最中にポカをやらかすというのは、死に値する重罪だ。)窃盗を繰り返すうちに身についた嗅覚を元に、それらしい部屋の鍵を数秒と掛からずに開ける。当然、部屋の中に人の気配はない。暗さに慣れた目で見る限り、壁に沿って聳え立つ背の高い棚に、埃避けのためシーツを被せられている無数の調度品があり、窓の向こうは真っ暗だった。書庫か倉庫のような場所なのだろう。
物をただ雑然と並べ、しかも取り出しもしないような類の部屋の中身には、あまり期待できないことをピアソンは知っていた。しかし、彼が今日窓を外して忍び込んだゴシック建築風の建物は、ともすれば中世の城か何かのように一際大きく、もしかするとこういった、「普通のお屋敷」じゃあまるで期待できないところにも、何かお宝が眠っているのかもしれない、という具合に、少なからず彼を期待させていた。ピアソンは一応周囲の気配に耳を澄ませ、辺りが静まり返っていることを確かめてから、音もなく扉を閉じた。
さて、こんなデカイ家に住んでいるろくでなしは、一体どんなお宝をため込んでいるんだか。ピアソンは口元を引き攣るように歪ませ、醜く歪んだ笑みを浮かべながら、手持ちの懐中電灯のスイッチを入れる。そして、部屋の中でも大きな調度品に掛けられていたシーツの端を握って引き下ろしながら、早速その中身を照らし出すと、浮かべていた悪意のある笑顔は瞬く間に凍り付き、驚きに目を剥いたまま、彼はその場に立ち尽くした。
それは大きな鳥籠だった。人間を閉じ込めているのだから「鳥籠」というのは間違っているだろうが、見るからに装飾品風の――ところどころに蔦の葉や、飛ぶ小鳥を模した豪奢な彫刻が施され、美術品めいた雰囲気のある釣り鐘型の檻は、檻というよりは鳥籠と言う方がしっくりくる。
その中に、止まり木の代わりのように置かれた猫足のソファがあり、細身の若い女が座っていた。一見して身なりはいいが、不気味な冠に、品が良いとは言えないドレスを着ている。レースの袖の下に続く肘や、ドレスの裾から剥き出しになっている膝、手首足首は、金色に縁どられた球体関節が剥き出しになっていた。ピアソンはそこでようやく、それが人形だと理解すると、大袈裟な程に胸を撫でおろしながら、大きな溜息を吐いた。クソが、おおお、驚かせやがって、まったく、金を無駄にため込む奴というのは、どいつもこいつも趣味が悪い!
数度咳き込んでから何とか気を取り直したピアソンは、人形だとわかってしまえば何も怖くないと言わんばかりに、籠の中に入っている等身大の人形をじろじろと観察する。緩く巻かれた暗い色の髪を後ろでまとめ、樹齢の長い木の根から掘り出し、薔薇の形を彫りこんだような、奇妙な形の冠を頭に被せられていた。
その冠の中央に嵌めこまれ、光を受けると一際輝くネオンブルーの石は、あれがもし宝石であれば、相当値打ちがあるかもしれない。他の部分はどうだろうかとライトで照らして回ると、同じような石が人形の首元に輝くネックレス、そして、剥き出しになっているアンダースカート(クリノリン)の裾にも埋め込まれていた。
そうやってじろじろと見まわしているうち、改めて、妙なドレスだ、というようなことをピアソンは思った。金糸で縫い取られ、模様の編み込まれた黒っぽいレースに、黒光りする程の羽毛を重ねられて一見豪華に見えるのだが、ブローチのない右肩は剥き出しになって白い胸元まで露わになっていたし、スカートの前は大きく開けていて、両膝を隠すどころか、少し覗き込めば黒いドロワーズの端が覗ける。
人形らしからぬ滑らかな肌の質感や、身体の輪郭なんかを見せつけるようにやたらと開けて、情欲を煽り立てるようなデザインではある。しかし、女が被せられている冠といい、妙な材質のスカートといい、左肩につけられているブローチ――薔薇と片翼の鳥というわけのわからないモチーフの上、真鍮製で、宝石が嵌め込まれているわけでもない――といい、ほとんど露わになっている胸元なんかに素直に舌なめずりをするには、全体的に得体の知れない、薄気味の悪い人形というのに変わりはなかった。
しかし、そうやって何かと不気味だ不気味だとはいっても、こんなところでわざわざ、それも観賞用に閉じ込められている人形というんだから、さぞかし美人なのだろうと、ピアソンが最後に、その人形の顔をまじまじと照らしてみると、意外なことにそこまででもなかった。
小ぶりにまとまっているだけの鼻は、「豪邸の一室で鳥籠に閉じ込められた、あからさまに観賞用の美しい人形」という想定からは程遠く、素朴で可愛らしい村娘程度の風情があった。折角化粧をしているというのに、その上から垢ぬけないそばかすを再現する具合に金粉をはたかれている。さらによく見ると、目の下から頬骨に沿って、蔦が一本這う具合に円を描く罅が刻まれてもいた。
観賞用の人形の肝心な顔の癖に、装飾はどれもこれも、ただ綺麗に、可愛らしくしてやろうというには、どうにも異様な雰囲気のものばかりなのだが、中でも極めつけは右目だった。右目にだけ、睫毛の代わりに桃色の花弁を植え付けたような具合になっていて、それが目を開けると、目元に花の開いたような風情になる。……待て、目を開けると?
「っっひぃいいいい!?!?」
ピアソンは自分が盗みに入っていることをすっかり忘れ、誰彼憚らずに情けのない悲鳴を上げた。人形が動いた!? まるで人間のように目を開けた人形は、夜目の利く鳥めいて人間離れした金色の目を驚いたように瞠り、ぱちぱちと瞬かせながらピアソンをじっと見つめる。人間と見まがう程に滑らかなその動作に、ピアソンは辛うじて手に持っていた懐中電灯を取り落し、それに蹴躓いて鋭い音を立てた挙句、床の上を転がしただけに留まらず、どさっと情けない音を立てて尻もちをついていた。腰を抜かしたのだ。人形が動いている? そんな、まさか! 鳥籠の中に設えられたソファからすっかり立ち上がった人形は、カシャンと細やかな音を立てて鳥籠の柵に手を掛けながら、丸い目をさらにきょとんと丸くして、ピアソンを見下ろしてくる。
「う、うぅ、うわ、あぁ、う……!?」
ピアソンは震える膝で、今突如として動き出した得体の知れない人形が入っている鳥籠から少しでも遠ざかろうと床に踵を擦り付けたが、後ずさりも出来ていなかった。そしていよいよ成すすべのなくなった彼が、恐怖から目に涙をにじませながら、人形の素朴に可愛らしい顔を見上げていると、人形は返される視線に気が付いたように、ピアソンの目に焦点を合わせて、そっと窄めた唇の前に、ぴんと立てた人差し指を置き、「シィー」と、ベージュに近い色の口紅で艶っぽく縁どられた唇の合間から、抑えられた吐息を漏らす。
(!?!?!???)
ピアソンは最早悲鳴を上げることもかなわず、ただ唾を呑み込みながら、人間のように恐ろしく滑らかな人形の仕草を見つめる。その驚愕ぶりを前に、羽毛を纏う奇妙なドレスを着た彼女は満足気に、少しくすんだ金色の目を細めながら柔らかく口角を上げ、存外気安くにこっと微笑みかけると、それに続けて、細い指を華奢な程の柵に引っ掻け、鳥籠に掛けられた鍵の位置を指し示した。